温もりの中、守られている時は気付けない。 その場所の貴さも、有限である幸せも。 安心の中、慣れてしまう前に抜け出して。 愛するひとを、失ってしまうその前に。
この背中に、 白い翼は 無いとしても。 4-26:ファイナル、ヘブン。
聖也は語る。それは今から、八年も前の物語だ−−と。
「当時俺が名乗っていた名前は、キーシクス=ゴッド。一応二十歳くらい男 の姿をしてたかな。この世界の調査の為に、某ボランティア団体に潜入中だ った」
そのボランティア団体にいた頃、慈善事業の一環としてある孤児院を訪問 した。残念ながらその孤児院の場所と名前までは思い出せていない。でも、 その景色は瞼の裏に焼き付いている。山の麓にある、田んぼと林に囲まれた 孤児院だった。 田舎にあるにしては規模が大きいなと思った記憶がある。時折急に手が足 りなくなる事があったので、ちょくちょくボランティアの力を借りていたよ うだ。
「院長は、金持ちの温厚そうな爺さんだった。実際その人は子供達みんなに 好かれていたみたいだ。金はあるだろうにいつも地味な着物を着て、子供達 の為に出来る事ばかり考えていた」
院長の秘書は万能な男だった。痩せこけてとても健康的には見えない青年 だったが、時には保育士の代わりに子供達の面倒を見て、絵本を読んでやっ たりしていた。 ああ、院長の名前は忘れてしまったが、秘書の名前は覚えている。確か、 研崎−−研崎竜一といった筈だ。
「親が不慮の事件や事故、災害で亡くなったり。捨てられたり。そこにいた のは天涯孤独の子供達ばかりだった」
当然。多かれ少なかれ、皆が心に傷を負っていた。それでも殆どの子供達 は明るく笑っていて−−聖也は思ったのだ。人の生きる力とはなんと強いも のなのかと。 たくさんいる子供達の中で−−皆のリーダー格が誰なのかは一目で分か った。最年長の一人で、皆よりほんの少し背の高い男の子。長い黒髪と赤い 眼の綺麗な少年だった。 『治兄ぃ!俺とサッカーしようよ!!』 『だめよ、治ぃはマキと一緒におままごとするの!!』 『狡い!!マキは昨日一日遊んで貰ったじゃんか!今日は僕の番!!』 『うわああん、ルルが苛めるー!治兄ぃー』 『わっ、リュウジおま、いつの間に!!』 わいわいと騒ぐ弟分達を宥めすかしながら。彼はいつも、皆の中心にいた。
『落ち着けよ。順番に話せ。いっぺんに言われても困るぞ』
砂木沼治。年よりずっと大人びていて、皆の兄代わりになり、皆に愛され ていた彼。そう−−彼が後の、デザームその人である。 彼は皆に“治兄”と呼ばれていた。事実施設に来るまで、彼には小さな弟 と妹がたくさんいたという。それが−−震災で全てを失って。亡くなった弟 妹達に償うように、自分より年下の子供達の世話を焼くようになったと。院 長はそう話していた。
『…で、リュウジに隆一郎。お前達今度は何があったんだ?』
その“治兄”に一番懐いて、いつもくっついていた二人。緑髪にポニーテ ールの、一見すれば女の子に見える少年−−緑川リュウジと。褐色の肌に銀 髪の、精悍な顔立ちの少年−−瀬方隆一郎。言わずもがな前者がレーゼ、後 者がゼルである。 二人は治に一番可愛がられている“弟”達だった。三人はいつも一緒にい るくらい仲が良くて。特に、気弱で大人しいリュウジはよく苛められては治 に泣きついていたように思う。 『クララと晴矢叩いた!パンダさんとられた〜!!』 『また晴矢か…』 よく苛めっ子の筆頭として名前が挙がっていたのが南雲晴矢。燃えるよう な真っ赤な髪(チューリップみたいな頭だ!と言っていた子がいた)と大き な金眼が特徴だった。ガキ大将のようなものだったんだろう。いつもリュウ ジの玩具を取り上げて笑っていた。
『仕方ないなあ…晴矢!』
何故晴矢がそんな事をするのか、治も分かっていたに違いない。だからい つも、説教はしてもキツく怒る事は無かったようだ。
『暴力はダメだって先生達も言ってるだろう。怪我でもしたらどうするん だ。それに…リュウジ達と一緒に遊びたいなら口でそう言えばいいのに』
晴矢は素直になるのが下手な子で。遊んで欲しい、構って欲しいと、その 相手につい意地悪をしてしまうのだった。子供なりのプライドがむしろ可愛 らしくて、聖也はつい笑ってしまった記憶がある。 また。他にも数名、よく目に留まる子がいて。
『これ!…あんたに、あげる』
セミロングの青い髪に青い眼の少女−−矢神玲名。成長すればさぞかし美 人になるだろう、それが幼いながらも分かるほど整った顔立ちをしていた。 後のウルビダである。 彼女には気になる男の子がいる。それは誰の眼から見ても明らかだった。
『いい…の?こんな綺麗なミサンガ…』
躊躇いがちにミサンガを受け取ったのは、赤いサラサラ髪が特徴の、碧眼 の少年。とても綺麗な顔立ちをしていたが色が病的に白くて、皆と長い時間 遊ぶのが難しい子だった。 基山ヒロト−−グランである。 『わたしが作ってあげたんだ!黙って受け取れよ!!』 『…ありがとう』 勝ち気で男勝りで、ツンデレを絵に書いたような少女だったが。お裁縫が 好きという女の子らしい一面もあった。そんな彼女はしょっちゅうヒロトに 手作りのプレゼントをあげていて。ヒロトもそのたびに嬉しそうに受け取っ ていたのを覚えている。 ヒロトは心臓に障害があって、いずれ手術をしなければならないだろう、 と研崎は言っていた。今のままでは大好きなサッカーもちょっとしか出来な い。ヒロトがそれをとても悲しがっていることを、大人達は知っていたから。
「…俺さ。何回目かの訪問で…子供達とちょっとだけ仲良くなって。ある時 子供の一人に訊いたんだ。君達は今幸せかい?って」
話してくれたのは−−涼野風介。クセのある薄い水色がかった銀髪の少 年。物静かな話し方をするせいで暗い印象を受けがちだが、見た目に反し外 で遊ぶのが好きな子だった。特にサッカーが上手くて、いつも晴矢と張り合 っていた気がする。 もう分かるだろう。彼が後のガゼルである。
『私は…ずっと自分は不幸だと思い続けてきた。何で私には父さんがいない の?何で私には母さんがいないの…って』
風介はサッカーボールを抱きしめて、言った。
『でも…此処には私よりも不幸な子がたくさんいて。なのにみんな、自分が 不幸だなんて言わなかった。笑ってるんだ…いつも』
雨の夜になると怯えるリュウジ。火が怖いという治。ある特定の日には恐 慌状態になる晴矢。どんなに時が経っても、心には何かが突き刺さっている。 だけど、それでも彼らには笑顔があった。
『一緒に混ざって笑ってたら…自分を不幸だと思ってたことも、忘れてた』
風介は。年の割に大人のような喋り方をする子供だった。きっと彼もまた、 簡単に言葉には出来ぬようなトラウマを抱えて生きてきたのだろう。 でもそんな彼も−−聖也に微笑んでみせたのだ。これが答えだと言うよう に。
『きっとこれが…幸せって事なんだと思う。だって』
風介の目線の先には、手を振りながら駆けてくる子供達の姿があった。
『血はつながってなくても。家族がいる。独りじゃないし…もう、独りには ならない』
「……寂しさを抱えて。でも皆が幸せそうに笑っていた…そんな光景。これ が、俺が思い出した事の全てだ」
聖也はそう言って、話を締めくくった。周りを見れば、誰もが戸惑いを隠 せない様子である。 特にレーゼは。動揺から、視線を泳がせている。
「アルルネシアがその当時どこまで計画してたかは分からねぇ。だが…ボラ ンティア団体潜入任務がもうすぐ終わるって頃に、俺はアルルネシアと戦闘 になって……負けはしなかったが、記憶を失った」
だから、忘れてしまっていた。自分がかつて出逢ったレーゼやデザーム達 の本当の姿を。愛情と慈しみに満ちていた彼らの正体を。
「私は、本当に…」
レーゼは何かを言いかけて、そこで止まる。だがその先は容易く予想がつ いた。 自分は本当に、この日本で生きていた人間だったのか−−と。無論それを 裏付ける証拠はあったし、既に彼も事実として理解はしていた筈だ。 だが、実感は無かったのだろう。彼に、人としての記憶は無い。しかし今 彼が人として生きていた頃を知る者の証言をはっきり聴いてしまった。 混乱しているに違いない。自らの記憶と、あまりに食い違う現実の狭間で。
「その施設の名前とか、場所とか覚えてないの?」
一之瀬に尋ねられ、聖也は肩を竦める。残念ながらそこまでの記憶は戻っ ていなかった。我ながら肝心なところで役に立たない。
「……そう。でも、これでだいぶ事件の全容が見えて来た、かな」
少しばかり考え込み、一之瀬は口を開く。 「おかしいと思ってた。エイリア学園メンバーがみんな日本人だとして。こ れだけ顔が出てるのに、身元が一向に割れないなんてさ。そもそもこんな数 子供の失踪者が出たら、親が騒ぎ出さない筈がない」 「騒がないのは親がいないから…孤児達だから。そういう事ですか」 「ああ」 春奈の言葉に頷く一之瀬。
「孤児院をまるっと一つ…“エイリア学園”にしたんだ。そこの院長も教員 も全員グルなら、事が簡単に発覚しないのも頷ける。…嫌な話だけどね」
偶々親を失い、その孤児院に預けられた。それだけで彼らの運命が決まっ てしまったのだとしたら。大人達の都合が彼らの未来を歪ませたのだとした ら。 あまりにも−−悲しすぎる。
「そしてもう一つ。ハッキリした事があるな」
土門が真っ直ぐ−−鋭い目線を向けた。 瞳子に、向けて。
「緑川リュウジ。…レーゼの仮の名前として、あんたがつけた名前。俺達は ずっとその場しのぎの偽名に過ぎないと思ってた。…だけど、聖也の記憶が 正しいなら、それはレーゼの本名だって事になる」
そう。今、誰もが疑問に思っている筈だ。緑川リュウジという名前の本当 の意味を。そして。
「瞳子監督。あんた何で、レーゼの本名を知ってたんだ?」
吉良瞳子という、女性の正体を。
「あんた本当は最初から知ってたんじゃないのか?レーゼだけじゃない… エイリア学園の正体を」
瞳子は−−多分、いつかこの時が来ると覚悟していたのだろう。土門の眼 差しを真正面から受け止め、しかし耐えきれなくなったように眼を伏せた。 元々感情の起伏が少なく、表情の変化が分かりにくい女性ではあったけ ど。今なら、分かる。その顔に浮かぶのは−−深い深い、苦悩。そして、後 悔。
「…私、は……」
瞳子は言いかけ−−沈黙する。言葉を捜しているのだろう。もしかしたら 彼女は、聡明だけどもあまりたくさんの言葉を持たない人なのかもしれなか った。 誰もが不器用なその続きを、急かす事なく待つ。疑念が無いわけではない。 だけど誰もが彼女を信じていた−−彼女は自分達を裏切ってはいない、と。
「…私は、終わらせる為に…此処に来たのよ」
やがて瞳子が口を開く。苦悩にまみれた顔で。
「全ての悲しい事を…悪い夢を。だって」
彼女は語る。自分達にとっては衝撃で、彼女にとってはあまりに辛い現実 を。
「アルルネシアにそそのかされて全てを始めてしまったのは…私の父なの だから」
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一分一秒、それだけでも、あの頃へ戻れたなら。