この両手からこぼれ落ちそうなくらい。 溢れそうな想いはどこに行けばいいの? 君が願うならまだ待てるから。 だからお願い、もう少し。 この背中に、白い翼は 無いとしても。 5-23:永久紡ぐ、物語。 いつまでこうしていればいいのか。風丸はギリ、と唇を噛み締めた。エイリ ア学園の研究室の一角。水の張られたビーカーの中に閉じ込められて、何日も このままだ。身体を拘束されたまま何も出来ない。気がつけば眠りに落ちてい る日々。溺死もしないし何故か排泄欲や食欲も起こらない。ただ睡眠欲だけ。 しかし精神的には、相当参っているのも事実だった。このままでは、きっとおかしくなってしまう。どうにかして此処から脱出し、 仲間達とコンタクトを取らなければ。円堂に、吹雪。グランにウルビダ。彼ら の事が心配でならなかった。その想いが今の風丸を支えていると言ってもい い。あの“グレイシア”の話が正しいのならば。自分はジェネシスとの試合中に 事故死し、アルルネシアの手で浚われ生き返ったという事になる。まだ洗脳さ れていないのは“出番が先”だからだそうだが−−とても猶予があるとは言え ない。風丸より先に出陣するらしいイプシロンメンバーが、ビーカーの中からいな くなる時間が増えた。つまり彼らの試合が近い。そして彼らが負ければ次は自 分の出番かもしれないのだ。洗脳される前に、なんとかしなければ。仲間達に伝えなければならない事が たくさんある。−−俺はあの試合の中で…みんなの前で死んだ。宮坂や円堂や…みんなをどれ だけ傷つけただろう。あと、吹雪の事も。自分が立ち向かう姿を見せる事で、彼を奮い立たせる事 ができたら。そう思ったのに、偉そうな事を言った挙げ句このザマなんて。ま た彼が心のバランスを崩していなければいいが。そしてグランやウルビダ。彼らが立っている場所の危うさは端から見ても明 白で、傷にまみれた姿と心は痛々しいほどだった。このままではきっと壊れて しまう。特にウルビダ−−優しい彼女はけして、風丸を殺す気などなかっただ ろうに。彼等に会って伝えなければ。どんな理由であれ自分は生きている、と。悪い のは全ての災禍を撒き散らしたアルルネシアただ一人。自分は誰の事も恨んじ ゃいない、と。−−そして…グレイシアの事も。その顔を見た時、これが単なる悪夢だったらどれだけいいかと思った。もは や残酷なんてレベルじゃない、“最悪”が形となって目の前にあった。確かに今までのアルルネシアの行動を見ていれば“そうならない”方が不自 然だ。予め想定しておくべきだった。地獄は既に散々見てきたというのに、ま だ自分達は甘かったのだ。アルルネシアの忠実な家具。破滅の魔女・グレイシア。奴は自分達にとって アルルネシア本人に次ぐ脅威となるだろう。何故ならその正体は−−。「…冗談じゃない!」風丸は声に出して叫んだ。少女のような容姿と普段の冷静な言動からは意外 に思われがちだが、元来風丸の気性は荒い。激情家と言ってもいい。「こんなもんが運命だって言うなら…俺は死ぬ気で逆らってやる!」グレイシアにも宣言した。その正体を知って一瞬揺らいだものの、すぐにそ れはさらなる決意に変わった。自分は、諦めない。諦めてはならない。円堂なら間違いなくそうする。自分 には彼のような強さはないけれど−−弱いからこそ、出来る事もある筈だ。 あの試合の中、グランは言った。“助けて”と。確かに彼はそう言ったのだ。想いはどこかで繋がっている。願いは届いている。あとはその細い糸を手繰 り寄せ、引っ張り上げるだけだ。願えば叶うと言い切れるような甘い世界では ないけれど。願えば願った分だけ、可能性の道は広がっていく。救うと、そう決めた。ならば落ち込んで下を向いている暇など無い。風丸は 動かない身体で必死に暴れた。幸い薬を打たれている訳でもなく、単に拘束具 で戒められているに過ぎない。これさえ外せば、きっとなんとかなる。「くそっ…外れろ!外れろ!!」 暫くガタガタと暴れていたその時だ。どこからともなく、くぐもった足音が。 水に邪魔されながらも、耳をすませる風丸。話し声が聞こえる。風丸の暴れる 音と声を聞きつけたのだろうか。 果たして敵か−−味方か。「いた!見つけたわ兄さん!」資料棚の隙間をぬうようにして駆け出してきたのは−−一人の少女だった。 ピンクに近い紫の長い髪に、ツリ目の少女。少女きつい顔立ちだが充分美人と 呼べるだろう。年は風丸と変わらないくらいか。少女が棚の向こうに手招きすると、もう一人少年が現れた。青みがかったグ レーの髪に眼鏡をかけた、端正な顔立ちの少年。少女が“兄さん”と呼んでい たという事は兄妹だろうか。言われてみればどことなく目元が似ている気がす る。「風丸一郎太君、ですか?」 眼鏡の少年がすまなそうに言う。「貴方を探していました。まさかこんな地下に閉じ込められていようとは…救 出が遅れてすみません」「お前達…は?」「ああ、まだ名乗ってませんでしたね。私達はチーム・ダイヤモンドダスト… ガゼル様の配下です。私はアイキュー。こっちが妹のアイシーです」「ダイヤモンドダストだって…?」確かに、よく見てみれば彼らの着ているユニフォームには見覚えがある。イ プシロンを追放した彼−−ガゼルと同じものだ。「何でお前達が…俺を?」大阪で。痛々しい姿で現れたガゼル。殺されると分かっていながら何故彼が イプシロンを追放したかは分からない。しかしそれが本意のようには到底見え なかった。まるで脅されて無理矢理従わされていたような、そんな有り様だっ た。エイリア学園内部でも、何かが起きているのだろう。元よりガゼルは自分達 に魔女への警句を発している。アルルネシアに賛同していた筈もない。もしか したら彼と彼のチームは、みんなして魔女に反旗を翻そうとしているのだろう か。「…私達も、分かっているからです。我々が間違っていることも…本当の敵が 貴方達でない事も」 アイキューは悲しげに、レンズの奥の瞳を細めた。「それでも…戦うしかなかった。従うしかなかった。大切な人を、護る為なら ば」「大切な人…?」「詳しい話は後です。まずはここから脱出しましょう」何をする気なのか。アイキューが風丸が入れられているビーカーから一歩下 がり、身構える。そして。「フローズンスティール!!」 凍てついた足が、ビーカーに叩きつけられていた。絶対零度の強烈なスライ ディングである。ビーカーに、一気に罅が入った。次の瞬間ガラスは粉々に砕 け散り、水が外に流れ出す。急に新鮮な空気が肺に流れこんできて、風丸は派 手に咳き込んだ。「げほっごほっ…まったく、乱暴だなあ」「助けてあげたんだから文句言わないの!」つん、として言い放つアイシー。穏やかな兄とは違い、なかなか気性が激し い妹のようだ。彼女は手早く持っていたナイフで風丸の拘束具を外していく。「ありがとう。…でもいいのか、こんな事して」手首を回し、身体の感触を確かめながら風丸は言う。試合に負けただけで、 イプシロンは罰を受けたのだ。アルルネシア自らが捕らえた捕虜を意図的に逃 がしたとなれば、ただで済む筈がない。「わたしはただムカつくだけ!これ以上あの女の…ガゼル様をボロボロにし た魔女の思い通りになんかさせたくないだけよ!」アイシーはきゅっと唇を噛み締める。彼女がいかにガゼルを慕っているか。 ガゼルがいかに彼女に慕われているか。それが見えた瞬間だった。「…そうだな。これ以上アルルネシアの好きにはさせない」人の生きる世界を。余所から来た魔女に好き勝手されるのは不愉快極まりな い。「今ならまだ間に合うかもしれない…イプシロンだって」「もしかしてこの部屋にはイプシロンも…?」「ああ」 アイキューの問いに頷く風丸。「…俺は、雷門に戻る。あいつらに伝えなくちゃならない事たくさんあるんだ。 …お前達の考えを聞かせてくれないか」この二人は敵でない。ならきっとガゼルも他のダイヤモンドダストメンバー も味方の筈だ。風丸の言葉に、分かりました、とアイキュー。「…逃げがてら話します。私達の本当の正体も…私達の“大切な人”の事も」そういえば本来自分はミッドフィールダーなんだよなあ、と。まるで他人事 のように塔子は思い出す。うっかり忘れがちになるのは、なんだかんだとディ フェンスを任される事が多いからだ。今の雷門は攻守の役割分担が実にはっき りしている。その実、雷門のディフェンスの脆さは大きな課題となっていた。午後練の後。本来ならば休憩時間に入るところで、塔子は一人ドリブル練習 をしていた。今自分に必要なのは、相手のドリブルを阻止するディフェンスと、相手のシ ュートを弾くシュートブロックだ。どちらもザ・タワー一つで何とかなってい た−−SPフィクサーズにいた頃までは。だが、エイリアと戦うにあたり、それだけでは力不足なのは明白である。今 までの試合、自分がゴール前で護っていながら、キーパーの円堂の手を煩わせ る場面が非常に多かった。円堂はシュートを止められない己を悔やみ、新たな必殺技会得に心血を注い でいるが。本来はその前のディフェンスで相手を止めなければならないのであ る。ゴールを割られるのは円堂のせいだけじゃない。自分達のディフェンスが 頼りないせいで、彼にばかり負担をかけさせてしまっているせいだ。−−あたしも…新しい必殺技、考えなくちゃ。リフティングしながら、思考を回す。浜辺でボールを操るなら、リフティン グしながら動く方が遥かにうまくいく。平らでない地面でのイレギュラーバウ ンドを見抜くのは並大抵の事ではない。エイリアと戦うのは大海原中グラウンドになるだろう。あそこのグラウンド は砂浜より遥かにマシだが、それでも砂が入り込んだり潮で削られたりと、普 通のグラウンドよりデコボコしている。見た目に惑わされて普通のドリブルを したら痛い目を見るだろう。−−空中でのパス回し…これ、練習したら悪天候の試合でも役に立つよな。一人一人の必殺技だけじゃない。みんなで紡ぐ新たな“戦略”が必要になっ てくる。地力でエイリアに劣る自分達が最終的に勝利する為には、連携プレー に磨きをかけるしかないのだ。「おっと…」考え事をしていたら、少々コントロールを誤った。頭の上に落ちてくる筈の ボールは逸れて、砂浜をあらぬ方向へ転がっていってしまう。思考と行動の同時進行。これも気をつけなくてはなるまい。塔子がため息を ついて拾いに行こうとした時、ボールに伸びる手があった。「よ!」 綱海だった。「休憩時間だぜ?あんま根つめすぎんなよっと」彼の顔を見た途端−−試合の中で言われた事を思い出しかけ、慌てて首を振 る。忘れなければ。今大事なのはそんな自分の個人的な恋愛感情や理論なんか じゃ、ない。「あははっ…早く新しい必殺技完成させたくてさあ!つい練習に来ちまった ぜ!!」 わざと明るい声を出す。ちゃんと笑えなかったかもしれない。一瞬綱海の顔 が歪んだのは見間違いだろうか。 NEXT |
限りある消耗品が、欲しい訳じゃないの。