素敵な夢を見たの。
 貴方と二人歩く夢。
 手を取り歩けたら、それで良かった。
 行きたいのに、生きたいのに。
 
 
 
 
 
この背中に、
白い
無いとしても。
5-43:は、吹いている。
 
 
 
 
 
 予測は、可能だった筈だ。それでも思い至らなかったのは純粋に、自分がその
事実を信じたくなかったからかもしれない。
 塔子はベンチに座り、うなだれる。気が狂いそうなのに、激しい衝動に襲われ
たのは一瞬だった。今はただひたすら体が重く、頭が真っ白になっている。何も
考えられない。何も、考えたくない。
 
「塔子…」
 
 綱海が心配そうな声で呼んでくる。心配してくれている。だが塔子はそれに対
し顔をあげることも礼を言うことも出来ない。余裕なんて、欠片もない。
「お前…」
「ごめん、綱海」
 何かを言いかける綱海を遮り、俯いたまま塔子は言った。
 
「今…マジでいっぱいいっぱいだから。…ちょっと放っといてくれると…助かる」
 
 泣き叫ぶ元気すらない。この自分がだ。そのくせ何かのきっかけで、胸の奥に
溜まりに溜まった汚物が破裂しそうでこわい。優しい綱海に、そんな自分の闇を
ぶち撒けるわけにはいかなかった。余計に傷つく人間を増やす必要はない。今下
手に会話すれば、綱海も自分もボロボロになると分かっていた。
 そう、と綱海は言って−−それ以上は何も言ってこなかった。潰されそうな罪
悪感はどこから来るのだろう。自分はいつもそうだ。守れなくて、救えなくて、
落ち込んだ挙げ句余計な迷惑までかけて。
 神様は本当に不公平だ。どうして自分ばかり幸せだったのだろう。どうして自
分なんかよりずっと頑張って頑張って頑張っていた筈の鬼道を、あんな目に遭わ
せたのか。
 要らない。そんな残酷な神様なら消えてなくなればいい。寧ろ自分から殺しに
いきたい。ああ、それができたらどんなにか!
 
−−鬼道があんな魔女に…自分の意志で従うわけない。操られてるんだ、間違い
なく。
 
 しかしそれはつまり、鬼道が自らの意志を無視され、踏みにじれる環境下にあ
るという事で。
 
−−…あんな辛い死に方をしたのに…生き返させられてまたこれかよ。どこまで
報われないんだよ、鬼道の人生は…!
 
 何で。彼ばかりがこんな目に。
 
−−畜生ぉっ…!
 
 守れない。守れない。守れない。今までずっとそう。これからもきっと、そう
なる。どんなに塔子が真摯に願ったところで。
 何故当たり前の願いが許されないのか。もう疲れてしまった。もうこれ以上現
実を見つめたくない。アルルネシアと同じ笑みを浮かべる愛しい人なんて見たく
ない。洗脳を解く方法なんて分からないし、仮に分かったところできっと無駄だ。
 悲劇は繰り返すだけ。運命の神様はよほど悲劇がお好きなようだから。
 無理矢理押し込めて、押し殺していたもの。塔子の中のそれが汚泥となって染
み出し、体も心も覆っていく。鬼道を殺した魔女への復讐と、鬼道を含めた者達
の遺志を継いで、自分達のサッカーを示すこと。それが目的であり、塔子を気丈
に支えていたモノだった。
 なのに。その根底にいる愛しい人に、全てを否定されてしまったら−−仮にそ
の本人がもしそう口にしてしまったら−−偽りであろうとなかろうと、自分は立
ち上がれなくなるだろう。
 否。そんな想像をしてしまった時点で、もう自分は−−。
 
「皆さん」
 
 凛と。
 
「後半の作戦を決めましょう。無駄な時間を過ごしてる余裕なんて無い筈です」
 
 唐突に空間を鳴らしたその声に、塔子は驚いて顔を上げた。周りの人間も同じ
ように驚愕を貼り付けてその人物を見ている。驚いてないのは、音村だけだ。
 彼だけは微笑んで、“彼女”を見つめていた。そうなる事が分かっていたとい
うように。
「春奈…お前…」
「いつまでウジウジしてる気ですか、塔子さん」
 名前を呼べば彼女−−春奈は睨むような視線を投げてきた。
「試合は終わってないんです。…そんな顔してたら、勝てる試合も勝てませんよ」
「そんな顔って…それはこっちの台詞だっ!」
 ばちん、と何かが破裂するような音は錯覚か。あるいは塔子の中だけで鳴った
音か。感情のボルテージが一気に上がり、塔子は春奈の胸倉を掴み上げていた。
「お前なんで平気な顔してんだよ!鬼道だぞ!?死んだお前の兄貴が魔女の手下に
…あんな姿にされて…!」
「平気なわけないでしょうっ!」
「−−っ!」
 激昂した塔子に負けず劣らず、強い声が飛んできた。くしゃり、と春奈の顔が
歪む。
 
「平気なわけない。お兄ちゃんは…鬼道有人は。私が世界で一番大好きな人なん
だもの…塔子さんと同じように!」
 
 そうだ。平気なわけが、ないではないか。自分は何を言ってるんだろう。塔子
の中の冷静な部分が言う。
 
「だけど…決めたの。お兄ちゃんがいなくなって…泣いても泣いても現実は変わ
らないって思い知らされて…それでも立ち上がらなきゃ駄目だって気付いた時
に」
 
 塔子の隣、木暮が顔を上げたのが分かった。彼は見ている。ボロボロで、一番
みっともない姿を晒していた春奈を。そして無様な姿になって尚、立ち上がる事
を決意した姿を。
 
「でも…鬼道は…操られてるとしてもそうでなくとも…もうあたし達のサッカー
を、望んでないかもしれない…」
 
 弱いのは、自分。分かってはいてもその弱さから抜け出せない。塔子は頭を抱
えて唸る。
 
「このままあたし達が戦えば、もっともっと鬼道を傷つけるかもしれない…そん
なのは嫌だ、だってあたしは…」
 
 その瞬間だった。
 
 
 
「−−ふざけんじゃねぇっ!!
 
 
 
 頬に、岩でもぶつけられたかのような凄まじい衝撃。あちこちから悲鳴が上が
った。塔子は受け身もとれずに吹っ飛び、芝の上を転がる。吹っ飛びながらも見
ていた。普段の彼女からは想像もつかぬ荒い口調で、自分を拳で殴りとばしたの
は−−怒りを露わにした、春奈だった。
 
「は、春奈…てめぇっ」
 
 何すんだ、と言う前に。胸倉を掴まれ、引き上げられていた。目の前に激怒し
た春奈の顔がある。
「お、おい…やりすぎじゃ…」
「木暮君は黙ってて!」
 慌てて止めに入ってきた木暮にピシャリと言って、春奈は再び口を開く。
 
「…あんた、鬼道有人が好きなんだろ」
 
 いつもより低い声で、春奈は言った。
 
「それなのに何で!一番大事なことが見えてねぇわけ!?ふざけんな!今の状態が
…ああやって魔女に縛られてる姿が!あの人を一番傷つけてるって何で分かんな
いの!?あの人が助けを求めてる声が何で聴こえねぇんだよ!!
 
 言葉は槍で。同時に、光だった。
 魔女の真実はただ自分達を引き裂いて、突き落としただけだった。でも春奈の
言葉は。
 塔子の虚構を引き裂いて、本当の気持ちを−−日の下に晒しだした。
「私は…今までたくさん兄さんを傷つけてきた!罪を犯した!それは間違いもた
くさんあったけど…これからもそうするかもしれないけど…間違いだけじゃない
筈なの。だって家族だもの、大切なんだもの!傷つけあうのは当たり前でしょ!?
「−−ッ!」
「でも次に繋がらない傷なら…そんな傷をもう、お兄ちゃんにも誰にも負わせた
くないからっ。だから私は戦うって決めた…あんただってそうだろうが!!
 そうだ。
 自分も−−ああ、そうだ。
 
 
 
「傷つけたなら謝ればいい…今ならそれが出来るんだ!あんたが言ったんでしょ
が…諦めるなって!救うことを…幸せになることを諦めたらそれが一番の冒涜だ
って!あの人をもう一度救う可能性が目の前にあるのに、見過ごす気なの!?諦め
る気なのっ!?
 
 
 
『諦めるな。此処であたし達が諦めたら、鬼道の愛したサッカーも殺されちまう
んだ!』
 
 
 
「私をひっぱたいて立ち上がらせたのはあんただろ!
目を覚ませよ、財前塔子っ!!
 
 
 
『諦めるな!死んでから諦めろ!!
 
 
 
 塔子は目を見開く。忘れかけていた。その言葉は自分が言ったもので。強い思
いとともに口にした筈なのに。今初めて、思い出した気がしたのだ。
 鬼道をもう一度救う可能性。そんな風に−−考えもしなかった。ああ、そうか。
これは−−風丸を救えなかった時の、円堂と同じ。
 見えなくなっていたのだ。目の前の闇が、深すぎて。
 
「…私は魔術師でも魔女でもない。お兄ちゃんや円堂さんみたいに…言葉で誰か
を動かす力も、サッカーの技量も……ない」
 
 塔子の胸倉を掴んだ手を放し、立ち上がる春奈。
「それでも……ここで一つ証明する事は出来ます。お兄ちゃんは、自分の意志で
あそこにいる訳じゃないって」
「え?」
 どうする気だ、と尋ねるより先に。春奈が口を開く。見据えるのは向こうのベ
ンチ。ニヤニヤしながらこちらに視線を送っていた、魔女。
「…アルルネシア!貴女は魔女…赤き真実が使えるのよね!?
「そうだけど?あらあら、何かしら?」
 自分が不利になるとは微塵も思ってない魔女。その不愉快極まりない面に−−
春奈は、言葉の矢をつきつけた。
「ならば!貴女に復唱要求!…“鬼道有人こと破滅の魔女グレイシアは、誰にも
操られておらず自らの意志でアルルネシアに従っている”!!真実ならば、赤でそ
う言ってご覧なさい!!
!!
 アルルネシアの顔色が変わった。塔子ははっとする。自分は魔女ではないから、
魔女のルールは朧気にしか理解していない。しかし、魔女が【赤】で宣言した事
実はまごうことなき真実であり、誰も疑うことはできないと−−それはついさっ
き聖也達に聴いた事だ。
 【赤は真実のみ語る】
 つまり、【赤き真実では魔女でさえ嘘はつけない】事を意味する。春奈の復
唱要求。それをアルルネシアが飲めば、鬼道は自らアルルネシアに従っているこ
とになり、絶望が確定する。
 しかしもし−−拒むなら。
 
「復唱を…拒否するわ」
 
 それは−−アルルネシアが言いたくても言えなかった可能性−−“鬼道が自ら
アルルネシアに従っている”、が真実でない可能性が高いことを、示唆する。
「…やるじゃないの、小娘が。魔女でもないくせに“赤き真実”を理解するなん
て」
「貴女に誉められてもちっとも嬉しくないけどね」
 僅かだが忌々しげな顔をしたアルルネシアを鼻で笑い、春奈は振り向く。そし
て言った。
 
「ね。簡単でしょう?…希望は言葉一つでだって、示すことができる。私にだっ
て魔法が使えるんだから、塔子さんにだって出来る筈です」
 
 ぐるりと皆を見回し。
 
「勿論…みんなにだって」
 
 春奈は、笑った。
 
「……成長したじゃねぇの。ちょっと前まで泣いてたお姫様がよ」
 
 ニカッと笑って聖也。皆の気を引き締めるがごとく手を叩く。
「そうだ。…鬼道はアルルネシアに好き好んで従ってるわけじゃねぇ。でもって
あいつを救えるのは俺らだけだ。いいじゃねぇか、後で殴り合いの喧嘩になって
もよ」
「…そうだな」
 塔子は、理解する。傷つけあって、喧嘩してこそ−−仲間。間違えればいいじ
ゃないか。自分達がそれを正しいと信じるなら。
 
「あたし達にしか…できないんだ」
 
 今、生きているのなら。
 
「春奈。…教えてくれ。後半どう戦えばいい?」
 
 立って歩け。前に進め。
 足を失くしたなら這ってでも。声を失くしたならその眼で前を見据えて。
 生きる限り、終わりはない。
 
「あたし達みんな…お前に従うぜ」
 
 
 
NEXT
 

 

流れた、こころ。