微睡みの中揺蕩う。
 目蓋の裏に幻想。
 夢想の神が優雅に嘲う。
 因果の鎖は解けない。
 
 
 
 
 
この背中に、
白い
無いとしても。
5-42:ぐ、音色。
 
 
 
 
 
 音村には、分かっていた。グレイシアの正体も、試合のこの現状も。それでも
黙っていたのには当然理由がある。予知した未来から外れていない。外れさせる
わけにはいかないのだ。最後の最後で、悲劇を防ぐ為には。
 
−−変えられない惨劇。防いでなおその現実もまた、解釈次第では悲劇と言える
だろう。
 
 じっと見つめる先には、半ば廃人と化した吹雪の姿がある。吹雪がああなるこ
とも自分は予知していて、それで尚防がなかった。厳しい事を言っているのは分
かっている。しかし、これは彼にとって避けようのない試練でもあるのだ。
 絶望の乗り越え方を知るにはまず、絶望を知るより他ないのだから。
 
−−屍は否応なく積み重なる。それでも僕はその先に、希望があると信じている。
 
 これは気紛れ。
 生まれつき心が砕けている“旋律の魔術師”音村楽也のささやかでいて命懸け
の娯楽だ。彼らのサッカーは自分をけして退屈させない。魔法の仕組みを理解し
ている自分でさえ魅了してくれる何かがある。だから、それを生かす為なら自ら
のサッカーを代償にするのも惜しくはないと思っただけのこと。
 全ては自分の興味。自分のエゴイズム。とりあえず−−そういう事にしておけ
ば、いい。
「おにいちゃん!おにいちゃん!」
「ん?」
 観客席から声をかけられ、顔を上げる音村。小さな男の子が二人(どちらも可
愛らしく、特に片方は女の子にしか見えない容姿だったが、人を見た目ではなく
魂の形で識別できる音村にはあまり関係のない事である)が身を乗り出してこち
らを見ている。
 緩くウェーブのかかった茶髪の少年と、桃色髪のおさげの少年。どちらもまだ
幼稚園くらいの年だろう。茶髪の少年が目をキラキラさせて言う。
 
「おにいちゃんのサッカー、すごいね!オーケストラの“しきちゃ”みたい!!
 
 指揮者、と言いたかったのだろう。まだたどたどしい言葉で精一杯歓喜を伝え
てくるのが微笑ましい。
 
「サッカー大好きだけど、もっとダイスキになったよ!サッカーって、おんがく
になるんだね!!
 
 周りのふつうの人間達が聴けば、“なんじゃそりゃ”な発言だろう。しかし音
村が意味を知るには充分である。
 人目見て、分かった。この子も魔術師だ。自分のように生まれつき魔術師の魂
を持っているわけではないが、とてつもない才を秘めているのは間違いない。そ
してその力の方向は、自分とほぼ同じ。
 
「そうだよ。サッカーも“音楽”を奏でるんだ。皆が連携して演奏すれば、相手
のメロディーを飲み込むくらい素晴らしい曲になる」
 
 これもまた、必然か。音村は笑みを浮かべる。
 今、理解した。自分のサッカーがここで終わるのは、終われるのは今この場に
この子供がいるからなのだ。彼がいれば、力は受け継がれる。魂は、誇りは途切
れない。この子こそ自分の、“旋律の魔術師”の後継者なのだ。
 
「“調律の魔術師”…神童拓人君」
 
 サイコメトリしたその名前を、音村は呼ぶ。
 
「君はどんなサッカーをしたい?そしてサッカーで、どんな曲が作りたいのか
な?」
 
 茶髪の少年−−神童拓人は、目を見開く。音村が名前を知っていたからビック
リしたのだろう。俺は魔法使いだからなんでも知ってるんだよ、と冗談っぽく言
ったら子供はきゃらきゃらと鈴を転がすような声で笑った。
 まだ何の闇も知らない。絶望も見たことがない。純粋無垢な、その魂。だが音
村には見えている。彼に待ち受けるのもまた、魔術師としての修羅の人生である
ことを。
 
「ぼくはね、みーんなが、サッカーだいすきになってくれる、おんがくがいいな!」
 
 拓人は笑顔で両手を広げた。
 
「サッカーでみんなが“えがお”になってくれたら、すっごいうれしいもん!」
 
 眩しい。そう感じるのは、自分の中にもまだ人間らしい感情が残っていたから
だろうか。自分には最初から、この少年や円堂のような力はないけれど。それが
とても大切な事であるのは、分かっているから。
 
「…じゃあ、その気持ちを大事にしないとね」
 
 拓人の頭を撫でて、音村は言った。
 
「…いいかい。世界は君が知っているよりずっと広い。綺麗じゃないものもたく
さんある。君は大人になるにつれそれらをたくさん見ることになるだろう。たく
さん辛い想いをして、時にはサッカーに嫌気がさす事もあるかもしれない」
 
 残酷な世界に生まれた。残酷な時代に生まれた。けれどそれを言い訳に諦める
のはあまりに退屈な事だ。
 願えば叶うほど世界は甘くない。自分にはこの先の未来がどんな方向に向かう
かも見えている。アルルネシアの脅威が去っても、それだけで全ての悲しみを終
わらせられるほど単純ではないだろう。誰かの笑顔の裏には、必ず誰かの涙があ
る。全ての人が平和の恩恵を受けるなど限りなく不可能なのだ。
 
 
 
「でも、忘れないで。どんなに悲しいことが起きても、どんなに無意味に見える
事でも…君の魂が生きているなら、けして無駄にはならない」
 
 
 
 自分がいなくなっても。仮に雷門の皆が魔女に負けても。拓人が死んでも、自
分達の願うサッカーが誰かの手で塗りつぶされる時代が来ても。
 誰かがその意志を引き継ぐなら、全てはいつかの奇跡へ繋がるのだ。
 
 
 
「サッカーは幸せの魔法。これから…何を見てもそれを覚えておいて。君は君の
曲を、絶対に捨てては駄目だからね」
 
 
 
 幼い彼に、意味がどれだけ通じたかは分からない。しかし拓人は嬉しそうに、
うん!と頷いた。その隣で両親と、友人の霧野蘭丸は首を傾げていたけれど。
 音村には見える。拓人と蘭丸が、三代目イナズマイレブンとしてフィールドを
駆ける未来が。自分はその未来に、幸せのサッカーを繋げなければならない。遠
い遠い明日に、彼らが起こす“革命の風”を成功させる為にも。
 勝たなければ。この試合、必ず。
 
「じゃあね」
 
 ひらひらと手を振り、音村は彼らの元を離れた。するとそれを見計らっていた
かのように、一之瀬がこちらへ駆けてくる。
「音村、作戦について相談したいことが……ん?何だ、知り合いか?」
「いいや?」
「?」
 不思議そうな顔をする一之瀬に、音村は微笑みかける。
 
「ちょっとね。最強の魔法を伝授してきたところ。未来のイナズマイレブンに、
ね」
 
 どんなに悲劇が重なろうと。未来はけして悪いことばかりではない。自分と彼
らが奇跡を積み重ねた上で、こうして出逢う事もまたできたのだから。
 
 
 
 
 
 
 
 雷門イレブンはまだ誰も気付いていないようだったが−−観客席には豪炎寺も
いた。まあ、橙色のパーカーを着て目深にフードを被っていたのでは、判別がつ
かないのも無理からぬこと。むしろ隠れ潜んでいる身としては判別がついたら困
るのである。
 
−−厳しい展開になってきたな…。
 
 ベンチの方を見やる。作戦会議をする面々の傍らで、まるで人形のように微動
だにしない少年がいる。彼が現在の雷門のエースストライカーだったのだろう。
だが今その瞳からは完全に光が消え、ぽっかりと宙をさ迷うばかりとなっている。
何も見えない。何も聴こえない。心を遠い何処かに置き忘れてきてしまったかの
よう。
 まるで幽霊みたいだ。隣の車椅子に座るゼルも似た有様ではあったが、彼は幽
霊というより人形である。吹雪のように絶望の気配を色濃く漂わせているわけで
もなく、ただ虚無。どちらがマシと言える筈もなかったが。
 
「本当は、吹雪とアフロディにもう一点ずつ決めさせておきたかったんだろうな」
 
 腕白な弟達をあやしながら、土方が言った。今日の試合は土方の家族と一緒に
見に来たのである。
「けど吹雪はあの有様でもう戦力にはならないだろ。アフロディもだいぶグロッ
キーに見えるぜ。後半、かなり辛いだろ」
「…ああ」
 スコアの上ではまだ一点ビハインド。逆転はけして不可能ではない。
 しかし吹雪が倒れ、照美が体力を使い切ったとなれば、雷門の攻め手はさほど
残されていまい。どうしたって決定力に欠けるだろう。
 まだ一之瀬をFW起用すれば戦えなくはないが。彼のザ・フェニックスはメンバ
ーの都合上あまりにリスクが高い。土門と円堂が揃って抜けた時、その穴を埋め
るのは生半可なことではあるまい。
 
−−くそっ…俺は…俺はこんな所で一体何をやってるんだ…!
 
 ギリギリと唇を噛み締める豪炎寺。悔しくてたまらない。何度全てを振り切っ
て飛び出してしまおうと思った事か。その度に夕香の顔がちらついて、豪炎寺の
心と体にブレーキをかける。彼女は無関係だ。非力で幼い、自分が庇護すべき妹。
自分の暴走で巻き込むわけには、いかない。
 まだ携帯は鳴らない。夕香救出の作戦は着々と進行している筈だった。だが連
絡が来るまでその結果は分からない。彼女の安全が確認できるまで、自分は彼ら
の前に姿を現すことさえ許されないのだ。
 
「焦るなよ、豪炎寺」
 
 自分の焦燥が伝わってしまったらしい。土方が眉を寄せる。
「仲間を信頼してんなら…大丈夫だと信じて、待ってやれ。待つ方が戦う事より
百倍辛かったとしても…だ」
「……っ」
 反論の言葉を呑み込む。土方の言っている事は、正しい。ここで後先考えず自
分が動いたところで事態はきっと好転しない。それでも−−ああ、心は不自由で
いけない。
 
「おにいちゃん!」
 
 その時、耳慣れた声がした。驚いて振り向くと、天馬がニコニコ顔で立ってい
る。母親と犬も一緒だ。
 そういえば、よければ試合を見に来て欲しい、みたいな事を言ってしまったの
だっけ。あの時は最初から試合に出れたらと思っていたから−−少々複雑な気分
だ。けして天馬に罪はないのだが。
 
「しあい、みにきた!おにいちゃんは出ないの?」
 
 そして子供とは時に、大人が真っ青になるような質問を豪速球でぶつけてくる
のである。隣で土方が苦笑いしている。さぁてどう答えるつもりだ?と言いたげ
な声だ。
 実はちょっと面白がってんじゃないのかコイツ。幼い弟達の世話で子供の扱い
に慣れてるだろう土方に、豪炎寺は若干恨めしい目を向ける。どっちみち自分が
なんとかしなければならない現状に変わりはないのだが。
 
「…待ってるんだよ。その時を」
 
 考えて、豪炎寺は考えたなりの答えを言う。
 
「ヒーローは遅れて登場するものだろう?」
 
 かっこいい!と天馬が歓声を上げた。子供は本当に純粋だ(まあ自分も一般的
には子供と呼べる年齢なのかもしれないが)。夕香を思い出し、なんだか懐かし
くなる。自分もこんな風に真っ直ぐ世界を見ていた時期があった筈なのだが。
 なんだか騙しているようで悪い気もするが、実際嘘は言っていない。自分は時
が満ちるのを、待っている。必ずその時は来る筈だと信じている。
 
−−だから…円堂。
 
 目深に被ったフードの下から。祈るような視線をフィールドに投げる。
 
−−その時まで…試合を終わらせてくれるなよ。
 
 どんなに過酷な条件でも、可能性はゼロにはならない。そしてゼロでない限り、
円堂はけして諦めない筈だ。
 それが彼の強さであり、誇りなのだから。
 
 
 
NEXT
 

 

終わりのない奇跡を信じてた。