愛とは一なる元素。 愛がなければ真実は見えない。 人とは萬の怪異。 人がいなければ、物語は生まれない。
この背中に、 白い翼は 無いとしても。 5-5:翼は、舞い降りた。
音村楽也は退屈していた。 サッカーは面白いし音楽は好きだ。毎日何かしらの発見はあるし仲間達とい るのは楽しい。それでも、退屈だと言わざるを得なかった。何かが足りないの だ。しかしその足りないモノがハッキリしない。胸の中がもやつくような、あ まりよろしくない気分が続いている。
「キャプテーン」
大海原中グラウンド。ぼんやりと考え事をしていたら、後ろから可愛らしい 声が振って来た。大海原中サッカー部のメンバーの一人であるキャンこと喜屋 武梨花である。女の子である事以上に、そのマスコット的な愛らしさが人気の 的になっている少女だった。そしてサッカーも上手い。小柄な体格からは想像 もつかない、男子部員にも負けない実力を誇っている。 「キャプテン、どうしたの?考え事?お悩み〜?」 「まあね」 フェンスの向こうはすぐ海だ。大海原中は海に囲まれた沖縄の絶景スポット に建っている。海を見ていればそれだけで気分が落ち着く。 「…世界は変わるのかな、なんて。考えてみたんだけど」 「世界?」 「うん」 何となく漏らしてみる、本音の欠片。悩みというほどの悩みでもない、隠し たいような事でもない。だから、口にした。
「エイリア学園の襲撃予告が入ったろう?…それでも大海原中は何も変わら ないからさ」
皆、端から見れば異様なほどに楽天的だ。音村もその一人には違いないから どうこう言えないが−−本当にこれでいいのかな、と思う瞬間があるのも事実 である。 明るく前向きに捉える事と、危機感を放り投げるのは違う。みんな“何とか なるさ”とドンと構えているが、いざという時それで本当に“何とかなる”も のなのだろうか。恐ろしい現実から、ただ逃避しているに過ぎないのではない か。 負けたら学校が壊される。それだけで済む保証もない。ひょっとしたら死傷 者が大量に出る事態になるかもしれない。もっと真剣に未来と向き合うべきで はないのか。対策を練り、手を打つべきではないのか。 だが最大の問題は。そんな風に考える音村自身が、“別にどうでもいい”と 思ってしまっている事だろう。やるべき事、するべき事は分かっている。それ なのに、やる気が出ない。エイリアが来て全てを壊そうが自分が死ぬ羽目にな ろうが、それでもかまわないと思ってしまっている。 無気力、と呼ぶべきか。仲間達の事は好きだし、彼らが傷ついたら嫌だ。で も、実際に何か行動を起こそうとは思えない。成り行きに任せて、自分の運命 を占ってしまおうかとすら考える。 何故か。簡単だ。自分の人生は今まであまりにも出来すぎていた。幸運にも 才能にも恵まれてきた。サッカーは好きだけれど、本気でぶつかれる相手に出 逢った事もない。それが退屈で仕方ない。 エイリアが来れば世界は変わるだろうか。いや変わってくれたら嬉しい、な んて−−そんな感情は身勝手すぎるだろうか。
「…僕にはさ、飛んで来る矢が見えるんだ。他の人には見えない矢でも、僕に だけは見える。だから避けられてしまう」
でも避けられるのは自分だけ。だから他の−−周りの人間には、当たる。
「エイリア学園が“見えないもの”だったらいいねぇ」
キャンは暫く、じっとこちらを見つめていた。彼女に限らず、大海原サッカ ー部のメンバーは皆知っている事だ。音村楽也は“普通”じゃない。だから偶 に、狂人のような言動をする。でも結果を見ればその言動は“概ね正しい”。 ついたあだ名は“旋律の魔術師”。まるで音符のように試合のリズムを読み 取り、音符が一つ見えればスコアの全てを把握し書き換えられてしまう。そう、 まるで魔法のように。
「…見えるのは、辛い?」
キャンの大きな丸い眼は純粋で、曇りがない。嘘をつく事が許されない眼だ。 だから音村は苦笑して、正直に答える。
「まさか。僕は幸せだよ。ただ…酷く退屈ではあるけどね」
小さな頃は不思議でならなかった。ヒーロー戦隊の悪役が何故“世界征服” を歌うのか。全てが“見え”たら、思いのままになってしまったら。こんなに も退屈な事はないのに。 「…とりあえず、キャンも気をつけてね?もしかしたらまた僕だけが助かっち ゃうかもしれないから。逆に言えば僕にくっついてれば君も助かるかもだけ ど」 「キャプテン…」 キャンは少し悲しげに俯いて−−やがて口を開いた。
「キャンは、何て言えばいいか分からないけど…でも」
顔を上げ、少女は笑う。音村の好きな、優しい笑顔だ。
「大丈夫、だからね」
彼女は思いやりに満ちた人間だ。そんな彼女が自分も皆も大好きだ。だから そんな彼女の未来を、真剣に危ぶむ事の出来ない自分が−−音村はほんの少 し、残念だった。 「何があっても、起きても。キャン達はキャプテンを責めたりしないよ。だっ てキャプテンは何も悪くないもん。それが分かってるからみんな“なんくるな いさー(何とかなるさ)”って笑ってられるんだから」 「…ありがとう」 物心ついた時から“魔術師”だった自分は。歯車は元々ズレた形で回ってい るし、人として当たり前にある筈の感情もどこかが欠如している。自らの生死 さえ興味の範囲外だ。ひょっとしたら本当の意味で“キチガイ”とは自分みた いな人間を言うんじゃないだろうか。 それが不幸せだとは思わないけど。偶に思うのである。普通の人間であった ならもう少し、充実した毎日を過ごせたのかもしれないと。
「もう少し、不自由じゃない魔法が使えたらいいんだけどねぇ」
自分の使う“魔法”には自由がない。面白みもない。音村の性格を反映する ように。
「おーい!」
ふと、どこからか青年の声が聞こえてきた。最初は自分達が呼ばれてるとは 思わなかったのでスルーしたが−−声はもう一度聞こえた。誰かな、と思って 振り向けば。
「おーい、そこの二人ー!!」
派手なピンク頭の人物が、グラウンドの向こうから走ってくるではないか。 少しばかり驚く。その人物は大海原でもある意味有名人であった。 三年、綱海条介。 サーフィン部はあるのに所属せず、毎日一人でサーフィンに出かける海男。 派手な髪は地毛だが、それゆえに不良連中に絡まれた事数知れず。そのたび丸 ごと返り討ち。実は喧嘩が滅茶苦茶強いらしいが、自分から仕掛ける事はしな いそうな。にも関わらず気がついたら、大海原中には彼の“舎弟”を自称する 奴らが山のように増えてるのだとかなんとか。とにかく噂には事欠かない。 不良、ではないのだろう。成績も出席日数も不真面目だがそれだけだ。変わ り者だがその明るい人柄で人に好かれるし、案外モテる。だがサッカー部のグ ラウンドに来た事は無かった。彼の頭は基本的に海とサーフィンの事でいっぱ いなのだから。
「僕達に何か用かな、綱海君」
三年の彼にタメ口をきいたのは、彼は敬語が苦手だと知っていたからだ。綱 海は自分の事を隠さないし隠せない。関わりのない音村にさえそこまで情報が 広まるくらい、綱海は有名であった。 「あり、俺の名前知ってんだ?」 「有名人だよ、君は」 「そうなのか?まぁ、目立つしなこの頭…」 「それだけが理由でもないと思うんだけどね…」 うむ、興味深い、と音村は思った。この綱海条介という人物、噂に違わぬ変 わり者のようだ。まあ自分ほどではないだろうけど。
「お前らってサッカー部だよな?何で他のメンバーはいねぇんだ?」
キョロキョロしながら言う綱海。
「うちのサッカー部、水曜は休みだよ。フットボールフロンティアみたいな大 会前は話が変わってくるけどね」
水曜休み、は半ば監督の都合のようなものだ。毎日根詰めて練習より、ケジ メつけて密度の高い練習した方がいいだろ!と本人は言っている。真相は知ら ない。水曜日に、女と歩いている姿が目撃された事もある。悪い人物ではない のだが、酒癖が悪く女ったらしで物忘れが激しい、と痛い欠点も多い男だった。 水曜休みの代わりに、土曜日に部活をしている事は多い。他の部活と比べる とあまり一般的ではないのかもしれない。
「そっかぁ。…まあ、お前らがいればいっか!」
少しだけ思案して、綱海は言う。
「なぁ。俺にサッカー、教えてくれよ!!」
音村は目を丸くした。確かに綱海のバランス感覚と身体能力があれば、他の スポーツでも活躍出来そうだが−−それにしたってどんな風の吹き回しなの か。今までサーフィン以外に何も興味を示さなかった彼なのに。 「いいけど…どうしたの?君が急にサッカーなんて」 「んー、ちょっとな、気になってさ。面白ぇのかなって」 何か、きっかけがあったのだろう。頭を掻きながら綱海は笑う。
「いっつも浜辺でボール蹴ってる奴がいてさあ。いろいろ苦労してるみてぇだ けど、それでもやりたいくらい面白いもんなかなって。サッカー部がいたら練 習に乱入させて貰おうかと」
また無謀な。音村は苦笑する他ない。一応は名門である大海原中のサッカー 部に、経験もない素人がいきなり突入するつもりだったとは。だが、不愉快だ とは思わなかった。その開けっぴろげな態度が寧ろ清々しい。 「乱入、ねぇ…サッカーは初心者が簡単に出来るもんじゃないよ?」 「簡単だったらつまんないだろ!難しい方がいい!!」 「なるほど」 そういう発想もありか。なんだか愉快な気分になる。難しければ難しいほど 燃える、そういうタイプの人間は上手くなると経験上知っていた。増してや、 綱海のように基礎体力がある人間は尚更だ。 ただ一つ。一つだけ残念な事があるとすれば。
「…君は、上手くなるよ。いいディフェンダーに」
綱海は見える−−という事。 彼は音村が願う最たる存在ではなかった。他の人間達と同じ。望めばいくら でも“見えてしまう”存在。 「でもまずは基礎知識が必要だよね。君、ルール全く知らないだろ?どうすれ ば点が入るかも理解してないくらい」 「ええっ!?」 キャンが素っ頓狂な声を上げる。まあ、普通の反応だろう。今や野球と並ぶ メジャースポーツのサッカーの、サの字も知らぬ人間がいるとなれば。
「おう!ぜんっぜん知らね!!」
そしてまた綱海があっさり肯定するもんだから。キャンはさらにあんぐりと 口を開け、音村は苦笑せざるをえない。どうやら本当に、基礎の基礎から教え てやらねばならないようだ。この分では一試合の分数はおろか勝利条件、必要 人数も分からないだろうし、オフサイドなんて完全未知の領域だろう。 それでも彼は“上手くなれる”のである。音村が“見た”以上それは確定さ れた未来だ。その課程を観察して暇を潰すくらい、やってもバチは当たるまい。 「…仕方ないな。とりあえず部室に来なよ。僕らも暇だったしね」 「おう!でも何で屋内?」 「もうすぐ雨が降るじゃないか。結構な土砂降り。君、親あたり漁師やってん じゃなかった?分からない?」 「うおっと、そーだった」 無論、音村の家はそうじゃない。でも当たり前のように“分かる”のだ。
「あと十五分、かな?」
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異端児は、微笑む。