幸福を義務化致しましょう。
 安心を責任か致しましょう。
 水辺の公園で耳を塞いでいた。
 聞くのが怖いと、怯えていた日。
 
 
 
 
 
この背中に、
白い
無いとしても。
5-40:滅の魔女、降臨。
 
 
 
 
 
 前半も残り僅か。まったく反応を示さなくなってしまった吹雪をベンチに下げ、
試合が再開される。本来なら照美も下げたかったところだが、彼は“前半終了ま
では”と言って聞かなかった。
 吹雪の代わりにレーゼがFWへ。もし照美が下がれば彼の代わりにフィールドに
出るのはリカになる。しかし、リカの力はまだ発展途上。鉄壁を誇るデザームを
相手に、得点出来る可能性は低い。下がる前に勝ち越し点を。照美がそう考える
のも分からないでは、ない。
 
「どいつもこいつも…無茶しやがって」
 
 塔子は苦い想いを言葉と共に吐き出した。もう少し早く音を上げてくれたら、
ここまでボロボロにならずに済むのに。彼ら自身それが分かってない筈もないの
に。
 ただ一生懸命で、一途すぎて。最後のラインで踏みとどまれない。傷ついた姿
を見て、また傷つく人間もいるというのに。
 
「お前の言えたクチじゃないだろ、塔子」
 
 綱海が溜め息混じりに言った。
「無茶無謀はお前の専売特許だって聴いたけどな?」
「あたしの、っていうか雷門の専売特許」
「うわどんな集団だよソレ。偶には俺らにも無茶させてくれよ」
「綱海が正式メンバーとしてイナズマキャラバンに乗ってくれるなら考えてもい
いぜ?」
 きっとそうはならないだろうな、と思いながら塔子は言う。綱海がこの沖縄の
地を、海を、心から愛しているのは容易く見てとれる。雷門として彼のロングシ
ューターとしての才能は惜しいが、無理強いする事は出来ない。この試合に参加
して貰えただけで、有り難いと思わなければ。
 しかしそんな塔子の思いに反し、綱海はやや考えこむ仕草をした。
「それ、若干真面目に検討中」
「え?」
 そのままひらひらと手を降って、綱海は歩いていってしまう。またはぐらかす
のかよ、と思いつつ。ちらりと聞こえた、言葉が一つ。
 
「無理、すんなよ」
 
 ありきたりな言葉だったが。どこか、心の泉に滴を落とした。無理なんかして
いない。吹雪や照美に比べたら、自分はまだまだ余裕がある。
 だから何か無理だなんて、言わない。言えない。言葉は鎖。鎖は言葉。口にす
る事で意味を持ち、時に現実さえ招き寄せてしまうから。
 
「はっ!」
 
 イプシロンボールで再開。デザームがフィールドにボールを投げる。今度はさ
すがに、わざと敵に渡すような真似はしなかった。ボールを受けたのマキュアで
ある。
 早くボールを奪還しなければ。こちらがボールを持たなければ“神の指揮<タ
クト>”は発動できないのだ。悔しい事だがアルルネシアの指摘は正しい。“神
の指揮<タクト>”が有効なのは、ボールをゴール前に運ぶところまで。そして
いくらボールを運べてもゴールを割れるストライカーがいなければ意味がない。
 
−−あたし達の中でイプシロンのゴールが割れるプレイヤーは…今はレーゼしか
いない。
 
 なんとかしてレーゼと宮坂にユニバースブラストを決めて貰うしかない。しか
し問題は、あちらもそれは重々承知ということ。徹底的にレーゼをマークして来
る事だろう。
 また、宮坂を抑えられてもこちらは手詰まりとなる。ユニバースブラストはレ
ーゼと宮坂が両方フリーで初めて打てるのだ。レーゼだけでもシュート自体は可
能だろうが、アストロブレイクでデザームに勝てる可能性は低い。
 
−−あるいは…。
 
 後半から出場するであろう、一之瀬を使うか。ザ・フェニックスならあるいは。
だがあの技はGKの円堂が絡む厄介な技。ザ・フェニックスが失敗したら雷門ゴー
ルはガラ空きになってしまう。
 
−−くそっ…せめて円堂がフィールドプレイヤーだったら!
 
 言っても詮無き事だ。塔子はぐるりとフィールド見回す。息を切らしながらも、
照美がマキュアを止めに行く。その後ろには木暮。二人がかりでプレッシャーを
かけるつもりなのだろう。
 木暮が上がるなら、自分は下がってラインを維持しなければ。入れ替わるよう
に後退する塔子。
 
「絶対に抜かせないぞ!」
 
 息巻く木暮に、マキュアはニヤリと笑ってみせた。愛らしい少女であるだけに
妖艶で、毒に満ちた笑みだった。
 
「メテオシャワー!」
 
 彼女はジャンプし、空から隕石の雨を降らした。幾つもの炎を纏った岩が地面
に叩きつけられ、木暮と照美に襲いかかる。
「うわああっ!!
「木暮!アフロディ!」
 悲鳴が上がる。傷だらけになって転がる二人の間、蹴散らさん勢いで抜けてい
くマキュア。まずい。木暮が旋風陣を出す暇さえ無かっただなんて。
 塔子は早々に、技の構えをとった。直前からモーションに入っていたのでは全
然間に合わない。
 けれど。
 
「なっ…!」
 
 マキュアは塔子のところに来る直前、パスを出していた。かなり横に長いパス
−−なんとクリプトが逆サイドで完全にフリーになっている。彼女は余裕の表情
でパスを受けた。
 
「抑えろ!」
 
 ゴールから円堂が叫ぶ。しかし逆サイドの春奈がクリプトに仕掛ける前に、ク
リプトはセンター方向へパスを出していた。
 
−−おいおい、ちょっと待ておかしいだろ!
 
 パスを受けたメトロン−−その周辺には、雷門選手がまったくいない。
 そんな馬鹿な、と言いたかった。メトロンはイプシロンの得点に絡むキーパー
ソン。必ず誰かしらがマークにつくよう指示されていたし、自分達も気をつけて
いたのに−−何故こんな状況が起きた?
 
−−まさか…あたし達は誘導されて…!?
 
 はっとして、グレイシアの方を見た。塔子の見ている前で、グレイシアがさっ
と手を動かし、直後最前線に走り出た。
 するとメトロンは背後のスオームにパスを出し、さらにケイソン、クリプトを
経由してメトロンへ。その流れは驚くほど滑らかで、全員が見事なまでにフリー
の状態でパスを受けた。まるで雷門の動きを読んでいたかのように。
 そんな馬鹿な。これは。これではまるで。
 
「“神の指揮<タクト>…予知能力が使えるのが、自分達だけだとでも思った
か?」
 
 はっとして顔を上げた。悠々とパスを受け、ボールを受け取ったグレイシアが
立っていた−−塔子の方を、見て。まさか、こいつが喋ったのか?
 
「俺も魔女…この程度の曲、奏でるのは容易いな」
 
 塔子は凍りついていた。同じく、春奈や照美といった面々も動きを止めている。
今のグレイシアの声が聞こえ、かつ−−その声に聞き覚えがあった者達。
 
 
 
 “彼”をよく知っていた者達だった。
 
 
 
「行かせないっす!」
 
 壁山がボールを奪いに行く。彼は今の声が聞こえて無かったと見える。グレイ
シアは畏れる様子もなく、ボールを蹴り上げた。そして。
 
「イリュージョンボール…改」
 
 必殺技、発動。ボールの幻影が宙を舞う。それに翻弄された壁山は、あっさり
とグレイシアに抜き去られた。
 否。仮にグレイシアが必殺技を使わずとも−−壁山は止められなかっただろう。
グレイシアの声を聞いてしまった、時点で。
 
「メトロン!」
 
 グレイシアが鋭く仲間を呼んだ。メトロンが頷き、走り寄る。嫌だ、と。呟い
た喉が掠れ、音はひび割れる。風化し、砂塵になり、擦り切れていく岩のよう。
一秒ごとに塔子の中で何かが削られ、壊されていく。
 ボールを蹴り上げ、宙返るグレイシア。舞ったボールを、メトロンがヘディン
グで返す。何のモーションか、初めの数コマで分かった。思い出が罅割れていく
のが分かるのに、“やめて”と口に出来ない。自分が自分で無くなったかのよう
に、動けない。
 ヘディングで戻ってきたボールには、パワーが圧縮されている。それを思い切
り蹴りつけ−−グレイシアが叫んだ。
 
 
 
 
 
「ツインブースト・改」
 
 
 
 
 
 今度こそ、その声は全員に聴こえた事だろう。
 
 
 
 
 
「畜生ぉッ!!
 
 円堂が吠え、それでも渾身の力で必殺技を放った。
 
「正義の、鉄拳−−ッ!!
 
 絶叫と共に、黄金の拳が撃ち放たれる。円堂とて動揺した筈だ。しかし、それ
でもグレイシアの“黒き魔法”を振り払ったのは流石と言える。
 だが、円堂の健闘も虚しく。拳はじりじりとゴール側へ押されていく。自分達
の知る“ツインブースト”には、そこまでの力は無かった筈なのに−−必殺技は、
進化していた。皮肉なほど。
「諦めない事が…お前達の必殺技、だったな」
!!
 グレイシアが、笑みを含んだ声で言う。
 
「しかし。報われないと分かってる努力など誰もしたくない…そうだろう?」
 
 呻く円堂。グレイシアの手が、そのフードにかかった。
 
「残念だが、お前達の願いが叶う事はない。神は乗り越えようのない試練は与え
ないなどという言葉があるが、実際はどんなに足掻いても悲しいだけの現実で溢
れている。お前達も、思い知った筈だ」
 
 フードが外れる。布が滑る、軽い音が。
 
「諦めるがいい。そうすれば楽になれる。魔女の存在を、力を認めろ…そう」
 
 最悪を超えた、悪夢。
 悪夢のような、現。
 されど今こそが紛れもない、現実。
 
 
 
 
 
「この俺を認めろ…円堂」
 
 
 
 
 
 明るい色の茶髪は、緩やかなウェーブを描き潮風に揺られている。切れ尾の眼
がルビーみたいで綺麗だねと誉めた事があった。あの時よりもその顔は酷く艶め
いている。
 髪型が違う。特徴的なゴーグルもマントもない。はためいたマントの下の体は
明らかに少女の形をしている。それでも、塔子は分かった。
 
 
 
 
 
 鬼道有人だと、分かってしまった。
 
 
 
 
 
 
「嘘だ…」
 
 死んだ筈だ。殺された筈だ。
 やっとその悲しみを乗り越えられそうだったのに、その矢先に。
 
「嘘だぁぁぁぁッ!!
 
 彼が改造されて生き返って。魔女の家具になってるなんてそんな事、誰が想像
出来ようか。
 
「……嫌な予感は、してたんだ」
 
 立ち上がりながら、円堂が言う。真っ青な顔だったが、驚くほど足がしっかり
している。
 
「おかしいだろ。佐久間、源田、イプシロン、風丸…アルルネシアに関わって死
んだ奴はみんな、生き返るかそうさせられようとしてるのに。最初に死んだ鬼道
だけが、死んだままなんて」
 
 言われてみればそうかもしれない。けれど今の塔子に、何かを考える事は出来
なかった。
 頭の中が、完全に真っ白になっている。
「…お前の悲劇が、全ての始まりだった。だからいずれ、こうなる予感はしてた
んだ」
「ほう…?」
 グレイシアが感心したように笑む。やめてくれ、と思った。それ以上鬼道の顔
で、声で、自分を掻き乱さないで。
「ならばわざわざ宣言するまでもないか」
「あら、優しいのね。でもさっさとトドメをさしてあげるのも優しさじゃなく
て?」
 ベンチでアルルネシアが言った。
 残酷極まりない赤き真実を。
 
 
 
【破滅の魔女グレイシアと鬼道有人は、正真正銘同一人物よ。
否定するだけムダね】
 
 
 
 ざくり、と。赤い槍に貫かれるイレブン。誰もの心を抉り、鮮血を流させる冷
酷無比な真実。
 後半終了のホイッスルが、鳴った時。フィールドの上は闇一色に染め上げられ
ていた。
 死にたくなる、ほどに。
 
 
 
NEXT
 

 

幸福なのは、義務なんデス。