伸ばされた手は何の為にあるの。 振られた手は誰の為にあるの。 踏み出す足は君の為にあるの。 全部全部、貴方が生きるその為に。
この背中に、 白い翼は 無いとしても。 5-21:かぜの、うた。
本当はとっくに見えていた答えを、また頭の中で転がしている気がする。宮 坂はランニングをしながら、ため息をついた。 昨日先送りにした、問題。音村に呼ばれた名前−−“模倣の疾風”。それが 自分の魂の形だと言われた時、言葉も出なかったのは−−それがあまりに的を 射ていたからに他ならない。 自分の陸上も、自分のサッカーも。全ては“最初の突風”−−風丸が始まり だった。その彼を追いかけて、真似をし続けてきたのは間違いない。それが風 丸にとってプレッシャーになっていたことも、大阪で彼の本音の吐露を聞いて 知った事だ。 だけど。自分が彼より優れているだなんて、そんな風に思った事はない。風 丸はスランプになっていたから、自分を過小評価しすぎてそう見えただけだ。 だから彼を越えるなんて、考える事もおこがましい。しかも。
−−風丸さんと…真正面から戦わなきゃならない時が来るかもしれないなん て…。
いや。それは分かっていた事の筈だ。風丸が魔女の手に堕ちてしまったその 瞬間から。彼の仮初めの命が終わらせられてしまった時から。 ズキリ、と胸の奥が軋む。福岡で。思い知った時の絶望を思い出した。死に たくなるような後悔と喪失感を、思い出していた。痛みは今尚消えない。でも、 少なくとも“思い出す”くらいにはなったのだ。常に苛まれ続け、うずくまる しかなかった時に比べれば多少なりとも前に進めているのだろう。
−−そうだよ。僕は決めたじゃないか。何があっても風丸さんを助けるんだっ て。
その道を阻むのがもし−−魔女に操られた風丸自身だったとしても。自分は 怯むわけにはいかないのだ。風丸を救う。たとえその為に風丸本人を倒す事に なったとしてもだ。 そしてちゃんと、今度こそちゃんと謝ってお礼を言おう。風丸がいたからこ そ、今の自分が此処にいるのだから。
−−その為には…必要なのかもしれない。風丸さんの真似じゃない、僕だけの サッカーが。
音村が言いたかったのは、そういう事なのだろうか。まだ彼の意図だけが読 めなかった。魔術師というだけあって音村の纏う気配は他と一戦を画す。何を 考え、何を見ているのか。一般人でしかない宮坂に読み取るのは、極めて困難 な事だった。 あの少年が取り乱し、感情のままに行動する。そんな事はあるのだろうか。
−−お?噂をすれば。
木陰で話している音村と聖也が目に入り、ついつい宮坂は隠れてしまった。 何やら彼らが真剣な面もちで内緒話をしていたからである。人間、そうそう好 奇心に勝てないものだ。
「…一応、一日考えさせた訳だが」
聖也のあんな険しい声、顔。そうそう見るものではない。普段ふざけた様子 が目立つから尚更だ。
「決心は、変わらないか?」
音村は微笑み、頷く。
「変える気なんか最初からないよ。…決めたんだ。僕は気まぐれな旋律の魔術 師…どうせなら命運が尽きる前に、自分のできる最大限の事をやってみようと 思ってね」
一体何の話をしているのだろう。なんだか雲行きが怪しくなってきたのだ が。 「お前が見た未来を変える。…それが望みだったな」 「うん」 「だが与えられるチャンスは一度だけ。起こせる奇跡は一度きり。…今お前に 払える一番価値あるものを支払っても、願いに見合うかは分からねぇ。ぶっち ゃけ、確率は五分五分だぜ?」 「構わないよ。それでいい」 「まだその“価値あるもの”が何かも言ってねぇのにか」 「だって分かってるもの。…気付いてるでしょう?“見る”力だけなら、制約 のかかっている今の貴方より僕の方が上だ」 目を閉じ、音村は一つ息を吐き。そして、言った。
「僕は対価として…僕のサッカーを差し出す」
宮坂は息を呑む。対価?サッカーを差し出す?一体どういう事なのか。 そこで思い出したのは、小鳥遊の事だった。彼女は不動を助ける為聖也の力 を借りている。創造の魔女である彼にその力を借りて願いを叶えて貰う場合、 その願いに見合う対価を支払わなければならないそうだ。 小鳥遊は、愛媛へ瞬間移動する手段を聖也に請い、代わりに単身での出陣を 余儀なくされた。つまり人がその手に見合わぬ魔法の力で願いを叶える為に は、かなりのリスクが伴うという事である。 音村は、彼自身が魔術師だ。しかし彼はESP−−あくまで“見る”のが専 門であって“動かす”力は無いと聴く。だから聖也と契約して、未来を“動か す”力を得ようというのか。魔術師である彼がその危険性を理解していない筈 もないというのに。
−−まさか…サッカーを差し出すっていうのは…。
自分の願いを叶える代わりに。自らサッカーが出来ない体になるとでも言う のか。まさか、彼は自分の足を−−。 「……わーったよ。お前の願い、叶えてやる。対価は“その時”が来たら貰う。 それでいいな」 「ありがとう、聖也」 がしがしと頭を掻き、聖也は苦い顔でため息をついた。音村は相変わらず微 笑んだままだ。あんな恐ろしい契約をしていながら、何故あんな風に笑えるの だろう。やはり、彼が魔術師だから?
「残念だぜ。…お前のサッカー、これからも見てみたかったんだがな」
これも必然なのかね、と聖也は言う。 「でも未来を変えたいのは貴方も同じだった筈。…だけど、貴方はその制約が ある。自分の魔法で、自分の願いを叶える事は出来ない。だから他人が願うの を待つしかない」 「そこまでお見通しか、音村」 自分の願いは叶えられない−−初耳だった。宮坂は目を見開く。どうやら自 分が考えていたよりずっと、聖也の力は不便なものであるらしい。
「…本当は。もう一つ変えてあげたい未来があったんだけど。残念ながらそっ ちは変えられないみたいだね」
音村の言葉にドキリとする宮坂。もう一つ変えたい未来?それは一体。 「…終わらせる方法は、他にないんだろうな。俺に出来るのは精々“刺す”人 間を変える事くらいだ」 「出来るのかい、君に」 「やるしかねぇだろ。…それがあいつの願いなら。俺には誰かの願いを叶える 事しか出来ないんだから」 刺す。あまりにショッキングな動詞に、言葉も出ない。音村は自分のサッカ ーを犠牲にしても悲劇を防ごうとしている。だが防ぎようのない悲劇が、もう 一つあると?
−−僕は…もしかしてとんでもない話を聴いちゃったんじゃないだろうか。
嫌な予感しか、しない。二人の気配が去っても尚、宮坂はその場にへたりこ んだままだった。 風丸が死んでしまったというだけでもうあまりにも大きな絶望で。彼をどう にか助けたい、助けなくてはと今はそれだけでいっぱいいっぱいなのに−−ま だこれ以上、何かが起こると?
「僕にも…特別な力があれば良かったのに…」
どうして自分は“ただの人”なんだろう。それは本来悔やむべき事ではない のかもしれないけれど。 ただ虚しくてたまらなかった。何をするべきか。何が出来るのか。もう嫌だ、 と心は悲鳴を上げている。もはや立ち止まる事など、赦されないとしても。
大海原との試合で、ハッキリした事がある。自分の必殺技の弱点だ。円堂は 祖父のノートを片手に、うんうん唸っていた。珍しく早起きしたはいいが、特 訓の方向性が定まってなければあまり意味がない。
「どんっ、と引いて…ずばっ、ばきゅーん……って分からないよーじいちゃ ん!!」
ベッドの上でごろごろじたばた。祖父の擬音語のセンスのスバラシサは嫌と いうほど知っているが。偶には地球語を使ってくれてもいいんじゃないかと思 う。ノートの中身はいつ見てもカオス、解読して尚カオス。字も汚いが絵も同 レベルだ。本当にこれを後世に残す気、あったんだろーか。 というか。実はこれ単なる自分めもだったんでない?だから自分だけ読めれ ばいーや的ノリだったんじゃ?
「…思ったけどこれ、エイリアに渡ったところで誰も解読出来なかったんじゃ …」
目を点にしてノートを覗きこむグランとウルビダを想像してしまい、つい吹 き出してしまった。彼らはきっと真面目で几帳面な性格だ。字の汚すぎるノー トなど生理的に受け付けなくてもおかしくない。特にウルビダは“読めるかこ んなもん!”とマジギレしそうだ。
「…どうしてるかな、あいつら」
彼らの最後の様子を思い出し、円堂は顔を曇らせる。彼らは負けたわけでは ないから、とりあえずは無事でいる事だろう。でも−−心まで無傷な筈は、な い。
『…ごめん、なさ…い…』
『お前達にあいつの…身代わり人形として生きて死ぬしかないグランの…痛 みの!苦しみの!!一体何が分かると言うんだ…!!』
悲鳴を、上げていた。傷だらけの小さな少年と、強くあろうとした痩せっぽ ちの少女。もう少しで届きそうだったのに、あと一歩のところで何かが足りな かった。災禍の魔女にまた−−阻まれてしまった。 風丸の死について。ウルビダを恨む気持ちは何故だか分からなかった。彼女 が手を下さずとも風丸はなんらかの形で死んでいた可能性が高いし−−何よ り、ウルビダは風丸を殺すつもりは無かったのだから。あれはあまりに不幸な 事故。殺人では、ない。 今一番苦しいのは彼女なのかもしれない。あんな風にグランを想うウルビダ だ。優しい彼女はきっと傷ついた。人殺しなったと自らを責め立てているかも しれない。それが、辛い。
−−救いに、行くんだ。
もうこれは、単にサッカーを取り戻す為の戦いじゃない。魔女に囚われてし まったエイリア学園の子供達を、悲しい孤児達を。そして風丸を−−救いに行 く為の戦いだ。 まだ取り戻せるモノがあるなら、諦めてはいけない。もう戻らない人がいる なら尚更だ。鬼道なら、風丸ならきっとそう言った筈である。 その時ふと、円堂はある事に気付いた。
−−あ…れ?そういえば…変だな。
風丸が死んだ時も、佐久間と源田が死んだ時も。アルルネシアは死んだ彼ら の前に現れ、遺体を浚い、生き返らせて手駒にした。聖也の言葉を借りるなら それも“自らの楽しみの為”の行動なのだろう。そして彼女にとって有益な家 具を得る為。高い潜在能力と身体能力を持つ彼らはうってつけだったに違いな い。 けれど。その事実を知った今、過去に照らし合わせてみるとおかしな事が一 つある。−−アルルネシアはたった一人だけ、生き返らせていない人物がいる。 鬼道だ。彼の遺体は殺されたその姿のまま帝国学園の体育倉庫に遺棄されて いた。第一発見者は自分達なのだから間違いない。どうしてアルルネシアは鬼 道だけ蘇生させなかったのだろう?
−−いや…いや。でも待て。もしかしたら…。
じわり、と。頭の片隅によぎる、不吉な予感。だがそれが形になる寸前、ド アが開け放たれる音で思考は霧散した。 「円堂!起きろー…ってもう起きてるか。特訓行こうぜ特訓!」 「綱海…まったくもう」 また非常識な。円堂は苦笑して、立ち上がった。
「いいぜ!俺も早く正義の鉄拳マスターしたいしな!」
いつの間にか、さっきまでの考え事は、頭から消えてしまっていた。
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契約の元、命ずる先は。