こうして会うのも何かの縁でしょう。 ナイフ片手にお茶をどうぞ。 貴方が主役の舞台です。 どうぞ酸いも甘いも忘れて、さあ。 この背中に、白い翼は 無いとしても。 5-44:蒼く、優しく。 本当は−−泣き叫びたかった。春奈は皆に見えない場所で拳を握りしめる。どうして兄ばかりがこんな目に遭わなければならないのだろう。どうしてこん な悲しい事ばかり続くのだろう。問いかけても問いかけても答は出ない。出る筈 がない。運命や神様なんて−−目に見えないものが、答えてくれる筈はない。 答は結局、自分の中にしかないのだ。何が正しいか、何が間違いかを決めるのは世界ではない。たとえ世界がいくら その基準を示してみせたところで、自分が納得していなければ無いも同然だ。最 終的に正解を決めるのは他でもない、自分自身なのである。 だから春奈は−−その自分自身の心に従って、自分に“魔法”をかけた。“兄はアルルネシアのサッカーなど望んではいない”。“そこから抜け出した がっていて、彼を助けられるのは自分達だけだ”と。それはけして嘘ではないが 絶対の事実でもない。しかし言葉にして皆に、自分に聴かせることで、春奈はそ れを真実にしてみせたのだ。自分がもう、泣かない為に。塔子が代わりに折れてくれたから、自分は折れず にいられたのかもしれない。ただ一つ、これだけは見えたから。春奈は悲しくて悲しくてたまらなくても、 兄を救う唯一の道を選べたのだ。塔子も皆も、耳をすませば必ず聴こえる筈であ る。 助けてと、いつも言葉に出来なかった彼が。声にならぬ声で叫ぶ、その声が。−−今すぐは、無理かもしれない。それくらいアルルネシアの呪いは強い。 だけど、と。春奈は敵方のベンチで作戦を指示する鬼道を見つめる。−−絶対な事なんて一つもない。だから私は…その可能性に賭ける。 待っていて。貴方に今、見せるから。貴方の妹はこんなに強くなったのだと。誰かを救うことが、皆を守ることがで きるようになったと。−−もうお兄ちゃんに護られるだけの私じゃないよって…見せてあげるから。 まずはイプシロンを救う。 仲間の為に。兄の為に。そして、自分自身の為に。「私達は今一点、負けてます。つまり最低二点はとらなきゃいけないわけですが …その為にはいくつも問題をクリアしなくちゃいけない」春奈は紙を広げる。イプシロンの装甲は堅い。まず、鬼道の予知。彼の“神タ クト”をかいくぐらなければ、まずゴールまでボールを運べない。鬼道は完璧に 皆の動きとタイミングを呼んで、ボールを奪ってくる。そして奪われたらそこか らもうこちらのゴールまでノンストップだ。手に負えない無敵モードになってし まう。加えて、ゴールまでボールを運べたとしても。あのデザームからゴールを奪う のは至難の技だ。おまけにバランスの良い彼は難しい球もしっかりキャッチして くる。ついでに強肩。そのままカウンターを食らえば体勢の立て直しが間に合わ ず速攻にやられる−−なんて事にもなりかねない。そうでなくともデザームにはあの技、“グングニル”がある。ゴールでボール をキャッチされた流れのままロングシュートなんて悪夢すぎる。反対ゴールから 打っても、シュートブロックがなければ防ぎようがない一撃だ。“グングニル” をいかに防ぐか。その対策をしない限り、半端にシュートも打てまい。「さらに。アフロディさんと聖也さんの“サジタリウス”はもう打てないし…吹 雪さんはもう戦える状態じゃない。こっちのチームの決定力不足も深刻です」アフロディはもしかしたらあと一発くらい、単品のシュートが可能かもしれな い。しかし疲れきった今の彼はコントロールがガッタガタだ。入る保証はない。頼みの綱はレーゼただ一人。彼と宮坂のユニバース・ブラストならデザームか らゴールを割れるかもしれない。しかし、それは向こうも計算済みのはず。「一つだけ…方法がないわけじゃない。皆さん、協力して下さい」春奈は紙にフォーメーションを書いていく。フォーメーション名はミルキーウ ェイ。3−4−3、前線を厚くした極めて攻撃的な陣型だ。守備の厚みに欠ける が、とにかく得点を狙って強引に勝ちには向いている。FW 照美 聖也 緑川 MF一之瀬 春奈 宮坂 音村 DF 土門 塔子 立向居 GK 円堂 「聖也をド真ん中に…激しく不安」「右に同じ」「おいこらちょっと!」 息ピッタリで不安をもらす塔子と木暮に、慌ててつっこむ聖也。「確かに俺はコントロール音痴だけども!シュートがまともに入る気しないぶっ ちゃけFWなんか一番向いてねぇと思うんだけどもー!」 「…そこまで分かってんなら反論のしようないっしょ…」土門がさらっとトドメを刺し、聖也が撃沈した。見事なまでの四面楚歌。一人 オドロ線を背負って地面にのの字を書き始めるその背中は哀愁に満ちている。落 ち込んでいてくれた方がぶっちゃけ静かで有り難い。いいぞ土門先輩もっとやれ、 と心の中でえげつないエールを送る春奈である。「聖也さんにシュートなんか期待するわけないじゃないですか。当然でしょ」 春奈はずばっと言い放った。「あの鉄壁のデザームから点を奪う唯一のタイミングを突く為です。いくらデザ ームとはいえ、ガードが間に合わない瞬間があるんですよ」「あ…!」「気付いたみたいですね、一之瀬先輩」 理解の早い先輩がいてくれると助かる。春奈は解説した。「いくらデザームでも…グングニルを打った直後にドリルスマッシャーはできま せん」本来ならば、デザームにキャッチさせない、グングニルを打たせないよう動く のがセオリーだろう。だからこそあえて打たせる。それが自分達にとって唯一の 好機であるならば。 どんなスゴい人間でも、体勢が整っていなければ100%の力は出せない。パワーと踏ん張りが重要なキーパーなら尚更だ。「俺…死亡フラグ…」「ガタガタ言わないの、男でしょ!」「そして相変わらず扱いが不憫だよね俺っ!」自分の役目を理解した聖也が再度沈没し、夏未が追い討ちをかける。まあつま り、シュートにこれっぽっちも期待できない聖也が最前線にいるのは−−そうい うことだ。まあ聖也一人にやらせるつもりはない。その為に自分と宮坂がすぐ後ろに控え ているのである。「この作戦は、中盤に大きく穴が空きます。土門さん、塔子さん、立向居君、背 中は任せましたよ」「分かったよ!」立向居が頼もしい返事をしてくれる。まったく、自分と同じ一年の筈なのに− −生真面目で、芯の強い子だ。ジェネシスと戦った時やサッカーバトルをした時 の彼を思い出し、小さく笑みを浮かべる春奈。 大丈夫。彼ならけして自分の期待を裏切るまい。「あともう一つ…音村さん」「何かな?」 相変わらず読めない笑みを浮かべて音村が言う。「確認ですが。…神のタクトで、あちらの予知を相殺することはできますか」こちらの予知が使えなくなるのは痛いが、それでも向こうに読まれまくるより マシだろう。予知を予知で封じる。それができとしたら音村だけだ。「できるよ」 音村はあっさりと言った。「ただし…予知封じに予知を使うとなると、作戦上かなり無駄な動きが増える。 つまり、だいぶ体力を使うことになるだろうね。あと分かってるとは思うけど、 これで互いに“神の指揮棒<タクト>”を完全に使えなくなる。…基本的な技術 はあちらが上なわけだがら、不利なことには変わらないけど?」確かに−−当初自分達は技術や体力の少なさを、音村の力でカバーするつもり だった。それができなくなる上、逆にスタミナを消費するのはかなり辛いものが ある。「それでも、読まれまくるよりマシです」だからこその作戦でもある。長引かせれば長引かせるほどこちらが劣勢になる のは目に見えている。ここで奇策を一発、流れをこちらに引き戻さなくては。 その為に、必要なのは。「…アフロディ……大丈夫かよ?」 綱海が心配そうに、その顔を覗き込む。「大丈夫…だよ。まだやれる」大丈夫とは言うが、彼の顔色はお世辞にもいいとは言えない。時折胸を押さえ て苦しそうだ。体力的な問題だけではない。それ以外の意味でも−−限界が近い のだ。やはり彼はもう外すべきか。確かに当初照美は前半だけ出して引っ込めるつも りだった。だが予定外のことが起きている。まさかここで吹雪が一点も決められ ないまま戦闘不能になるだなんて、誰も思っていなかったのだ。実質的に、吹雪の穴を照美とレーゼで埋める形となってしまった。精神的にも 肉体的にも負担は大きい筈だ。「私を外す、なんて言ったら…怒るからね」 しかし春奈が尋ねるより先に、照美が口を開いた。「足手まといになりそうなら、自分から舞台を降りるさ。それくらいの判断はつ く。それに…」彼はちらり、と敵方のベンチを見やった。その視線の先にいるのはデザームと 鬼道だ。司令塔同士、話すべき事は山のようにあるのだろう。「…なんか…他人事じゃないんだよね。デザームもそう。鬼道君もそう。何か… 重なるんだ」何に、なんて。訊くまでもなかった。照美は思い出しているのだろう。昔の− −といっても実際はそう時は過ぎてはいないが−−影山に付き従っていた頃の、 己を。照美と影山の関係が実際どのようなものだったかなんて、自分には知る由もな い。親子であり、共犯者であり、主従であり。事実として知る事はできても、真 実の心は照美の中にしかない。あるいはもう、今は亡き影山の中にしか。「世宇子は…洗脳されてたわけじゃない。間違いなく自分の意志で、あの人に従 ってた。そういう意味じゃ、鬼道君達と私達は違うけれど」 ぽたん、と。まるで水面に滴が落ちるように−−照美の声が自分達を揺らす。「…盲信して。正しいって信じ込まされて…信じ込んで、力に溺れて力に酔って。 本当の事が見えなくなってた時は気付けなかった。…自分は、苦しかったんだっ て」「じゃあ…」 塔子が縋るような目で言った。「じゃあ…鬼道も同じ、なのかな」 すると意外なところから声が飛ぶ。音村だ。彼は微笑み−−口にした。 魔術師の、赤き真実を。「旋律の魔術師…音村楽也の名において…誓うよ。 【鬼道君もデザームも、一番に望む事は昔から何一つ変わってない。君達ならその願いが分かる筈だよ】」 赤き真実、有効。音村の言葉が真実として自分達に染み渡り、力を与えていく。 願いは同じ。何も変わらない。自分達も、彼らも。「ゼル様。行ってきますね」レーゼが車椅子のゼルの手を握り、そう言って真っ先にフィールドへ向かう。 その後ろを照美が、綱海が、一之瀬が追う。後半が、始まる。「…貴方達ならできるわ」 瞳子の声を背中で聞きながら、春奈も歩き出した。「負けないで。…これは、救う為の戦いよ」魔女と人との戦いであり、同時に自分自身との戦いといえる。負けてなるもの か。これ以上、悲しい事は起こさせない。−−私がみんなを…護る!だから見ていて、大好きな人。 NEXT |
手紙を拾って、泣いたのは。