雨だって晴れだって関係ない。 貴方のいない朝はまた来てしまうから。 普段と同じように変わる信号を待ってはみても。 想いは人混みに流されてはくれないの。
この背中に、 白い翼は 無いとしても。 4-27:朝が、また来る。
来るべき時が来たと、瞳子は感じていた。いずれバレるだろう、いつか明 かさなければならないだろう−−と。そもそも本気で隠しておきたいなら、 レーゼに本名など教えなければ良かったのだ。 退路を塞がなければならない。逃げる道を捜しているような弱い心では何 も守れやしない。だから。
「エイリア学園のトップ…。ヒロト達がお父様と呼び、リュウジ達が“エイ リア皇帝陛下”と呼んで仕えていた人物は…私の父なの」
瞳子は意を決して、口を開く。
「名前は…吉良星二郎。吉良財閥の総帥で…慈善事業の一環として、聖也君 の話にも出て来た孤児院“お日さま園”の院長をしていたわ」
孤児院を経営したらどうか。子供達の笑顔を見ていれば、少しは気持ちが 晴れるのではないか。かつて父にそう提案したのは瞳子だった。 それが正しかったのか間違っていたのか、今はもう分からない。
「…父は子供が大好きな人だった。血の繋がりのない子供達を、本当の我が 子のように愛していた…少なくとも私はそう信じてる」
あの頃の父は幸せそうだった。癒えない傷を抱えて、それでも心から笑え ているように見えた。 お日様園の子供達が、父の心の支えになっていた。 「だけど…富士山に墜ちたあの恐ろしい隕石と。忌まわしい魔女が現れてか ら…全ての歯車は狂ってしまった」 「エイリア石と、二ノ宮蘭子か」 「ええ」 最初は、二ノ宮が元凶だとは分からなかった。でも今から思うと奇妙な点 はたくさんあったように思う。 彼女は唐突に現れ、自分達に紹介される段階で既に護衛頭になっていた。 長年仕えている研崎と同格扱いの秘書として居座っていた。それもエイリア 石が飛来するのとほぼ同じタイミングで。
「父は決意した。そして突き進み始めたわ。ジェネシス計画…全てを壊し、 全てを手にし、全てを取り戻す計画を」
エイリア石とあの女は、父が孕んでいた闇をくすぐり、増幅させた。甘言 を囁き、狂気へと誘った。だってそうだろう。 あんなに−−我が子同然に可愛がっていた子供達を。父の唯一の心の支え であっただろう彼らを。まるで道具か人形か玩具のように凄惨な実験に曝し て、使い捨てるようになるだなんて。とても正気の沙汰とは思えない。
「豹変した父は子供達を実験体にし、使えなくなった子供達はあっさりと捨 てていった。リバース…不動君もその一人。元々は思いやりのある優しい子 だったわ。なのに…実験の後遺症で、精神に異常をきたして…」
歪められた人格。壊されてしまった心。それでも彼はまだ人としての形を 保てた方だった。リバースとしての彼が率いていたサードランクのメンバー が、殆ど廃人になってしまった事を考えれば。
「こんな事は間違ってる。人としての道を大きく踏み外してる。…私は父を 糾弾したわ。でも…もう父に…私の声は届かなかった」
『もう、計画は始まっています。坂を転がりだした石は止まれないのですよ …いつか砕け散るまでは』
「自分でも、狂っていると分かっていた。自分がどんどんおかしくなってい く事に父は気付いていた」
『狂っているのでしょうね…私は。だけどもう、引き返す事は出来ないので す。決めたのですよ、必ずジェネシス計画を完成させ、あの子を奪った世界 に復讐すると。そして』
「でも…もう手遅れだと、そう言ったのよ」
『終わらなくてはならないのですよ。全ての悲しい事を…悪い夢を』
「だから、私は父の元を離れた。父を止める方法を捜す為に。その為の力を 手にする為に」
『だから…瞳子。お前は私を赦さなくていい。罵ればいい。いつか…もしも いつかその時が来たら』
「でもひょっとしたら…言い訳をつけて、ただ逃げたかっただけかもしれな いわね。父を置き去りにして、逃げ出したんだわ。…そうしなければ、自分 が耐えられなかったから」
『お前が、私を殺しなさい。そしてどうか、お前があの子を…ヒロトを護っ ておやりなさい』
別れ際。父の最後の言葉が何度もリフレインする。父が正しいか、瞳子が 正しいか。その答えはまだ出ていない。倫理や常識など、その人の数だけあ る。誰かの物差しで測れる筈もない。 きっと父もそれを理解していたのだ。だから、言った。決着をつけるその 時が来て−−もし瞳子が正しいと証明されたら。自分を殺してでも止めて欲 しい、過ちを正して欲しい、と。それがどれほど残酷な願いか、知らなかっ たわけではなかろうに。 「…父と決別して。私は必死でサッカーの事を勉強し直したわ。元々詳しか ったけれど、生半可な知識では足りないもの。父が子供達を犠牲にして作っ たハイソルジャー達相手じゃ…半端なチームでは勝負にもならないと分か っていたから」 「それで…響木さんと知り合って、雷門の監督に推して貰えるよう頼んだわ けか」 理解したよ、と塔子が言う。
「だけど…まだ気になる事はあるんだよな。その様子だとあんた、吉良星二 郎がサッカーを使って侵略して来るって分かってたんだろ?でも何でサッ カーだったんだ?吉良の本当の目的は何なんだ?」
それは、彼らが、彼女達が一番最初から知りたがっていた疑問だろう。ど うしてエイリア学園はサッカーなんて回りくどい方法で侵略を開始したの か。彼らの本当の目的は一体何なのか。 瞳子は、眼を閉じる。今更ながら酷い罪悪感と自己嫌悪に襲われる。自分 はその全ての答えを知っていた。知っていながら−−黙っていたのだ。
「…父も、サッカーが大好きだったわ」
大好き−−だった。悲しい事に、今はもう過去形になってしまうけれど。
「何故なら。息子が、サッカーの大好きな子供だったから。私にはね、年子 の兄がいたの。サッカーが上手くて、ジュニアユースでも活躍するほど実力 があったわ」
自分も父も、兄が大好きで。兄の大好きなサッカーが大好きで。 あの頃、自分達にとって兄と兄のサッカーは誇りだった。何度試合を見に いっただろう。何度応援席で声を張り上げただろう。
「だけど……兄は。十四歳で…この世を去った。殺されたのよ。海外留学に 行った先でね」
殺された。その単語に、あちこちから息を呑む気配がした。
「酷い死に方だった。ボロボロにされて路地裏で…ゴミのように捨てられて たそうよ。金目のモノもなくなっていた。本来なら強盗・強姦殺人で起訴出 来る筈だった。…なのに」
思い出す。瞳子は、凄まじい怒りと込み上げる憎悪を、理性を総動員して 押し殺さなければならなかった。もう十年も経つというのに。あの日の父を、 兄の死顔を思い出すだけで−−目の前が激情で真っ赤になる。
「犯人の一人が…政府要人の一人息子だったとかで。事件は闇に葬られた の。…私も、父も…恨んだわ。兄を奪い、誇りを踏みにじった者達を…この 世界そのものを」
その暗く冷たい炎は、時間と共に緩やかに静まっていく筈だった。実際、 息子を失った父の心の傷は癒えつつあった筈だ。お日様の子供達の側にいる 事で。 だけど。二ノ宮は−−その炎に再びガソリンを撒いたのだ。もう一度憎悪 が燃え上がるように。悲劇の種が芽吹くように。
「これは、復讐なのよ。兄の大好きなサッカーを使って…兄を奪った全ての ものに思い知らせてやる為に」
世界の全てを壊せば、愛するものを取り戻せるかもしれないなんて。父は なんと悲しく、寂しい幻を見ているのだろう。 いや、分からないわけじゃないのだ。自分にも同じ憎悪は宿っているのだ から。復讐なんてしても何も変わらないと知りながら、復讐するしかない気 持ち。分からないわけじゃ、ない。
「ずっと、黙っていてごめんなさい。だけどこれだけは信じて。私は…この 悲しい事件を終わらせたい。これ以上の悲劇を食い止めたい。その為なら何 だってする。この気持ちだけは…嘘じゃないの」
裏切り者。スパイ。嘘吐き。彼らにそう糾弾され、監督としての任を追わ れても仕方ないと思っていたし、その覚悟もしていた。 赦されないならそれでもいい。ただ知って欲しかった。自分の本当の気持 ちを−−自分の知る真実のひとカケラを。
「…瞳子監督」
やがて。円堂が瞳子の前に一歩歩み出て。 「ありがとうございます」 「……!」 予想だにしなかった言葉を、告げた。
「そして、すみませんでした。ずっと…誰にも言えなくて。たった一人で抱 え込んでたのに…俺、全然気付けなかった。辛かったと思います。お父さん を止める為に…闘わなくちゃいけないなんて」
すみませんでした!と。頭を下げられて−−思いの外動揺してしまった。 貴方が謝る必要なんてない。悪いのは黙っていた私なのだから−−と。そ う言うべきなのに言えなかった。 言葉が、胸の奥につかえて、出てきてはくれなかった。
「話して下さって、ありがとうございます」
顔を上げる円堂。その大きな黒い瞳に、ポーカーフェイスの崩れかかって いる自分の顔が映っている。
「俺は、貴方を信じます。監督はいつも俺達の為に行動してくれた。次に繋 がる負け方を教えてくれた。俺達なら出来るって信じて、導いてくれた。だ から」
つい、涙が零れそうになっている自分がいる。それほどまでに円堂の言葉 には力があった。誰もを明るく照らし、闇を祓う断罪の−−否、浄罪の魔術 師。 何度沈んでも昇る、太陽がそこに在る。 「監督は、絶対監督だ!これからも、よろしくお願いします!!」 「円堂、君…」 申し訳ない気持ちでいっぱいだったけれど。でも今それ以上に瞳子の心を 満たしていたのは、もっと眩しい感情だった。感動?歓喜?感激?ああ、こ の気持ちをなんと呼べばいい?
「…私で、いいの?」
本当の事を何一つ語れないまま。誰一人大切な人を護れないままここまで 来てしまった自分だけれど。
「私が監督でいて、いいの?他のみんなも…そうなの?」
赦してくれると言うのか。 こんな醜くく、弱い大人でも。 「俺も、同じ意見です」 「あたしも」 「私もです」 俺も、私も、という声があちこちから上がる。皆が瞳子を見ていた。曇り 無い綺麗な眼で、まっすぐに。
「だから…もう一人で抱え込まないで下さい」
代表して、春奈が口を開いた。
「私達は、仲間。監督も雷門イレブンの一員な筈です」
瞳子は、思う。 自分は彼らの為に何をしてやれただろう。これから何をしてやれるだろ う。傷ついていく子供達をどうやって救えるのだろう。 だけど。確かにはっきりした事がある。 世界中で今、自分より幸せな監督はいない。こんな素晴らしいチームは世 界の何処を探したってありはしまい。
「…ありがとう、円堂君。みんな」
自分は、本当に幸せ者だ。 彼らの監督になれて良かった。 彼らと出逢えて良かった。
「…お願い。私に力を貸して」
だからきっと、何とかなる。
「必ずエイリア学園を止めるわ。そして…救う。あの子達も、風丸君も」
真実を知り、戦士達は再び立ち上がる。
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同じような一日、でも何かが違う朝。