不完全燃焼でどうしようもない。 最初から運命は僕に主導権なんか与えてくれない。 操縦不可能でどうにもならない。 止まれないのか泣きたいのか、叫ぶは誰への制止なのか。
この背中に、 白い翼は 無いとしても。 5-20:素敵な明日を、願う為に。
沖縄に着いた翌日。朝練しよう。そう思って早起きした一之瀬は、朝の海の あまりの美しさについ見惚れて立ち尽くしてしまった。 沖縄の海が綺麗だなんて事、ずっと前から知っていたけれど。リアルで見る のと写真や映像で見るのは違う。青い波間に朝日が反射して、まるで宝石箱の ようだ。
−−俺は…あと何回、こんな景色を見れるんだろう。
それは−−風丸が死んだ時から、漠然と諦め、覚悟している事だ。 自分もまたアルルネシアに生き返させられた死者かもしれない。否、その可 能性は極めて、高い。いつか自分の意志も心もアルルネシアに奪われ、洗脳さ れてしまうのではないか。真帝国で抱いたのは、そんな恐怖だった。 今は−−もう一つ。逃れようのない運命が目の前に立ちはだかろうとしてい る。同じく自覚のない死者だった。風丸。彼が死んだ時、魔女は言ったのだ。
『あたしに差し出した対価により。貴方と風丸クンは、戦いに生きる運命が定 められた。その定められた時が来た時…風丸クンはもう一度命を落とす事が決 まっていたのよ。ま、どんな死に方をするかはその流れ次第だったんだけど』
自分が死んだ時、誰かが魔女と契約したかは分からない。契約者は一之瀬自 身だったのかもしれない。 定められた、時。その時が自分にも設定されているのだとしたら。自分もま た、風丸のように命を落とす事になるかもしれない。そしてまた風丸のように、 魔女に浚われて−−無限ループの地獄に堕ちるのかも、しれない。 そんな事は、絶対に嫌だった。アルルネシアの玩具になりくらいならふつう に死んだ方が百倍マシというもの。その瞬間の予兆が見えるなら、先に命を絶 つという選択肢もあったのに。その瞬間がいつなのか、存在するのかさえ自分 にはまだ分からない。
−−いっそ。今ここで…俺が俺であるうちに、死んでしまうべきだろうか。
目の前に広がる、海。一歩だけ、一之瀬は前に踏み出した。入水自殺なんて 昔からの定番だ。ただし、楽に死ねるかは怪しいものだけど。それに水を吸っ た死体は醜いものだと聞いた事があるし。
−−それに…本当は分かってる。俺はまだ、死ぬわけにはいかない。だって。
『仮に…もし仮に一之瀬が、アルルネシアの手で生き返させられていたとして も!一之瀬のサッカーは一之瀬だけのものだ…っ誰かに操られた結果なんか じゃない!!』
−−まだ何も分からない今…自ら命を絶ったりしたら。俺を信じてくれた円堂 やみんなに、なんて謝ればいいんだ。
どんな一之瀬でも、一之瀬は一之瀬だと。真帝国の事件の後、取り乱した自 分に円堂はそう言ってくれた。何があっても仲間だと告げて、仲間達も頷いて くれた。 彼らを裏切りたくない。これ以上彼らに悲しい想いをさせる訳にはいかな い。ならば生きなければ。なんとしても、希望を見つけて立ち向かわなくては。 奇跡は待っているだけでは、けして起こる事などないのだから。
「ダーリン!」
はっとして顔を上げる。向こうから駆けてくる少女の姿が見えた。リカだ。 どうして彼女が此処に。 「うちも朝練や!ダーリンも一緒やなんて奇遇やな〜」 「あはは…そうだね」 リカの場合偶然じゃない可能性の方が高いような気もするが−−まあ、偶然 って事にしといた方がいいだろう。…無難だし。
「…朝練のつもりだったんだけどね。なんか海が綺麗で…見とれてフリーズし てた」
我ながらロマンチックというか−−いやノルタルジックとでも言うのかこ の場合?
「貴重じゃない?こういうの。見れる時に見て、眼に焼き付けておかないと。 …人間、いつ死ぬか分からないんだから」
鬼道の時もそう。風丸の時もそう。彼らは前の日まで元気だった。その数時 間までは笑って話をしていたのだ。それが最期になるなんて、一体誰が予想し ていただろう。 自分も同じ。いつ皆の前から消えてしまうか分からない存在だ。死ぬかもし れない事よりも、自分が自分でなくなる日が近いかもしれない事が怖い。運命 に逆らえるかもしれない、そう思っていた矢先なら尚更だ。 ああ、そういえば皆にその話をしたのは真帝国の時で−−リカには結局、打 ち明けないままでいる。もし彼女に告白されなければ、もっと早く話ができた かもしれない。でも−−自分を慕ってくれる少女には、あまりに残酷な話じゃ ないか。 なのに。最近は、“いっそ彼女が嘘を吐いてくれていたら”とも思えない自 分がいる。一体何故だろう。
「…せやな。人間いつ死ぬか、分からん。明日どころか今日、生きてられる保 証だってない。…どんなに平和に見えても、終わりはある日突然…来る」
意外にも。リカは気弱な一之瀬を叱咤したり、笑ったりしなかった。肯定し てきた。 「けどな。…だから綺麗なんとちゃう?」 「綺麗?」 「せやせや」 とすん、と。海岸にしゃがみこむリカ。
「人生は花火と一緒。そら儚いもんや。でも一瞬で消える花火は綺麗で、みー んな魅せられてまうやろ?…人生は、限りあるから意味がある」
限りがあるから、意味がある。ありきたりで、よく聴く言葉だ。なのに、一 之瀬の胸に染み込む何かがあった。それはリカの言葉、だったからだろうか。
「大切なのは長く生きる事やない。短い人生の中で、どんだけ自分が生きたっ ちゅー証を遺せるかや。……なーんてコレ、オカンの受け売りやけど」
大切なのは長く生きる事じゃなくて。短い生の中に意味を遺す事。ストン、 と胸の底に落ちた。 一之瀬は考える。悲観的な思考ではなく、ただ純粋に問いかける。自分はど うして生まれたんだろう。自分はどうして生きているんだろう。もし明日死ぬ として。自分は今という瞬間に、何か残せるものはあるのだろうか。 目の前の少女を見る。彼女を綺麗だと思うのも、同じ理由だろうか。彼女が 自分の中に、残すものがあるからなのかもしれない。
「……リカ。君に訊こうと思ってた事があるんだ」
いい機会だから、訊いてしまおうか。福岡で聞けないままだった、あの事を。
「君はどうして…小鳥遊を愛媛に行かせたんだい?」
小鳥遊が離脱する事になったあの事件。彼女は、エイリア学園のエージェン ト達に追われてどうにもならなくなっていた不動を助けに、単身愛媛に向かっ た。そして不動を助けはしたものの二人揃って重傷を追い、キャラバンに戻っ てくる事が出来なくなってしまった。 自分は現場にいなかったものの。小鳥遊の背中を押したのがリカであり、そ れで一悶着あったのも知っている。
「…俺は…もう、誰かを失うのには耐えられない。それが別の誰かを、救う為 だとしても。仲間を行かせるくらいなら、自分が行っちゃったと思う」
もう喪いたくない。それはリカとて同じである筈である。小鳥遊と不動の間 に、どれだけの絆があったか自分は知らない。もし小鳥遊が助けに行かなけれ ば、不動は独り悲しく死ぬしかなかったかもしれないし、それも出来れば避け たかった事だ。だが、行かせた結果二人とも死ぬ事だって大いにあり得たので ある。 その上で。リカが小鳥遊にGOサインを出した訳を知りたかった。それは一 体、どれほどの覚悟だったのだろう。
「…まぁ、いろいろ理由はあるんやけどな。小鳥遊の気持ち、不動の気持ち… そのあたり結構近い場所で見てたんもあるし」
ニッとリカは歯を見せて笑う。
「うちが小鳥遊の立場だったら絶対同じ事しとる。んでもって止める奴は片っ 端からはっ倒したる。…それが分かってたから、やろなぁ。そんな女、止める だけ労力が無駄やろ。だって結局止められんのやもん」
あははは、と明るい笑い声が上がる。自分だったら絶対同じ行動をする、誰 にも止めさせやしない。そう宣言した彼女は本当に、眩しかった。
「…なぁダーリン。うちと初めて試合した時言った言葉、覚えとる?」
『うちは確かに、あんたの事詳しく知らん。だから側にいて知りたいて言うと んのや。男の弱っちい部分受け止めて、恋に命賭けられんようなら女やない!!』
「……覚えてるよ」
忘れる訳が、ない。あの時、一之瀬の世界で確かに何かが変わったのだから。
『うちがアンタを信じさせたる。絶対アンタを裏切らない…そして』
こんな子が、いるんだと。
『あんたを怯えさせる全てのもんから、うちがあんたを護ったる!!』
こんな自分に、こんな事を言ってくれる子がいるんだと−−そう思ったか ら。 「ダーリンが、本当のところ何にそんなに悩んでるか…うちには分からん」 「…!」 「ホンマは教えて欲しい。けど、無理に話して欲しい訳やない。ダーリンがう ちなら話してもいいって…そう思った時、話してぇな」 自分、なら。その言葉の意味を悟り、一之瀬は胸が痛くなる。違うんだ、と 言いたかった。リカを信頼してないから話せないんじゃない。リカだから、話 せないんだと。 そう言いたくて、でも言えなくて。言ったら話さなくてはならなくなる。自 分がいつかリカを裏切るかもしれない事も、風丸のように突然死ぬかもしれな い事も。 彼女を、傷つけたくない。彼女まで福岡の時の円堂のようになってしまった ら、どうすればいい。そして自分が今、そこまで強く願う理由は−−ひょっと したら。
「…俺は」
考え考え、紡がれる言葉。
「俺は…仮に俺がピンチになっても…俺のせいで君が傷ついたら、耐えられな い」
小鳥遊のような怪我をするくらいなら、自分が犠牲になる方がマシだ。でも、 そう思いながらも矛盾した事を考えている自分もいる。
「でも、でも俺は…」
うまく言葉が出ない。この想いを、なんて言えばいいか分からない。
「一番怖い時…君が隣にいてくれたら。怖いのも…忘れられるかもって…そう 思う」
彼女の隣に座り、一之瀬はうすぐまる。恥ずかしいのか切ないのか苦しいの かもうグチャグチャだ。ただ、思ったのである。 リカは、光だ。どんな闇でも照らしてくれる光。秋とはまた違った輝きだと、 そう感じたのである。
「助けに、行くで」
すっと。一之瀬の手に、リカが手を重ねてきた。はっとして顔を上げれば、 微笑むリカの顔があった。
「ダーリンが本当に怖い時、側にいたる。守ったる。そしてどんなに離れても …絶対に助けに行ったる」
でもって約束するで、と。リカは続けた。
「助かる時は必ず、二人一緒や。うちが傷ついてダーリンが辛いなら、うちは うちの事も全力で守る。…どっちかの為にどっちかが犠牲にならなきゃいけな い世界なら、ブッ壊したるわ」
何でこんなに強いんだろう。 何でこんなに綺麗なんだろう。
「リカ…」
どうして君はいつも、自分が一番欲しい言葉をくれるんだろう。
「…ありがとう」
一之瀬は決めた。リカが自分を守ってくれるなら、自分はリカを全力で守ろ う。 たとえこれから先何があっても。絶望さえ彼女となら希望に変えていける と、そう信じて。
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予想外だけが可能性なのか。否。