私は信じています この海の底で、貴方にいつか届く日を 私の涙が乾く頃 そこに貴方の笑顔があるようにと
この背中に、 白い翼は 無いとしても。 5-54:彼女は、其れを識る。
手がビリビリと震えている。モールは両手をぐっと握りしめた。確かに、確か に自分の本領はDFであってキーパーではない。デザームもゼルも塞がった時の三 人目ならば尚更実戦経験など無きに等しい。 それでも。愛するキャプテンの奥義を直々に受け継いでおきながらこのザマで は−−あんまりではないか。
『シャッターが開くまで、私がみんなの盾になる』
ずきり。
『私は…デザーム様の技を受け継いでるのよ。デザーム様やゼルの代わりにGK をやったこともある。あんな奴らから三十秒くらいもぎ取るなんて簡単よ』
「う、あ…っ!?」
頭が、痛い。モールは頭を抱えて疼くまる。響いてきたのは、刺すような己の 声。それなのに自分には、その台詞を言った記憶がない。 何なのだ。何なのだこれは。記憶がない、ない筈なのに。
「モール?どうした?」
デザームがモールの様子に気付き、振り返る。モールはぎこちなく笑みを浮か べてみせた。
「も、申し訳ありません、デザーム様…大した事じゃ…」
大した事じゃありません。シュート、止められなくてすみませんでした。そう 続けようとした言葉が、中途半端に途切れる。
『デザーム様が受けた痛みはこの程度じゃない…あの人はもっと、もっと、もっ と…ずっと痛かった筈よ…!苦しかった筈なのよ!!』
その画は、唐突に脳裏によぎる。これは−−星の使徒研究所?ドリルスマッシ ャーで警備ロボット達から皆を守る自分。仲間達の声が聞こえる。振り向くもし かし人数が足りない。 手にビリビリと伝わるは衝撃と電撃。しかしそんなものが気にならないほど、 心が痛くて堪らない。 これはいつのこと?いつの−−記憶?
『デザーム様のシュートは…私達の誇りは!こんな軽いもんじゃないのよ!!』
「モール!モール!!」 「あ…っ」 肩を揺すられ、我に返る。目の前に心配そうなデザームの顔。頬が冷たい。モ ールはそこで初めて、泣いている自分に気がついた。 「デザーム様…いきてる。わたし、も…」 「え?」 「生きてる…そうよ、今目の前にいるじゃない…。だからこんな記憶、間違って る…」 そうだ。だからこんな事−−起きた筈がない。それならば何故自分達が此処に いる?生きている?
「デザーム様が、死んじゃった筈ないわ…そうですよね」
そう呟いた瞬間、デザームの顔が強張った。ああやっぱり、自分がおかしな事 ばかり言うから心配されてしまったんだろうか。 だが、そうではなかった。
「モール…お前も、か」
デザームの呟きに、目を見開く。 「私もだ。雷門との試合が始まってから…違和感が強くなっている。大切な何か を、忘れている気がしてならない」 「デザーム様…も?」 「…ああ。もしかしたら、私達は…」 彼はそこで言葉を止め、自分達のベンチを見た。冷ややかな眼をした魔女がそ こにいる。そうだ。彼女を見るたび、胸がかきむしられるような焦燥と嫌悪感に かられるのだ。 いや。この感情はもう、嫌悪感なんてレベルのものじゃ、ない。
「何かが変だ。…雷門のサッカーと…私達の記憶の中の奴らのサッカーが、明ら かに食い違う。最初は奴らが我々を騙そうとしているのかと思っていた。しかし …やはりどう考えても、同じ奴らとは思えない」
そうだ。不思議なのだ。モールは雷門イレブンに眼を移す。アルルネシアへの 不信感が募るのと反比例して、あれだけたぎっていた筈の雷門への憎しみが薄れ てゆくのだ。 これは一体、何を意味するのだろう。 「…答えは試合で見つけるしかない。恐らく試合が終わった時、真実が見えてく るのだろう」 「…そうですね」 「よく働いてくれたモール。あとは私に任せろ。決着をつけるぞ」 「…はい!」 そうだ。迷うより先に動くべきだ。雷門と魔女が交わしていた契約の意味。彼 らのサッカーと自分達のサッカー。答えは戦いの中で、見出す。それが誇り高き イプシロンの選択だ。
「もしかしたら、幸せな事ばかりではないかもしれないけれど」
モールに背を向け、ボールを拾うデザームが、最後にそんな事を言った。
「…お前達なら何があっても誇りを忘れない。信じている、モール」
その顔は見えない。訝しく思い、どういう意味ですかとモールが尋ねるより先 に、向こうからケンビルに呼ばれた。 「おい、試合再開するぞ。いつまでもぼさっとすんなモール」 「わ、分かってるわよ!」 慌てて前に出て行く。先ほどは雷門が点を決めたわけだから、今度はイプシロ ンボールになる。自然と前に寄った位置につく事になる。 「なあモール。一つ訊きたいんだけどよ」 「何かしら」 「サッカーが…楽しいって思うのは、変か?」 らしくもなくそんな事を言うケンビル。モールは一瞬言葉に詰まって−−やが てハッキリと、口にした。
「…どこもおかしくなんか、無いわよ」
今まで。サッカーはずっと、侵略の為の武器でしかなかった。正々堂々決着を つけられるものならば別にサッカーでなくても良かったわけだし、深い拘りなど 持ち合わせていた筈もない。増してやこの試合は絶対に負けるわけにはいかない 筈だ。 それなのに。雷門の奴らと戦い、しのぎを削る事に−−高揚感を持ち始めてい る自分がいる。そして多分自分だけでもない。さっきのデザームの顔。潰し甲斐 あると豪炎寺を表した時の彼の声。
「私も…多分デザーム様も。サッカーを、楽しみ始めてるわ。貴方もそうなんで しょ」
まぁな、とケンビルが苦笑する。 「これ全部、雷門の奴らのせいだよな。ちっくしょーめ」 「そうね。怖いったらないわ」 だけど、今。幸せさえ感じるのは何故だろう。イプシロンというチームで良か った、皆とサッカーが出来て良かった−−なんて。しかもその感情を懐かしく思 うだなんて。
「…本当のサッカー…か」
円堂の言葉を反芻し、モールは笑みを浮かべた。
此処は何処だろう。 私は−−誰だろう。 少年は闇の中、ふわふわと浮いていた。何だか気持ちが良くて、でもほんの少 し怖い気もする。闇。色で表すならば、黒。黒は好きだ。見ていて落ち着くから。 このままいつまでも漂っていたいけれど、それではいけない気がする。少なく とも自分が誰かくらいは思い出さなければ。問題はそのヒントが、闇の中には全 く見当たらないという事だが。
「ヒントなら、あるよ」
不意に、闇の中に声が響いた。女の子の声だ。だれだ、と呟くも声が出ない。 というかまず、体が動かない。眼は開いているのか、閉じているのか。
「ヒントならある。貴方の中に」
声がそう言った途端、闇の中にカケラのようなものが浮かび上がった。例える ならば、クリスタル。その中で景色がくるくると回っている。 少年は誘われるようにその中を覗きこんだ。その中では、何人もの子供達が遊 び回っている。みんなをイジメてるのは真っ赤なチューリップみたいな頭の男の 子。ぬいぐるみを取られて泣いてるのは緑髪をポニーテールにした子。そこに黒 い長い髪の男の子がやって来て、どうやら赤い髪の子を叱ったようだ。男の子は むくれている。 どこかのお庭だろうか。他にもたくさん子供がいる。お団子みたいに髪を二つ にまとめた女の子と、青い髪の男の子は玩具を取り合っている。すると優しそう な眼をしたお爺さんと女の人−−まだ女の子と呼んでいい年かもしれないが子供 達よりだいぶ年上だろう−−が来て仲裁を始めた。 やがてたくさんいた子供達が一カ所に集まり始める。鮮やかな赤い髪の(さっ きのチューリップな頭の子とは違う子だ)が何かを抱えていた。ボール−−白と 黒の。それを見た途端、ずきり、と頭に痛みが走る。 子供の声がした。みんなが笑顔で集まっていく。
『みんな!サッカーやろうよ!!』
そこで景色が暗転する。やがて映し出されるのは無機質な暗い廊下だ。窓の向 こうに、深い深い森が見える。 少年の唇が動く。いやだ。この景色は、みたくない。
「そうだね」
再び少女の声が響く。
「つらいよね。…悲しいこと、たくさんあったもんね」
そうだ。ここで。この場所で。とてもとても悲しいことが−−あって。
「キミはとっても頑張ったよ。本当はこのまま休ませてあげたいけど。でもそれ じゃ、駄目なの」
どうして?
「貴方の帰りを、待ってる人がいる。貴方がまた笑ってくれるって、信じてる人 達がいる。だから…帰らなきゃ。その人達のところへ」
闇の中に浮かび上がる人影。それは緑髪でポニーテールの−−恐らくは男の子。 さっき欠片の中で見た泣いていた子によく似ている。ひょっとしたらあの子が成 長した姿かもしれない。
『ゼル様。行ってきますね』
まって、いかないで。そう叫ぶのに、届かない。男の子は背を向けて、闇の中 に去ってしまう。 次に現れたのは、金がかった銀髪の長い髪の少女だ。
『生きる為の役割分担だ。…迷ってる時間なんかないよ。私達は…イプシロンの 誇りを背負ってるんだからね!!』
その少女もまた消えてしまう。次に現れたのは、真っ赤な大きな酸素マスクを した女の子だ。
『デザーム様を信じたみたいに…私の事も信じてくれる?』
マスクの女の子と入れ違いになるように、今度は二つのお団子頭の可愛い女の 子と、青く長い髪の男の子だ。 『お前が無事脱出できたら。その時は…助けに来てくれ。雷門の連中と一緒に… …俺達をさ』 『マキ達、頑張るから。だからきっと…助けに来て。ね?』 二人は微笑む。その笑顔に、胸の奥がぐしゃりと鷲掴みにされたような錯覚に 陥る。 約束。そうだ、彼らと約束した。 助けに戻るって、約束したんだ。
「待ってくれ…」
声が出た。体が、動いた。
「行かないでくれ…マキュア!メトロン!」
しかし二人は笑みを浮かべたまま、ふわりと闇に溶けてしまう。その直前に、 声がした。
「マキ達、頑張るから。だからきっと…助けに来て。ね?」
ゼルが葛藤しているのは見てとれた。だから自分達は奇しくも同じ台詞−−そ して同じ言葉を叫んでいた。
『頼む、ゼル』
『お願い、ゼル』
『『イプシロンを殺さないで』』
そうだ。私は。 ワタシノ、ナマエは。
「貴方は後悔するわ。大切なことを、言えないまま終わったら」
さっきまでの声の主と思しき少女が現れた。金色の髪に青い眼。白いワンピー スを着ている。
「言いに行こう?大切な人に…お礼と、お別れを」
お別れなんてしたくない。けれど少年には−−否、ゼルにはそれが分かった。 しなくてはならない−−お別れを。
「こんなに頑張ったキミだもの。…キミになら、出来るよね」
少女と隣に、長い黒髪の青年が立っていた。背を向けているが、それが誰かな どすぐ分かった。 思い出そう。自分と、かの人の本当の名前を。 会いに行こう−−もう一度。
さよならと、ありがとうを言う為に。
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私は、ひとしずくの想いを落とすの。