あんよ、あんよ、歩いておいで。 手を叩くよ、鬼さんこちら。 愛よ、愛よ、どうか来て。 手を伸ばして、抱きしめさせて。
この背中に、 白い翼は 無いとしても。 5-30:ナタリーの、喜劇。
聖也は盛大に舌打ちする。 破滅の魔女−−まさかあの存在を、アルルネシアが確保していようとは。
「アルルネシアの家具って言ってたけど…何なんだアイツ」
綱海が苦い顔をする。 「ってか。あのアルルネシアってねーちゃんも意味がわかんねぇぜ。あんなに 美人なのに…なんていうか、その」 「気持ち悪い、か?」 「う……人に対してそーゆー感情、良くないのは分かってるんだけ…ど…」 しどろもどろになる綱海。
「…それが普通の反応。初対面で威圧されてペシャンコにならないだけ、お前 は大したもんだよ」
いいヤツだよなこいつ、と聖也は斜め上に感心してしまう。確かに綱海は今 までのアルルネシアの凶行を目の当たりにはしていないが、今日の彼女もいつ も通り存分にトチ狂っていた。人を散々モルモットにした挙げ句、壊れたら生 き返らせて玩具にするなんて吐き気がする。なのに、嫌悪感を露わにするのを 躊躇うとは。 いや、ひょっとしたら彼が一番マトモだからそう感じるのかもしれない。話 していて気分が悪いけれど、それを口にしてはいけないような気がする、とか。 長年アルルネシアと戦ってきた聖也ならまず思いもしない事だ。
「破滅の魔女グレイシア…か。一体誰なんだろう。エイリア学園の奴かな?」
円堂が言うと、レーゼが首を振って否定した。 「違うと思う。確かにエイリアの皆の中には魔力の高い人間が多くいたが…あ れほどの力を持つ奴はいなかった筈」 「分かるのか、やっぱ」 「ああ。奴の魔力は…制約のかかった今の聖也を遙かに凌ぐだろう」 「!!」 その喩えに、一同がぎょっとするのが分かった。雷門の皆は聖也の魔力がい かほどかなど知る由もないだろうが、唯一アルルネシアに直接対決が可能っぽ い聖也がその配下に負けるとあっては一大事だろう。残念ながら、事実。グレ イシアの魔力が高いのもあるし、聖也の魔力が制約のせいで2%以下まで落ち ているのもある。
「破滅の魔女ってのはな、祝祭の魔女と対になる貴重な存在なんだよ。その世 界に一人いるかいないかってレベルだ」
破滅の魔女にも祝祭の魔女と同じく課せられた宿命があるが、今はそれに関 しては割愛しよう。何故なら破滅の魔女について詳細を語ろうとすると、必然 的に祝祭の魔女の仕事をも語らなければならなくなるからだ。 レーゼに課した、祝祭の魔女としての重責。残念ながら今は皆の前でその話 をする訳にはいかない。話せば必ず、今後の皆にとって妨げになるし、何より レーゼが望まない結果を生む事になるからだ。
「……グレイシアが何者であるにせよ。破滅の魔女であるならば、その力は極 めて強大で危険だ。何より俺達にとって不幸なのは…その人数」
ちらり、とイプシロン側を振り返る聖也。 「イプシロンに控え選手はいない。そしてゼルは今俺達が保護していて戦力に 数えられない。…奴らは今十人しかおらず、要となるFWが抜けている。とな れば…」 「あのグレイシアがFWを務めてくる可能が高い…」 「さすが一之瀬。御名答」 グレイシアと、この土壇場でサッカー対決しなければならない。その魔力は 絶大。実力は未知数。ここは慎重にいかねばなるまい。
「イプシロン…」
塔子が苦しそうに顔を歪めた。
「どうして、こんな事に」
それは全員の心境の代弁だろう。彼らともう一度サッカーがやりたいとは願 っていた。でもそれは−−こんな形じゃない。
『我らの挑戦を受けたその覚悟、見事だ。そして感謝する』
『だから…試合が必要なのだ。お前達が信じるに値する存在かどうか…我々に 示してみせろ!』
『強くなったな…お前も』
『俺はずっと…“楽しい”サッカーがしたかったんだ…』
『馬鹿を言え。お前は…最初から強いじゃないか』
『これで勝負を決めてやる…!デザーム様の為にも…!!』
『ラストチャンスだ!作戦時間は0,7秒!!』
『お願いっ…デザーム様を死なせないでぇっ!!』
「あいつらのサッカーは本物だった。あたし達と同じくらい、大っきな絆があ ったんだ」
握りしめた塔子の拳は震えている。怒りと、悲しみと、悔恨と−−憎しみに。
「それを…こんな形でブッ壊しやがって…!!」
洗脳されたと一言で言っても、正確には彼らがどんな状況にあるかは分から ない。意志を書き換えられたのか、消されたか。先ほどはまるで会話が無かっ たが実際どうなのだろう。 仮に意志に手は加えられてなくとも。また今までのように記憶を新たに改竄 されてしまっていたら同じ事。どんな心を持っていようとも、彼らは自らの記 憶に従うしかない。それが誤りならば、信じられるモノは何一つ無くなってし まう。
「不動が持ち帰ったデータによれば…“親”であるデザーム様を殺せば、他の イプシロンメンバーに取り付けた装置は意味を成さなくなる、とある」
でもそんな事出来る訳がない。レーゼは首を振る。 「唯一の活路は、この試合に勝てば魔女の夜会のルールに従い、全員の洗脳が 解けるってこと。それに賭けるしかない」 「そうだぜ、レーゼ」 パン、と円堂が両手を叩いて気合いを入れた。
「一度全力でぶつかった奴は、みんな仲間。イプシロンはもう俺達の仲間だ。 だから何が何でも試合に勝って、あいつらの心を取り戻すんだ!!」
仲間。そのありふれた単語が、聖也の胸にも染みていく。円堂がそうやって 皆を信じて、敵だった者にさえ手を差し出す人間だから。自分達は皆救われて きた。こうして戦ってこれたのだ。 一度沈んだ太陽は、絶望を乗り越えた太陽は−−強い。奇跡さえも引き寄せ られる気がしている。彼と、彼らとならばきっと。
「今日の作戦を発表するわ」
瞳子が紙を見せて言った。
「最初の陣型とメンバーは、これよ」
FW 照美 吹雪 MF 聖也 宮坂 音村 DF塔子 綱海 春奈 木暮 壁山 円堂
「このフォーメーションって、陽花戸中の…?」 「そうよ」 聖也も横から紙を覗きこむ。フォーメーション名、イージス。5−3−2の やや守備的な陣型だ。不満があるわけではないが、さっさと流れを掴みたい雷 門イレブンとしては理由を聞かせて貰いたいところだろう。
「…疑問に思った方もいると思うんで、私からも説明します。これ、私の作戦 でもあるんですよ」
はい、と手を挙げる春奈。 「記憶や意志はなくとも、イプシロンメンバーのプレイスタイルはそう簡単に 変わりません。彼らが得意なのは、とにかく前に出て攻めるサッカー。序盤、 私達は守備陣型を維持し、あえてイプシロンに攻めさせて押されたフリをしま す」 「それ結構キツいんじゃねぇの。破られないギリギリラインまで後退して守る ってのは」 「ギリギリだから意味があるんです。最終防衛ライン近くまで下がってたら、 相手も演技だとは思わないでしょ」 イプシロンの攻撃を誘い、前進守備をさせ、一気にカウンターでひっくり返 す。それは大阪の戦いでもやった手だ。果たして彼ら相手に二度目が通用する だろうか。
「今度狙うのはただのカウンターじゃありません。ロングシュートによる奇襲 攻撃です」
とんとん、と春奈がペン先で紙をつついた。そこにあるのは綱海の名前。
「綱海さんは今回初参戦。よってイプシロンにもデータがありません。攻めら れて押されて、向こうがどんどん前に出てきたらボールを奪取。そして綱海さ んに渡します」
なるほど、そういう事か。予め綱海がロングシューターと分かっていれば連 中も警戒するだろうが、綱海はつい先日までサッカー部に所属さえしていなか った初心者。イプシロンが彼の能力を知っているとは到底思えない。よって、 マークの薄くなりがちな彼の長距離砲が、奇襲として有効になってくるのであ る。 そして綱海のシュートが決まれば、今度は長距離を警戒して、守りを固めて くるだろう。奴らが後ろに下がってきたら、今度は雷門が押して押して押しま くる。照美と吹雪のツートップならそれも可能だろう。彼らの混乱に乗じて、 うまくいけばもう一点望める筈だ。
「あと。…今回は到底力や技を出し惜しみできる相手じゃない。だからちょっ と卑怯だけど、人数の利を最大限使わせてもらう」
一之瀬がやや苦い笑みを浮かべて言う。 「アフロディ。君は最初から前半しか出さないつもりでいる。前半で全て出し 切るんだ。吹雪は様子を見るけど、暑さに弱い君も多分最後までは保たない。 スタミナ配分を無視して、ガンガン前に突っ込んで欲しい」 「なるほどね」 「分かったよ」 照美、吹雪の双方が頷く。
「逆に宮坂。君は最後までいて欲しいから、ペースには気をつけて。足の速い 君はトップ下でみんなの中継点をして欲しい。ボールを持ったらドリブルは最 短距離で抑えてすぐ誰かに回して」
てきぱきと指示を出す一之瀬。本当に大したものだ。しかも今回の作戦はい つも以上に気合いが入っている。頼もしい限りである。 「ひとまずは全体指揮を音村に任せたい。お前の読みはかなり頼りにしてる」 「OK」 そうだ、今度は音村が味方。これは実に心強い。彼がいればアルルネシアが いかな指揮をとってきても、予測して対応することが出来る。あとは自分達が どれだけ彼の指示について来れるか、だ。
−−あいつが監督なんだよな…やっぱ。
聖也はイプシロンベンチを見る。アルルネシアは当然のごとくベンチに座 り、相変わらず気味の悪い薄笑いを浮かべて皆に指示を出している。さりげな くメトロンやデザームの顔に触ったり肩に手を回したりとセクハラにも余念 がない。気持ち悪さに反吐が出そうだ。 奴にサッカーの知識はどれくらいあるのだろう。今までアルルネシアはずっ と試合を遠くから高見の見物を決め込むばかりで、実際に参加してきたことは なかった。真帝国戦もジェネシス戦も、終わってから顔を出している。 この世界に惹かれるまでは、彼女にとってサッカーなど興味の範疇に無かっ たに違いない。しかし、一度気に入れば無駄に凝る性分なのも知っている。も とよりいくらトチ狂っていても頭脳明晰であることは間違いないのだ。 さらに言えば。アルルネシアは音村が“旋律の魔術師”であり覚醒もしてい ると知っていた。ならばなんらかの形で音村対策もしてくる筈である。 「今回は積極的に人数もフォーメーションも入れ替えていく。相手に対策され る前に全て先手を打つ方向だ。幸い、この試合で交代は制限されて無いしな」 「それがちょっと不思議ですよね」 宮坂が首を傾げる。 「あちらは控えがあないんだから、自由に交代させたら不利になるだけなの に。何故制限を設けなかったんでしょう?」 「だよなぁ…」 皆が不思議に思う事だが、聖也にはなんとなく予想がついていた。悲しいか な、アルルネシアとは千年来の付き合いである。雷門メンバーを全員引っ張り 出し、なぶり者にしたいのだ、奴は。 その鼻っ柱叩き折ってやる。聖也は拳を強く握りしめた。
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気儘な知らぬ仔。