暗闇の信号機も気味が悪いわ。
 あの子の眼を思い出してしまうのよ。
 傷つけるより傷つく方がマシだった。
 弱虫だけど、あの頃はそう信じてたの。
 
 
 
 
 
この背中に、
白い
無いとしても。
5-35:グナロク、コード。
 
 
 
 
 
 してやられた。ゴール前までわざわざ下げての超ロングシュート−−当然オフ
サイドが適用される筈もない。ガイアブレイクのみ注意を払っていたらこのザマ
だ。しかもキーパーのデザームが自分で打ってくるだなんて。
 
−−落ち着け。揺らいだら、止められるシュートも止められないぞ!
 
 円堂は片足を高く上げ、拳を強く引き、パワーを集約させる。今自分にできる
のは、このシュートに真正面からぶつかり合い、止める為に全力を尽くすこと。
自らの今までの努力と成果を、仲間達の信頼を、祖父が遺した必殺技を−−信じ
る事だけなのだ。
 
「じいちゃんの必殺技は、無敵だ!」
 
 負けない。負けるわけにはいかない。
 
「正義の…鉄拳ッ!」
 
 拳を叩きつけた瞬間、伝わってくるシュートの重み。腕がビリビリと痺れる。
押された足がじりじり後退する。打ちつけた指が、手が、火傷したかのように熱
い。
 なんてシュートだ。あんな遠距離から打って、シュートブロックまで受けてこ
の威力なのか。円堂は純粋に感嘆し、試合中でありながらも賞賛したい気持ちに
なった。シュートにはデザームの血の滲む努力の日々と、デザームに託したイプ
シロンの者達の想いの全てがあった。
 こんなシュートが打てる。打てるならば絶対。
 彼は。彼らは。
 
「おおおっ!!
 
 がつん、と手応え。気合い一発、円堂はグングニルを弾いていた。いや、弾い
たというのも語弊があるだろう。やっとの思いでコースを逸らしたのだ。円堂は
ひっくり返ったが、ボールは逸れてゴールポストに当たった。
 しかし安心するのは早かったのである。そこに走り込んできた人影があったの
だ。そう、塔子がマークを外してしまったマキュアである。否、マキュアだけで
はない。メトロンとグレイシアも、いつの間にかフリーになってしまっていた。
さっきまであれほど皆警戒していた筈なのに。
 ああそうか。そういう事だったのか。円堂の脳は土壇場で冴え渡り、この状況
を理解していた。つまり全ては図られた事−−彼らの二段構えの策だったのであ
る。
 ガイアブレイクを警戒して、マキュア、メトロン、グレイシアばかりを張って
いた自分達。そこにデザームの凄まじいロングシュートだ。不意を打たれた自分
達は冷静な判断力を失い、何よりまずシュートを止める事を優先した。それはあ
るところまでは正しい。でも。
 シュートブロックを図ろうとし、ロングシュートに気を取られた結果、肝心の
マキュア達のマークが甘くなってしまったのである。デザームのシュートが止め
られたとしても、雷門守備陣は大きく疲弊し体制を崩すだろう−−今の円堂のよ
うに。
 直後に来る第二撃に、備えられる筈もない。
 
「ガイアブレイク・改ィ!!
 
 マキュア、メトロン、グレイシア。至近距離から、三人の連携技が放たれる。
円堂は構える暇さえ与えられなかった。ボールは円堂の頭の横を、摩擦熱の火の
粉を散らせながら通過して−−ゴールネットに、突き刺さった。
 
「くそっ…やられた!」
 
 宮坂が悔しげに声を上げる。その姿が、なんだか遠く見えた。円堂はぼんやり
と尻餅をついた姿勢のまま、自らの掌を見つめる。
 まだ手に残っている。グングニルを受け止めた時の衝撃と、その痺れが。
 
「やっぱり…そうだ」
 
 じんじんする手足になんとか力を込めて立ち上がる円堂。尻や膝についた砂、
芝を払い落としながら。
 
「俺…本当はすごくショックだったんだ。お前らが死んだかもって聞かされた時
も…魔女の駒として立ちふさがった時も。俺達との試合の記憶が、歪んでしまっ
てるって知った時も」
 
 確かにあった筈の時間を。通い合わせた筈の心を。全てが魔女に奪い去られ、
無かった事にされてしまったのかと思った。彼らの誇りも自分達の願いも、けし
て誰かに略奪されていいものでは無かったのに。
 
「でも今…デザーム。お前のシュートが言葉より雄弁に語ってくれた。どんなに
記憶を書き換えられても、お前達の魂は誰にも汚せはしない。根本的なものは何
も変わらないんだって」
 
 ゴールネットに絡まったボールを救出し、円堂は掲げて笑った。泥で薄汚れた
白と黒が、青空に映えて眩しかった。
 
「だってさ!サッカーが本気で好きな奴じゃなきゃ…こんな凄いシュート、打て
ないもんな!!
 
 一番近くにいたマキュアが訝しげな顔をした。何を言ってるんだ、意味が分か
らない−−そんな顔だ。
「戯言を。…マキ達にとってサッカーは戦う手段にすぎない。好きとか嫌いとか、
そんな考える余地ないんだけど」
「余地って何だ余地って。陛下に与えられたものだから、好みを考える権利なん
かない…とか?」
「分かってんじゃん。その通りよ」
 そういう感覚なのか。円堂にはほど遠いものだ。自分はいつでも自分の好き嫌
いだけで道を選んでこれた。そりゃあ大人の庇護下にある以上、ある程度親の期
待やプレッシャーを受ける事にはなるわけだけど。
 何かをする、ではなく。何かを思う、事に制約がかかった事など−−ただの一
度も、ない。
 
「何かを願い、想うのは。人が必ず持つ権利だよ。だから考える余地がないなん
て、そんなのおかしいだろ」
 
 行動を起こす時、人は理性やら常識やら善意やら憎悪やら−−様々なモノに縛
られる。身体的に、精神的に、常になんらかの拘束は受けているといっていい。
 だが心は、違う。違わなければならない。
 
「心は、自由だ。どんな世界の、どんな環境にいる人だってそれは同じ。誰にも
縛る権利なんてない」
 
 アルルネシアは確かに彼らを縛ったが、それは記憶であって心ではない。無論
記憶を身勝手な悪意で書き換えるなど言語道断だが、本当の意味で彼らの心を縛
っているのは彼ら自身だ。
 思えばエイリアは皆そうだったのかもしれない。仕えるべき人。敬うべき人。
その人の幸せだけ願うあまりに自分の幸せを諦め、殺してきたのかもしれない。
本当はそれが苦しくて、誰かに助けてと言いたくて言えなくて−−ヒロトはまさ
しくそうだった。
 
「誰かを大切に想う気持ちは貴い事だけど。その人の為に自分の心まで殺さなき
ゃいけないなんて、やっぱりおかしいよ。本当の意味で自分の心を縛ってるのは、
お前達自身じゃないか」
 
 それは普通に生きて、幸せを享受してきたからこその考えかもしれないけれど。
 
「言葉に出来なくても、シュートが何より語ってくれる。本当はサッカー大好き
で、もっと楽しいサッカーがやりたいんだって!」
 
 円堂は真正面からマキュアを、その向こうにいるイプシロンメンバーを見据え
て、言った。
 
「思い出してくれ!大阪の試合…何もかも望んだ形じゃなかったかもしれないけ
ど。俺達は出来てた筈だ。本気の、本当のサッカーが!!
 
 忘れてはいけない。
 あの時思い出せた事を。
 あの時叫んだ事を、涙を。
 
「…わけ、分かんない。あの時は卑怯な手、使ったくせに…今更何言ってんの」
 
 マキュアの眼にあったのは困惑と苛立ち、そして動揺。
 
「その子達に何を言ってもムダよぉ?いくら魔術師であるアナタの力ある言葉で
も、けして届く事はないわ」
 
 ベンチでふんぞり返り、扇子で顔を扇いでいたアルルネシアが言う。奴でも暑
いのだろうか。ならそんな暑苦しいドレスなんか着て来なければいいのにと思う。
「イプシロンにはあたしの魔法がかかってる。貴方の魔法は全部打ち消されるわ。
記憶に勝る鍵なんてないのよ」
「記憶が変わっても心は変わらない。なら響く言葉だって必ずある」
「ふふ、お好きにどうぞ。いつまでも足掻いてもがいて、傷だらけになればいい
わ。その方が楽しいもの」
 相変わらず嫌な女だ。円堂はすぐアルルネシアから眼を逸らした。こいつと話
していると、毒を押し込まれたように胃がむかむかする。そこに潜む悪意を、否
が応にも感じとってしまう。
 世の中には醜悪な美もある−−アルルネシアに出逢わなければそんな矛盾した
表現など、一生使うことも無かっただろう。出逢いたくも無かったというのが本
音だが。
 
−−この試合は、雷門対イプシロンの戦いじゃない。
 
 魔女は勘違いしているようだが、それをいちいち訂正してやるつもりもない。
いずれ奴も思い知るのだから。
 
−−雷門とイプシロン…サッカーを愛する俺達と、お前との戦いだ、アルルネシ
ア。
 
 試合が再開される。やっと点を入れられたこれで振り出しに戻ってしまった。
1対1。悔しいが仕方ない。今のは誰のミスでもなくイプシロンの作戦が凄かっ
たのだ。素直に賞賛すべきだろう。
 点を入れられた為、次は雷門ボールからスタートできる。このアドバンテージ
をいかに有効活用するかが鍵だ。流れを引き戻し、追加点を入れる。このまま逆
転されるとメンバーの精神的な意味でも面倒だ。
 
−−デザームのシュートは強力だ。けど隙がないわけじゃない。
 
 今の攻防で分かったことがある。デザームの“グングニル”−−恐らくこれが
本当のイプシロン最強シュートなのだろう。真正面からやり合ったら勝ち目はな
い。しかし、デザームは本来GKなわけで。打てたところで基本的には超遠距離
からということになる。
 この距離があれば。シュートブロッカー一人と正義の鉄拳で、コースをずらす
くらいなら出来る。ガッチリキャッチ出来ないのでそこで零れたボールをとられ
るとキツいが、皆のカバーがあればなんとかなるだろう。
 もう同じ手は二度食わない。自分達が気を逸らさなければ、ガイアブレイクと
両方防ぐことも可能な筈だ。この失点はけして無駄には、ならない。
 
−−ただ、今みたいなことが出来る作戦立案力と連携力が驚異。なら尚更、こっ
ちが先に向こうから冷静な判断力を奪うくらいじゃないと勝ち目がないぞ。
 
 再開のホイッスル。ボールは照美から吹雪へ。大阪で吹雪はデザームとの直接
対決で点をもぎとっている。ただし、彼が破ったのはワームホールまでだ。デザ
ームのドリルスマッシャーはまだ誰も破れていない。
 サジタリウスをもう一発打てれば勝算はあるが、これは聖也からストップがか
かるだろう。照美のゴッドノウズと吹雪のエターナルブリザードがどこまで進化
しているかにかかっている。二人をフルに使えるのは前半いっぱいまで。まだス
タミナに余裕がある今のうちに、最低一発ずつはシュートを打たせておきたい。
 
「オーロラドリブル…!」
 
 吹雪が必殺技を放ち、メトロンを抜き去っていた。麗しい、極北のカーテン。
見惚れた者は寒さに凍えて膝を突く。この暑さでも、そのブリザードっぷりは健
在だ。
 だがそれを見越していたかのように、メトロンの後ろから飛び出してくるケイ
ソン。鋭いスライディングが吹雪の足元を抉る。
 
「うわっ!」
 
 またボールが奪われてしまった。一進一退の攻防が続く。
 
「みんな、頑張れー!」
 
 円堂は叫んだ。試合が白熱すればするほど、使命感もまた燃えていく。
 絶対に、勝つ。
 自分達になら出来る筈だ。確かにあの時、イプシロンとは分かり合えていた筈
なのだから。
 
 
 
NEXT
 

 

夜は自己嫌悪で忙しいのです。