どうしようもないくらい、空が低いの。 雨さえ打ち消して闇が世界を食らうなら。 此処に要るのは僕なのか、それとも食われた屍なのか。 答えが出ないなら何の為に。何の為に。
この背中に、 白い翼は 無いとしても。 5-3:波間の、プレリュード。
沖縄にいると、季節感は遠く彼方へ飛んでいく。年がら年中真夏のようだと 思いつつ、豪炎寺は午後も浜辺でランニングをしていた。 土方家に居候の身である。午前中は洗濯やら何やらの家事を手伝い、それが 終わってから自主練にするとルールを決めていた。自分が手伝っただけ、土方 の仕事が減るのだ。タダ飯食らいなら当然だろう。 せめてバイトでも出来ればな、と思う。土方家は収入もかなり厳しい筈だ。 しかし隠れている身である以上表立った活動はできないのが現状で、ついでに この地域は相当な田舎に分類される。バイトをしようにも求人がないのが実際 のところだった。
−−油断するとすぐ砂に足をとられるな…。
今日は単にランニングするだけでなく、ドリブルをしながら走る事にした。 やっと砂浜に足が慣れてきた頃である。それでもドリブルとなれば、ボールは 思うように転がらない上気を抜けばすぐ明後日の方へ飛んでいく。スタミナも 集中力も桁違いに使うし、暑さもある。これはいい訓練になりそうだ。
『大海原を襲い、雷門と戦うあのチームを…エイリアを、止めてくれ』
思い出す、朝の出来事。バーンは何故、エイリア学園に籍を置きながらもエ イリアを止めて欲しいなどと頼んできたのか。その為の情報を置いていったの か。残念ながら分からない事だらけだ。罠という可能性もゼロではない。 しかし彼の眼は、誰かを騙したり嘘を吐く人間の眼ではなかった。円堂と同 じ−−誰かを、何かを護ろうとする眼。だから豪炎寺は決めた。彼を信じて、 雷門復帰の為に尽力する事を。 問題は何よりまず夕香を救出出来なければ無理だという事である。バーンの 置いていったUSB。その中に入っていたデータは全て鬼瓦刑事と聖也の元に送 信してある。だが、情報があってもその為に動ける人員がいるかはまた別の話 だ。警察内部に鼠がいる可能性も考えれば(科捜研がクロらしいのは鬼道から のメールで知っている)機動隊を動かせるとは思えない。そもそも派手に動け ば人質が死ぬ。 となれば少人数で、速やかにアジトを制圧しなければならない。銃一つ容易 く持ち出せない日本警察で、果たしてエイリアの精鋭に太刀打ち出来るのだろ うか。
−−でも…ここに来たらもう、俺は信じる他ないんだ。
待ち続ける日々は同じ。だが、バーンのお陰でやっと光明が見えてきたのだ。 ならば自分は彼らが夕香を助け出してくれると信じるしかない。信じて、復帰 できたその時の為に進化を続けるしかないのだ。 もし夕香が助かって。雷門に復帰できても。肝心の豪炎寺がストライカーと して物の役にも立たなければ全く意味がないのだから。
「おーい!」
波音に混じって、青年の声がした。最初は自分が呼ばれているとは思わなか ったので、豪炎寺はドリブルを続けた。けれど。
「おーい!そこの、銀髪ツンツン頭の、眼がちょっと怖い兄ちゃーん!」
そんな呼び方をされたら、立ち止まらない訳にはいかない。悲しいかな、自 らの目つきの悪さは大いに自覚している。 一体どこから、誰が呼んでいるのやら。豪炎寺はキョロキョロと辺りを見回 して−−その人物に、気付いた。
「ひゃっほう!」
ギラつく太陽を反射し、水飛沫が宝石のごとく散る。波の上を嘗めるように 滑っていくボード。操っていたのは長いピンク髪の日焼けした少年だった。 まるで波と戯れているよう。サーフィンの知識など無い豪炎寺だったが、そ れでも彼の技術が並大抵なものでないと分かる。 少年サーファーは豪炎寺と目が合うと、ニッと笑って−−飛んだ。まるで波 を蹴るかのように、鍛えられた肢体が華麗に宙を舞う。
「よぉ!」
気付いた時、彼は豪炎寺の目の前で見事な着地を披露していた。自らのサー フボードもきっちり小脇に抱えている。思わず、凄いな、と感嘆の声を漏らし た。
「あんがとなー。でもまだまだ修行中の身だ。この程度の波で満足する綱海様 じゃねーよ」
ツナミ、というのが彼の名前らしい。まさしく見たまんまだ。 「お前、最近ちょこちょこ見かける顔だよな。いつも此処で走ってるだろ」 「知ってたのか?」 「まぁな。俺もこの辺りでサーフィンすんのが日課だから。偶にガッコサボっ て海来てる。内緒だぜ?」 けらけらと笑う綱海。初対面の相手にも気兼ねなく話せる性分なのだろう。 人見知りする豪炎寺からすればなんだか羨ましくもある。 「…で、まぁそんな事はさておき。今日は念の為帰った方がいいぜ。ちょいと 海が荒れそうだ。風が温いからな」 「分かる…のか?そんな事が」 「海の天気だけな、なんとなく。昼からもう崩れるぜ。うちの親父漁師だった からさあ」 自分にはまったく分からない。太陽は相変わらず燦々と降り注いでいるし、 空は真っ青な絵の具を塗りたくったかのごとく晴れ渡っている。もくもく湧い た入道雲もいつもと何ら変わらないように見えるのだが。 それに−−漁師“だった”とは。綱海の親はもう引退したのだろうか。それ とも既に故人なのか。さすがに初対面で突っ込んで訊くほど野暮にはなれなか った。
「サッカーボールか。お前サッカーやんのか?大海原中の転校生?」
どうやら綱海は、豪炎寺の事を知らなかったらしい。まあ自分がキャラバン を離脱したのはジェミニ二戦目の直後だ、それも詮無き事だろう。
「俺は…雷門中の人間だ。エイリア学園の中学校連続破壊事件は知っている か?」
そう言うと綱海はしばし考えこむ仕草をして−−ああ!と合点したように 手を叩いた。 「そうだそうだ、思い出した!エイリア学園…とかなんとかいう連中と戦って る雷門中の話。お前そのメンバーの一人だったりするのか?」 「まあ…な。いろいろあって離脱中だが」 随分暢気なものだ。エイリア学園が次のターゲットに、沖縄の大海原中を選 んだ事は土方でさえ知っていたというのに。この田舎町にいて、綱海は知らな いのだろうか?それとも実は地元の人間ではないのだろうか。
「そーいやエイリア学園、沖縄に来るらしいな。ガッコの連中が騒いどったわ」
どうやらそのどちらでも無かったらしい。 「綱海は大海原中の生徒なのか?」 「おうよ。大海原中の三年、綱海条介!部活は…サーフィン部がないんで専ら 帰宅部だけどな!!」 「!!」 さらり、と今爆弾が落っこちたような。つい同い年の気分で話してしまって いたが、なんと先輩だったとは。
「す、すみません綱海さん…先輩だとは露知らず、ついタメ口を…」
年上には敬語を含めて最大の敬意を払うべし。それは父親からこれでもかと いうほど言われ続けてきた事だった。慌てて、半ば反射的に腰を折って謝罪し た豪炎寺を、綱海はぎょっとしたように見た。 「よ、よせやい堅苦しい!んな事ぁ海の広さに比べればちっぽけな事だ、気に すんなって!!」 「でも…」 「いいっていいって。普通に喋ってくれた方が気楽なんだよ。そのままにして くれって」 なんだか気まずいが、そう頼まれれば否とは言えない。なんとなく綱海の性 格の一端を垣間見れた気がした。年齢や性別や−−そういった概念をとっぱら って、みんなでフレンドリーな付き合いをしたいタイプなのだろう。 円堂は違う方向で皆に好かれるタイプなんだろうなと思う。垣根のない付き 合いを好むという意味では同じだが、円堂はああ見えて目上に対してはきっち りとした礼儀を通すタイプだ。それが周りにさらに好印象を与えるのである。 それが分かるくらいには、豪炎寺は円堂という人間を理解していた。
「しかし、サッカーか…団体種目ってあんまやった事ねーんだよな。面白いの か?」
しゃがみこみ、ころころと手でボードを転がす綱海。特徴的な髪型もあって、 まるで猫のようだ。
「面白いぞ」
豪炎寺は迷う事なく答える。 「みんなで一丸となって、一つのゴールを狙う。相手の戦略を読み、かつこち らの手を読ませず、ゲームを組み立てる。…サッカーより面白いものに、俺は 出会った事がないな」 「へぇ…!」 そうだ。この世に素晴らしいものは数多あれど、これほど魅力的で自分の性 にあったスポーツは他にない。豪炎寺は心の底からそう思う。
「それに…サッカーは、たくさんの人を笑顔にする。サッカーをする事で仲間 も増える。そして、誰かを救う事も出来る」
サッカーなんかで何が救えるんだ−−かつて、実の父にそう言われた事があ った。医者を継がせたい父からすればサッカーは邪魔なものの一つだろう。何 より父は医療のみが他者を救う唯一の手段と信じている。それも間違いではな い。身体を救う手助けは、医者にならなければ出来ない事なのだろう。 実際、サッカーで救えないものはたくさんある。救えなかった実例もある。 少なくとも雷門は、豪炎寺は鬼道を失った。彼の命は医療でさえ救えなかった。 だけど。それでも豪炎寺は信じているのである。心を救うのは心だけだと。 サッカーは他者に心を伝える最高の手段だと。 魔法なんて御伽噺だと多くの者達が言う。しかし、本当は信じれば誰もが魔 法使いになれるのだ。豪炎寺にとってサッカーは皆を幸せにする最強の魔法、 希望を齎す白き魔法だ。
「いろいろあったけどな。そう信じてるから…俺はサッカーを続けてるんだ」
人の願う力は、強い。 時として世界さえ変えるほどに。
「…そっか。そりゃ、幸せな事だな」
綱海は微笑んで−−次の瞬間うーんと悩み始めた。 ころころ表情が変わる。その様は無邪気で幼い子供のようですらある。 「しっかし参ったなー。せっかくなら俺にもサッカー教えてくれーって言おう と思ったんだけどよ。二人じゃ無理だよなぁ」 「簡単なものなら出来なくはないが…。サッカーやってみたいならサッカー部 に入ったらどうだ?今はエイリア襲来でバタついてるかもしれないが…」 「いんや。大海原中は非常に平和だったぞ。サッカー部って超ポジティブな連 中の集まりらしいからさ、危機感ないっぽいな」 「…大丈夫かそれで」 負けたら怪我人続出で校舎も破壊されてしまうかもしれないのに。それとも 余程自信があるのか。 確かに大海原中も陰の名門校として名高い学校ではあるが−−。 「うちのサッカー部レベル高いっぽいからさ。初心者入り辛くてだな…」 「あー…」 それは、豪炎寺にも分からないではない。 「まぁ、いいや。お前基本的に毎日此処に来るんだろ?明日まずルールから教 えてくれよ。今日はもう戻らなくちゃなんねーし…ほら」 「そうだったな」 綱海が指差した先には、急に暗くなり始めた空。土砂降りが来るまでのカウ ントダウンが始まっている。
「じゃ、またな!忘れないでくれよー!!」
綱海はそう言って、手をひらひら振りながら去っていった。豪炎寺も手を振 り返し−−重大な事に気付く。名前を教えるのを忘れていたのだ。
「…仕方ないか」
明日教えればいい。綱海はきっと同じくらいの時間に此処にいるだろう。同 じ朝が来るならば、きっと。
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浄化されない、黒歴史。