光は絶えて悪夢が過ぎる。
 動き出す僕を哂う悪い子は誰?
 今は未だ闇の彼方は見えないの。
 最善の静寂、今誘ってあげようか。
 
 
 
 
 
この背中に、
白い
無いとしても。
5-36:迷の、雪嵐。
 
 
 
 
 
 頭の中でアツヤが嗤う。初め、吹雪士郎にとってその声は安らぎだった。偽の
弟だっていい。彼の声がすれば安堵できた。自分はまだ独りではない。一人だと
しても、独りにはならないのだと。
 ある時からその声は恐怖に代わった。自分ではない自分。皆に必要とされる、
自分より強い人格。彼がいることで、自分という存在が、吹雪士郎がかき消され
てしまう気がした。嫉妬したと言ってもいい。おかしなことかもしれないが、確
かに自分は自分を妬み、羨んだのだ。
 そして今。アツヤは自分にとってなくてはならない存在となっている。一種諦
めの境地なのかもしれない。彼がいれば皆が自分を必要としてくれる。愛してく
れる。ならばそれでいいじゃないか。彼に全て預けてしまえばいい。それが自分
の為で、世界の為であるならば。
 
『…士郎』
 
 いつの間にかアツヤが笑うのをやめていた。
 
『お前は本当にそれでいいのか』
 
 それでいいって、どういうこと?
 吹雪は実際に口にはしなかったが、心の中にいるアツヤには全て筒抜けだ。
 
『俺はお前。お前は俺だ。じゃあなんで俺がいるんだと思う?』
 
 何でアツヤがいるのか。それは−−吹雪自身、考えてこなかったことだ。強い
て言うなら、自分が弱かったせい。弱い自分は独りで生きていくのに耐えきれな
かったから、大好きな弟の幻影を作ったのだ。
 もうとうに、この世界にいない子を。
 
『分かってんじゃねぇか。そうだ。お前が弱いから俺がいるんだ』
 
 ズキリ、と。氷の氷柱を胸に突き立てられたような錯覚を覚えた。アツヤは弁
明も謝罪もしない。ただ淡々と、吹雪の傷を抉るように言う。
『でもな。…弱いことは、罪か?』
「え?」
『弱くない人間なんて、本当にいんのかよ。…俺が分かってんだから、お前って
本当は分かってる筈だぜ。なんてったって、お前は俺なんだからな』
 分からないよ、と。小さく呟いた。アツヤは吹雪かもしれないが、吹雪がアツ
ヤである筈はない。本当に、彼が自分の心から生まれたのが今でも不思議なほど
だ。自分にはアツヤのような強さなどひとかけらもない。それに自分には、アツ
ヤの考えが殆ど見えないのだ。
 ゼロ距離で触れている筈なのに、何故心はこんなに遠いのだろう?
 
『忘れんな。…世界はいつだってお前の為にある』
 
“生きて生きていいの
 ただ純粋に生きればそれでいい”
 
『そして俺は、弱いお前を護る為に此処にいる』
 
“ちっぽけな君だとしても
 この世界は君の為に在るのだから”
 
『アフロディも染岡も、きっと同じことを言うぜ』
 
 アツヤの言葉に重なった、いつかのメロディー。照美が歌っていた、やさしい
歌。想いを紡ぐ歌。
 アツヤは自分の為にいる?本当に?
 なら−−もう、いいよね。
 
「…じゃあ、アツヤ。代わって」
 
 自分の代わりに、フィールドに出て。
 
「僕は愛されたいんだ。君が出れば確実でしょう?必要としてくれる筈だから…
みんな。みんな」
 
 もう−−疲れてしまった。
 何かを得るのも、失うのも。
 
『………分かった』
 
 アツヤは長い沈黙の後、一歩光に進み出た。代わりに吹雪は闇の中に足を浸す。
それが、合図。自分達の天地はひっくり返る。吹雪が見ている“外”の景色は、
まるでモニター画面のように狭くなる。アツヤとの人格交代だ。
 “画面”の中の試合。吹雪の持っていたボールは奪われて、ケイソンがドリブ
ルさせている。そこに立ちふさがるのが聖也だ。この暑さの中まったく息が乱れ
ていない。ステータスを数字にしたら、きっと聖也は数値をスタミナとキックに
極振りされているキャラになるだろう(スピードとガードも、まぁ悪くはあるま
い)。テクニックに大きく難はあるが、スタミナ切れがまったく心配されていな
い人物には違いない。
 そしてシュートやパスはともかく、ディフェンスにならば信頼が置けるという
ことも。
 
「アポカリプス・V2!」
 
 聖也の身体が浮き上がり、地面に魔法陣が出現する。魔法陣ら天へと昇る赤い
光は、見た目以上に威力がある。進化した技ならば尚更だ。ケイソンは吹っ飛ば
され、零れたボールは聖也に渡った。
 
「吹雪!」
 
 パスが来る。吹雪−−否、アツヤが喜々とした声を上げた。
 
「よっしゃ、任せとけ!」
 
 豹変した義理の息子に、聖也はもはや驚きもしない。長い付き合いだ。きっと
パスをする前から、自分達の人格交代に気付いていたことだろう。
 
 
 
「…俺の願いは、一つだけだ」
 
 
 
 聖也の横を走り抜ける瞬間。彼はぽつり、と呟いた。アツヤと吹雪にしか聞こ
えない声で。
 
 
 
「お前はお前が…一番望むサッカーをやれ。幸せになる為に」
 
 
 
 自分の望むサッカー?
 何を言う。そんなの決まっている。
 
『僕が望むのは、誰かに必要とされるサッカーだよ。そして大切な誰かを守れる、
力を持ったサッカー。そうじゃなきゃ意味なんてないもの』
 
 外に聞こえない精神世界で、吹雪は一人うずくまる。
 円堂も照美も染岡も。みんな言ってくれるのだ−−吹雪が必要だ、と。でも、
チーム事情を考えればやっぱり一番欲しいのは強力な得点力である筈で。何より
そう言ってくれる彼らまで失うようなことになったら、自分はもう耐えられない。
 アツヤや風丸や鬼道や。彼らの代わりに生き延びてしまっている自分が。生き
ていていい免罪符があるとしたら、それはやはり“誰にも負けないサッカー”で
しかないのだ。
 彼らの死を無駄にさない為にも。もっともっと強くなって−−アツヤになって
皆を護らなければ。それだけが唯一無二の存在価値である筈だから。
 
「それが士郎の望みなら…俺はもう、誰にも負けねぇ。みんなが本当に必要にし
てるのがアツヤとしての俺の力なら…俺はどこまでも強くなってやる!」
 
 アツヤは全力で駆け出した。吹雪はそれを見ていた。
 これでいい。これで正しい筈なのに。
 擦れ違った時に見た聖也の悲しそうな顔が、忘れられないのは何故だろう。
 
 
 
 
 
 
 
 まだ吹雪の夜は明けないのか。それともこれが、彼にとっての本当の幸せだと
でも言うのか。
 イプシロンゴールへ向かって駆け上がる吹雪の背中を、じっと見つめる円堂。
 
−−吹雪。お前の本当の苦しみや痛みが理解出来るなんて、俺達には言えない。
仲間だけど、俺達はお前にはなれないからだ。
 
 本当の壁は吹雪自身の力で超えていかなければならない。その為に出来うる限
りの手助けをしたいけれど、未熟な自分達はまだその方法を見つけられずにいる。
 今まで何人もが言葉で彼に訴え、語りかけた。亡き鬼道も、風丸も、染岡も、
照美も、そして円堂自身も。しかし今の現状を見る限り、やはりあと一歩で何か
が足りていないのだ。
 何かがすれ違って、歯車を狂わしている。そんな表現も出来るかもしれない。
 
−−お前が二つの人格と過去のトラウマで悩んでいることは、もうチームの殆ど
が知ってる。俺達みんな、お前を救い出したくて手を差しのべてるんだ。
 
 吹雪がアツヤと人格交代したのはすぐ分かった。アツヤの存在を否定するつも
りはさらさらない。しかしアツヤに任せることで、彼が自らの答えを先送りし、
諦めているようにも感じるのである。
 どんなにこちらが手を差し出しても。吹雪の方から掴んでくれなければ、引っ
張り上げることは出来ないのだ。
 
「最後の答えは、お前自身で決めるしかない。なぁ…お前は今本当に、サッカー
を楽しめてるのか?」
 
 景色の向こう。アツヤとなった吹雪がシュート体制に入るのが見えた。身も凍
り付くような鋭い冷気がボールに集まっていく。ボールがゴムの球体から、氷の
塊に変わっていく。
 デザームが楽しげに嗤うのが見えた。
 
「お前との対決…楽しみにしていたぞ。この私から唯一点をもぎ取った男だ」
 
 力と力のぶつかり合いを求め、強者を歓迎する姿は。円堂が最後に大阪で見た
彼の姿となんら変わらないように思えた。それが切なくてたまらなかった。
 
「あれからどれだけ成長したか見せて貰おう…!」
 
 デザームも迎撃体制を整える。その瞬間。
 
「エターナルブリザードぉぉっ!」
 
 吹雪が吠えていた。唸りを上げて、凍てついた一撃がゴールへ迫る。触れただ
けで魂まで凍えてしまいそうな冷気。しかし、デザームが怯むことはなかった。
そればかりか、ますます笑みを深くした。その手が高く掲げられ、オーラが集約
される。
 
「ドリルスマッシャー!」
 
 オーラが巨大なドリルとして具現化され、その手に装備される。それはさなが
ら刃というより巨大な盾であるかのよう。実際、その役割は防御に徹している。
ドリルの先端にシュートを合わせるのは高い技術と洞察力が要求されるが、その
分弾き返す力は強大なものとなる。
 氷塊とドリルが激突する寸前。円堂は思った。
 
−−ダメだ。
 
 初めてだったかもしれない。シュートがぶつかるより前に、そんなことを思っ
たのは。
 
−−この勝負…負ける。
 
 やるより前にそんなことを思うなんて、キャプテン失格だ。吹雪にも失礼では
ないか。いつもならどんな必殺技相手でも“やってみなきゃ分からない”と言え
るのに。
 円堂には、分かってしまったのだ。今の勝負は、やる前に決着が見えてしまっ
ていたと。この距離で気がついてしまった。吹雪のシュートが、ひどく揺らいで
いる事に。
 そして遠くにいる円堂でさえ気づけた事に、実際対決したデザームが気付けな
い筈もない。
 
「む…?」
 
 ドリルでシュートを受け止めた瞬間、楽しげだったデザームの顔から笑みが消
えた。思った通り、氷の塊はドリルの先で暫く回転しとどまった後、あっさりと
フィールドに弾き返される。
 
「くっ…!」
 
 吹雪の顔が悔しげに歪むのと。照美が飛び出してボールを拾うのは同時だった。
まるで図っていたようなタイミング。否−−彼にも分かっていたのだろう。吹雪
のシュートがデザームに負けてしまう事が。その後ろから聖也も走ってきたあた
り彼にもバレている(そもそも吹雪の保護者は彼なのだからバレない筈もないの
だが)。
「聖也!もう一発サジタリウス行くよ!」
「おい!話違うだろうが!!
「実際計算上はもう一発くらい平気だった筈でしょう?まだまだ大丈夫っ!今打
たないで何時打つのさ!?
「……っ!」
 照美の言葉に聖也は苦い顔をして−−シュートの構えをとった。本当なら二発
目は打ちたくなかったに違いない。しかし吹雪の調子は相変わらず酷いとなれば、
多少の無理は致し方ないとみたのだろう。元より保険はかけていたようだし。
 点を入れられてしまった以上、少なくとももう一点は誰かが決めなければなら
ない。
 
「聖也…アフロディ!!てめぇらっ」
 
 吹雪が低く唸った。しかし、二人が振り向く事は無かった。そのままサジタリ
ウスのパワーチャージに入る。
 振り向かなかったのではなく、振り向けなかったのかもしれなかった。吹雪に
対し、どんな言葉をかけるべきか、彼らも分からなかっただろうから。
 
 
 
NEXT
 

 

咲いてる華よ、謳え。