悪魔の契約書差し出して。 男は嗤う“選択肢なんて無いだろう” 魂を売る事も厭わない僕は。 それでも割り切れぬ後悔に溺れるのだ。
この背中に、 白い翼は 無いとしても。 5-14:五線譜の上の、兎達。
驚く宮坂に、音村は微笑んでみせる。その笑みこそ相手を威圧し恐怖させる らしいと最近分かってきたが、音村にはどうでもいい事だった。 物心ついた時から、音村には未来が見え、人の魂のカタチが見えた。それが 普通の人間には見えないモノらしいと気付いたのはいつの頃だっただろうか。 ピアノを習っていた影響なのか、人のコミュニティーや企業、スポーツなど は全てスコアのように見え、聞こえた。どんな美しく繊細な譜面を描こうとも、 余分な休止符が入れば全て駄目になってしまう。リズムを乱す奏者は一体誰な のか?音村は当たり前のように、いつも一目で見抜く事が出来た。 雷門は素晴らしいチームだ。要らない音符や休符を増やし、試合のメロディ ーを壊す人間がいない。壊そうという意志もない。素敵な事だ。 しかし偏りはある。これはどんな組織でも必ずある事。やや自己主張してし まいがちな楽器があるのだ。言うなれば中音域の音を繋ぐユーフォニウムとい ったところか。攻撃と守備。高音域のトランペットと中音域のトロンボーンを 中継する重要な楽器だ。 それを見破るのは簡単だった。ユーフォニウムの今現在の奏者は宮坂了、彼 であると。
「“模倣の疾風”だね、君は」
びくり、と宮坂の肩が跳ねる。 「“最初の突風”の陰を追いかけて、それが模倣になっている事には気付いて る。そして薄々、突風よりも自分の方が優れていたかもしれない事も。…でも 君は、それでいいのかな?突風は自分では前にしか進めないんだ。誰かが追い 抜いて回りこんで偶には止めてあげないと、いずれ散り散りになって消えてし まうのに」 「………ッ!!」 宮坂の眼がこぼれんばかりに見開かれる。驚く、という事は理解したのだろ う。音村が誰の話をしているのかを。 傷つけてしまうかもしれないし、それは音村とて本意ではないが。今言わな ければ、もう二度と言えない気がしたのだ。自分には彼の、彼らの未来が見え ていた。いずれ“最初の突風”が−−宮坂の憧れる“風丸一郎太”がどうなる のかも。 強い気持ちがあるわけではないけれど。出来うる限りの事は、したい。雷門 の旋律は心地よくて、出来るだけ長く聞いていたいと思うから。
「君は指揮者ではなく、奏者の一人。にも関わらず音無さんと緑川君はしきり に君を意識している。…彼らと君とで連携できる強力な必殺技があるんだろ う?そしてその中心に来るのは宮坂君、君だ」
だから宮坂を、音村自ら封じる。マークする事で身体を、言葉の力で心を。 そう、これもまた魔術師の魔法だ。 「駄目だ宮坂!魔女と魔術師の言葉に耳を貸すな、呑まれんぞ!」 「もう遅いよ、“終焉の魔女”!」 聖也が叫ぶも、宮坂は完全に凍りついている。その間に、東江は悠々と宮坂 の横を走り抜けていった−−トリプルダッシュを使う事なく。
「止めるっす!」
壁山がゴール前に立ち塞がる。雷門からすれば、このままシュートを打たせ る訳にはいかないだろう。シュートで驚異なのは東江よりもやはり古謝とシャ ークのツートップだ。再び二人にボールを渡されないよう全力を尽くすのが自 然。
「ザ・ウォールッ!」
来た。壁山の背後に、その名のごとく高い岩壁がせり上がる。破れない必殺 技ではないが、あれに遮られるとシュートの威力はかなり落ちてしまう。 ならば−−遮られない位置から決めればいい。それだけのこと。
「なななっ!?」
壁山が驚きの声を上げる。東江が正面から向かって来なかった為だ。彼はす んでのところで一歩引き、壁山の必殺技を回避したのである。 しかも、それだけではない。
「綱海ィ!」
東江がパスしたのは、ツートップの二人ではなかった。このタイミングで上 がれと指示しておいた綱海である。綱海のマークを任されていただろう塔子は 壁山と逆サイドのフォローに入っていて綱海から離れている。計算通りだ。 さらに言えば、雷門は何よりツートップにパスされるのを警戒していた筈。 証拠に、古謝とシャークにはそれぞれ一之瀬とリカがマークについた。雷門と してはそれが裏目に出た結果だろう。そこに人数をとられた上、今は逆に古謝 とシャークが彼らを牽制しているのだから。
「くそっ!」
塔子が走る、が。間に合う筈もない。
「ツナミブーストォ!!」
綱海の必殺シュートが炸裂していた。水飛沫を上げ、ボールが雷門ゴールに 迫る。 雷門ゴールを割る際警戒していた事として、円堂と壁山の連携必殺技である “ロックウォールダム”がある。あれはまだ“ツナミブースト”では破れない かもしれない。出されたら厄介だった。 だが。壁山は先程“ザ・ウォール”を出したばかり。あの必殺技を出した後 すぐには彼は動けない。動けたところで彼は鈍足。離れた位置からのシュート には対応できないと知っている。
「くっ…マジン・ザ・ハンド−!!」
あとは最後の砦、円堂ただ一人。猛々しく吼える魔神。伝説のイナズマイレ ブンが伝えた、キーパーの極意とも言うべき必殺技。 しかしどんな技にも弱点があるものだ。マジン・ザ・ハンドは発動スピード があまり早くない。フットボールフロンティア決勝の時からすればかなり速さ を詰めてきたようだが、それでも音村の眼から見ればまだ足りない。 何より。今の攻撃は完全に不意打ち。そのシュートの射程圏に、シュートブ ロック可能な人材が一人もいなかったのは円堂にとっても想定外だったのだ ろう。技を構えるまで、コンマ数秒−−遅かった。
「うわああっ!」
未完成な魔神が、弾け飛ぶ。ボールは円堂の体ごとゴールへ。 これで1−1。同点だ。
「…またまだ、駄目。君達は僕の見た未来から外れていない」
音村は笑みを浮かべて言った。
「魔術師を超えてみろ。でなければ運命は打ち破れないよ」
自分が見た、未来。それを誰かに告げる事は赦されない。そうすればまた未 来は選択肢を増やしてしまう。その先にあるのが、更なる悲劇でないとは限ら ない。 だから音村に出来るのは、そうならないよう未来を間接的に誘導していく 事、それしかない。今まではそれでも構わないと思っていたし、今も思ってい ない訳じゃない。でも。 ほんの少し。少しだけ。彼らの音色に惹かれ始めている自分がいる。ひょっ としたらそれは“旋律の魔術師”に目覚め始めた、初めての“人間らしい感情” だったのかもしれなかった。
宮坂は愕然としていた。どうして。まさか。何で。そんな感情がぐるぐるぐ るぐる頭の中で。 音村が誰の、何を言っているのか。それを理解した途端、血の気が引く思い がした。“模倣の疾風”が宮坂で、“最初の突風”が風丸に違いない。しかし 何故彼がそこまで自分達の関係を知っている?風丸と自分のプレイスタイル や必殺技、所属までは調べる事も出来よう。しかしその先の感情を、どうすれ ば知る事が出来るというのか。
「…宮坂」
はっとして顔を上げると、レーゼが心配そうにこちらを見ていた。そういえ ば彼は自分やみんなの事を君づけで呼ぶ時と呼び捨てる時があるがどうして だろう。記憶が中途半端なせいで、自分の中の整合性がとれてないのだろうか −−。現実逃避したくて、そんな関係ない事を考えてみたりする。 「…あれが“見る”事に特化した魔術師のチカラ…だよ」 「え…?」 「音村君には見えるのだろう…君の魂の形が。私にも朧気ながら見えるんだ。 きっと彼が私を見たら“祝祭の魔女”だと言うだろうし、一之瀬を見たら“硝 子の不死鳥”だと言うだろう」 見えないモノが、見えてしまうチカラ。その片鱗を目にして、宮坂は背筋が 冷たくなった。それは本当は、とてもとても怖いことなのではないか。魂のカ タチが見えるということは、心を読むのも同じこと。 自分はきっと早死にする。音村がそう言って、かつ平然としていた意味が分 かった気がした。自分の生死に頓着するような脳では、その力に耐えられなか ったのだろう。
「悪意の無い魔女や魔術師は、自分が見たモノに関して嘘を吐かない。導く為 の言葉を偽らない。…まあ、意図的に言葉の一部を隠す事はあるけれど」
だから、音村が言ったのは真実。レーゼの言葉が、宮坂の胸を抉る。 「聖也が“耳を傾けるな”って言ったのは、聞いた言葉を考えるのは後にしろ って事だろう。魔術師の言葉は限りなく的を射るだけに、考えすぎると呪いに 変わってしまうから」 「じゃあ、何で…」 「何で音村が君にそう言ったのかって?…必要だと思ったからだろう。試合中 で君の動きを止めたかったのもあるだろうし、何より…今伝えなければならな いと感じたのかもしれない」 試合中−−確かに。あの言葉のおかげで宮坂はフリーズし、みすみす東江に 抜かれてしまった。音村を振り切るだとか読み勝つだとか、それ以前の問題だ。 彼は一瞬にして宮坂の戦意を殺いでしまった。言葉という名の、魔法で。そう、 力ある言葉を操るのは魔女と魔術師の特徴。わかっていたのに、逃げられなく なった。なんて策士なのか。 だが、それはまだ理解できる。問題は“今伝えなければならなかった”とい う理由が分からないという事。 レーゼはやや悲しげに、目を伏せた。 「ひょっとしたら…音村は見たのかもしれない。君と風丸が対峙する未来を」 「!!」 「その時後悔しない為に。悲劇を繰り返させない為に…音村は君に、乗り越え ろと言ってるんじゃないか?」 乗り越える。宮坂は音村を見た。彼は仲間達に作戦を伝える為に走り回って いて、こちらの視線には気付かなかったようだけど。
−−僕は風丸さんより優れていたのに…真似をするばかりで、後ろについて。 それが風丸さんを苦しめてた?
『俺…お前が思ってるほど強くなんかない。頑張っても頑張ってもさらに強い 敵が現れて…そのたびにプライドも何もかもボロボロにされて』
−−いつか僕は僕の意志で風丸さんを超えて、止めてあげなくちゃいけない時 が来る?
『伸びてくお前やレーゼの才能に焦って、嫉妬して。お前らが躓けばとすら思 うような醜い人間なんだ。だから…』
ナニワランドで風丸が言っていた事を思い出した。風丸は確かに宮坂に嫉妬 していた。それは宮坂の素質が己を上回るのではと危惧していたからだ。 素質や才能なんて不確かなもの。あの時は流してしまったけれど−−素質が 上回るかもしれない相手が自分を真似してきたらどう思うか。怖い筈だ、間違 いなく。
−−…いや、よそう。後で考えるべき事なんだ…今は試合中なんだから。
「…リュウさん、ありがとうございます」
宮坂は顔を上げ、レーゼにお礼を言った。 「今は試合に集中して…あとで山ほど悩みます!」 「宮坂君…!」 「勝ちますよ!」 レーゼと拳をつきあわせ、宮坂は再び前を見据えた。 答えを焦らずに出す事。そして魔術師の力ある言葉から目を逸らさず、それ でいて溺れすぎない努力をする事。 それが魔法への耐性をつける第一歩だと、宮坂はまだ気付いていなかった。
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負の連鎖を断ち切って。