崖っぷちだったって
 独りになったとしたって
 負けるのだけは嫌なの
 ああ、冗談じゃないわ
 
 
 
 
 
この背中に、
白い
無いとしても。
5-50:髄、アウトブレイク。
 
 
 
 
 
 動揺だとか、焦燥だとか。自分もまだ人間の側にいる以上、少なからず抱くモ
ノはあるが。残念ながら囚われてる暇はないし、完全に囚われてしまうには既に
レーゼの身は人から離れていた。
 デザームが真正面に、いる。少し気を抜けば泣き出してしまいそうで怖い。大
阪での試合、自分は最後までフィールドに立つことが出来なくて。あれが今生の
別れになってしまうなんてと−−酷く後悔したものだった。
 
−−強く、なりたかった。自分の為に…貴方の為に。そんな私に、貴方はあの試
合で言ってくれました。
 
『馬鹿を言え。お前は…最初から強いじゃないか』
 
−−貴方はこんなちっぽけで弱い私を守ってくれた。…見ていてくれた。貴方自
身は誰にも守って貰えなかったのに。
 
 償うべき罪がある。
 贖うべき咎がある。
 自分は弱くて、いつもデザームやいろんな人に縋って、頼って、守られて。し
まいには一番大事なことを、忘れた。確かに記憶を失ったのは自分自身の意志で
は無かったけれど。
 
「…デザーム様」
 
 現実から目を背けようとしたのも、確かに自分だった。
 
「覚えてますか。約束したことを」
 
 デザームが初めてレーゼをちゃんと見た。思えば試合が始まってから彼は一度
も自分を見なかった。単にレーゼがベンチにいたせいではあるまい。フィールド
を見渡す時でさえ、彼は意図的にレーゼを視界から外していたように思う。
 それは−−ひょっとしたら。自分を見ると何かを思い出してしまいそうで、怖
かったからではないだろうか。
「貴方はイプシロンの皆と約束した。そして、私とも」
「お前…」
 デザームが、何故お前がそれを知ってるんだ、という顔をする。レーゼは肩を
すくめた。自分は魔女だ。否、魔女になった。デザームにまだその事実は認識さ
れていないらしい。
 レーゼに人の心を見る力はない。それは音村の領域だ。しかし代わりにレーゼ
には、人の魂の形と、魂に焼き付いた過去を見る力がある。
 それは体や心の記憶とはまた別のモノ。どんなにデザームがアルルネシアの手
で記憶を改竄されていようと、実際に起きた出来事が消えたわけではなく。特に
本当に強い想いを遺した“過去”は、魂に強く焼きつく。それはアルルネシアで
さえ消すことは出来ない。
 だからレーゼは、知っている。イプシロンの子供達のあまりに悲しい逃避行を。
それでも走り抜いた彼らの生き様を。そしてデザームが死に際にゼルや皆と交わ
した、一つの約束を。
 
「こんなに強く、焼き付いてるんだ。貴方は絶対に、忘れてなんかない。本当に
大切な約束だった。イプシロンのも…私のも」
 
 かつて自暴自棄になり、ガムシャラに力を得ることしか考えられなかったレー
ゼに。デザームは、生きる為の目的をくれた。幸せを、教えてくれた。レーゼは
胸元のペンダントを握りしめる。これを貰った時、約束したのだ。
 自分は、自分を愛する努力をするから。貴方を助けさせて欲しい−−自分が貴
方を助けられるくらい強くなるまで、待っていて下さい、と。
 
「貴方は私を“強い人間だ”と言ってくれた。だからもう、資格はあるはず」
 
 思い出して。
 
「約束しましたね」
 
 たいせつなことを。
 
「今度は私が…貴方を救う。貴方をアルルネシアの手から護ってみせる」
 
 デザームの眼が一瞬、揺れる。血のように紅い色。魔女の色に染められてしま
った瞳。しかし、その中にはまだ彼の心が残っていた。光は失われていない。な
らばきっと−−手遅れなんかしゃない。
 
「…ゼル様を救えるのは貴方だけだ。ゼル様は、とても怖いものを見て心を閉ざ
してしまった。だから…」
 
 胸の奥が痛い。嫉妬はある。でもそれだけじゃない。
 
「この世界には見る価値があるものをあるって…デザーム様が示して欲しい。ど
うかイプシロンが望む“本当の”サッカーをして下さい。…そうしたらゼル様も、
きっと見たくなって戻ってくる」
 
 泣きたいくらい残酷な運命の中。けれど胸を締め付けるのはそれだけではなく
て。
 
「…だって。ゼル様も貴方もサッカーが大好きだから。私達と、同じように」
 
 デザームの唇が動く。何かを言いかけて、止まる。やがて聞こえたのは呟き。
 世迷い言を、と。それが単なる否定でないと気付いたのは何人いるだろう。
 
「…本当の、サッカーなんて」
 
 何処にある、と。デザームは低く唸った。同時に試合が再開される。メトロン
のボールがデザームにパスされ、レーゼはそれを奪いにかかる。
「此処にある。私達がそれを証明する!」
「痴れ者が!」
「貴方に思い出させる…サッカーは幸せの魔法だって!その為に私は此処にいる
んだ!!
「ならば力で見せてみろ…!お前達の真実を!!
 背が高いくせに−−普段ゴールキーパーばかりやっていた筈なのに。デザーム
の動きは俊敏でテクニカルなものだった。足にボールが吸い付いてるかのように
操る。体格差で突破する事も出来ただろうに−−あえて小技で魅せるのは、レー
ゼに実力差を思い知らせる為だろうか。
 暫く踊らされた挙げ句、抜かれた。ああ、と溜め息が漏れる。
 
−−やっぱり…凄い。
 
 そして、正々堂々と戦おうとする。その精神は魔女であっても侵せなかったと
知る。
 
−−負けない!
 
 デザームの背中に追いすがる。単純な脚の速さならば、レーゼに分がある筈だ
った。しかもあちらはドリブルしていてさらにスピードが落ちている。
 だが、レーゼが追いついて仕掛けるより先に、ボールはグレイシアに渡ってい
た。
 
「くそっ…!」
 
 グレイシアにシュートを打たれるのもマズいが、それよりデザームをフリーに
しておくのが危険だ。レーゼはデザームをマークしに走った。音村もいるが、彼
は読むのは得意でも身体能力そのものはさほど高いわけではない。この局面でデ
ザームにマークを二枚つけるのは悪い判断ではない筈だ。
 しかし、レーゼの前に立ちふさがった影があった。メトロンだ。
「お前達などに…デザーム様の邪魔はさせない…っ!」
「メトロン様…!」
 メトロンの瞳も、アルルネシアの植え付けた狂気で赤く染まっている。ぐしゃ
り、と。紙握り潰すような音が胸の中でした。悲しい。もうこれ以上なく悲しい
想いをしているのに、感情にいつまでも底が見えない。なまじ半端なチカラなど
無ければ、こんな想いをする事は無かったのだろうか。
 
「貴方だって…貴方だって思い出した筈じゃないか…!」
 
 彼は言った。楽しいサッカーがしたかった。それが真実だったと、思い出せた
筈なのに。
 魂に記憶は焼き付いていて、それが見えるのに。今のメトロンには自分の心さ
え、見えてないのか。
「裏切り者は黙ってろ!惑わされるものかっ」
「惑わされてるのは貴方です!真実を見て下さい!!
 そんなやり取りの間にも試合は進んでいく。グレイシアが一之瀬をイリュージ
ョンボールで抜き去った。普段の一之瀬ならばもう少し粘れただろうに−−やは
りショックが後を引いている。
 一之瀬を抜き去ったグレイシアに今度は立向居が向かっていくが、その時には
もうボールはその手元を離れていた。デザームにパスか、と思いきやなんとデザ
ームはスルー。レーゼがはっと気付いた時にはもう遅い。
 
「ぐっ…!」
 
 パスではない−−攻撃だ。なんてグレイシアはパスと見せかけて、対角線上に
いるレーゼを攻撃してきたのだ。もろに脇腹にボールを受け、レーゼの体は転が
る。半端な威力じゃない。もっと距離がなければ、レーゼがギリギリで気付いて
一歩引かなければ−−肋の一、二本持っていかれてたかもしれなかった。
 うずくまる視線の先。バウンドしたボールをメトロンがトラップしていた。冷
ややかな眼でレーゼを一瞥し、駆け出していく。
 
「待…て……っ!」
 
 駄目だ、行かせては。これ以上彼らの進撃を許したら、止められなくなる。こ
こで追加点を許したら後がない。
 しかし時は無情。ふらつく足で立ち上がったレーゼが見たものは、メトロンが
必殺技を構える姿だった。
 
「メテオシャワー…V3!!
 
 降り注ぐ隕石。防御の要である塔子だ。とっさにザ・タワーの城壁で身を守っ
たのは流石だが、勝ったのはメトロンだった。隕石が雷の塔を粉々に打ち砕き、
塔子を大地に墜落させる。
 
「ぐぁぁっ!」
 
 地面に叩きつけられた塔子の側を悠々と超え、メトロンがボールをデザームに
パスしていた。音村がそれを拒みに来るが、やはり彼ではパワーが足りない。デ
ザーム相手にたった一人では力負けしてしまう。音村を力技でかわし、彼は楽々
とパスを受けた。
 非常にマズい。もう雷門のディフェンスは土門と綱海の二人しか残っていない。
 
−−くそっ…完全に向こうにバレてる!
 
 今の場面。最終的にデザームで決めに来るのは分かっていたのだ。メトロンと
塔子が戦っている間に土門と綱海の二人がデザームより前に上がってしまえば−
−確かにリスクを伴うのは事実だけども−−オフサイドトラップに引っ掛けられ
たのである。
 そう出来なかったのは、綱海にその判断力が無かったからだ。土門一人上がっ
ても意味はない。ならば次善策は綱海と二人でシュートブロックを狙いにいくこ
と。仕方なく彼は逆にギリギリまで後退して待ち構えたのだろう。
 綱海のシュートや守備力は驚異的だが、動きに無駄が多い。イプシロンにもと
っくにバレていたに違いない。だからあんな前に突っ込んだ危ないパスが出せた
のだ。初心者の綱海がこの局面で、オフサイドトラップにまで気が回らないこと
を察して。
 
−−今までは綱海の経験不足は音村が“神の指揮<タクト>”で導くことで補っ
ていたんだろう。でも今はそれが出来ない…!
 
 “神の指揮<タクト>”−−予知に連なる能力は今、双方で打ち消し合いにな
っていて機能しない。となればモノを言うのは経験と、鍛錬で培った技術だ。
 
「ふん、止めに来ないのか?」
 
 明らかにシュートブロック狙いに集中している土門と綱海を見て、デザームは
退屈そうに鼻を鳴らした。
 
「自らぶつかり合ってこそサッカーだというのに…つまらん、な!」
 
 シュートを打つ。しかしそれは必殺技でもなければ、ゴールを狙う為でもない。
「うっ!」
「かはっ!」
 土門と綱海を排除する為の一撃。デザームの打ったボールは土門の腹に当たり、
そのままの勢いで反射して綱海のこめかみを殴った。
 
「言い忘れていたが、私は計算が得意なものでな」
 
 手加減はしたのだろうが、土門と綱海はすぐには立ち上がれない。数十秒。そ
れだけあればデザームには充分だっただろう。
 グングニルを打つのに充分な間。あと敵は円堂一人!
 
「円堂!」
 
 頼む、と。そんな意をこめてレーゼは彼を呼んだ。残念ながら今自分が出来る
のは、我らがチームのキャプテンを信じて声を投げることだけだった。
 デザームの姿が紫色の光に包まれていく。円堂が顔を強ばらせて身構えた。デ
ザームは言う。
 
「グングニル…二撃目だ」
 
 それはさながら、死刑宣告のようでもあった。
 
 
 
NEXT
 

 

泣かないときめたの。