内緒話を致しましょう。
夕暮れの彼方の蜃気楼。
 今夜触れ合えないなら意味がないの。
貴方がいなきゃ、貴方じゃなきゃ。
 
 
 
 
この背中に、
白い
無いとしても。
4-22:界の中心で、叫んだケモノ。
 
 
 
 
 
 最初は弱かった滴が、段々と大粒になる。それは不規則に音色を立てて、
屋外のあらゆるモノを打ち据えていく。地面も、街も、街路樹も、人間も。
 
「はぁ…はぁ…」
 
 不動は歩いていた。気絶した小鳥遊を背負って−−雨の中、半ば身体を引
きずるようにして。
 彼女が持ってきた鎮痛剤の残りは全て、彼女自身に使い切った。だからも
う、今効いているのが切れたら後がない。重傷の自分がどうにか動けている
のも、痛み止めがあってこそと分かっていた。効果が切れた時が終わりだと
いう事も。
 
「死ぬんじゃ、ねぇぞ…馬鹿女」
 
 雨足はどんどん強くなってくる。水が傷口に染みると思ったのは最初だけ
だった。鎮痛剤のせいもあるだろうがそれだけではないだろう。感覚が麻痺
してきているのが分かる。それは多分最期が近いという事で−−けして喜ば
しいとは言えなかった。
 ひたすら身体が重い。小鳥遊を背負っているからだけでは、ない。ほんの
少し気を緩めれば全身から力が抜けてしまいそうだった。もしそうなれば自
分は倒れて、それきり動けなくなるだろう。
 
「まだ、死んでたまるか…!」
 
 未完成のキラーフィールズは、思いの外体力を消耗した。あの場面ではど
うにもらなかったとはいえ、本来重傷の二人がやっていい必殺技では無かっ
たのだ。
 結果小鳥遊に限界が来た。まだ息はあるにせよ、意識が無くなったという
事はかなりの赤信号。早くちゃんとした治療をしなければ命に関わるだろ
う。
 彼女が向かおうとしていた集合場所は、もうそう遠くない筈だった。多分
この商店街の何処か。問題は自分には大まかな方向しか分からないこと。こ
うなる前に訊いておかなかったのは完全にミスだった。
 闇雲にでも探すしかない。その前に力尽きる可能性が圧倒的に高いとして
も、世界が平和になるよりは遙かに簡単である筈だから。
 本来なら、不動はもう歩くどころか立ち上がる事すら困難な身体の筈だっ
た。それにキラーフィールズで体力を使ったのは小鳥遊だけではないのだ。
不動はもはや気力だけで身体を動かしていた。歩くたび、アスファルトに血
の軌跡を残しながら。
 
「ぐっ…!」
 
 どれだけ歩いたか。もしかしたら十数分かもしれないし、何時間も経って
いるかもしれない。ふらついた拍子に、不動は段差に躓いた。べしゃり、と
濡れた地面に沈む身体。
 
「くそ、が…!」
 
 荒く息を吐きながら、思う。早く起きあがらなければ−−でもその前に小
鳥遊は大丈夫か。
 不動は俯せたままほんの少しだけ上半身を起こす。そして、背中にいた筈
の彼女を振り返る。どうやら自分の身体がクッションになったようで、彼女
に新しい傷を作るのは免れたようだ。でも。
 
「……!」
 
 現実を、見てしまった。
 不動と小鳥遊。重なって倒れる二人の身体から大量に流れ出していく赤、
赤、赤。それが血の川になって今まで歩いてきた道全てを紅蓮に染め上げて
いるのを−−直視してしまった。
 
「たかな、し…」
 
 彼女の下から這いずり出し−−それで精一杯だった。もう一度立ち上がろ
うとしたが、もう力が入らなかった。指先が触れる。絡む。小鳥遊はぴくり
とも動かない。冷え切っているのがどちらの手かももはや分からなかった。
 
「何、だよ…」
 
 やっと何かが掴めた気がしたのに。
 
「何で、こうなるんだよ…ッ!」
 
 あと少しのところで、この手をすり抜けていくというのか。
 
「畜生ぉぉぉっ!!
 
 不動は吠えた。雨の中、世界の中心で叫ぶケモノのように。魂のまま、心
から叫んだ。
 
「ざけんなぁぁっ!!
 
 ふざけるな。カミサマとやらがいるなら、こんな理不尽な事が赦されてい
いのか。
 自分は−−認めたくないけれど罪を犯したかもしれない。これが償いだと
いうなら納得は出来ずとも理解はしよう。
 だけど。
 
「助けろよ馬鹿野郎がぁっ!!
 
 だけど。小鳥遊に−−彼女に何の罪があった?
 こんな自分を、たった一人で勇敢にも助けにきてくれた少女に。どうして
こんな末路が赦される?何故?
 
「こんな事があっていいのかっ…これが運命だとでも言うのかよォォ!!
 
 運命を打ち破りたくて走り出した筈だったのに。飛び出した鳥籠の外です
ら、新たな檻の中に過ぎなかったというの?
 自分はこのまま完全に負け犬のまま終わって−−たった一つの大切なモ
ノすら守れないというの?
 
「助けろよ…っ!!
 
 不動は強かに血を吐いた。それは倒れ伏す小鳥遊の髪を、頬を一瞬汚し、
すぐに雨に洗い流されていく。
 
「誰か、助けてよ…」
 
 ぱしゃり、と水たまりを踏む足音がした。不動はどうにか肘だけをついて
視点を上げる。黒いスーツの脚に、黒い革靴だけが見えた。それも、一人で
はない。
 エージェント達が、さっきの叫びを聞きつけてしまったのは明らかだっ
た。
 
「これで、終わりだ」
 
 額に、冷たい銃口が押し当てられる。不動は覚悟を決めて眼を閉じた。も
はや思考も混濁しつつあった。
 
 コレデ、オワリ。
 
 この世界にも希望があると、そう思えたのは錯覚に過ぎなかったのだろう
か。手を伸ばせど触れるのは絶望ばかり。自分には“自由”も“幸福”も“命”
も−−たった一つの絆さえ、残らないのか。
 全てが闇に沈むかと思われた。しかし。
 衝撃は、いつになっても訪れなかった。
 
 
 
 
 
「大事なのは諦めない事。お前はそう、学んだんじゃなかったのか?」
 
 
 
 
 
 第三者の声。さっきまでのエージェント達より若くて、生命力を感じる青
年の声だった。
 
 
 
 
 
「だったら……諦めるな。本当の絶望ってヤツは、諦めた先に待っているも
んだからな」
 
 
 
 
 
 不動は気力を振り絞って、身体に力を入れた。身体を支える膝と肘ががく
がくと震え、血で滑ったが、どうにか座り込むくらいまで身体を起こす事が
できた。
 そこで、目の前に広がる光景を初めて真正面から見る。
 
「……!?
 
 軽鎧に、バンダナを巻き。背中に様々な武器を装備した青年が立っていた。
後ろで一つに結んだ銀色の長い髪に、褐色の肌が印象的である。年は二十歳
くらいだろうか。
 その彼が、銃を持ったエージェントの腕を捻り上げていた。
 
「何処の雇われ兵か知らないが…」
 
 青年はその端正な顔を怒りに歪めている。
 
「手負いで無抵抗の…こんな幼い子供達相手に、銃を持った大人が何人がか
りだ?戦士の風上にも置けないな」
 
 いや、結構無抵抗じゃなかったりするんだけど、とは心の中だけで。どう
やら見知らぬ彼は自分達に味方してくれているらしい。
 他の男達が銃を構えるより先に、青年は捕らえた男の身体を蹴り飛ばして
いた。その身体が今まさに引き金を引こうとしていた者達に次々激突する。
「不動明王!」
「…!?
 突然名前を呼ばれ、不動は面食らう。何故自分の名前を彼が知っているの
だろう。青年はそんな不動の戸惑いをよそに続ける。
 
「君は、生きたいか?」
 
 一瞬。止まる思考。
 
「この世界は、綺麗なモノばかりじゃない。君もよく知っているように…平
等なんかじゃないし、残酷なモノで溢れてる。願っても願っても、叶わない
事もたくさん、ある」
 
 残酷なモノ。ああ、まったくその通りだ。
 この世界に神様なんかいない。いるだなんて思いたくもない。世界はいつ
だって理不尽で不平等だ。クソッタレなものばかりで溢れてる。努力して努
力して願って願って、それでも手に入らないモノばっかりで。
 
「それでも…君は生きたいか?」
 
 それでも、自分が今の今まで走ってきた訳は。
 
「…生きたい」
 
 生きる為。ただ純粋に生きる為。
 どんなに残酷でも独りきりじゃないと分かれた世界で、幸せになる為だ。
 
「生きてぇよ…こいつと!」
 
 小鳥遊の手を握り、不動は叫んだ。絶叫した。
 それを見て青年は、そうか、と言って微笑んだ。
 
「だったら…生きろ!!願うままに!!
 
 青年の身体に、光が集まっていく。真っ白なオーラ。それは彼が光に属す
る者であると示すかのように。
 
「マスターオブアームズ!!
 
 彼が手をかざすと、背負った幾多もの武器が一斉にエージェント達に向か
っていった。まるで見えない糸で操っているかのよう。光に包まれた武器達
が男達を次々狩り取っていく。
 光と武器の奔流が収まり、武器が全て青年の元に戻ってきた時、立ってい
る人間は彼一人となっていた。
 
「アンタ…一体…?」
 
 あの人数を一瞬で薙ぎ倒すなんて。驚く不動に、彼は柔和な笑みを向けた。
 
「チーム・ラストエデンのメンバー…真実の義士、フリオニール。聖也に頼
まれてね、君達を迎えに来たんだ」
 
 
 
 
 
 
 
「レインボーループ!」
 
 その名の如く、虹色に輝く軌跡。塔子が放ったシュートが、円堂チームの
ゴールに迫る。
 
−−今まで殆どサポートでしか見た事なかったけど…あれも充分強力なシ
ュートだ。
 
 円堂は身構えて−−笑う。強い相手と向き合うワクワクした気持ち。サッ
カーの楽しさを思い出した円堂は、もはや無敵と言っていい。
 
−−塔子もパワーアップしてる。気を抜けないな!
 
「マジン・ザ・ハンド−!!
 
 円堂が振りかぶると、筋骨隆々の魔人が召喚される。その手ががっしりと
レインボーループを受け止めていた。そのシュートに込められた彼女の想い
と共に。
 
「円堂、完全復活だな」
 
 悔しげながらも、どこか嬉しそうに塔子が言う。
「でも…そーこなくっちゃ面白くないぜ!次は決めてやる!!
「何回だって来い!」
 そうだ。何回ぶつかったっていい。何回だって受け止めてくれる手がある。
自分は本当に恵まれていると円堂は想う。こんなにたくさん、自分を支えて
くれる手があるのだから。
 
「みんな!」
 
 だから、円堂は叫ぶ。
 
「俺…ずっと迷ってた。ヒロトの事も風丸の事も救えない…キャプテンとし
て何も守れない俺が、サッカーやってていいのかなって」
 
 知らなかったとはいえ。ヒロトをあそこまで追い詰めた一因は自分にもあ
るし、風丸を魔女の家具にしてしまったのは紛れもない自分の願いのせい。
彼らの心を傷つけ、魂を汚した事は必ず償わなければならないと今でも思
う。
 むしろ、そうだからこそ。
 
「でも…資格が無いからって諦めたら。これから先守れたかもしれないモノ
まで諦める事になる。俺を信じてくれるみんなを裏切る事になる」
 
 何より。
 
「サッカーが楽しいモノだって証明して…みんなを助ける為には。俺自身が
まずサッカーを楽しまなくちゃいけないって事、忘れてた」
 
 もう迷わない、とは言わない。
 でももう、一番大事な事は見えている。
 
「俺は…風丸を助けに行く!ちゃんと謝って…またサッカーをする為に」
 
 サッカーが幸せの魔法だと証明する為に。
 
「円堂君…」
 
 秋が少しだけ泣き出しそうに−−でも嬉しそうに笑った。彼女には感謝し
てもしきれないなと思う。無論、他のみんなにだって。
 だから円堂は言う。感謝と、自分はもう大丈夫という気持ちを込めて。
 
「さぁ、サッカーやろうぜ!」
 
 
 
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不埒で甘い、覚悟は要らない。