じゃあちょっと喋るかい?。
 非凡でいて妙な僕の話を聴いておくれ。
 怪物になっちゃった十年前。
 ああ全部法螺話だから安心してよ。
 
 
 
 
 
この背中に、
白い
無いとしても。
5-31:シュレディンガーの、猫箱。
 
 
 
 
 
 瞳子はじっとフィールドを見つめる。今自分は冷静だろうか。否−−ちゃん
と冷静なように、見えているだろうか。
 
『瞳子姉さん』
 
 記憶の中。黒髪の少年が花束を持って笑っている。花束と言っても、そのあ
たりの野草で作った地味で小さなものだ。
 
『誕生日だって聞いたから。みんなで作ったんだ!』
 
 でも瞳子にとっては−−宝物だった。お日様園の子供達−−特に彼が作って
くれたものを、嬉しくない筈がない。
 
『ありがとう、治君』
 
 少年は、治は皆のリーダーだった。皆より偶々一つ二つ年上だっただけなの
だが、彼は誰より大人として振る舞おうと頑張っていた。
 それは彼が災害で、幼い兄弟達を亡くしてそこにいたからもあるだろう。今
度こそみんなを、新しい家族を守るんだと彼は言っていた。
 
『私が瞳子姉さんより、年上だったら良かったのに』
 
 私、と。彼がまるで大人のような一人称を用いるようになったのも、皆より
強くあろうとさた結果なのだろう。
 
『そうしたら姉さんの事も、私が守ってみせるのに』
 
 自分はまだまだ弱い。皆を守るには足りない。彼は常にそう思っていたよう
だ。そんな事はない、貴方はちゃんと私達を護ってくれてるよ−−と。瞳子が
言っても、なかなか納得してはくれなかった。
 本当は、彼らよりずっと年上である自分が、彼らを護らなければならないの
に。守るつもりがずっと彼らに護られ、救われてきた自分達。そう、それは瞳
子に限らず父や研崎も皆そうだったのだろう。
 ある時、園に野犬が入り込んで騒ぎになった事があった。お日様園の裏手は
すぐ山だ。猪やら鹿やら猿やら、とにかく様々な動物がまだ野生として残って
いる。動物が迷いこむ事も稀にあったのだ。
 怯えて逃げ惑う子供達を、野犬は執拗に追い回した。もしかしたらただの野
犬ではなくて、人間に捨てられて野生化してしまったのかもしれない。片目と
片耳のない、傷だらけの犬だった。残った片目にあったのは飢えというより、
憎悪のように見えた。
 自分が子供達を護らなければ。そう思ったものの、瞳子の足も竦んでいた。
不運にもその日大人達の殆どが出払っており、瞳子と年老いた一部職員が留守
を任されていたのだ。彼らはすぐ戻ってくる筈だったが、それまでは自分達だ
けで持ちこたえなければならない。
 やがて子供達も疲れ果て。彼らを誘導していた瞳子の足も止まりかけ−−野
犬が牙を向いて飛びかかってきた時。瞳子を庇ったのが、まだ幼い治だった。
 野犬に押さえつけられ。肩を深く噛まれ、食いちぎられそうな酷い激痛の中
で−−それでも治は泣いて助けを求めたりはしなかった。ただ、泣きそうな顔
で言った。
 
『お前も、護ってくれるひとが、いないの?』
 
 家族を失い、あるいは家族に捨てられ。そんな集団だった、自分達。治は重
ねたのかもしれない。孤独に狂って暴れる犬と、自分達の境遇を。
 どうにかギリギリのところで助けられた時、泣いたのは彼ではなくて瞳子だ
った。彼が殺されてしまうかと思った時、その恐怖は計り知れないものだった。
泣きながら抱きしめられた治は一瞬きょとんとして、傷が痛む筈なのに笑って
みせたのである。
 
 
 
『貴女が無事で、良かった』
 
 
 
−−デザーム…いえ、治君。
 
 緩やかに追憶から帰ってくる。瞳子はベンチに座り、フィールドに立つ彼の
姿を見つめた。
 
−−私は貴方の為に、何がしてあげられる?
 
 自分は無力だった。魔女や魔術師の力んてない。何かを見る事も祓う事も出
来ない無力な大人だ。大阪でだってそう、苦しむ彼らに何一つしてやれず、運
命をただ傍観した。言いたい事も伝えたい事も、本当はたくさんあった筈なの
に。
 自分にも、力が欲しい。彼を、彼らを守る力。この手で未来を切り開く力が。
 
−−貴方は知らないでしょうけれど。あの日、私の中で変わった事があるの。
 
 治に護られたあの日。自分の中で彼の存在の意味が、重さが、大きく形を変
えた。
 ヒロトやリュウジは確かに可愛い。彼らは自分にとってかけがえのない弟
だ。けれど彼は、それとは何かが違う。十も年の離れた子供であるのに、彼に
沸くのは違った庇護欲だ。
 そう、瞳子は認めたのである。治は自分と対等以上の存在だと。だからこそ、
いつも強くあろうとする彼を護りたいのだと。
 
「今度はもう、見過ごさない」
 
 瞳子は、決意を口に出した。
 
「こんな悲しい檻から…私が貴方を救ってみせる」
 
 自分はフィールドに立って直接戦うことは出来ないけれど。戦いとは、ただ
ぶつかる事だけが全てじゃない。
 だから自分はこの試合で、この試合に続く特訓でも、自ら指揮を取り作戦を
立案したのだ。今度こそ終わらせる為に。大阪で彼らを救えなかった償いをす
る、その為に。
 
「みんな…勝ちなさい。勝って証明するのよ!人間の願う心は、魔女の力さえ
凌ぐという事を…!!
 
 ピィィ!と笛が鳴った。雷門のキックオフで試合開始だ。まずは照美がドリ
ブルで上がっていく。
 
−−やはり、グレイシアをゼルの代わりに当ててきたわね。
 
 イプシロンのフォーメーションは以下の通りだ。
 
 
FW    グレイシア
      メトロン
MFクリプト スオーム マキュア
DFタイタン ケイソン ファドラ
   ケンビル  モール
GK     デザーム
 
 
−−前と全く同じ陣型…やはり基本的なスタンスを変えるつもりはないのか。
 
 このフォーメーションには、中央突破重視で攻める彼らのスタイルが存分に
現れている。上から見下ろすと、船の錨のような配置に見えるだろう。
 フォワードを横ではなく縦に並べた分、やりこなすには技術がいる。その代
わり縦方向へ繰り返すパスは一般的でない事もあり、片方がブラインドとなっ
て敵を遮りながら進めばかなりの突破力を持つだろう。また中盤の守りが広く
深く非常に堅い為、多少攻め込まれても簡単には破られないという強みがあ
る。
 逆に難点を上げるならば、オフサイドトラップに引っ掛けられやすい事と、
サイドへの展開が減る為攻撃が単調になるという事か。また、真ん中ではなく
両脇から攻めてこられると痛い。そこをいかに仲間がフォローできるかが勝負
の分かれ目になってくる。
 
−−試合の状況や配置の偏りを、最も把握しやすいのがキーパー。大阪の試合、
そのキーパーであるデザームが一括して指示を出す事で見事連携していた。
 
 配置のフォロー、スペースの空き、相手の隙。それらを瞬時に見定めて指示
を出せるデザームと、彼に絶対的信頼を寄せるイプシロンのメンバー。その連
携力があるからこそ、難易度の高いフォーメーションも使いこなせていたとい
う事だろう。
 この試合。もしイプシロンメンバーが意志を奪われた傀儡と化しているな
ら、デザームの指示が無い分確実に連携に揺らぎが出る。どんなに基礎能力が
高くても隙が大きければ恐るるに足らない。それが自分達の勝機となる。
 だから問題は、イプシロンの記憶だけが書き換えられ、彼らの結束力と意志
がそのままであった場合だ。
 
「吹雪君!」
 
 グレイシアにルートを塞がれてすぐ、照美は吹雪にパス。すぐ様メトロンが
詰めてきたので、吹雪は宮坂へ。宮坂はすぐまた照美へ戻す。
 早いパスでさりげなくボールを下げ、相手を攪乱していく。
 
−−さあ、どう出る?
 
 様子を見ていたのだろう、グレイシアがばっと腕を横に振った。それを合図
に、イプシロンが一気に駆け上がってくる。
 
「っ…これは…!」
 
 瞳子は目を見開いた。イプシロンはなんと、最終防衛ラインの三人−−ケル
ビンとモール、キーパーのデザーム以外“全員”が、最前線まで走り込んでき
たのだ。総勢、八名。確かに前かがみで攻め込ませる作戦ではあったが、これ
は想定外である。
 
−−まさかこんな思い切った陣型を引いてくるなんて…!中盤に誰もいない
じゃないの!
 
 中盤をガラ空きにしてでも総攻撃を仕掛けてくるとは。序盤にやるような作
戦とは思えない。しかもこちらにとって想定外なのは、最終防衛ラインの二人
がゴール前に張り付いたままだという事だ。
 イプシロンを全体的に前に出させ、ロングシュートでひっくり返す。それは
ディフェンダー達を中盤近くまで上げさせる事で、シュートブロックを可能な
限り防ぐ狙いもある。
 ロングシュートを決める際気をつけなければならないのは、スタミナの消耗
と、飛距離の長さゆえシュートブロックされやすい事だ。長距離から打てば打
つほど、ディフェンダー達がブロック可能な範囲も広くなってしまう。ゆえに、
モールとケンビルをゴール前から引き接がしたかったのに−−。
 
「アフロディ君!吹雪君!」
 
 状況を見て、音村が素早く指示を出す。二人は中盤にボールを明け渡すと同
時に、素早くフィールドを駆け上がり始めた。イプシロンが総攻撃に出た事で
大きく空いた中央付近。この隙をつかない手はない。
 また、綱海のロングシュートが失敗した時、フォローに走る人間が必要だ。
「音無さん!」
「了解です!」
 ボールは春奈へ。ボールを奪うべくタックルしてきたタイタンをなんとかか
わし、彼女は必殺技の体制に入る。ゴール前に向けて音村も走り始めた。彼ら
が配置につくまでに時間を稼がなくてはならない。
 
「スーパースキャン…V2!」
 
 サイコメトリーをするかのように、春奈の観察眼が敵の動きを見抜く。彼女
の必殺技もまた進化している。タイタンの動きを読み切り、春奈は見事相手を
抜き去った。
 照美、吹雪、音村がゴール前に辿り着く。それを確認し、春奈が綱海にパス
を出した。相手のディフェンスをどうにかかいくぐり、綱海がボールを受ける。
そのまま囲まれる前にシュート体制へ。
 
−−これで決まれば話は作戦通りだけれど。
 
 そう上手くはいくまい。瞳子は表情を堅くする。
 
「ツナミブースト!」
 
 波が弾け、水飛沫が宙を切り裂く。水圧に押し上げられた正確無比の一撃が、
イプシロンのゴールに迫る。予定ならばこの時ゴール前はガラ空きの筈だっ
た。しかしイプシロンのモールとケンビルがいる。そう簡単にはゴールを割ら
せてはくれまい。
 
「ヘビーベイビー!」
 
 シュートブロック。ケンビルが腕を突き出し、重量を操作した。ずしり、と
その空間が重さを増し、地面がへこんでいく。ボールは重量に負け、勢いをな
くしていく。
 パワーダウンしたボールを、デザームはやすやすとキャッチしてみせた。そ
して−−赤い目を喜悦の形に歪め。
 
「フハハハハッ!どうした、この程度か」
 
 嗤った。
 
−−まさか、自分の意志が…!?
 
 動揺する瞳子をちらりと見て、デザームは言う。愉しくて仕方ない、そんな
口調で。
 
「我々に刃向かう愚かな人間ども…エイリアに楯突いた事、後悔させてやる!」
 
 ああ、と。絶望に呻いたのは自分か、それとも他の誰かだったか。
 デザームは戻ってしまっていた。エイリア皇帝に心酔し、自らを宇宙人と信
じ−−正しさを疑う事もしなかった、あの頃へと。
 
 
 
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我侭を、此の嘘を真実を。