降り積もる雪と祈り。
 このまま全て奪い去ってくれればいいのに。
 儚い声も全てかき消して、連れ去って。
君に逢えるなら何も要らないから。
 
 
 
 
 
この背中に、
白い
無いとしても。
5-26:深き、闇の底へ。
 
 
 
 
 
 世界が壊れる時もまた、同じような音がするのだろうか。華奢な硝子が吹き
飛び、悲鳴と共に訪れる終焉。始まりは意味もなく訪れ、終わりはいつだって
意味を持つ−−ああ、そんな歌があったっけな、と風丸は思った。
 
「下の、階…」
 
 誰もが表情を凍りつかせ、顔を見合わせる。そんな中真っ先に理性を取り戻
し、立ち上がったのは−−バーンだった。
「…この研究所は、富士樹海のド真ん中にある。普通に脱出したところで、の
たれ死ぬか野犬の餌になるかのどっちかだ」
「樹海だって…!?
「そんな星の使徒研究所から、俺達はどうやって移動するか?選択肢は二つ。
研究所内部の空間移転装置を使うか、研究所の敷地外に出て黒いサッカーボー
ルを使うか。…敷地内には特殊な結界システムが働いていて黒いサッカーボー
ルの機能が使えねぇ。そうだったなガゼル」
 そういう仕組みになっていたのか。黒いサッカーボールの空間移動は非常に
便利なイメージがあったが、よもやそんな制約があろうとは。
 理由は分かる気がした。簡単だ。過酷な生体実験に耐えられず、子供達が脱
走するのを防ぐ為。万が一子供達に逃げられたら、吉良財閥の闇が全て白日の
下に晒されてしまう。大人達は自らの保身の為、子供達を閉じ込め続けてきた
のか。そう思うと、吐き気がした。
 しかしバーンは何故今そんな話をする?下の階で何かが起きて−−仲間の
誰かが襲われたのは明白だというのに。一刻も早く助けに行くべきではないの
か?
 
「…研究所内の空間移動装置は、本来は許可なく使う事が出来ません。申請手
続きが通って初めて使用可能になります」
 
 アイキューが静かに口を開く。
 
「ですがハッキングで申請許可データを偽装すれば…バレるまでの短時間な
ら、利用する事も出来るでしょう」
 
 さっきの防犯カメラの件といい、よほど彼らの中にはコンピューターに強い
人間がいるらしい。
 と、今はそんな事よりも。
「それより早く、下の階の様子を見に行かないと…!」
「俺とヒートで行く」
 半ば風丸の言葉に被せるように、バーンが言った。
「ガゼル、アイキュー、アイシー。風丸を連れて転送装置へ急げ」
!!
 その言葉の意味するところを悟り、風丸は絶句する。まさか、彼らが犠牲に
なって自分達を逃がすつもりなのか。
 そんなこちらの動揺に気付いてか、バーンがニヤリと笑みを浮かべる。
 
「悪いが、俺達ぁデザームみたいな勇者でも救世主でもない。誰かの為に死ん
で本望なんて自己犠牲精神はねーよ。俺達プロミネンスはまだ試合もしていな
い。仮にここで捕まっても、イプシロンみたいにいきなり処刑はまずねーから
な」
 
 だからこれは全部自分達の為だ。バーンはそう言って嗤う。
「多少ぶっ飛んだ事しねぇと、世界は変えられない。未来は力ずくで奪い取っ
てやらぁ。その為なら多少痛ぇのくらい我慢してやるよ。そうだろヒート?」
「そうですねバーン様」
 バーンの決意を受けて、ヒートが頷く。
 
「逃げるのも飽きてたところです。…ご一緒しますよ、何処までも!」
 
 そして二人は−−残る四人の同意も得ぬまま、走り出してしまった。立ち上
がってドアを開け、その姿が廊下の向こうに消えるまで−−一秒も無かっただ
ろう。あまりの神がかったスピードに、開いた口が塞がらない。
 
「相変わらず勝手な奴」
 
 はぁ、とガゼルがため息を吐いた。
「これじゃあ選択肢も無いじゃないか。後でお説教だな」
「どうせなら正座させて竹刀で背中を叩くのが宜しいかと」
「…そういう方向で来たか、アイキュー」
 ボケた提案をするアイキューに、苦笑いするガゼル。その光景は、なんだか
見覚えがあった。そうだ−−一之瀬と土門のやり取りに、よく似ているのだ。
 辛い時。悲しい時。悩んだ時。彼らはいつもこんな風にふざけあって、から
かうような会話を繰り広げていた。最初のうちは思ったものだ。この緊急事態
になんて呑気な奴らだ、と。
 しかし今は、分かる。彼らは軽口を叩く事で自らを鼓舞し、確かめあってい
たのだ。自分達はまだ笑える。まだ余裕がある。だからきっと大丈夫−−と。
そうする事で折れそうな互いの心を守り、皆の心をも守ろうとしていたのだろ
う。
 冗談さえ言えなくなったら。その時こそ終わりだと、絶望に負けるのだと知
っていたから。
 
「…富士の樹海…って言ったな」
 
 だから、自分は。
「正確な位置、分かるか?」
「残念ながら。ですが座標は黒いサッカーボールにインプットされています。
解析すれば割り出せるかと」
 アイキューが目で合図すると、部屋の奥から、アイシーがボールを取り出し
てきた。ずっしりと重い、青い模様の入った黒いサッカーボールを手渡される。
かつて奈良で手にしたジェミニのよりかはいく分軽いようだが。
「これ、わたし達が使ってるボールで一番軽いヤツなの。雷門まで持ってって
頂戴」
「これで一番軽いのかよ(汗)」
「貴方が非力すぎるだけでしょ」
 女の子にそう言われてしまっては、ぐうの音も出ない風丸である。
 
「敷地を出れば、それで空間移転も可能ですが…黒いサッカーボールでワープ
するには、一定時間動きを止めてなければなりません。敷地外周は警備も厳し
い。追われながらではワープは使えません。あまりアテにしない方がいいでし
ょうね」
 
 随分詳しく調べてきたんだなと思う。ひょっとしたらいつかこんな日が来る
事を、もっと前に予見していたのかもしれない。
 
−−このボールを、皆のところへ持ち帰る。
 
 任務重大だ。風丸はサッカーボールを強く抱きしめた。伝えたい言葉。伝え
たい想い。そして、伝えなければならない情報。
 このサッカーボールを使って研究所の正確な座標が割り出せれば、雷門メン
バーを伴ってもう一度此処に来る事が出来る。今の雷門イレブンは強い−−ジ
ェネシスに負けて尚、否負けたからこそ強くなった筈だ。彼らとなら出来る。
エイリアを救い、恐ろしい魔女さえも打ち倒す事が。
 さらに、伝えるべきはこの場所の事だけではない。グレイシア。多分皆はそ
の存在すら知らないだろう。一刻も早く皆に教え、対策を練らなければ。下手
をすればアルルネシア以上に厄介な敵に成りうるのだから。
 
「…バーンとヒートも。俺は必ず助けてみせる。勿論、お前達も…此処にいな
いジェネシスの奴らも」
 
 風丸は誓う。
 
「約束するよ。今度は雷門のみんなと一緒に…お前達を迎えに行くから」
 
 何度失敗しても、挫けても−−自分はもう、守る事を躊躇わない。一度死ん
で生まれ変わったのは肉体だけではない。心も生まれ変わらなくては。どんな
カタチであれせっかく与えられた挽回のチャンスである。生かさない手は、な
い。
 どんな絶望的な状況でも、諦めてなるものか。
 諦めない事こそ、自分達最大の必殺技なのだから。
 
「期待しないで待ってるよ」
 
 フン、と不適に鼻を鳴らすガゼル。
 
「時間が惜しい。さっさと行くぞ。あの脳みそ空っぽチューリップがくたばる
前に」
 
 また酷い言い種だ。ガゼルとバーンは仲が悪いのか、それとも仲が良いのか。
見た目も中身も真反対に見えるけれど、案外水と火の方が上手くやっていける
ケースもある。
 
「こっちだ」
 
 ガゼルに先導され、風丸、アイシー、アイキューは部屋を飛び出し廊下を走
る。下の階からまた爆音が聞こえてきて、風丸は顔を歪めた。戦闘しているの
か−−バーンとヒートが。しかし一体誰と戦っているのだろう?
「警備に気付かれてますね。どうやら下の階の騒ぎは、サトスやレアンが待機
していたモニタールームに警備ロボットが突入した為のようです」
「警備システムレベルは2…良かった、どうやらまだわたし達を殺せとまでは
命令されてないみたい。これなら数さえ来なければ充分バーン様達だけで倒せ
るわ」
 どうやら携帯を使ってシステムに侵入しているらしい。たまげたもんだ。携
帯をいじりながら走るアイシーとアイキューが、自分達に的確な指示を出して
導いてくれる。
 
「地階から新手が送り込まれてきてる…かなりの数の警備ロボットに今、予備
電源が入ったのを確認したわ。あれが立ち上がって攻めてきたら、多勢に無勢
で圧倒されちゃう」
 
 相当な数なのか、アイシーの頬を冷や汗が流れる。
 
「その前に、なんとかして装置の部屋へ行かないと。万が一を考えると怖いけ
ど上の移転室を使うしかないと思う」
 
 彼女が提示したルートは、今いるA棟の隣、D棟五階の移転室から脱出する
というもの。この研究所は真ん中にユーフォー型の中央棟があり、それを取り
囲む柱のような形で五つの棟が建っているらしい。
 A棟には一階にしか転送室がない。一番近いのは中央棟三階の転送室だった
が、中央棟は基本的に研究員の出入りが多く、またシステムが煩雑でハッキン
グにも手間がかかるという。携帯機器では難しいのだそうだ。
 
「下の階でバーンとヒートが引きつけてくれている上、A棟D棟の防犯カメラ
映像は書き換えてある。少しは時間が稼げる筈だ」
 
 ガゼルも携帯を取り出し、マップを確認している。自分達が今いるのはA棟
三階。A棟二階より下は研究員達の部屋や施設もあるので、いくらカメラをい
じってあっても出来る限り通らない方がよいのだという。
 また途中でシャッターが閉まっていた場合(冷房や暖房の効率化の為、使用
者のいないエリアを閉める事はままあるそうだ)カードキーを使う羽目にな
る。そうするといちいち履歴を消す羽目になるが、となるとやはりシステムが
難解なエリアを通る危険は犯したくない。
 
「こっちよ。あの連絡通路を通るわ」
 
 辿り着いた棟の端。アイシーが指差したのは、A棟とD棟を繋ぐ連絡通路だ。
ガラス張りになっており、人目につきやすく見えるが−−大丈夫なのだろう
か。
「連絡通路にはトラップシステムがあってね。侵入者がいるとダイナマイトで
通路自体を落としちゃうのよ」
「お、おいおいおい」
「安心して。今は解除してあるから。でも…」
 そこで彼女は、表情を曇らせる。
 
「三階C棟とD棟を繋ぐ連絡通路は壊れたまま…。この間イプシロンが脱走し
た時、システムが作動したの。彼らは爆発に巻き込まれて落下して…そこでメ
ンバーの何人かが死んだ、って…」
 
 携帯を握る、アイシーの手が震えている。本当は怖いのだ、と気付かされた。
そんな話を知っておきながら、解除したとはいえ危険なエリアを通らなくては
ならない。そうでなくとも文字通り自分達は“危険な橋”を渡っている。怖く
ない筈が、ない。風丸だって同じだ。
 
「行こう。システムは解除したんだろ?」
 
 だけど。立ち止まる訳にはいかない。自分が運ぶのはメッセージと情報だけ
ではないのだ。
 希望を。
 雷門に希望を持ち帰る為に、自分は此処にいる。
「俺は、お前達を信じる」
「風丸…」
 風丸は率先して駆け出した。罠が作動する気配は、ない。
 大丈夫。信じて動けばきっと、未来は繋げていける。今まで自分達が奇跡を
起こしてきたように。
 
 
 
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