蒸せかえるように、血の匂いが立ち込めている。カオスの神殿。ジェクトは一 人、見るも無惨な青年の骸の前に膝をつく。
「お前はよ…俺よりずっと年下だっつっただろうが」
血の海の中、仰向けた死神の身体はピクリとも動かない。
「死ぬには、ちぃとばかり早すぎんじゃねぇの…?なぁ…」
絶世の美を誇った面に傷はない。苦痛に無惨に歪んでいる事もない。ただ血と、 涙の跡を残す瞳は虚ろなまま−−一切の光を亡くしていた。 どれだけもがき苦しんだのだろう。クジャの腹は大きく引き裂かれていた。臍 の下から心臓の上にまで届く大きな傷が、雪のごとく白い肌の上に一直線に引か れている。 刃物の傷では無い。もっと強引に、力任せに身体を破ったかのような。あるい はクジャの身体の内側から、何かが破裂したようなかんじだ。まるで腹の中から、 何かが強引に飛び出していったような。 しかしそれよりも奇妙なのは。これだけ無惨な傷口を晒しているにも関わらず −−内臓がまるで飛び散っていない事。そればかりか傷の内側には何も無い。ペ シャリと潰れた腹は、無惨な空洞を晒すばかりである。 明らかにおかしな遺体。彼と別れてからたった数時間−−その間に一体何があ ったというのだろう。 分かっているのはこれが、事故や自殺では有り得ないこと。
「誰だよ…」
ギリ、と噛み締めた唇に、鉄の味が滲んだ。
「こんな酷ぇ殺し方…誰がこいつをこんな目に遭わせた…?」
最後に見た笑顔が、離れない。あんなに楽しそうに笑っていたではないか。 確かに此処は戦場だ。いつ死んでもおかしくない場所である事は否定できない。 でも、それでも。 こんな死に方をする為に、この子はここに居たわけじゃない。クジャは存在し ていたわけじゃない。
「…許さねぇ」
ふと気付く。撒き散らされたクジャの鮮血−−それが神殿の奥の方に向けて、 転々と散っている事に。床や絨毯に残る赤黒いシミ。それは闇へと続く道標。 ジェクトは目を細め、自らの愛刀を担ぎ直す。そしてそっと、抱き上げたクジャ の瞳を閉じさせる。 再び立ち上がった時、ジェクトの全身は死神の血で真っ赤に染まっていた。
Last angels <答捜し編> 〜1-3・狂えない 幻想〜
バッツが大慌てで自陣に戻って来た時、仲間達の多くはクリスタルワールドで のほほんと談笑中だった。 否、普段通り静かに立っているだけの者もいるのだが−−一部の奴がやたらと 騒がしいのである。特にティーダとジタンとフリオニールが。どうやらティーダ 達が、また何かネタを見つけてフリオニールをからかっているらしい。 彼の事を“Mr.いじられキャラ”とのたまったのは自分だったかティーダだった か。 まったくもって緊張感ゼロ。否、いつもなら自分も人の事を言えたクチじゃな いのだが。 クリスタルワールドで集まっていたのは、フリオニール、ティナ、クラウド、 スコール、ジタン、ティーダの六人。三人ばかり人数が足りない。
「バッツ、何処行ってたんスかー?特訓付き合って欲しかったのに、肝心な時に いなくなってるし」
口を尖らせるティーダに、ごめんごめんと謝る。
「ちょっとやる事があってさ。…ところで、今いないみんなって何処にいんの? 」
大事な情報だ。特にリーダーにはきっちりと報告を入れたい。バッツが尋ねる と、答えたのはフリオニールだった。 「ライトさんがいなくなってしまって。オニオンとセシルが探しに行ってくれて いるところなんだ」 「いなくなった?ライトさんが?」 「調子が悪いなら大人しく寝てろとあれほど言ったのに…。何もしないでいるの に耐えられなかったんだろうが」 スコールが渋面を作る。 確かにリーダーの性格なら。どんな理由であれ、じっと時を待つなど意に反す るのだろう。皆が頑張っているのに、自分だけ呑気に寝てなどいられない、と。 それは普段皆が彼に対して思っている事なのだが、そのへんはまるで気づいてな さそうだ。 そもそも今回倒れたのだって、皆を庇って無理をしすぎたツケがまわったに違 いないのだ。これじゃあいつまでたっても堂々巡りである。誰か一回、しっかり と彼に説教してくれないだろうか。 自分が説教役になる、という考えは最初から除外しているバッツである。レッ ツ他力本願。 「ティナがクッキー焼いてくれたんッスよ〜。バッツもどう?美味しい」 「う…」 あ、駄目だ。自分意志弱すぎ。 今の今までドシリアスに話をしようと思っていたのに−−クッキーの甘い匂い と向日葵のようなティーダの笑顔に、ついほだされてしまった。 彼の隣では、甘すぎるかもしれないけど、と恥ずかしそうに俯くティナの姿。 クッキーを食べない、という選択肢は、どうやら最初から存在しないらしいと悟 る。 おやつの後でも真面目な話は出来るよな、うん。 元来の超ポジティブシンキングを発揮し、バッツはいただきますと手を合わせ た。
「お、うめぇ!ティナほんと料理上手いよな!!」
ほんのり甘いバニラの味が口いっぱいに広がった。舌の上で溶けるようだ。 やっぱり女の子。男所帯のコスモス陣営の中でも、家庭的な彼女の存在が癒し になっている。
「そ、そんな事無いよ!私なんかより、クラウドの方がお料理は上手だもの」
私はお菓子作るのが好きなだけだから、と彼女は謙遜する。そんなに控え目に しなくてもいいのになぁとバッツは思う。好きこそものの上手なれ、という言葉 もあるわけで。 ティナはもう少し、自信を持ってもいい気がする。料理に限った話でもない。 歴然の猛者が集うこの戦場で、彼女の戦闘能力はけして皆に引けをとらない。寧 ろかなり強いと言える。洞察力も鋭く、彼女の一言が活路を開く事も珍しくない。 もっとブチ撒けて、突き進んでしまえば楽なのに。自由を愛するバッツには、 彼女の不自由さが時々歯痒くもあった。 「あーっジタン!俺のチョコ味!!」 「油断するティーダが悪い。盗賊ナメんなよ」 「くっそー!」 狙っていたチョコ味(ラスト一個)をかすめ取られたティーダが地団太を踏む。 ジタンは嬉々とした表情で、見せつけるようにクッキーを頬張った。その隣で、 お前らは一体いくつなんだとスコールが呆れている。 そういえばこの三人って同年代だったような、と思い出すバッツ。ジタンが十 六歳でティーダとスコールが十七歳。あまりにスコールが大人びているので忘れ そうになる。どうしても彼が年下な気がしない。
「と…そんな事考えてる場合じゃなかったし!」
ちゃっかり自分の分のクッキーをキープ。リーダー達の分なくなっちゃった… というティナの呟きは聞こえなかったフリをする。 大事な話だ。オニオン達には後で話そうと決める。いつ前線に呼ばれるか分か らないのだ−−時間が余っているうちに、皆の意見を聞いておかなければ。 「みんな。ちょっといい?大事な話があるんだけど」 「何々、告白タイム?」 「アホか」 茶化すのを忘れない、ミスター女好きのジタン。これも保護者の務めと、クラ ウドがため息混じりにその頭をペシリとはたいた。
「愛の告白…だったら良かったんだけどなぁ。…残念ながら、あんまし嬉しくな い告白タイムになりそう」
自分が探ってきた、敵陣営の情報。意味深なエクスデスとセフィロスの会話。 明らかに欠落している自分達の記憶と日常。不自然なほど戦局の変わらない、最 前線の戦い。 因縁の理由すら思い出せない宿敵。イミテーションはいつから召喚されたか。 自分達はいつからこの戦場にいるのか。何故名前以外に、“以前”の事を何も思 い出せずにいるのか。 全てを語らなければならない。気付いてしまった以上、後戻りは出来ないのだ。 知らないがゆえの、仮初めの幸せ。そこから仲間達を引きずり出す事になったと しても。 バッツは一つ、息を吸った。束の間見上げた空は暗く澱んで、まるで先の見え ない自分達の未来のようだった。
NEXT
|
幻想は紡ぐ、存在しない筈の未来を。