脆く儚げなもの
 強く美しきもの
 ああ
 あるがまま
 
 
 
 
 
この背中に、
白い
無いとしても。
5-56:端の、レガリア。
 
 
 
 
 
「運命なんて言葉で片付けたら、残酷だよね」
 
 白いワンピースを翻し、少女−−記憶の魔女・ナミネは言う。
「打ち破れる運命と、そうでない運命は確かにある。でもただ運命を座して待つ
か、立ち向かうかは…選ぶ事が出来る。誰にだって」
「…そうだな」
 神出鬼没はお互い様だが。聖也が呼んでいないにも関わらず、いつの間にかナ
ミネはベンチに座っていて絵を描いていた。彼女のマスターは聖也だが別に聖也
の許しがなければ現世に渡ってこれない訳ではない。まがりなりにも彼女もまた
魔女だ。必要なのはただ一つ−−そこに“願い”がなければならないという事。
 その実、魔女が己だけの願いを叶えるのはなかなか困難である。正確に言えば
叶える事は出来るが、私利私欲の為だけの力の行使は時に世界の破滅を招く。だ
から魔女は基本的に、自らの願いだけの為に魔法は使わない。絶対のルールでは
ないが、暗黙の了解ではある。
 
「…ナミちゃんさあ、ゼルに呼びかけただろ」
 
 今ナミネの一番の仕事は、レーゼの記憶を回復させること。既にエイリア時代
の記憶はほぼ戻っている。あとはそれより前の記憶だけだ。仕事がある以上、彼
女とこの世界は強い縁で結ばれている為、この世界に渡ってくるのも極めて容易
にはなっている。
 しかし。彼女は今誰かに呼ばれたわけではない。自分自身の意志で−−此処に
いる。それは彼女が記憶の魔女であると同時に、人であった頃の情がそうさせた
のかもしれない。
「お前も…こいつらに情が移ったわけか」
「…またお人好しだってロクサスに言われちゃいそうだけどね」
 ふふっ、とナミネは花が咲くような笑みを浮かべる。
 
「円堂君って…ソラに似てるの。真っ直ぐなお日様。真っ直ぐすぎて…偶に周り
が見えなくなるところも、すごくよく似てる」
 
 ソラ。その名前はナミネにとって特別なもの。或る心を巡る物語の、勇者の名
前だ。かつて聖也にとっては憎しみの対象でしかなかった少年だが−−今はあれ
ほど苛烈な感情は持ち合わせていない。何もかも許した訳ではないが、互いにま
だ若かったという事だ。
 確かに、似てるかもしれない。とにかく周りを巻き込んで強引に光へ引きずり
込んでしまうところとか。誰かや何かを救う為に、ガムシャラになって突っ走っ
てしまうところとか。
 ナミネにとっては、ソラは大切な友人であると同時に贖罪の対象だ。ソラと円
堂を無意識に重ねて、彼の為に、ひいては彼の仲間の為に、何かをしたいと願う
ようになったのかもしれない。
 確かなのは。ゼルに呼びかけたのは他の誰でもない、“ナミネ”自身の願いの
為であり−−魔女として例外的な行動だったらしいという事だ。
「…円堂君も、レーゼも…ゼルも。私はみんなに、幸せになって欲しいの。…か
つての私達みたいな後悔は、して欲しくない」
「…もうやめようや、その話は。終わった事だろ、とっくに」
「そうだね。…でも、悲しいことがたくさんあったから…これ以上悲しいことが
起きないようにって、人は頑張るものじゃないかな」
 ナミネの膝に置かれたスケッチブックには、サッカーをする子供達の絵が描か
れている。グランがいて、ガゼルがいて、デザームがいて、バーンがいて、ゼル
がいて、ウルビダがいて、レーゼがいて−−それから、それから。
 地位も、使命もなく。彼らにだっつサッカーを楽しめていた時期があったのだ。
ナミネの前ではどんな嘘も通じはしない。彼女は誰より正確に、記憶の欠片を拾
い上げ繋ぎ合わせるスペシャリスト。彼女がスケッチしたのであれば、それは確
かに存在した過去なのだ。
 
「…この試合の先。どんな結末が待つか、貴方も分かっている筈だよね」
 
 フィールドを見つめて言うナミネ。
 
「音村君は頑張ったけど、彼に支払える対価ではすべての悲劇は回避出来ない。
…私にも…出来ない。ただ、最後にほんの少し時間と未来を繋ぐので精一杯」
 
 聖也は車椅子の上に座るゼルを見た。その眼はまだ曇っていたが、さっきまで
とは違っている。俯いていた首は、フィールドを向いている。彼の瞳が現実を映
すのも時間の問題だろう。
 ゼルは自分の意志で、この世界への帰還を望んでいる。ただ、目の前で起きて
しまった悲劇に耐えきるには、あまりに少年は幼すぎた。彼が殻に籠もったのは
他でもない−−再び生きて、前を向く為なのだと聖也は思う。
 なるほどナミネはほんの少し、その背中を押したに過ぎないのだろう。その瞬
間が、最期の時に間に合うようにと。
 
「…意味は、あると思うぜ」
 
 聖也は、返す。
 
「ほんの一瞬の笑顔や、たった一言の言葉で。人は救われることもあるし、一生
後悔する羽目にもなるんだからよ」
 
 誰もが幸福になれる未来はないかもしれない。誰もが納得出来る結末には出来
ないかもしれない。
 だけど、だからこそ意味もまたあって。人はぶつかりながら、傷つきながら、
転がりながらも生きていくのだろう。いなくなる人の遺志を受け継いで。
 
「決着が着くわ」
 
 魔術師の力を得た瞳子はもう、ナミネの存在に驚かない。彼女はちらりとナミ
ネを見て、すぐフィールドを見つめ直した。
「貴方達も見届けて。…彼らの生き様を」
「…ああ」
 聖也は唇を噛み締める。瞳子の声が微かに震えているのに気付いたから。
 分かってる。もはや仕方のない事だとは。だけど、やはり納得したくはないも
のだ。
 どうして彼女が、こんな想いをしなければならなかったのだろう。
 
 
 
 
 
 
 
 傷つき、倒れ、また立ち上がり、走る。イプシロンのメンバーも雷門のメンバ
ーも満身創痍だった。しかし、もはや苦しいだけの顔をしている者は一人もいな
い。
 デザームは皆の顔を見て、笑みを浮かべた。
 
−−いい顔になったな、みんな。
 
 サッカーを武器だと思おうとした。ただの手段に、道具にせよと命を受けた。
しかし残念ながら自分達にそれは無理な相談であったらしい。
 本気で力と力をぶつけ合い、勝敗を競う。技と知恵を絞って戦い、高みを目指
す。円堂達のサッカーに引っ張り上げられていると気付いた時にはもう遅かった。
上澄みの記憶が剥がれ落ちて、本当の心が姿を現す。戸惑いながらも皆−−サッ
カーに本気になっている。
 
−−何が正しいのか、まだ分からないが。
 
 正直。どの記憶が正しくて間違いなのか、確証は掴めない。皆もそうだろう。
だから−−誰もが選んだのだ。記憶ではなく、心に従うことを。
 豪炎寺が、時に仲間との連携を取りながら、ドリブルでゴールに迫る。イプシ
ロンのメンバーは体を張ってそれを阻止しようとし、さらには豪炎寺の邪魔をさ
せまいと雷門メンバーが粘る。作戦もへったくれもない、最後は純粋な原始の戦
いで勝敗は決まるらしい。
 デザームは時計を見た。残り時間は僅か。さっきのグングニルが自分達のラス
トチャンスだった。今豪炎寺からボールを奪っても、恐らくタイムアップには間
に合わないだろう。
 豪炎寺が最後のシュートを決められなければ。試合はほぼ確実に延長戦に突入
する。自分達の勝機はそこしかない。基礎体力はこちらが上回っている筈なのだ。
 何より。デザームは今、願っていた。試合をまだ終わらせたくない。この試合
をまだ−−楽しんでいた。
 
「サッカーは…楽しいな、円堂」
 
 もう否定はしない。出来ない。ゴール前に豪炎寺が迫る。デザームは笑みを浮
かべて、身構えた。
「さあ来い…豪炎寺修也。決着を着けよう!」
「望むところだ!!
 満足させて欲しい。サッカーをやってきたこと、出会えたこと、此処にいるこ
と−−その全ての意味に。
 力の限りぶつかって、この瞬間を永遠に刻もう。後悔しない為に。自分達が生
きていた証になるように。
 
「はああああっ!」
 
 豪炎寺の体を炎が取り巻き、燃え盛る火の中から魔神が姿を現した。なんて気
迫。なんてパワー。素晴らしい、とデザームは思わず感嘆の息を漏らす。
 魔神は豪炎寺の体を掌に乗せ、空高く軽々と打ち上げた。その勢いのまま、豪
炎寺は思い切り足をボールに向けて打ち下ろす。
 
「爆熱ストーム!」
 
 マグマのごとき燃え盛るシュートが、デザームの護るゴールに迫った。申し分
ない相手。否−−人生最高の敵だ。この瞬間を、ずっと待ち望んでいたのである。
 右手を掲げ、パワーを集中。光を集め、オーラを巨大なドリルの形へと集約さ
せる。正真正銘、最後の一撃。
 
「ドリルスマッシャー・V2!!
 
 ドリルの先端がシュートを捉えた。炎が鋼鉄を炙り、手に痺れが伝わる。タイ
ミングは完璧だったが、それは向こうも同じ。互いの全力と全力がぶつかり合い、
火花を散らせる。
 拮抗していた時間は短いものだったかもしれない。しかしデザームには、随分
と長く感じた。
 
 
 
 
 
『もっとだ!もっと強く、蹴り込んで来い!!
 
 
 
 
 
「…そうだな」
 
 
 
 
 
『俺はずっと…“楽しい”サッカーがしたかったんだ…』
 
 
 
 
 
「そうだった」
 
 
 
 
 
『まだだ!絶対お前からゴールを奪ってやるっ…この俺が!』
 
 
 
 
 
「やっと全て…思い出した」
 
 
 
 
 
『私の手を、いつも引いてくれたのは…貴方、だった』
 
 
 
 
 
「雷門イレブン。お前達は私達に本当のサッカーを思い出させてくれたのに…恩
知らずなことを、してしまった」
 
 
 
 
 
 あの大阪の試合。あんなに大切で、貴い試合を何故自分達は忘れてしまったの
か。確かに自分はあの試合に敗北した結果追放され、命を落とした。それでもあ
の瞬間、死んでも魔女に屈しないと決めた筈なのに−−自分は。
 デザームは微笑む。結果を悟り、背を向けた豪炎寺と、罅が入っていくドリル
を視界に入れて。
 
「お前達と試合が出来て、本当に良かった」
 
 これでもう、未練はない。
 
「恩に着る。雷門イレブンよ」
 
 砕け散るのは一瞬だった。デザームの髪を、熱風が揺らす。爆風に飛ばされ、
ネットに押しやられた瞬間、青い空が目に入った。
 昔−−ほんの数年前なのに遠い昔のように感じる、あの日々。自分達はまだ普
通の子供にすぎなくて、厳しい現実に晒されながらもただ無邪気にボールを追い
かけていた。空の色は、あの頃となんら変わることがない。自分は皆のリーダー
のような役目になっていて、皆を護ることで救われていたように思う。
 虐めっ子だった晴矢。
 大人しかったヒロト。
 泣き虫だったリュウジ。
 偏屈だった風介。
 甘えん坊だった隆一郎。
 喧嘩ばかりしていたマキと諭。
 瞳子や研崎に世話を焼かせて、騒ぐ自分達をあの人はいつも優しい眼で見守っ
てくれた。もう一度あの頃に戻れたら−−なんて。もうそれは叶わぬ願いだけれ
ど。
 
−−せめて愛しいあの子達が、幸せになれますように。
 
「ここでホイッスル!4対3!雷門の勝−利ィィ!」
 
 実況の声が、デザームを現実に引き戻した。どうやら試合は終わってしまった
らしい。少し物足りなさを感じたが、心は晴れ晴れとしていた。
 さて。試合は終わったが、戦いはまだ終わっていない。
 自分には−−最後の大仕事が残っている。
 
 
 
NEXT
 

 

届けし指輪が誘うのは。