頬を伝う涙 炎のように燃える瞳 稲妻のように激しくあれ 叫ぶ愛、一つ
この背中に、 白い翼は 無いとしても。 5-60:イプシロン、終焉。
魔女の呪縛を解くには、別の魔女か魔術師が手を下すしかない。瞳子は試合が 終わる前に、聖也から聴かされた。−−イプシロンの洗脳を解くにはデザームに 完全な死を与える他なく。それが出来るのは魔女の力を持った聖也かレーゼのど ちらか片方だけだと。 しかし彼ら二人のどちらかが力を行使した場合、復活の望みは完全に絶たれる。 魔女の制約は重く、同時に複雑だ。彼らは人を蘇らせるだけの力はあるが、対価 が見合わない為にそれが出来ない。唯一望みがあるとしたら、彼と相思相愛だっ た者が−−瞳子はずっと片恋だと思っていたけれど−−手を下すこと。瞳子が魔 術師となって、呪縛を断ち切る事だ。 瞳子に殺されることは、デザームの秘めた望みでもある。同時なまだ未熟な瞳 子では、デザームをすぐ生き返らせる力を持たない。その力を得られるのが数ヶ 月後か、数十年後かも分からない。もしかしたら一生出来ないかもしれない。 だからこそ、対価になる。 彼女が自ら愛する人を手にかけることが。その罪を、苦悩の全てを背負って生 きることが。アルルネシアの手が二度とデザームに触れぬよう−−魔法をかける 事が出来るのだ。
「…何から言えば、いいのかしら」
瞳子はデザームの目の前に立ち、言った。
「…おかしいわね。貴方に会ったら…話したい事、たくさんあった筈なのに」
声が震える。否、震えているのは声だけではない。 イプシロンの子供達の泣く声がする。嫌だ嫌だと頭を抱え、涙を散らす声が。 それでも彼らももう理解させられたのだろう。ここで断ち切らなければ、悲劇は また繰り返すことを。 「…私達、何歳差だったかしら」 「八歳差…瞳子姉さんは今年で二十三でしょう」 「…姉さんってつけるの、今はなしにして。それから…敬語もね」 瞳子が微かに微笑むと、デザームが明らかに戸惑った顔をする。変なところで 生真面目な奴だ。昔から、変わっていない。
「貴方は…もっと知るべきよ」
懐かしいと、それだけで片付けるにはあまりにも。
「たくさんの人に愛されてたって。…貴方も誰かに守られていいんだって…もっ と早くに気付くべきだったと思うわ」
いつも守るばかりで、守られることを知らず−−一足飛びで大人になろうとし た子供。自分は守ったつもりで、結局自分も守られていた。彼を無意識に孤独に 追い込んだのは、自分の罪だ。 願わくば−−それが遥か遠い未来でも構わないから。この罪を、咎を、償う機 会が巡りますよう。
「私なら、貴方を守れる。…貴方には私のような大人がついてなきゃ駄目よ」
瞳子は告げる。 自分もまた、後悔したくないから。
「貴方が、好きなの」
瞳子の手に−−一振りの剣が出現した。金色の柄に、青い宝石の嵌った剣。そ れは瞳子の、天啓の魔術師としての武器だ。 張り裂けそうな時間の中。やがてデザームが微笑む。
「…私も。貴方が好きだ」
きっと、忘れない。
「貴方に出逢えて、本当に良かった…。ありがとう、瞳子」
その笑顔も、声も、全部。
「……っ!」
デザームはさよならを言わなかった。だから瞳子は、彼の心を悟った。最期は 笑顔で終わらせようと思っていたのに、自分には無理だったようだ。 瞳子の視界が滲み、頬を生温く伝う涙。時間がない。もうこれで、本当に。
「愛してるわ…治」
瞳子は剣を両手で構え、一気に−−前へ突き刺した。剣は治の胸を貫き、背中 まで貫通する。 噴き出した血が、まるで夏の雨のようで。
「…貴方にも、願う。瞳子」
崩れ落ちた彼の体を抱きしめる瞳子。心に、刻み込む。二人血にまみれて、彼 の髪に顔を埋めて。最期の声を、聴きながら。 「どうか…幸せに」 「ええ」 「私の代わりに…守って。みんなを」 「分かってるわ」 「デザーム様っ!」 レーゼが泣きはらした顔で駆け寄ってきて、叫んだ。デザームの手を握って。
「今度は私が待っていますから…いつか貴方が帰って来るまで!みんなで幸せに なって、待ってます!!」
もう声は、出なかったのだろう。デザームはレーゼの方を見て、微笑み−−瞼 を閉じた。瞳子の腕の中。抱き締めた体から力が抜ける。ああ、と声が漏れた。
−−約束は守る。守るからね、治。
「あ…ぁ…」
−−だから今だけは、赦して。
「うわあああああああっ!!」
−−大人であることも、監督であることも…捨てて。子供みたいに泣くことを、 赦して頂戴。
「あああああっ!!」
瞳子は泣いた。愛しい人を抱き締め声を枯らして泣き叫んだ。もう彼の魂は此 処にはいない。もっとたくさんの時間を重ねて、生きていきたかった筈の存在は。 青い空を、声は貫き、終焉が舞台に降りる。まだ本当の悲劇は終わっていない。 自分達は立ち向かっていくしかないのだ。 この絶望から。この張り裂けそうな喪失と悲哀から。
こんな時、自分は無力だ。かける言葉一つ持たない。泣いている女性を慰める 一言すらも。 円堂は歯を食いしばって耐えていた。泣いてはいけない−−今だけは。瞳子監 督が崩れている今、自分はなんとしてでも立っていなければ。 涙を流すのは、後でいい。そうしなければ、ならない。
「茶番劇だわ」
空気を腐らせる声。ギッと音がしそうなほど強く、円堂はアルルネシアを睨ん だ。 そんな円堂をどこ吹く風と言わんばかりに、魔女は欠伸を繰り返す。いかにも 退屈で堪らないといった様子で。 「女が泣き叫んでるのを見てもねー…色気に欠けるっていうか欲情しないしぃ。 レーゼちゃんあたりがヤッてくれるのを期待してたのに残念だったわ」 「そりゃ良かった。お前が残念がってくれればくれるほどこっちは嬉しくてたま んないね」 普段の自分からは考えられないほど低く、冷たい声が出る。嬉しくてたまらな い、なんて言ったが。当然円堂が喜んでいる筈はない。 この魔女は自分達を逆撫でするのが得意中の得意だ。いちいち取り合ってたら キリがない。理性では分かっている。それなのに今脳内が荒れ狂うのは、グロー ブが破けそうなほど拳を握りしめるのは。ひとえに自分が、人間であるからに他 ならない。 こいつの顔を見るのも、声を聴くのも吐き気がする。もはや殺意や憎悪以前の 問題。生物としての生理的嫌悪。早くぐちゃぐちゃに挽き潰して、その顔を消し 去ってやりたい。ああ、真帝国の時聖也が言ったそのままだ。 生きたまま粉々にしても、拷問してブチ殺しても。この怒りが収まるか分から ないのだ。円堂は生まれて初めて、本気で誰かを殺したいと思っていた。知りた くなかった−−こんな感情。 デザームがどんな想いで死を望んだか。瞳子がどんな想いで彼を刺したか。愛 する者に殺されなければならなかった悲しみと、愛する者を殺さなければならな かった悲しみ。いくらそれをこの魔女に説き、叫んでみたところで無駄なのだろ う。 何故ならこの女は、生まれついての絶対悪なのだから。 「…でも、ま。デザームの色気のある死に顔も拝めたし、イプシロンもレーゼち ゃんも良い声で鳴いてくれたから、まだいいかしらね。…実験の成果もあったし」 「成果だって?」 「ええ。…あたし個人としてはね。この沖縄の実験は、より強い洗脳を施す為じ ゃあないのよ。どれだけ良い器具を使ったところで洗脳は完全にはならないわ。 あたし自身が手を下さない限りはね」 どういう意味か、と問う前に。代わりに答えたのは聖也だ。
「…イプシロンは試合中に洗脳が解けかかっていた。それは円堂の力だけが理由 じゃねぇんだよ。アルルネシアがほぼ完全に他人を洗脳するには絶対条件がある。 …対象を、アルルネシア自らが殺すことだ。他人を使っての殺人では駄目なんだ よ」
自ら手を下す。はっとして円堂は、アルルネシアの隣に無表情で立つ鬼道を見 た。源田の話を思い出す。源田と佐久間は事故で死んだのだし、かつて風丸を殺 したのは通り魔だ。しかし、鬼道は違う。鬼道だけは魔女が自らナイフを握り、 トドメを刺している。
「気付いたか円堂。…そうだ。鬼道の、グレイシアの洗脳を解くのは生半可なこ とじゃねぇ」
鬼道は瞳子の慟哭にも、アルルネシアの嘲笑にも眉一つ動かさない。まるで喜 怒哀楽の感情全てをなくしてしまったかのように。
「何度も言うように…あたしの目的はただ愉しむこと。この世界に飽きたらさっ さといなくなってあげるわよ。でもね…今回に限ってはそれだけが目的じゃない のよね。どうせ聖也から聴いてるんでしょぉ?」
アルルネシアの笑みが暗く歪む。今までの喜悦だけに満ちたものではない。今 まで彼女が見せなかったもの−−ドス暗い恨みに満ちた笑みだった。
「記憶にないでしょうけど。あたしは一度あんた達に負かされている。たかが人 間ごときに、この大魔女のあたしが倒されるだなんてあってはならない事よ!ど うせならあなた達が苦しむ姿をたくさんたくさんたっくさん見せて貰って、汚名 返上したいのよねぇ−わかっかるかしらぁ?」
要は−−嫌がらせ全てが復讐でもあるという事だ。どうやら事実があったのは 確かなようだが、いかんせんこちらには記憶がない。冗談じゃない、というのが 本音だ。 「この実験のやり方で…あんた達を果てしなく苦しめられる事はハッキリしたわ あ!イプシロンと同じ機械はもう作れないけど、人質を取る方法ならいくらでも あるもの!!幸いエイリアにはあと3チームも残ってるわ!!」 「な…!?」 雷門にイプシロン。その言葉を聞いた全員の顔が凍りついた。まさかまた、同 じ事を繰り返す気か。誰かを殺さなければ呪縛が解けないような、犠牲を強いる やり方を。
「…一週間やろう」
声も出ない円堂に、鬼道が言った。
「一週間後。エイリアが再び襲撃予告を出す。場所は…」
絶望が、突き刺さる。
「帝国学園だ」
理由も、信念も、誇りさえ打ち砕いて。 「鬼道…お前!自分が何を言ってるのか分かっているのか!?帝国を…佐久間達や お前や、影山でさえ守ろうとした場所を壊すっていうのかよ…!?」 「必要ならば、迷う意味はない」 鬼道は色の無い眼で、あっさりと言い放った。
「お前達が来なければどうなるか…言うまでもないな?一週間後。待っているぞ」
元気でねぇ、とアルルネシアがふざけた声で手を振る。このまま立ち去る気だ。 円堂は何かを言いかけて−−別の声に遮られた。
「おい、魔女」
ゼルだった。彼は泣き濡れた瞳で、アルルネシアを睨み。
「デザーム様は…けしてお前に屈しなかった。あの人だけじゃない。俺達もけし て負けはしない。…あの人が命懸けで守ろうとしたものを、今度は俺が守る!」
言い放った。
「イプシロンの誇りを…人間をナメるな、魔女!!」
偶然にもそれは、かつてデザームが死の間際にアルルネシアに言ったのと同じ 言葉。無論円堂は知る由も無かったが−−ただゼルの気迫だけは伝わった。 誇りを、守り抜くのだ。今は亡き人の遺志を継ぐ為に。
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新しい伝説へ。