私は貴方を信頼できなかった。 だから私はもう一つの方法で、もう一日だけ貴方と逢う事を選んだ。 誰も近いままではいられない、けして。 貴方が見えなかったもの、感じられなかったものを、私は。 この背中に、白い翼は 無いとしても。 5-19:ライトニング、エンジェル。 世界は夕闇と夜の狭間。オレンジ混じりの藍色が染める空は、ポストカード の景色をそのまま切り取ってきたかのよう。涼しくなった潮風が心地よくて、 照美は眼を細めた。どうしても確認したい事があった。だから照美は練習後、ある人物のところ に向かっていた。大海原中のゴールキーパー、首里である。「話って何だど?」大海原中の校舎は海にせり出す形で建築されている。首里は海を望める通路 の上で待っていた。「急に呼び出してごめんね。でも、君も用件分かってるんじゃない?」 そう言うと首里は大柄な身体を震わせ、豪快に笑った。「だははははっ!告白かぁ!?」 「またそのネタなのっ?でも君も困るでしょ、男に告られても」「アフロディほど綺麗なら男でも歓迎するど!!」 「またまた〜」暫く馬鹿馬鹿しい事で笑いあった。意外と思われがちだが、照美はワイルド な奴が嫌いじゃない。世宇子時代の照美は今よりずっと浮き沈みが激しかっ た。そんな時、ちょっとした悩みなど豪快に消し飛ばしてくれる−−そんな友 人達に、何度救われた事だろう。 今はもう、彼らはいないけど。「…お前の考えてる通りだど」 ひとしきり笑った後、首里は言った。「ツナミウォール。あの技を俺に教えてくれたのは、ポセイドンだど」やっぱりそうか。照美は得心する。今日の試合。卓袱台返しでは危ない、そ う判断した首里が繰り出してきた必殺技がツナミウォールだった。照美の亡き 友人と同じ技。一瞬彼を思い出して−−照美は危うく、試合中だというのに泣 き出しそうになった。「世宇子はみんな孤児の集団だったみたいだが。親戚がいたのに、盥回しにさ れた子もいたんだど。…多分ポセイドンも同じ。俺とポセイドンは遠い親戚だ ど」「そうなんだ。ああそういえば、世宇子のみんなと総帥とで沖縄遠征に来た事 あったなあ」「じゃあその時だどな。…ポセイドンと再会して、あの技を教わったんだど。 いつか全国で戦おうって話もしたんだけども…」そこで首里は苦笑いする。大海原中が全国に出て来なかった訳は聞いてい る。陽花戸のように、誰かが妨害したとかではない。阿呆な監督が祭に行った まま時間を忘れて遊び呆けてしまい、チームが不戦敗になってしまったのであ る。フットボールフロンティアでは、監督がいないと試合をする事ができない。 例え名前だけの監督だとしても、ベンチに座っていて貰わないと困るのであ る。その点、影山は優秀だったんだなあと後でしみじみ思った。彼は時間にマメ で非常に厳格だった。試合中の指示は的確で、神のアクアで力押しするように なるまでは、何度その知略に救われた事だろう。「大海原の監督ってどんな人なの。さっきの練習試合でも見かけなかったけ ど」「あの場所には…一応いたんだど。観客席の女の人ナンパしてただけで」「…駄目じゃん」ああ、女好きなのか。瞳子監督に注意しといた方がいいかも、と遠い眼をす る照美。彼女は贔屓目を除いてもかなりの美人だと思う。あしらい方が上手い のか騒ぎにならないので目立たないが、ナンパされているところもちょこちょ こ見かける。…彼女に、ナンパの上手な断り方を訊いておくべきだろうか。先日の空港で の出来事を思い出して頭が痛くなった。非常に不本意ながら、自分とレーゼと 宮坂には必要なスキルである気がしてならない。何で本物の女の子であるマネ ージャー達より自分達がナンパされる羽目になるのか(彼女達が女の子だけで 行動する時間が短い為&塔子とリカが睨みをきかせている為、であると照美は 知らなかった。自分達は男であるという油断からつい単独行動してしまいがち だということも)。「世宇子の事は…聴いたど」 首里はそう言って、俯いた。「……辛かったな」その一言に−−全ての感情が集約されていた事だろう。照美は身を屈めて、 うん、とだけ言った。何故あんな事になってしまったのか。それは今でも分からない。自分達は努 力という対価を払わないで力だけ得ようとしたから罰を受けたのだ、と風丸に は言ったけど。本当に何もかも納得できたかといえば、そんな筈もない。「…本当はね」人は誰もがいつか死ぬ。それが遅いか早いか、違いはそれだけだ。それでも 欲深に自分は願ってしまうのである。もしこれが運命だったとしても−−せめ て、せめて。「みんなにも楽しいサッカーを…本当のサッカーを知って欲しかった。すぐ終 わりになる夢でも、みんなにも夢を見て欲しかった」雷門のみんなは大好きだ。彼らがいたから自分はまだ生きてられる。戦う事 が出来る。けれど自分にとっての全ての始まりは影山零治であり、世宇子の仲間達だっ た。どうして彼らはいないのだろう。どうしてみんな自分を置いていってしま ったのだろう。 どうして、自分だけ。「…一人は、やだよ」こんな言葉、赦されない。自分は幸せだ。これ以上望んでいい筈がない。一 人だなんてそんな言い方したら、雷門の皆にも失礼だし、何より。「生きていて、欲しかった。生き残るなら何で一人だけだったんだ」 こんな所で泣いたら、首里だって困ってしまう。「ごめんなさい。ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい…っ」頭の中がぐちゃぐちゃで、まとまらなくて。顔を覆って、照美は嗚咽した。 今更になって彼らがいない現実を思い知り、それに失望した自分に絶望した。 溜め込んでいたものが一気に溢れ出した気分だった。せめて、最後に言えたら後悔せずに済んだのだろうか。ありがとうも、ごめ んなさいも、全部全部。「泣け。…俺はなーんも見てないからな」ぽん、と首里の大きな手で頭を撫でられる。何でそんなに優しいのだろう。 こんな自分なんかに優しくしてくれるのだろう。そう思ったらまた、涙が出た。ポセイドンの技を首里が受け継いでくれたように。自分もまた皆の想いを受 け継いで生きていかなければならない。それが生き残ってしまった、自分の義 務だから。「ごめん…。明日になったら、ちゃんと笑う…ね」自分は笑ってなければ。天国にいる皆に、亜風炉照美は幸せだと、そう伝え る為に。泳ぎたいなぁ、と円堂はぼんやり思った。練習、ミーティング、夕食。一通 りのイベントが終わった、夜の自由時間。大海原中に泊めて貰える事になり、 あてがわれた部屋の一つに円堂はいた。キャラバンで寝泊まりももはや慣れた ものだが、やっぱり偶にはベッドで寝たいものである。−−目の前に海があるのにナー。せっかく海に来たのだから泳がねば。何やらそんな切迫感に駆られる。東京 都の一般市民で、海に来る機会が頻繁にある奴はそういないだろう。円堂も例 に漏れない。父母と家族旅行は今まで何度もあったが、母が海より山派の為海 に行く事はさらに少なかったのだ。ちゃっかり水着は買ってしまったし。ちょっとくらい泳ぎに出てもバレない んじゃないかと思う。特訓でクタクタだったが、泳げるとなると急に元気が湧 いてくる気がするから不思議だ。−−あとサーフィン。難しそうだけど、やれたら楽しいんだろうな。ノリノリで波を滑る綱海の姿を思い出した。海が大好きで、波と遊ぶのが楽 しくてたまらない。そんな彼のサーフィンは、見ている円堂もワクワクさせて くれるものだった。いろいろ片付いたら、教えて貰おうかなと思う。バランス感覚を鍛えるいい 訓練にもなる筈だ。「円堂君」 ふと声をかけられ、振り向く。レーゼだった。彼は苦笑いして言う。「まだ部屋にいたんだな。そろそろこっそり抜け出して泳ぎに行ってる頃かと 思ったら」「う…まさしく今考えてた」「今はやめておいた方がいいぞ。瞳子監督、響木監督と海岸にいるらしい。今 後の方針でも話し合ってるんじゃないか」「…うわーお」危なかった。円堂は冷や汗を流す。今行ったら瞳子とハチ合わせするところ だった。泳ぐなとあれだけ釘を刺されていたのである。もし見つかったら雷が 落ちるどころじゃ済まないかもしれない。「ちなみに君以外のメンバーはかなり好き勝手やっている。アフロディや吹雪 や音村は散歩。綱海や壁山や春奈やその他大勢は絶賛枕投げ中だ」「何ソレものすっごく楽しそうなんですけど」「命が惜しくないならどうぞ。さっき綱海がうっかりツナミブーストを出しか けて立向居に全力で止められていた」「……」ああ、さすが超次元サッカープレイヤー。枕投げも超次元だ。うっかり癖で 必殺技が出ちゃうんだろうなあ、と思う。問題は頼むからそれを屋内でやらな いでくれ、という事だが。下手に加わったら巻き込まれるのは間違いないだろ う。でもやっぱり、誘惑には勝てないわけで。後で参加させて貰おうかなとも思 う円堂である。「…一つ、提案があって。キャプテンの君に最初に話しておくべきと思って… 来た」「え?」 レーゼは神妙な面持ちで俯いた。「…今度のエイリアとの試合。何が起こるか分からない。危険は承知している。 だが…その上で」 彼はゆっくりと顔を上げた。 何かを決意した様子で。「ゼル様に…映像じゃない、生の私達の試合を見せたい」ゼル。その名前に、ズキリとした痛みを思い出す。イプシロンの副将にして、 たった一人生き残ってしまった彼。今はラストエデンの本拠地で匿われている が−−何も喋らないし動かないし泣きも笑いもしない、人形同然の有様だとい う。それだけの事が、彼の身には起きた。きっと目の前で仲間達が死んでいくの を見てしまったのだろう。もはや通常の医療だけでは、彼の心を呼び戻せない と診断されていた。でも。−−そっか。レーゼにとっては…エイリア学園の、大事な仲間だったんだよな。そして−−試合をした自分達にとっても、もはや彼は他人ではない。なんと かして助ける事が出来たら。そう願う気持ちは、円堂とて同じだ。きっとまた危険で悲しい試合になるだろう。だが、ギリギリの中にこそ自分 達の真実があると言えなくはない。自分達の本気のサッカーを生で見て貰う、 数少ない機会であるのかもしれなかった。 円堂は少しだけ思案して−−頷いた。「分かった。…俺から、聖也や瞳子監督に言っておくよ」「…ありがとう!」「仲間の頼みだ、同然さ。それにゼルも…あれだけ全力の試合をしてぶつかっ た俺達はもう、仲間なんだって俺は信じてる!」大阪の試合。終わりがどうであれ、自分達は本気で戦った。その中で、分か り合えたものはきっとあった筈だ。イプシロンはもうないのだとしても−−生 き残ってくれたゼルだけでも、自分は救いたい。 同じサッカーを愛する者として。「仲間…か」 レーゼは少し、ほんの少し泣き出しそうな顔で、笑った。「ありがとう。こんな私を仲間だと言ってくれて…仲間にしてくれて。そして、 ゼル様の事も」夜風が優しい夜。円堂は、サッカーが自分達の絆だと言った鬼道を思い出し た。何だか塩辛い味がしてきたのは、きっと気のせい。とりあえず、そう思う 事にした。 NEXT |
ああ、いつ私は私になるの。