このヤマ越えたら二人で何処へ行こうか。 どうせなら誰も知らない場所がいい。 こんなちっぽけな僕でも君を守る事はできるかい。 今は臆病を騙してでも、この情熱を吐き出すから。
この背中に、 白い翼は 無いとしても。 5-27:勇者対、魔女。
罠は作動しなかったとはいえ、ガラス張りの連絡通路は外から内部が丸見え だ。誰かに姿を目撃されてないとは限らず、また中央棟の防犯カメラに映され てない保証もない。連絡通路を通った後は今まで以上に急ぐ必要があった。 アイシー達いわく。五階建ての筈のD棟には“何故か”四階がないのだそう だ。建物の四階を飛ばし、三階の上を五階としてナンバリングしてしまうケー スは稀に聞く。しかし、この場合はそうではない。もし飛ばしているだけなら 建物に六階が存在する筈だが、D棟の五階の上は屋上になってしまっているそ うだ。つまり、“存在している筈の四階に何故か辿り着けない”のである。 研究所に前々から伝わる、一種怪談と化した話らしい。D棟三階の東階段の 位置は、D棟西端よりかなり位置が高くなっている。あちこち段差で誤魔化さ れている為気付きにくいだけだ。つまり、本来あった筈の四階が改築工事で埋 められてしまっているのである。隠し通路があるのではという者もいるが、“四 階にあった何かを隠す為、完全に封印されてしまっている”という説が有力だ そうだ。 星の使徒研究所に潜む、数多くの闇の一つ。しかし今の風丸からすれば好都 合だった。自分達が目指すはD棟五階。階段を一階分、登る手間が省けたのだ から。
「…この角の向こうがもう、転送室だ」
ここまでは何とか、誰にも見つからずに辿り着く事が出来た。既に自分達は D棟五階にいる。このまま上手く行けば、転送室を経由してこの星の使徒研究 所を脱出出来る筈だ。 だが、風丸は少々違和感を感じていた。何やら、全てが上手く行き過ぎてい るような気がしてならない。D棟は元々ジェミニストームのメンバーの私室が あった為、今はやって来る人間が極端に少ないそうだ。でもその前通ったA棟 でも誰かに出くわしたりはしなかった。何だか嫌な予感が、する。
「…マズいですね。一階で警備システムが作動しました。警備ロボが上に登っ てきてます」
携帯画面を覗き、アイキューが顔をしかめる。
「バーンとヒートと…あとはあちこち降ろしたシャッターで多少時間稼ぎは 出来るでしょうが。あまり悠長に構えてはいられませんね」
警備ロボットまでいる。この研究所の技術は何処まで進んでいるのか。ひょ っとしたらこのテクノロジーも、あの魔女が入れ知恵した結果だろうか。 罠であるにせよ何にせよ、自分達に選択肢はない。ここまで来たら邪魔者は 強引に蹴散らすだけ。転送室はもう目の前なのだから。 その時だった。
ずる。
何かを引きずるような、音が。
ずる。 ずる。 ずる。 ずる。
「な…何?何なの?」
アイシーが怯えた声を出す。音は、自分達が今まさに向かおうとしていた方 向から聞こえてきていた。 「お約束通りという事で」 「しかもホラー的登場か?イヤミなほど気が利いてるな」 「心底、同意しますよ」 アイキューとガゼルが身構える。風丸は−−そう、それはどう考えても直感 でしかないのだけども−−その向こうからやって来る人物が誰か、“分かって いた”。そしてその人物が何を引き摺っているのかも−−見当がついてしまっ て、いた。 だから、言った。
「…グレイシア?」
風丸の声に応えるように。“彼女”は−−姿を現した。真っ黒なコート。目 深に被ったフードの小柄な魔女。その両手には−−傷だらけの人間が二人、引 きずられていた。
「バーン!ヒート!!」
アイシーが悲鳴に近い声を上げる。ああ、やっぱり。風丸の胸に広がったの は予想が外れなかった事への失望と、諦め。それを上回る、あまりに深い悲哀 だった。 本来なら。A棟の二階付近で戦っていた筈のヒートとバーンが此処に現れる のはおかしい。用心深く動いたとはいえ、自分達はほぼ走ってここまで来た。 先回りできるようなルートも、ない。 けれど空間を自由にねじ曲げられてしまうのが魔女なのだ。今までのアルル ネシアの登場・退場を見ていれば分かる。彼女達はいくらでも世界と距離を超 えられる。何故ならばそれが、魔法の力だからだ。
「貴方がグレイシア、ですね。お噂はかねがね伺っております。…二人に何を したのですか」
怒りのこもった声でアイキューが言う。相変わらずグレイシアの顔はフード のせいで見えない。見えるのは口元くらいだ。
「…安心しろ。殺しちゃいない」
その唇が、緩やかに弧を描いた。
「電撃一発で気絶してくれたからな。意識のない者をなぶる趣味もない」
なるほど。二人は傷だらけだったが、殆どが軽い擦り傷のようだ。アルルネ シアのように拷問好きというわけではないらしい。 しかし−−まさか彼らがこんな簡単に倒されるだなんて。自分達はまがりな りにもサッカープレイヤー。ましてやエイリア学園のメンバーは身体能力が限 界まで高められ、戦闘訓練も施された精鋭部隊だ。ずっと彼らと戦ってきた自 分は、その強さも身に沁みてわかっている。なのに。
「風丸一郎太。お前を今雷門に帰す訳にはいかない」
グレイシアは感情の籠もらない声で言う。
「そしてダイヤモンドのお前達もだ。まだやって貰いたい事がある。逃がしは しない」
コートごしに見えるその胸には膨らみがあり、華奢な体系からも少女だと分 かるのに−−声は少年のそれ。知らない人間から見れば実にちぐはぐな印象を 受けるだろう。 しかし風丸はその理由もおおよそ予想がついていた。何故ならその声には聞 き覚えがあったから。ビーカーごしに聞いた時は水のへただりがあったせいで 分からなかったけれど−−でも。
「何で…アルルネシアなんかに従うんだよ」
呻くように、風丸は声を出した。ただただ悔しくて、理不尽で、いたたまれ なかった。 誰もが望まない結末へ、物語は進もうとしている。その先で高嗤うのはアル ルネシアただ一人だというのに。
「あの女が俺達に…お前に何をしたか!忘れたわけじゃないだろう!?」
どういう事だ、という眼でガゼルとアイキューとアイシーがこちらを見る。 しかし、彼らに答える余裕が今の風丸には無かった。 自分は、自分達は必ず、グレイシアと戦う事になる。その時何があっても、 何があろうとも冷静であらねばならない。落ち着いて対処し、最良の結末へ導 かなければならないと−−自分は雷門の皆に言うつもりだった。ああ、分かっ ていたのに。 いざグレイシアを前にすると、理性は吹き飛んでしまう。あの悪魔のような 女に従い、コーマを斬りバーンとヒートを傷つけ−−平気でいられる、そんな 子では無かった。アルルネシアに洗脳されてそうなってしまった。それがただ 悲しくて悔しくて−−もう、なんと言葉にすればいいかも分からない。
「言った筈だ。俺はアルルネシア様の家具だと。家具はただ、主に従順に仕え るのみ。それだけが俺の存在理由…」
存在理由。その言葉が重く胸にのしかかる。自分も、皆も、彼も、彼女も。 誰しもが悩みもがき苦しんで、その意味を探し続けてきた。だけど。 グレイシアの−−こいつの存在理由は。そんな魔女の為などにあるものでは ない。やっと本当の答えを見つけて、自分の為に生きていく方法を探し出せた −−その筈、だったのに。
「…このまま引き返すなら良し。だがもし忠告を聞かぬと言うのならば…容赦 はしない」
ヒートとバーンの体から手を離し、グレイシアが両手を掲げた。現れるのは 鍵型をした不思議な剣。 実力行使。どうやら戦いは避けて通れないらしい。風丸は間合いをとって、 思考を巡らせる。まずはヒートとバーンを奪還しなければ。さらになるべくな らグレイシアにも傷をつけたくない。二人を取り戻した上で、一気に部屋まで 駆け抜ける。スピードならまだこちらに分がある筈だ。四対一というのも大き い。 ガゼル達からすれば風丸が帰還するのが一番なのだろうが。最悪風丸でなく ともいい。自分達のうち誰か一人でも辿り着ければ意味はある。残った者達を みんなで助けに来る事が出来る。
−−だから迷いは捨てろ…風丸一郎太。
救う為に、戦え。 風丸は自分にそう言い聞かせる。しかし。
「…隙だらけだな…お前達は」
グレイシアがフン、と鼻を鳴らした。 「だからこの程度の奇襲にも気付かないんだ」 「な…に?」 瞬間。重苦しい気配が−−濃くなった。 「アストロブレイク!」 「クロスドライブ!」 「メテオシャワー!」 三種の必殺技が、ガゼルを、アイキューを、アイシーを襲った。それも背後 から。
「うわああっ!」
完全に不意打ち。直撃を受けた三人が悲鳴を上げて吹っ飛び、床に壁にと叩 きつけられる。風丸は振り向き−−ぎょっとした。
「お前達…!」
そこにいたのは。一度は死んで蘇ったイプシロンメンバー−−クリプト、メ トロン、マキュアの三人だった。三人とも、瞳が血のように紅く染まり、意志 の光がない。洗脳されている−−誰に、など今更言うまでもない。
−−気配に全然気付かなかった…いや。もしかして気付かないように仕向けら れたのか…!?
自分達はついさっきまで、携帯でモニターした図面を見ながら追っ手を気に していた。しかしグレイシアが現れてからはそれをしていない−−この敵を目 の前にして余所見をする余裕はないと思ったせい。そして“グレイシアに集中 せざるをえない状況”だった為だ。 グレイシアはバーンとヒートを引き摺って現れた。その為自分達は否応無し に人質に気を配る羽目になった。さらに風丸はグレイシアの正体を知っている 分余計意識を向けるし、冷静さも失う。周りもそれに引っ張っられる。 その結果、三人もの敵の出現に気付かず、奇襲を許してしまったのだとした ら。
「…流石…−−だな。策士なのは相変わらずか」
風丸はその真名を、口にする。床に伏したガゼルがはっとしたように顔を上 げた。そんなまさか、と顔には大書きされている。 グレイシアは何も言わず、ただ口元に笑みを浮かべた。それが何よりの、答 えだった。
「だからこそ俺は…お前を取り戻す!分身フェイント!!」
必殺技を発動させる風丸。三人に分身し、相手を攪乱させて抜き去る。この 分身は幻ではない−−全て実体の影分身だ。その三人が揃って蹴りと掌底を食 らわすのだから、当然威力は三倍となる。 だが。
「エアロ」
その唇が、スペルを紡いだ瞬間。鋭い突風が吹き荒れ、風丸を巻き込んだ。
「がっ…!」
掻き消される分身。壁に叩きつけられ、思わず息が詰まった。風魔法。魔女 になったのは分かっていたがまさか−−本当に。
「前哨戦はここまで。お前達が本当の悪夢を見るのはこれからだ」
意識が霞む寸前に見たグレイシアのフードは外れ、かの人は妖艶な笑みで宙 を見ていた。
「さあ、魔女の夜会を始めようか」
畜生。また、救えないのか。ヒロトも、グレイシアも。 風丸は唇を噛む。うっすら滲んだ血のはとても苦くて、悲しい後悔の味がし た。
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君が白い翼を翳すなら。