簡単な感情ばっかり数えて
 いつの間にか貴方の声も忘れてしまったの
 バイバイ、もう永遠に逢えないのね
 分かってしまった、どうしようもないくらいに
 
 
 
 
 
この背中に、
白い
無いとしても。
5-51:柱、アリス。
 
 
 
 
 
 約束した。
 約束したんだ。
 その事実は覚えているのに−−内容が思い出せない。気付いた時、デザームは
愕然とさせられた。
 
−−イプシロンを頼む、と。私はいつかゼルに言った。
 
 それが該当する約束、なのだろうか。しかし自分はどういった経緯で、ゼルに
チームを任せようとしたのだろう。それはいつ、何処での会話だっただろうか。
 そしてレーゼのこともそう。彼はエイリアを裏切り、自分達を罠にかけた雷門
に寝返った逆族である筈なのに−−何故彼に対し恨みや憎しみが沸かないのか。
自分はレーゼと、何を約束した?
 
『私が貴方を助けられるくらい強くなるまで、待っていて下さい、と』
 
「ぐっ…!」
 
 ずきり。ずきり。ずきり。声と共に頭痛が酷くなる。自分は、何を忘れている
のか。とても大切なことだった気がするのに−−それなのに。
 
『絶対絶対!隆一郎より先に…俺が兄ぃからゴール奪ってみせるんだから!!
 
 頭の中で鳴る子供の声。無邪気な笑い声が脳髄で反響し、やかましい蝉時雨の
ように耳を塞ぐ。ぐっとデザームは歯を食いしばった。耳を傾けるな。迷ってし
まう。迷いたくない。隆一郎なんて名前の人間は知らない。知らない。
 自分はただ−−なればいい。
 
 
 
 ニセモノノ エイリアンニ。
 
 
 
『今日から貴方は、エイリア学園ファーストランクチーム、イプシロンのキャプ
テン…デザームです』
 
 
 
「あ、ぁ…」
 
 
 
『砂木沼治なんて名は捨てなさい。忘れるのです。昨日までの自分を全て』
 
 
 
 
 
「うわああああっ!」
 
 
 
 
 
 逃げている、と自分でも分かっていた。それでも記憶と声を振り切るように叫
び、シュート体制に入った。自分にはもうこれ以外に道はない。正しかろうと間
違いだろうと、皇帝陛下に背けば未来はないのだ。
 だから戦う。自分自身と、愛しい仲間達を守る為。願った未来を掴みとる為。
たとえ雷門が自分達の思っていたような卑劣な集団で無かったとしても、立ちふ
さがるならば例外なく敵なのだ。
 
「グングニル−−!!
 
 デザームの渾身のシュートが、円堂に向かう。けして勝ち目の無い試合ではな
い。むしろイプシロンが優勢。実力でも明らかに上回っている。それなのにデザ
ームは今紛れもなく恐怖していた。
 円堂が構える。シュートを、デザームを見て悔しげに唇を噛み締める。その、
まるで責めているかのような眼が怖い。彼の言葉が怖い。彼に触れるたび、もっ
と恐ろしいモノを見てしまいそうで−−見えてしまいそうで。
 
「正義の…鉄拳!」
 
 円堂の放った黄金の拳が、シュートを捉えた。この一騎打ちは、自分の勝ちに
なるだろう。円堂の体がジリジリと押されていくのを見ずともそれが分かってい
た。正義の鉄拳は素晴らしい必殺技だが、いかんせん本人の経験値が足らなすぎ
る。一点にパワーを集中する為、タイミングとコントロールを見誤れば威力が激
減する技だ。本人はそれを分かっているのかいないのか。
 それなのに。どうして自分は、この試合に勝てる気がしないのだろう。負けら
れないのに、負けるようなイメージを抱くのか。
 不確かな記憶に怯えているから?円堂の言葉が怖いから?
 それとも。
 
−−私が…本当に怖いのは…。
 
 本物のサッカーなのかもしれない、なんて。思ったところでどうにもならない
のだけれど。
 
「わあっ!」
 
 円堂の体が吹っ飛んだ。シュートがゴールに突き刺さる。絶叫のようなざわめ
きが観客席から鳴り響く。鳴き叫ぶ。これで2対3。自分達の勝ち越しだ。この
1点は大きい。観客達もそれが分かり、絶望しているのだろう−−この試合の本
当の意味など分からずとも。
 
「…正義の鉄拳は、完全に破られた。分かっただろう?貴様らの力は我らに通用
しない」
 
 堂々としていろ。威圧的であれ。デザームは普段通りの自分である為に、かな
りの努力をしなければならなかった。
 
「この試合にもお前達のサッカーにも…もう興味はない。後片付けだ。…ここか
ら先はただ、我らが一方的に貴様らを潰すだけの時間となる」
 
 震えるな。揺らされていると、悟られるな。
 
「諦めろ、円堂守。貴様らに守れるものなど、何もありはしない」
 
 俯く円堂。少しの、静寂。言い切った時、デザームは悟り、酷い絶望に襲われ
た。気付いたからだ。
 諦めろ。どうせ何も守れない、と。それは他の誰でもない、自分自身に言い聞
かせている言葉だった。
 何かを諦められないから、まだ立っているのだけれど。
 
「…っ」
 
 空気を、何かが震わせた。デザームは一つ、まばたきをする。何だろう、この
−−まるで湖に波紋を投げるような、音は。
 
「ふ…ふふ…くくく…っ」
 
 誰かが、笑っている。デザームははっとして、吹っ飛ばされゴールの網に絡ま
るようにして座りこんでいる円堂を見た。俯いた円堂の顔は見えない。しかしそ
の体が震えているのは分かる。
 時が時で、相手が相手ならば。彼が泣いているように見えたことだろう。しか
しデザームは気付いていた。空間を震わせる笑い声と、円堂の動きが一致してい
ることを。
 まさか、円堂が。
 
「…はは、はははははっ!」
 
 バッと顔を上げ、円堂はついに大口を開けて笑い出した。誰もが唖然としてそ
の姿を見る。その笑い方が、気が違ったようなそれであれば、恐ろしくとも自分
達は納得しただろう。
 しかし、円堂の破顔一笑は。文字通り、愉快でたまらないといった様子だった。
子供が楽しくてつい笑い転げてしまっているような、からりとしていて豪快な−
−そんな笑い方。
 あまりにも、この局面に似合わない。
 
「はははっ…なあデザーム、勿体無いな!俺達のサッカーに、興味がなくなった
って?」
 
 やがて笑いを収め、円堂は言った。
「そんな気が早いこと言うなよ。逆転劇は雷門の専売特許だぜ?後半ラスト十五
分、こっからが本番だ」
「逆転劇…だと?」
 何を馬鹿な。確かにまだ時間はある。可能性はゼロではない。しかし。
 
「何を馬鹿なことを。何故笑っていられるのだ!状況をよく見ろ。貴様に、私の
グングニルを止める術はない。何より、もはや貴様らに我らから点をとる手段は
ないだろう!これ以上小細工などしても無駄だ!!
 
 雷門の攻撃の要である照美と吹雪がベンチに下がってしまった。唯一自分達に
対抗できそうなのはレーゼくらいだが、彼の体格とパワーでは強行突破など無茶
も無茶。押さえ込めばどうということはない。
 さらには互いに予知が使えない現状。奴らの頼みの綱だった旋律の魔術師・音
村楽也は封じられたも同然。あと奴らに出来ることといえば、奇策で仕掛けるく
らいだが−−パワーがあり守備の要である聖也もいない今、ボール奪取そのもの
が困難だ。
 加えて、デザームのグングニルはいつ何処からでもシュートが狙える。確率を
上げる為に力任せでいくらでも敵を突破して前進出来る。点差は開いていく一方
だろう。
 打つ手なし。そう言っても過言でない状況の筈なのに。
「そうだな。…お前達は強い。本当に強い。お前達みたいな奴らとサッカーでき
て、すっごく嬉しいよ」
「嬉しい…だと?」
「嬉しいさ。だって相手が強ければ強いほど燃えるスポーツだろ?サッカーは
!!
 何を馬鹿な。デザームは困惑した。負けられない試合だと、彼とて分かってい
ない筈はないのに。その試合を、嬉しいだとか燃えるだとか−−ああ、でも。
 わからないだなんて、言い切れない。自分だって今思ったから言った。興味が
なくなったと。それは即ち今まで興味があったということで。
 心のどこかで試合を楽しんでいたと、いうことで。
 
「そいつの言葉に耳を貸しては駄目よ」
 
 デザームの動揺を悟ってかアルルネシアが言う。
「円堂守は断罪の魔術師。言葉で人を惑わし、洗脳し、扇動する悪しき存在。貴
方達の敵よ」
「お前は黙ってろ」
「!」
 円堂は低く、しかし強く言い放った。あのアルルネシアが一瞬言葉を詰まらせ
たほどに。
 
「…お前が一番分かってると思う。サッカーは楽しいものなんだ。みんなを幸せ
にできる魔法だ。だから誰かを傷つけたり、壊す道具じゃない。…それって、悲
しいだろ。楽しくなれる筈のことで、誰も笑えなかったらさ」
 
 円堂が少し、寂しそうな眼をした。
 
「お前達は笑ってたけど。俺にはずっと今のお前達は泣いてるようにしか見えな
い。本当のサッカーがやりたいって。こんな事やりたくないんだって。ヒロトと
…グランと同じように!」
 
 グラン。その名前に、またぐらりと何かが揺れ動く。マスターランク。自分達
の上司の一人。個人的には最も尊敬するチーム・キャプテンと言っていい。
 彼のチームは先日、最高地位ジェネシスに任命され、福岡で雷門を叩きのめし
た筈だ。情け容赦ない戦いで圧勝だったと聞いている。そんな彼が−−楽しいサ
ッカーを望んでいた?
 
−−駄目だ、また、記憶に靄がかかる…。
 
 彼との会話や、彼の表情が所々思い出せない。まるで霞がかかったように。
「グランだけじゃない。ガゼルだって…声に出せなくても叫んでた。大阪の試合
だ。思い出してくれ。あいつがお前達を追放する時、どんな顔をしてたか。…耐
えきれなくてどうにもならなくて…あいつは言ったんだ…“ごめんなさい”っ
て!」
「−−!!
 そうだ。
 自分は、自分達は。確かにその声を、聴いている。眩い光と霞む意識の中。泣
き出しそうなあの人の声と、顔を。そうだ、見間違いなんかじゃない。
 だが。イプシロンが追放された?それならば何故自分達は此処にいる?何故記
憶が食い違う?
 
「…俺達は勝つ。雷門は今までどんな逆境にあったってひっくり返してきたんだ。
確かに負けた事はたくさんあったけど、その負けだって俺達の力になってる。例
え賽子を振って、何回1の目が出たって、6の目が出るまで何万回だって粘れる
のが俺達なんだ。もう地獄は見飽きてるんだ。何回転ぼうが、怖いものなんてあ
るもんか」
 
 そもそもこんな楽しい試合で、大好きなサッカーで諦めたら、勿体無いじゃな
いか。円堂はそう言って笑う。
 
「諦めろと言われても、残念ながらそれが出来る良い子はこのチームにいないん
だよな。諦めない事が俺達の最大の必殺技だ。だから諦めないぜ。イプシロンの
事も、鬼道の事も」
 
 グレイシアが、色の無い眼で円堂を見る。彼はどこまで自我と記憶があるのだ
ろう。どういった経緯でそこにいるのか、自分達は何も知らない。
 ただ確かなのは。円堂がデザーム達のみならず、彼の救済をも願っている事だ。
「…諦めないのは勝手だが。ここから先、どう逆転する気だ。勝算なんて…」
「あるさ」
 デザームの言葉を遮り、円堂は言った。
 
「あいつがいる。あいつは沖縄で、必ずこの試合を見てる。俺達はあいつを、信
じてる」
 
 あいつ?誰が、と問う前に放たれる回答。
 
「豪炎寺修也は、必ず来る。戦って、守る為に」
 
 信じる者の笑顔。円堂を前に、デザームはただ呆然とする他ない。彼は強かっ
た。自分達より、遙かに。
 
 
NEXT
 

 

最期に思い出したんだ。