噛み付くほどに。 イタイほどに。 好きだったのに。 貴方は認めてくれないの。
この背中に、 白い翼は 無いとしても。 5-41:戦上の、アリア。
現実的な作戦会議をしなければならない。それは全員が分かってはいただろう −−理性の上では。 しかし今はそれより何より、精神的に立ち直る事に全力を注がねばならなかっ た。レーゼもまた、例外ではない。
−−デザーム、様。
敬愛する人が生き返させられて、魔女の玩具にされて。自分達の前に、敵とし て立ちはだかる現実。佐久間に源田、風丸といった例がある以上、心のどこかで は覚悟していた事だった。だから少なくとも表向きは冷静な顔でフィールドに立 った−−狂気のような決意が、そうさせた。 自分は、彼に償わなければならない。 記憶を失い。大切な人の顔さえ分からなかった自分。忘れられていると知った デザームはどれだけ悲しんだだろう。自分は守られるだけ守られた挙げ句に、恩 を仇で返したのだ。最低な話ではないか。 そして。彼が、彼らが一番辛い時−−自分は何一つしてあげる事が出来なかっ た。そのまま物語は終わっていたはずだった。その方がまだ彼らは幸せでいられ たのかもしれない。 しかし皮肉にも、世界はまだ彼らに安息を許さなかった。彼らの物語はねじ曲 がった形で、書き足された。自分の愉しみしか考えぬ魔女の手によって。
−−今からでも、出来る事はありますか。
無力な自分でも、世界を変える事が出来ますか。
−−貴方を、救う事が出来ますか。
そして今。救わなければならない者がもう一人、増えた。破滅の魔女グレイシ ア−−否、雷門の亡き司令塔、鬼道有人。 覚悟はしておくべき、だったのだろう。魔法に精通している自分はよく知って いる。人により多少差異はあるが、“反魂”の魔法はある一定条件さえ守られれ ば可能なのだ。無論、反魂を行う術者の魔力と力量は必要なのだが。 人を生き返らせる場合、まず老衰と病死はハードルが跳ね上がる為今回は除外 する。ここで語るのは不慮の事故や殺害による死のケースだ。 対象が死んでから一日以内。これが基本の目安だ。それを過ぎると多くの場合、 反魂自体が不可能になってくる。また、対象の肉体の一部が手元にない(行方不 明など)では術は執行できない。
−−鬼道君は少なくとも数日間では“死んでいた”筈だ。でも。
あの時自分はまだ普通の人間だった。アルルネシアが幻術で誤魔化していたと しても、それを確かめる術はない。どこで鬼道の遺体が喪失していたかなんて分 かりようがない。 こんな時、“赤き真実”があれば疑わなくて済むのだけれど。赤き真実では誰 も嘘がつけない。そうして宣言された事実は宣言者があのアルルネシアであった としても信用できるのだ。
「…聖也」
そうだ。今でも可能なのではないか。
「鬼道はいつ、蘇生されたんだ。死んでから何日も遺体だった筈だが」
聖也はやや青ざめた顔で、しかしはっきりと言った。 「だな。…創造の魔女キーシクスの名において、赤き真実を行使する。 【鬼道有人は間違いなく、二日後までは死んでいた。 つまり死んでから一日を超える時間、死体だったわけだ】。」 「…赤き真実、有効か」 「ってかアルルネシアが幻術で誤魔化してんなら、いくら今の俺でも気付いたよ。 あの時は余計なペナルティ食らってなかったし」 言われてみればその通りだ。聖也が見破れないとは思えない。仮にも赤き真実 が扱える魔女なのだから。
「じゃあ何でアルルネシアは鬼道を蘇生出来たのか、って事だろ?反魂の術はい くつか制約があるが…その制約が外れる条件ってのもある」
制約が外れる条件?まだ教わってない事だ。目を丸くするレーゼ。そんなレー ゼを苦い眼で見て、聖也は続けた。 「…佐久間と源田と風丸と…まぁイプシロンが微妙だが。奴らと鬼道で、決定的 に違う点がある。源田の話を思い出せ。佐久間達は事故で死んだが…【鬼道だけ はアルルネシア自らがトドメを指してんだよ】」 「あ…!」 「死者を蘇えらせた後、言いなりの手駒にする魔法はまた別モンだ。言いなりに するだけなら反魂より遥かに簡単だが、一定時間が経過したり一定条件が満たさ れるとやけにあっさり解けちまう。佐久間と源田が自力で己を取り戻したのはそ ういう理屈だ」 確かに。佐久間達はアルルネシアが現れる前にはもう、我に返り自らの行いを 悔いる様子を見せていた。それは彼らの想いの強さゆえだと思っていたが、なる ほどそういう理由もあったのか。
「もっと強烈な魔法…強固に家具として縛りつける為には、絶対的な条件が一つ ある。術者が対象を自ら殺害する、という事だ。そしてこれを行う事で、“反魂 は死亡から二十四時間以内”という制約も外れるんだよ」
なんて事だ。レーゼは愕然とする。アルルネシアが鬼道を殺したのは、源田が 手を下さなかった為と、彼女自身の楽しみの為だけだと思っていたのに。まさか そんな裏があっただなんて。 そこでふと、ある事に思い至る。反魂に必要なうち、もう一つの条件は“対象 の体の一部”が手元にあること。もしや火葬された後の遺骨でも、条件クリアは 可能なのか?
「気付いたみてぇだなレーゼ。その通りだ。まさか鬼道の義親父さんも、火葬後 に骨壺の中身が空になるだなんて思わねぇだろうよ。墓に入っちまったら確認し ようもねぇしな」
滅茶苦茶だ。しかしそれならばあそこに鬼道有人が“グレイシア”として存在 するのも理解できる。グレイシアが鬼道である事はアルルネシアが赤き真実で宣 言した以上、疑いようのない事実なのだから。
「鬼道の洗脳は強固だ。そう簡単には解けないだろうな。でも…」
聖也は強い眼差しを向けてきた。揺らがない者の、眼。もしかしたら真帝国の 時ブチキレたのは演技だったのかも、と今更ながら思う。 彼がキレなければ。他の誰かしらがキレてアルルネシアに飛びかかり、返り討 ちにあっていたかもしれないのだから。 「出来ない、なんてみんなの前で弱音は吐くなよ。魔女の言葉には力がある。俺 やお前がんな事言ったら、それもまた悪い魔法になっちまうんだからよ」 「…ああ」 そう長くはないハーフタイム。作戦を立てるのも後回しだ。 皆がこの現実を受け止め、己と向き合わなければならないのだから。
円堂は自らの拳を握り、開く。思い出していた。帝国学園で鬼道の遺体を見つ けてしまった、あの時の絶望を。悲しみと怒りのすべてを。
−−みんなに、ちゃんと話しておけば。こうなるかもって、分かってたのに。
ぐるりと見回した先。塔子が力なくへたりこみ、ベンチに座る春奈が俯いてい るのが見えた。二人とも普段快活な分、その様が見ていて辛い。特に塔子など、 鬼道の死に対してすら気丈に振る舞っていたというのに。 ひょっとしたら、彼女もまた無理して笑っていた一人なのかもしれない。その 糸が今−−プツリと切れてしまったのかもしれなかった。
−−俺は、お前と…まだまだサッカーしたかったよ。
彼のゲームメイクで試合を戦い、みんなで一丸となって戦う。それが本当に楽 しくて、大好きだった。
−−俺と、お前と、みんなと。やりたいこと、まだまだたくさんあったんだよ。
来年。中学生最後の年は、鬼道とは敵同士。雷門と帝国で決勝を戦おうという 話もしたし、さらにその先やもっとスケールの大きな事も話した。高校。プロ。 世界。殊に、理事長情報だと、フットボールフロンティア世界大会が開かれるの ではとの噂もあるのだ。楽しみでない筈がない。 その全てが、不可能となった時。円堂がどれだけ絶望の縁に叩きこまれたか、 ショックで死にそうになったか−−鬼道は知らないだろう。彼の死はけして鬼道 自身のせいではなかったのに、死んだ彼に理不尽な怒りがあった事も否定はでき ない。
−−こんな形で、戦いたくなかったよ。
こんな形ですら。鬼道が生き返った事をどこかで喜んでいる自分がいる。なん て酷いキャプテンだろう。 正直もう、悲しいのか悔しいのか嬉しいのかもよく分からない。心が飽和して、 麻痺してしまいそうだ。一人だったらけして耐える事など出来なかっただろう。
−−けど。俺は…俺達はまだチャンスを与えられてる。そう思っても、いいのか?
自分がしっかりしなければ。春奈や塔子はもっと辛い筈なのだから。悲しいと か辛いとか、泣き言を言うのは−−少なくとも、今ではない。
「円堂さん」
ふと声がして振り向けば、立向居の姿が。彼は鬼道を、テレビの中でしか知ら ないだろう。イプシロンに関しても同様に。それでも、その幼さ残る顔は強張っ ている。
「大丈夫、ですか。鬼道さんは…雷門の中心人物で、亡くなっただけでも辛かっ たのに…」
ありきたりな言葉かもしれないが。自分を心から心配してくれていると分かる。 だから円堂は−−正直に、答えた。
「大丈夫、とは…言えないなあ」
ショックだった。鬼道がアルルネシアの駒にされてしまっている事も。 それに対し、抱いてしまった自分の感情にも。
「…でも。それでも立ち上がらなくちゃいけないんだ、今は。諦めて本気で沈ん じゃったら、俺達は本当に絶望に負けちまうんだ。そっちのが、辛いよ」
まだ可能性があるなら、それを投げ捨てる真似だけはしちゃいけない。
「だから勝つ。例え鬼道が相手だろうと…!」
この試合は、そもそもが絶対に負けられない試合なのだ。この試合には“魔女 の夜会”の力が働いている。雷門は試合に負けたら罰を受けるとされているが、 それがどんな罰であるかさえ明言されていないのだ。 全員が洗脳されるか。 文字通り皆殺しか。 あるいはもっと凄惨な目に遭わされるのか−−いずれにせよそれだけは避けな ければならない。 しかし勝てば。イプシロンの洗脳は間違いなく解ける。アルルネシアといえど 真実の赤は裏切れない。つまり勝てば高い確率でイプシロンを解放できるのだ。 そして、もしかしたら鬼道も。彼もまた洗脳されている事は間違いないが−− 勝利すれば彼の眼も醒まさせる事が出来るかもしれない。それは針の穴に糸を通 すような僅かな可能性だけれど。
−−その為に、問題は…。
自らの拳に、眼を落とす円堂。正義の鉄拳が、いともあっさり破られてしまっ た。鬼道の時は動揺していたとはいえ、タイミング完璧に技を発動させた筈なの に。 やはり、何かが足りないのだ。だが何が足りないのか分からない。 「…経験値、かもしれません」 「え?」 「いえ、ライオンの子が…って話したでしょう?」 正義の鉄拳は、ライオンはライオンでも子供を見ている印象だ−−と。立向居 が言っていたあの話である。
「子供のライオンはサバンナで何度も失敗しながら狩りを覚え、一人前になって いく。…ひょっとしたら、究極奥義っていうのは……」
円堂は目を見開いた。今、自分は立向居に、とても大切な話をされたのではな いか。 きっとこれ以上の答えは、自分自身で見つけなければならないのだ。 勝つ為に。勝って守る為に。愛する全てを取り戻す為に。
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大きな箱より小さな箱に、幸せはあるの。