全知全能のコトバを聞かせてよ。
 それが正しいと信じ込めば楽になれるから。
 未来も現在も過去も揺らしてみせて。
 縫い目の隙間はどうすれば埋まる?
 
 
 
 
 
この背中に、
白い
無いとしても。
5-0: Message from Hitomiko Kira
 
 
 
 
 
 何から語るのが相応しいかしら。
 ずっと、ずっと、ずっと。考えてきた筈なのに言葉が見つからないの。
 私は、周りが思うほど聡明な女じゃなかった。
 過去から逃げて、でも振り切れもしない、哀れな人間でしかなかったのよ。
 
 最初に言うべきはやはり−−兄、吉良ヒロトの事かしらね。
 
『ヒロ兄、お帰り!』
 
 意外って言われるかもしれないけど、十年前までの私は本当に甘えん坊
で、お兄ちゃんっ子だったの。対してヒロ兄は、年よりずっとしっかり者だ
った。見た目は子供なのに、賢くて器用で、何よりとても優しい兄だったわ。
 吉良ヒロト、といえば当時は有名だったんじゃないかしら。U14のジュ
ニアユースに所属していて、雑誌にも紹介されるくらいのストライカーだっ
たから。見た目も中身も完璧な兄は、私にとって誇りだった。兄が練習から
帰って来ると真っ先に飛び出していったっけ。
 
『ただいま、瞳子。ちょっと待ってね、今ご飯作るから』
 
 母は幼い頃に他界。写真を見れば分かるでしょうけど、母は兄と同じ真っ
赤な髪が綺麗な人で、私より兄の方がよく似ていたわ。だから余計、父も兄
を可愛がってたのかもしれない。
 母が死んでから、家事は家政婦さんがこなしてくれるようになった。幸い、
うちは金持ちだったから。でも、私は家政婦さんより、兄が作ってくれる料
理の方が好きだった。だから−−本気で忙しい時以外は、兄にせがんでご飯
を作って貰ったっけ。
 残念ながら私は家事が壊滅的に駄目で。うっかりキッチンでボヤを起こし
かけたくらい不器用だったから、お手伝いは出来なかったけど。ヒロ兄の料
理は、死んだ母と同じ味がして好きだった。本当に、兄は何でも出来る人だ
ったな−−私とは大違い。
 兄の素敵な点はいくらでも挙げられるけど。一番好きだったのはやっぱ
り、サッカーをしている姿だったわ。本当にカッコよかったの!だから私も
サッカーを始めて−−時間がある時はヒロ兄に教えて貰ったりして。
 あの頃、私の世界の中心は、兄だった。
 私も父も、兄が大好きだった。ひょっとしたら、長年父に仕えている研崎
や他の召使達も兄が大好きだったかもしれない。
 
 
 
 幸せすぎるほど幸せな日々は、ある時あっさりと奪い去られた。
 
 
 
『ヒロト…ヒロトぉ…!!
 
 今でも耳について離れない−−父の泣き声。
 サッカー留学で海外に行ったヒロ兄は、遺体となって無言の帰宅をした。
あちらの国の警察は断固として“事故”だと言い張ったけれど−−そんな筈
が無い事は誰の目からも明らかだった。
 路地裏で、まるでゴミのように打ち捨てられていたという兄の身体は−−
傷と痣だらけの惨い有様だった。抉られた傷、折られた骨。その殆どに生活
反応があったという。
 集団で乱暴された挙げ句、刃物でなぶり殺しにされて。金品の類は皆奪わ
れていたそうだ。兄の誕生日に父が贈ったちょっと高価なペンダントも含め
て。
 いっそ顔が綺麗なまま残ってなければ、そうだと分からずに済んだのに−
−なんて。酷い妹ね。生きていた頃散々兄の容姿を自慢していたくせに。
 ええ、そうよ。
 兄の死に様は鬼道君のそれと恐ろしく似ていたの。正確には、私は葬式の
前に、整えられた兄の遺体しか知らないけれど。状況がそっくり過ぎて−−
鳥肌がたったわ。正直気が変になるかと思ったくらいに。
 
『どうして?どうしてなの?兄さんは殺されたのに…何で犯人を捕まえら
れないのっ!?
 
 叫ぶ私達に、世界はあまりにも冷たかった。政府もこの事件を大事にした
くないのが見え見えで−−ただ捜査はしないと繰り返すのみ。
 やがて突き当てた事実。兄を殺したと思しきメンバーの一人が、政府要人
の一人息子であったこと。よって圧力がかけられたこと。それは−−被害者
と遺族にとってはあまりに理不尽な現実だったわ。
 私達は世界を恨み、妬み、呪った。そう、復讐を願っていたのは父だけじ
ゃない、私だって同じなの。もし何かが違えば、エイリアを率いたのは父で
はなく私になっていたかもしれない。
 
 でも。私達は幸運にも、知ることが出来たから救われた。
 人を幸せにするのは憎しみじゃない、愛することだけだと。
 
『なかないで』
 
 鬱々とした気持ちを抱えたまま過ごす日々。傘を差してもあまり意味のな
い、土砂降りの雨の日だったわ。セーラー服を濡らしながら、偶々通りかか
った公園。
 その光景は、デジャ・ビュ。
 紫色の長い髪の小さな女の子が、雨の中くずっていてね。彼女が差してい
たであろう傘は布大きく破け、ボロボロになって近くに転がっていたの。
 その彼女に傘を差し出して、必死で慰めている青みがかった黒髪の男の
彼も少女に負けないくらい小さかった。それでも彼は少女の涙が止まる
ようにと、冷たい雨の中声をかけ続けていたのよ。
 
『なかないで、あい。カサくらいで、センセイたちも、おこったりしないよ』
 
 少年の言葉に、しかし少女は首を振ってしゃくりあげる。
 
『だめ、だめだよう。センセイたち、おかね、ないっていってたもん。おう
ち、なくなっちゃうかもしれないのに。カサも、5ほんしかなかったのに…』
 
 幼い子供にしては随分と洒落にならない会話よね。思わず足を止めて−−
そのまま動けなくなっちゃった。
 
『だいじょうぶ。もし、おこられても…おにいちゃんも、いっしょにあやま
ったげるから』
 
 重なったの。小さい頃−−私もそうだった。泣き虫だったからすぐ癇癪を
起こして、喚いてぐずって。その度に兄に慰められてたなって。
 そこには遠い遠い日の−−もう戻らない私と兄の姿が、あったのよ。幻と
分かっていても私にはそうとしか見えなくて、気付けば金縛りになってい
て。
 
『…ねぇ』
 
 現実に返ったのは、声をかけられたから。いつの間にか幼い兄妹は私を見
上げていたの。多分、雨の中自分達を見つめて固まってる女を訝しんだのね。
 
『おねえちゃん、どうしたの』
 
 綺麗な眼。男の子は首を傾げて尋ねてきたわ。
 
『どうして、ないてるの?』
 
 何故それが分かったのだろう。傘を差していたから確かに顔に雨は当たっ
ていない。でも陰になっているから、相当見えにくかった筈なのに。
 
『…さぁ』
 
 言葉が見つからなかった。
 
『どうして、かしらね』
 
 感情が溢れて、でも行き場をなくして。この気持ちをなんと呼べばいいか
分からなくて。
 多分、ここで漸く私は思い知ったの。大好きだったあの人はもういない。
でも、あの人に愛され、あの人を愛する事こそが幸せだったという事。
 憎しみに溺れていく時間に、疲れ切っていたという事を。
 
『…もし、良かったら』
 
 その提案は、彼らの為ではなく。
 多分私自身の幸せの為だったの。
 
『貴方達の名前、教えてくれない?もしかしたら…私達なら、助けてあげら
れるかもしれないから』
 
 幼い兄妹。兄の名前は凍地修児。妹の名前は凍地愛。後のアイシーとアイ
キューだった。
 彼らの孤児院は潰れる寸前だった。事業が失敗し、経営が立ち行かなくな
かったらしいわ。借金を返済して、立て直すには相当な額のお金が必要で−
−私はこれも運命じゃないかと思ったの。
 吉良財閥なら、きっと出来る。
 
『もう、ヒロ兄のような悲しい子供を出さないように…私達は私達に出来る
事、してみようよ』
 
 私は父に言った。
 
『それで誰かが笑ってくれたら…きっとそれ以上に幸せな事は無いわ』
 
 父は一瞬空を仰いで−−やがて頷いた。憎しみに溺れるばかりで、救われ
ない日々から抜け出したがっていたのは−−私だけじゃ、無かったのね。
 孤児院の名前は“おひさま園”になった。そこが彼らにとってお日様のよ
うに暖かい場所であるように、私達が、彼らが、いつか誰かの太陽になれる
ように。そう願って、父がつけた名前だった。
 経営が持ち直して、孤児院はどんどん大きくなって。新しい子供達もどん
どん増えていって。たくさんの出逢いが、あって。
 勿論、良い事ばかりじゃない。寧ろ私達が必要とされない世の中が一番い
いと分かってる。
 レーゼ−−緑川リュウジ。両親から虐待され続け、保護された子。死にか
ける程の怪我をしたその日が雨だった事から、雨の日はいつも一人で怯えて
いた。
 デザーム−−砂木沼治。大家族の家に育ち、幼いながらも妹や弟達の面倒
を見ていた子。でも震災で家が燃えて、家族の全てを失ってしまった。
 ガゼル−−涼野風介。両親を事故で亡くし、親戚中を盥回しにされた子。
醜い大人達の諍いを見たせいで、酷い人間不信に陥っていた。
 バーン−−南雲晴矢。赤子のうちに、駅のロッカーに捨てられていた子。
彼に残されたのは名前だけ。彼にとって最初はそれすら憎しみの対象だっ
た。
 そして−−グランこと、基山ヒロト。記憶喪失で保護され、何一つ持たな
かった子。基山、という名札がポケットに入っていた事から名字だと解釈し
たが本当は違うかもしれない。ヒロトという名を付けたのは父だったわ。彼
はあまりに−−兄と似ていたから。生き写しと呼べる程に。
 誰もが心に癒えない傷を抱えて生きていて。それでも、少しずつ少しずつ
世界に光が射し始めたの。新しい家族ができて、子供達も笑えるようになっ
て。それを見た私や父も笑顔が増えていったわ。
 
『私達は幸せですね、瞳子』
 
 父がそう言って笑っていた時間を、私は忘れない。
 
『こんな素敵な子供達に出会えた。彼らの存在が、今の私にとっての生き甲
斐。…本当に、良かった』
 
 罪悪感があった事は−−否定しない。彼らは半ば私達を慰める為に集めら
れたようなもので、全ては彼らを救う事で救われたかった私達自身の為でし
かなかったから。
 特にヒロトには−−残酷な真似をしてしまったわ。幾ら似ているとはいえ
彼と兄は別人なのに。面影を重ねて、身代わりのように愛するなんて本当に
酷い。
 だからこそ。私は、いつか必ず彼らに、ヒロトに償いをしなくちゃいけな
いと思っていたの。彼らが私達を救ってくれたように、私は彼らを守り抜こ
うと。そう決めていた−−筈だったのに。
 あの隕石が。あの魔女が。私達のひだまりを、壊していったの。
 復讐よりずっと幸せになれる方法がある。そう気付けた筈の父は再び憎悪
に溺れていった。幸せをくれた筈の子供達を道具にしてまで、兄の仇討ちを
せんと動き始めた。その隣には高笑いするあの女がいて−−ああ、どうして
私はすぐ気付けなかったのかしら。
 
『…瞳子様。貴女は、行くべきです』
 
 父を止める方法を捜していた私の背を押したのは、研崎だった。
 
『世界は、死者の為じゃない…生きている者の幸せの為に在る。そうでしょ
う?』
 
 逃げ出したかもしれない。今でもそう思う。だけど、私はもう後悔したく
ないの。今度こそ護りたいの。だったら、走り続けるしかないじゃない?
 世界はとても残酷で、全ての願いが叶う訳じゃないとしても。
 願い続ければ、可能性の道は必ず繋がる筈だから。
 
 そうだよね−−ヒロ兄。
 
 
 
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もう何も、ないの。