手は額に、想いは胸に。 誇りを心臓に掲げよ。 歓喜に満ちた叫びが聴こえるか。 愛とは何ぞやと今問いながら。 この背中に、白い翼は 無いとしても。 5-39:言葉の鎖、鎖の言葉。 イプシロンのメンバーに動揺が広がっている。音村を抑えれば神の指揮<タク ト>は機能しない筈なのに−−実際は先程までとなんら状況が変わらないのだか ら。塔子は一人ほくそ笑む。何故彼らが必殺タクティクスを破れないのか?簡単 だ。彼らが音村を封じきれていないからだ。雷門と大海原の試合。雷門は音村を抑えて試合に勝った−−今のイプシロンと ほぼ同じ戦法で。ならば音村が同じ撤を踏む筈がない。−−いくら音村の姿を隠しても。死角ってのはあるんだよな。音村の視界を塞ぐ事に意味はない。彼がフィールドを見ているのは“肉眼”で はないからだ。しかし音村を見る雷門側はそうもいかない。音村のサインが見え なければ彼からの指示を受け取れないからだ。だが。その実音村の姿を完全に隠す事は極めて困難。イプシロンは音村に二人 しかマークをつけていないのだから尚更だ。よって彼らは、音村が指示を出した い方向−−つまりボール保持者と音村の間に立ち、遮る事で指示が通るのを防ご うとした。しかし。この状況を予測していた音村は試合前にある指示を皆に通達している。 即ち“自分の代わりにサインを”行え、と。音村の前方を塞げば、必然的に背中 側はガラ空きになる。前を塞がれた音村は、後ろ手でサインを出した。そして音村の背中側にいた味 方選手が、代理で他選手にサインを出すのである。さっきのケースでは、音村の 後ろにいたのは春奈だった。彼女が音村のサインを見て、自分や木暮に指示を出 してくれたのである。−−イプシロンがあたし達がやったみたいに、四人で音村を囲みにきたらキツか ったけどな。イプシロンが博打に出なかったのが幸いだった。特には安全策が身を滅ぼす事 になる。今回はその実例という訳だ。聖也がドリブルで上がる。メトロンが向かう寸前、彼は照美にパスを出してい た。既に疲労困憊だろうに、照美はスピードを上げてゴールに駆けていく。「ふざけてんじゃねぇぞ!」ファドラがボールを奪いに来た。照美は怒りに満ちたその顔を悲しげに一瞥し、 歩みを止める。「ふざけてなんかない。私達はいつだって真剣だよ」パチン、と指を鳴らし。時を止めるセカイ。風など吹く筈もないのに、彼の身 体から吹き出すオーラに金の髪が揺れる。「誇りと理由なき戦いはただの暴力。そして誇りを持たない者に、勝利の女神が 微笑む筈がない」時間を操る必殺技。時が静止した空間を、照美は悠々と歩いてゆく。ファドラ を抜き去り、しばらく歩を進めたところで、再び鳴らされる指。「ヘブンズタイム」突風が吹き荒れ、ファドラの身体が吹っ飛ばされる。流石、Aランク技は伊達 じゃない。あれが破れる人間なんているのかな、あたしはまだ無理だな、とやや 悩んでしまう塔子である。もうゴールは目前。そこで照美が、聖也、と名前を呼んだ。だが返ってきたの は激しい怒声だ。聖也は眉を跳ね上げて叫んだ。「いい加減にしやがれ!三発目のサジタリウスなんかマジで洒落になんねぇだろ が!」「でも!ここで勝ち越さないと…!」「あの技は未完成だって言ってんだろ!俺は勝利よりてめぇの命のが大事だ!!」 聖也が本気でキレかけている。百戦錬磨の塔子でさえ息をのむほどに。確かに、 これ以上打ったら照美の体がどうなるか分かったもんではない。 説得しても無駄。悟った照美は唇を噛み締め、一人でシュート体制に入った。「ゴッドノウズ!」かつてフットボールフロンティアで雷門を苦しめた最強シュート。本来ならサ ジタリウスでなくとも、充分にイプシロンのゴールを割る威力があった筈だ。しかし。デザームは仁王立ちのまま、動く気配がない。まるで止める必要など ないと言わんばかりに。「残念だが」 ガンッと。叩きつけるような音。「どんな強烈なシュートも、ゴールに入らなければ意味が無いな」余裕に満ちたデザームの声と共に。ボールはフィールドに零れ落ちていた。照 美のゴッドノウズはゴールポストを直撃してしまったのである。「ぐっ…」照美が膝をついた。激しい疲労のせいで、コントロールが乱れたのである。サ ジタリウス二本にヘブンズタイム、ゴッドノウズ。神のアクアの後遺症とこの沖 縄の猛暑。限界なのだ−−彼の身体は、もう。零れたボールは、吹雪が拾っていた。試合開始からずっとアツヤのままだ。士 郎に戻る気配がない。−−やっぱりお前は…FWのアツヤじゃなきゃみんなの役に立てないって、そう思ってんのか…?そんな事ないよ、と言いたい。しかしそれは既に何人もが吹雪に伝えた事だ。 塔子の言葉が届くとは思えなかった。−−どうして近くにいるのに…心は遠くなっちゃうんだろう。アツヤは、まるで親の敵でも見るかのような目でデザームを睨み。吠えた。こ れ以外に自分を示すものなどないと、そう言うかのように。「エターナル…」 全てには必ず限りがあるのに。「ブリザードぉぉぉっ!!」 吹雪は繰り返す。 永久の雪嵐を。永遠の吹雪を。 砕けそうな魂で叫びながら。「フンッ…」デザームはつまらなそうに鼻を鳴らした。そのまま、両手を構える。その体勢 を見て塔子は目を見開いた。あれはドリルスマッシャーの構えではない−−ワー ムホールの予備動作だ。一体何故。ワームホールでは吹雪のエターナルブリザードに勝てなかった筈な のに。「ワームホール」何て事。エターナルブリザードは容易くワームホールに飲み込まれ、デザーム の足下に落下した。端から見てもデザームの手に力は入ってない−−力む必要さ えなかったという事だ。エターナルブリザードの威力が落ちている?何故。どうして。一番混乱してい るのは吹雪自身だろう。彼は動揺を隠しきれない様子で、声を張り上げた。「つ…次だ!次は必ず決めてやるッ!!」 そんな吹雪を、何か言いたげに見る聖也。もしや彼はこうなる事が分かってい たのだろうか。デザームはそんな吹雪を−−明らかに不機嫌な目で見て。無言でフィールドに 投げ入れた。彼の強肩なら、もっと遠くに投げれただろうに、ボールはすぐ側の 人物に渡った。それも味方ではない。わざわざ直接吹雪に渡してきたのだ。シュートして来い と言わんばかりに。「打ってみろ。これがラストチャンスだ」 抑揚のない声で言うデザーム。「何度やっても同じだろうがな」その言葉で、吹雪の顔が怒りに染まっていく。激怒といってもいい。いつも荒々 しいプレーをするアツヤだが、ここまでの、憎悪に近いほどの顔をする事が、未 だかつてあっただろうか。「何度やっても同じだぁ?傲ってんじゃねぇぞっ!!」 言っている間に、吹雪はもうシュートのモーションに入っている。氷塊と化し ていくボール。凍えるような冷気が沖縄の暑ささえ冷まし、吹き荒れる風に地面 さえ霜が張る。 気合いなら充分な筈だ。なのに。 ばしり。重く打ちつけるような、キャッチの音。砕けた氷の欠片が、ダイヤモンドダス トのごとくゴール前を舞う。デザームは。なんと片手で、軽々とシュートを止めてみせたのだ。当然、必殺 技は使っていない。「そん、な…」ショックから膝をつく吹雪。ただ止められただけではない。渾身の必殺技を、 ただのキャッチで止められたのだ。彼も理解せざるをえないだろう。自分がどれだけ不調なのかという事を。座り 込んだその姿が、塔子には嫌に小さく見えた。「強くなったかもしれない。そう思っていたのに、何故前よりパワーが落ちてい る?期待していたのにこの程度とは…ガッカリだな」デザームは。明らかに弱者を、敗者を見る眼で吹雪を見た。興味がなくなった、 と呟き。そして。「お前はもう、必要ない」デザームが知る筈はない。必要ない−−その言葉が吹雪にとってどれほどのN Gワードという事を。「必要、ない…?」吹雪の大きな眼が、さらに大きく見開かれる。チームに必要とされない。誰に も必要とされなければ生きている意味がない。そう考える彼にとっては、致命傷 となる一打だった筈だ。 それが身内の言葉ではなく。対戦相手からのものだっとしても。「違う、吹雪!そういう意味じゃない!」慌てて聖也が叫ぶが、もう吹雪には聴こえていない。デザームの言う“必要” は、吹雪の求める必要とは大きく意味が違う。洗脳された事でデザームはより闘 争心と攻撃性を増した性格になっている。自分が本気を出すに見合わない−−不 調な吹雪では意味がない。そういった意図であった筈だ。だが今の吹雪は。その言葉をそのままの意にしか受け取れない。対戦相手であ るデザームに、仲間として“必要”とされていた筈もないのに、そんな当たり前 の事さえ思い至れない。「士郎としても必要ない…アツヤとしても必要ない…?」 ぶつぶつと呟く吹雪の眼は、もはや正気ではない。「落ち着け!お前は必要ない人間なんかじゃないっ!!」 塔子も叫ぶ。しかし虚ろな吹雪が見ているのは、もうこの現実では無かった。 遠く置き去りにされた過去と喪った未来。その狭間の壊れた世界を、濁った眼で 見つめるばかりで。ぐしゃり。吹雪の両手が、自らの髪を掻き毟った。右目は橙。左目は青。今の 彼は士郎なのかアツヤなのか−−そのどちらでもないモノなのか。外の自分達で はもう、彼の心が見えない。「じゃあ俺は…僕は…」 空気が歪む、音。「何なんだぁああぁあぁぁぁッ!!」 喉を爪で引き裂いたような絶叫。かくん、と。糸の切れたマリオネットのよう に、吹雪の身体が崩れ落ちた。塔子は慌てて駆け寄る。吹雪の眼はぽっかりと開いたまま、濁っていた。風丸が死んだ時を思い出し、 鳥肌が立つ。吹雪はまだ生きている。でも。 たった今。彼の中で何かが、死んだ。「喜劇をありがとうね。随分楽しめたわよぉ?」ぎっ、と声の方を睨みつける。アルルネシアがニヤニヤと笑いながら手を叩い ていた。おざなりな拍手さえ吐き気がする。 人の不幸を、何故そのように愉しめるのだ。「でもね、貴方達の本当の地獄はこれからよ?」「…どういう意味だ」「さぁ、どういう意味かしらね?」少なくとも“神の指揮<タクト>”はもう通用しないわ、と。アルルネシアは 続けた。「だって【いくらゴールまでボールを運べても、点を入れられるストライカーがいなきゃ意味がないんだもの】。そうでしょ?」 ご丁寧に、赤き真実でのたまってくれた。力ある魔女の、言葉の赤い矢がフィ ールドに降り注ぐ。事実だった。そして。「【これで吹雪ちゃんは戦えなくなった。照美ちゃんは満身創痍でシュートの成功率は極めて低い】。さぁ、どうするのかしら?」 ギリ、と唇を噛みしめる。さっきまでの優位から一転、雷門は再び追い詰めら れていた。 本当の地獄は、これから。どういう意味なのか。魔女の言葉が、誰もの胸に陰を落とした。 NEXT |
冥府へ、放て。