揺れている面影。 夢抱いて、駆けて。 いつの日か、胸にしまっていた想いを。 もう一度つないで、今。
この背中に、 白い翼は 無いとしても。 5-8:プレセアの、呪縛。
魔女。その名を聞いていい気分はしない。二ノ宮の件がなければグランとて、 そんなものは御伽噺だと片付けていた事だろう。 だが魔女はいる。この世界に、実際に。そして陰で歴史を揺らがし、災厄を 撒き散らそうとしている。
「一時間ほど前の事です。私とヒートは、グレイシアと名乗る者に出会いまし た」
コーマいわく。その人物は黒いコートを着込み目深にフードを被っていた 為、顔の判別はおろか男か女かも分からなかったという(だが声を聞く限り少 年のような気がする、と彼は言う)。 自らを破滅の魔女であり、アルルネシアの家具だと名乗り。奇妙な形の剣を 持っていたそうだ。
「一体誰なんだろ…?エイリアに思い当たる子はいないんだけど」
学園のメンバーは、末端の末端以外は全て把握している。少なくとも星の使 徒研究所に出入りできるレベルの人員は。 だがグレイシアなんて名前は聞いた事もない。妙な失踪をした子供もいな い。確かに今やセカンド以下の子供達の多くに行方不明がでてしまっている状 況ではあるが−−。
「エイリアの子ではないかもしれません。二ノ宮が余所から連れてきたのか も」
険しい顔をするコーマ。 「確かなのは彼ないし彼女が、二ノ宮の忠実な僕であるという事。そして相当 な身体能力を持つという事です。用心に越した事はありません」 「そう…」 あの二ノ宮に自ら従っているのか、それともその“グレイシア”も二ノ宮に 洗脳されているのか。本人に会ってもいないグランに、判別がつけられる筈も 無かった。 「そして…グランがお休みの間に、動きがありました。エイリア学園名義で父 上が襲撃予告を出したんです。標的は沖縄県立、大海原中学校」 「…何だって?」 このタイミングで襲撃予告?訝しく思うグラン。今ガイアの皆は疲れきって いるし、プロミネンスとダイヤモンドダストの両キャプテンは負傷中。一体ど この誰を出撃させるというのか。 そんなグランの心を読み取ってか、コーマが深い深いため息をついた。さっ きから彼の顔色は真っ青だ。精神的なものなのか、それ以外にも理由があるの か。
「……二ノ宮蘭子…災禍の魔女アルルネシアには。死んだ人間を蘇らせ、自ら の駒として使役する力があります」
はっとして顔を上げる。分かったのだ。彼の言わんとする事が。
「グレイシアは…一人ではありませんでした。死んだ筈の人間を連れていたん です…あのひとを。デザームを」
グランは声も出なかった。デザーム達イプシロンが処分されたと聴いた時も ショックだったが−−この衝撃はそれ以上かもしれない。予測出来ない事では 無かった筈だ。それでも、心が現実を受け入れられなかった。一瞬だが、完全 にフリーズしてしまった。 自らの意志で研究所を飛び出し、罠だらけの道と知りながら明日に駆けた子 供達。自分達の誰より絆を重んじ、誇り高く生きた彼らの魂が−−再び現処に 呼び戻され、魔女の手で陵辱されるというのか。凍り付いたままのグランに、 さらにコーマは続けた。 「…しかも。沖縄で何やら危険な実験を予定しているそうで。…生き返ったイ プシロンがその被験体である事は、想像に堅くありません」 「クソがっ…!」 思わず壁に拳を打ちつけ、グランは普段ならけして吐かないような罵りを口 にしていた。凍り付いた思考から戻ってくれば、込み上げてくるのはどうしよ うもない怒りだ。 「死んでもなお踏みにじるなんて…それで平気だなんて!こんな事があって いいのか、許されるのか!!」 「グラン…」 「コーマ!実験の詳しい内容は分かる?止めなければ、絶対っ」 「グラン、まずは落ち着いて…」 「これ以上奪われてなるものか…!仲間を守るんだ、ガイアのキャプテンの俺 が!!だから…」 「落ち着きなさいと言ってるでしょう!」 「!!」 びくり、と肩が震えた。目の前には、激情に体を震わせるコーマの姿があっ た。初めてだった−−いつも穏やかな彼に、こんな風に怒鳴られるだなんて。
「ハッキリ言います。…今の貴方に、何が出来ますか。そんなボロボロの体で 無茶をしたらどうなるかくらい分かるでしょう」
ずきり、と胸の奥が痛む。コーマの言葉は正論だった。急速に頭が冷えてい く。思い知らされる。今の自分が、どれほど皆の足手まといであるのかを。
「それに。…一時的にですが、今はウルビダがキャプテン代理です。貴方の体 調が復活するまではそういった処置をとる事になりました。これは父上の決定 ですよ。そしてウルビダが、貴方の勝手を許すとは到底思えませんね」
そんな話になっていようとは。思い出される、いつも凛と前を向いていたウ ルビダの顔。彼女がどんなつもりで代理を申し出たのか、想像するのは容易か った。彼女はグランの身を案じてくれたのだ。少しでも負担が軽くなるように、 と。 本当に、彼女には守られっぱなしではないか。酷く惨めな気持ちになると同 時に、罪悪感ばかりが募っていく。彼女はこんなにも自分を助けてくれるのに、 自分は何一つ彼女に返せやしないのだ。 「…お気持ちはお察しします。ですが今は、仲間を信じて待って欲しいのです。 プロミネンスとダイヤモンドダストのメンバーが裏で動いてます。これ以上二 ノ宮の思い通りにさせたくないのは皆同じなんです」 「プロミネンスてダイヤモンドダストが…?」 あんなにいがみ合っていた二チームが手を組んだというのか。グランは目を 見開く。彼らは上辺の地位より、大事なものを見つけられたのか。たった一つ の誇りを守る為に、その他の拘りを捨ててみせたと言うのか。
「目先の一番より…大切なものが彼らにもあったという事です」
コーマは静かに、諭すような口調で言った。 「真っ先に飛び出す事より、待つ方が辛い事もある。だからこそ貴方は今、待 つべきなのですよ。いつか来るその時、貴方もまた貴方の一番大切なモノを守 る為に」 「コーマ…」 彼は強かった。自分なんかより何倍も。自分なんかより彼の方がよほどキャ プテンに向いている気がする。 だが今はその失望より−−ただただ、彼に感謝したい気持ちでいっぱいだっ た。気持ちに任せて暴走しがちな自分を叱って、止めてくれる仲間がいる。こ れは本当に恵まれた事だ。
「……分かった。今は、退くよ」
暗い顔で沈んでばかりではいけない。どうにか未来を切り開く方法を考え続 けるべきだ。風丸なら−−あの強くて優しい少年なら、きっとそう言う筈。 だからグランは笑ってみせた。今できる、精一杯の笑顔で。
「でも裏方仕事くらいはやるからね?いつまでも寝てばっかりじゃいられな いし」
ポン、と軽くコーマの肩を叩いた。その途端だ。
「……ッ!!」
ひゅっ、と。コーマの顔が苦痛歪み、掠れた息を漏らした。はっとするグラ ン。自分は本当に軽く肩に触れただけ。なのに、この反応は。 「見せてっ!」 「ぐ、グラン、何を…っ」 コーマの制止も聞かず、グランは彼の着衣に手をかけた。ウェアを肌けさせ −−息を呑む。コーマの左肩。幾重にも巻かれた包帯には血が滲んでいる。相 当の傷。まさか。まさかこれは。
「…グレイシアに、やられたのか?」
ぐっと唇を噛み締めて、目を逸らすコーマ。答えはそれで充分だった。グラ ンの中で、一度は収まりかけた炎が息を吹き返していく。ぎりり、と拳を握り しめた。どうしてコーマまで。あいつらはどこまで自分達を踏みにじれば気が 済むのか。自分達から全てを奪うまで終わらないというのか。
「…時期を待ちなさい、グラン」
コーマは冷や汗を掻きながら言う。彼の顔色が悪かったのはこの怪我のせい だったのだ。本当は立ち上がるのも辛い筈なのに、仕事を片付けて平気なフリ をして。 そうさせたのは。させているのは。 「今の貴方では勝てません。相手は魔女なのですから」 「…分かってるよ」 自分は、無力だ。何度そう思い知ればいいのだろうか。
潮風が気持ちいい。うーん、と円堂は伸びをする。 夏と言えば海。海と言えば夏。今日は割合涼しく(これでも沖縄県民の当社 比的には涼しいのだそうな)、夏も終わりがけなので人は少なめだったが。雷 門イレブンが盛り上がるには充分だ。 「泳ぐーっ!俺はタイ●キ君になるッ!!」 「だから!泳ぐのは禁止って言われてるでしょーが!!」 暴走しかける聖也を蹴り飛ばして止める宮坂。宮坂もかなりはっちゃけてき たなぁ、いい事だ、と円堂はほのぼのする。聖也がネタにされるのはもはやお 約束だ。 それにしてもタ●ヤキ君て。あんた年がバレるぞ。元ネタ知ってる自分も自 分だが。それに、ソレを“俺は海賊王になる!!”なノリで言われましても。ぶ っちゃけ反応に、困る。
「私達が練習に使うビーチはあっちよ。浜辺は足腰を鍛えるのにもいい場所だ し、予約をとっておいたの」
さらり、と夏未が言い、目が点になる円堂。 「予約て…沖縄のリゾートビーチを?」 「ええ。電話一本で即座にオーケーしてくれたわ」 ほほほ、と笑う夏未の顔がドス黒く見えるのは気のせいか。気のせいだと信 じたい。 恐るべし雷門財閥。どれだけ金を積んだのか−−それとも凄まじい勢いで脅 しをかけたのか?想像するだけで恐ろしい。
「ちょっと前までこのあたり一体で土砂降りだったみたいだよ。ラッキーだっ たね」
天気予報を見ながら秋が言う。砂や家屋の屋根がなんとなく湿っているのは そのせいか。秋いわく、天気予報を信じるならこの後雨が降る確率は低いのだ と言う。
「でもそのうち、雨の日対策も必要かもな。地面がぬかるんで来るとマトモに ドリブルできなくなるだろ。そうすると、雨の降りやすい国や地域の奴ほど有 利になってくる」
一之瀬が浜辺の砂に触りながら言う。なるほど、一理あるかもしれない。 「それと…この暑さ、だな。東京も暑かったけど沖縄は比較にならねぇ。慣ら しておかないとスタミナ絶対保たないだろうな」 「笑い事じゃなくて、熱中症で倒れるって事も有り得るよ。屋外のスポーツ選 手にとっちゃ大敵だ」 言いながら一之瀬は既にボトルを空けている。その姿を見て、円堂も急速に 喉の乾きを思い出した。バッグの中を漁る。つい先ほど売店で買ったばかりの ポカリのペットボトルを取り出した。これもあっという間になくなってしまい そうだ。問題は金。一般中学生の小遣いなどたかが知れたものである。 「塔子。…奢ってくれる?」 「トイチで貸してやる」 「金持ちなのにドケチかよ!!」 「貸してやるだけ有り難いと思え!!」 わーわーと騒ぐ円堂と塔子。まあ本気で水分補給と金銭面を心配している訳 ではないからこその会話である。いざとなったら水道水をペットボトルに詰め てもいい−−少々虚しいけれど。
「さっさと移動するわよ」
瞳子監督が呆れたように言う。
「時間はいくらあっても足りないの。忘れないで頂戴」
沖縄の太陽に脳天を焼かれて。皆がどこかヘバってきた声で返事を返したの だった。
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いつしか生きる為に、幸せさえ、置き去りにしてた。