君の朝が来る時 笑ってくれてたらいいな 僕に出来るのは 君の幸せを祈ることだけ
この背中に、 白い翼は 無いとしても。 5-57:奏者、マエストロ。
フィールドを覆っていた、暗く沈んだ 何かが今−−晴らされた。さながら霧が 吹き飛ぶかのよう。ホイッスルが鳴った途端、イプシロンのメンバーが次々膝を 突く。悪しき力が抜けたかのように。
−−試合には勝った。でも。
宮坂の心の靄は晴れない。試合中、ずっと忘れられずにいたこと。音村と聖也 の会話−−音村が変えようとしている、悲劇。最初はグレイシアのことかと思っ たが、それは自分達が知らなかっただけで既に“起きてしまっていた”ことだ。 惨劇が起きるならば−−この後である筈である。
−−でも、試合に勝ったんだからイプシロンの洗脳は解ける筈。いくらアルルネ シアだって、赤き真実は覆せないんだから…。
だがそれならば。一体この後に、何が始まるというのだろう。
「約束だぜ。俺達は試合に勝った。イプシロンの洗脳を解いて貰おうか」
円堂がアルルネシアを睨みつけて言う。あれだけ自信満々だったのに敗北した のだ。さすがの魔女も怒り狂ってるかと思いきや−−彼女は笑みを浮かべて立っ ている。 嫌な予感が、背筋を貫いた。
「ええ、いいわよ。約束したものね?」
アルルネシアはあっさり言って−−パチン、と指を鳴らした。やけに簡単に承 諾したな、と思った瞬間−−宮坂はその理由を悟る。 風が。 凄まじい勢いの風が、フィールドに吹き荒れ始めたのだ。 「きゃあああっ!」 「な、何だこれ!?」 それは、イプシロンのメンバーの周りが発生していた。竜巻か、ハリケーンか。 突風は観客席にまで及び、あちこちから悲鳴が上がる。
「きゃははははっ!ちょっと仕掛けがしてあったのよねぇ。イプシロンの洗脳が 解ける時、彼らの魔力を使って風魔法が強制発動する仕掛けをね!」
その周りだけ風が避けているかのよう。アルルネシアは突風をものともせずそ こに立ち、高笑っていた。 「何人死ぬかしら?見ものだわぁ!」 「この下衆野郎が…っ!」 「ありがとう、最高の誉め言葉ねっ!」 「逃げろ!急げ!!」 観客席もマスコミも、危険を感じて撤退していく。だが間に合うのか。風はど んどん規模が大きくなっていく。イプシロンの子供達にも制御できないようだ。
「嫌…嫌だあ!助けてっ!」
マキュアの泣き叫ぶ声。このままではイプシロンの子供達の体も保たないし、 恐らくスタジアム全体が吹き飛んでしまうだろう。いや、それだけでは済まない かもしれない。マネージャー達が必死で観客を避難誘導させているが、そもそも 何処まで逃げれば安全なのか。
「ぐっ…!」
宮坂は飛ばされないよう、必死で地面にしがみついた。破損したスピーカーや カメラの一部がすぐ真横を吹っ飛んでいく。あんなのにブチ当たったら一発で御 陀仏だ。 なんとかしなければ。だがどうすればいい。自分に魔法の心得なんかない。こ の嵐を止める方法なんて−−。
「神の音色を謡う者…その御手で世界を統べよ」
凛とした声が響いたのは、その直後。
「召喚。我が化身…奏者マエストロ」
風の中。紫色の光が弾けた。宮坂はぎゅっと瞑っていた眼を開き、光の方角を 見る。そこにいたのは音村だった。音村の背中から、光が溢れ出し、何かの姿を 形作る。 それは、巨大で麗しい魔物。水色の長い髪。指揮棒を持った四本の腕。流麗な る奏者が、音村を護るようにしてそこに立っていた。ベンチで照美を庇っていた 聖也が唖然としたように呟く。
「音村の奴…マジで召喚魔法、使いこなしやがった」
召喚魔法。であれは−−召喚獣といったところか?音村が一瞬宮坂の方を向き、 微笑んだ。
「大丈夫」
美しい旋律の魔術師が、その手を掲げる。
「僕が護るから。その為にこの力を手に入れたんだからね」
奏者マエストロが、指揮棒を軽やかに振った。するとフィールドを荒らしてい た風が一斉に流れを変え、音村の方へ流れ始める。正確には、音村の操る化身の 手元へと。
「…そういうことだったのか」
レーゼが得心したように言った。 「音村は知ってたんだ。アルルネシアが…もしイプシロンが負けた場合、イプシ ロンの魔力を暴走させて…被害を増やそうとしてること。その結果たくさん人が 死ぬこと。でも…その未来を回避する方法が、“祓う”力を持たない音村には無 かった」 「だから…聖也さんと契約して…力を手に入れたってこと?」 「そうだ」 宮坂にも理解が追いつく。しかし、そうなるともう一つ気になることがある。 音村は対価として、彼のサッカーを差し出すと言った。聖也はそれでも望みが叶 う確率は五分五分だと言った。それはどういうことなのか。 「イプシロンの潜在魔力は高い。いくら音村が魔術師でも、十人分の魔力を吸収 するのはリスクが高い。失敗すれば吸収しきる前に…音村が死ぬ」 「そ、そんな…!」 自分が魔術師ならば手伝えたのだろうか。そう思ったが、レーゼや聖也が動け ずにいるところを見ると魔法が使えたから手助けできるというわけではないらし い。
「僕達に出来るのは…信じることだけなのか…」
宮坂はぐっと拳を握りしめる。無力な自分が、辛い。護る為の力が、欲しい。 ひょっとしたら風丸もこんな気持ちだったんだろうか。強くなりたくて、でもな れなくて。 音村の顔が一瞬、苦痛に歪む。思えば初めて会った時から、彼はずっと涼しい 笑みを浮かべていた。他人がどうなろうと、自分がどうなろうと、流れに任せる まま−−悪い言い方をすれば、興味の範疇外。それが生まれついての、旋律の魔 術師としての彼の性分だったのだろう。今でもさほど変わった訳ではないかもし れない。 でも。今、どんな理由であれ命懸けで仲間を守ろうとしている。そこに、彼の −−人としての心が、見えたような気がした。
「世界が滅んだって、僕には関係のない事なんだけど」
力の余波か。音村の肩から血がほどばしった。一瞬顔を歪めるも、すぐに彼は 普段と同じ笑みへと戻る。 「まあ早い話。アルルネシアのやり方は退屈で…君達のサッカーは面白かったか らさ。面白いものを見せてくれたお礼だと思って」 「音村さ、ん…」 「見た通り無関心な僕だけど…一応、受けた恩は忘れない主義でね」 風が収まっていく。その瞬間にも切り傷だらけで、血にまみれていく音村の体。 それでも彼は立ち続けた。それが自らの使命と言わんばかりに。 音村の生き方を理解出来る人間は少ないだろう。宮坂にも無理だ。何故なら音 村は生まれついての魔術師で、思考回路が最初から人間とは異なるイキモノなの だから。 しかし宮坂は思う。彼は、アルルネシアとは違う。どんな訳を並べようと、音 村は誰かを幸せにする為に魔法を使える人間なのだ。だから−−音村が傷つくこ とで涙を流す“人間”もまた、存在するのである。
「アスピル」
音村が手を振るのと連動し、マエストロがタクトを振った。そして−−ぱぁん、 と。風船が破裂するような音を立てて、弾けた。 まさか失敗したのか。宮坂はそう思ったが、すぐに気付く。風はすっかり止ん でいる。にも関わらず、フィールドの中心が真っ赤に染まっていた−−化身が消 えると同時に音村の全身から噴き出した、鮮血によって。 「音村ぁぁぁっ!」 「しっかりしろ!!」 倒れた音村に、綱海と円堂が真っ先に駆けつけた。束の間呆然としていた宮坂 も、秋と一緒に駆けつける。あんな大量出血−−救急箱程度でなんとかなるとは 到底思えなかったけど。 ひゅーひゅーと荒い息が聞こえる。音村の身体は、カマイタチで何十回も斬り つけられたかのようにズタズタだった。ユニフォームの殆どが真っ赤に染まって いる。特に際立って酷いのは足の怪我だった。佐久間や源田の時も凄まじかった が−−足だけを見れば到底比較になるまい。
「ひ、酷い…」
秋が口元を押さえて涙ぐむ。音村の両足は、獣に何カ所も食い千切られたかの ような有様だった。ももから、膝から、足首から。大きく裂けた傷からは折れた 骨と、筋繊維が覗いている。恐らくもう二度と動かないだろうと−−素人目から 見ても分かるほど凄まじい傷だ。
「安心、して…」
血の気の引いた顔で−−しかし音村はまだ意識があったようだ。地獄の苦しみ である筈なのに、笑みを浮かべてみせる。 「…マエストロの力を借りて、皆の魔力を吸収したら…成功してもこうなるのは 分かってたんだ。僕の身体だけでは、魔力の全てを扱いきれ、ない…。大丈夫。 僕には分かってる…まだ僕の死ぬ時は、来てないって…」 「だけど…だけど!お前これじゃ…」 「そうだよ。もう…サッカー、出来ないね」 こういう事だったのか。宮坂はてっきり、事件の後聖也が音村に何かするのだ と思っていた。その結果、音村の足が動かなくなるのだろうと。 そうでは無かったのだ。音村がマエストロを召喚し、悲劇の阻止に踏み切れば −−彼は確実に二度とサッカーの出来ない身体になる。それが聖也も音村も、分 かっていたのである。 彼が願いと引き換えに、サッカーを失う事になると。
「い、今…救急車が来るわ」
走ってきた夏未が真っ青な顔で言った。
「しっかりなさい!勝手に死んだら許さないわよ!!」
彼女なりの励ましだろう。こういう時、案外女の子の方が気丈だったりするも のだ。音村は“自分は死なない運命だ”と言ったが、このままではいつその運命 が覆るかも分かったもんじゃない。 「音村…ありがとな。俺達を護ってくれて」 「礼には及ばないよ。ただの気紛れなんだから」 泣きそうな顔の綱海に、音村が言う。 「短い間だったけど、君とチームメイトになれて良かった。サーフィンもいいけ ど、サッカーも悪くないでしょ。…いい選手に、なりなよ」 「ははっ…考えとくよ」 「それから、円堂」 「…何だ、音村」 音村は円堂を見て、少し−−ほんの少し、辛そうに眼を伏せた。
「まだ悲劇は終わってない。僕の力じゃ、全部を止めるのは無理だったから。覚 悟…決めておきなよ」
『…本当は。もう一つ変えてあげたい未来があったんだけど。残念ながらそっち は変えられないみたいだね』
宮坂はハッとする。そうだ。音村と聖也は話していた。
『…終わらせる方法は、他にないんだろうな。俺に出来るのは精々“刺す”人間 を変える事くらいだ』
刺す。 一体誰が、誰を?
「−−ッ!」
まさか。宮坂は振り向く。そこには目論見が破れたにも関わらず、まだ笑みを 絶やさないアルルネシアと。無表情のグレイシアが。
「…どうやら肝心な事に気付いていないようだな」
やがて口を開いたのは−−グレイシア。 「破滅の魔女、グレイシアが教えてやる。 【アルルネシア様はイプシロンの洗脳を解くとは言ったが、 完全に解くとは一言も言っていない】」 「なっ…!?」 「つまりあくまで一時的処置だ。時間を置けばまた洗脳状態に戻るんだよ」 赤き真実の抜け道。唖然とするイレブンを、アルルネシアは嘲笑った。これで チェックだと言わんばかりに。
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未来の何処かでまた君と友達になるために。