満月の照らす渓谷は、再びその静けさを取り戻していた。暗闇の雲はじっと青
年の亡骸を見下ろす。ケフカの狂騒に気を取られていたのだろう−−クラウドは
暗闇の雲の存在に気付かず、もろにその背に一撃を受けた。
 いくら鍛えた軍人とはいえ、心臓に波動砲をくらってはどうしようもない。
 即死だ。
 
「落ち着いたかケフカ」
 
 先ほどまで狂ったように謝罪を繰り返していた道化は、ピタリとその動きを止
めていた。急激に切り替わる正気と狂気、破綻したいくつもの人格。自分は詳し
く覚えていないが−−皇帝曰わく、初めて出逢った時から彼はこの状態だったと
いう。
 いや正確には−−昔はもう少しまともな会話が可能だった、と。世界が繰り返
されるにつれ、彼の状態も悪化の一途を辿っているらしい。
 らしい、というのは、暗闇の雲には僅かしか記憶が無いからだ。召喚前の世界
を正確に覚えている反面、自分は死の前の記憶が毎回大きく欠落する。輪廻の事
実だけは忘れないのだけれど。
 
「ん〜僕ちんが、何だって?いやぁ、あんまりにコイツとの遊びが楽しくて愉
しくて、ついつい興奮しすぎちゃいましたよ〜
 
 あは、と。突然子供のような無邪気な笑顔になり、鼻歌まで歌い出す。別人の
ようだ。否−−彼の中では実際、自分の中の違う人間が存在するのだろう。
 見えない狂気で満ちたこの世界。誰もが多かれ少なかれ、スイッチ一つで気が
触れる可能性を持っている。コスモス陣営の暴走にばかり気をとられがちだが−
−このケフカも、常にスイッチが入ったままである一人。
 その姿を悲しい、なんて。そんな感情は幻だ。自分はただ世界の闇が具現
化した妖魔にすぎない。誰かを慈しむ心などある筈がない。−−無い筈なのに。
 自分達は時の鎖に縛られた奴隷かもしれない。しかし鎖から解き放たれた先に
あるのは、道標を失った真の混沌だけ。自分はそう信じてきたし、今でも信じて
いるつもりだ。だからこそ輪廻の継続に手を貸してきた。だからこそ今、この手
でクラウド=ストライフを殺害した。
 でも。
 
「この男もあの娘も抗おうとしたな、運命に」
 
 コスモスの手の者達には、かつての輪廻の記憶がない。元々いた世界の記憶も、
ただ一人を除けば覚えていない筈だ。記憶が戻るということはそれだけ、
精神的な負担が増すということ。逆に高ストレス状態に陥ることで、彼らは記憶
を取り戻していく。
 思い出せば思い出すほど−−狂気に近付くと知らないまま。
「奴らは輪廻の事も世界の真実も、何も知らない。今回はあのバッツとやらが持
ち込んだ情報で、大分真実に近付いたようだが」
「うん?何がどうしたって〜?」
「いやケフカ、お前は何も考えなくていい」
 甘えたように笑う道化。その頭を撫でてやると、幼子のように無邪気に喜ぶ。
 心が擦り切れて、幼児退行を起こした道化。この男もまた、世界の被害者であ
ると知っている。
 
「奴らは何も知らない。にも関わらず、神の支配者が定めた結末に逆らおうとし
た。惨劇に追い詰められ、記憶を取り戻しつつあっても最後まで正気を保って、
戦い抜いた者もいた」
 
 普段のパターンなら。クラウドやティナなどは真っ先に暴走する。オニオンを
含めたこの三人が破滅の鍵を握っているのだと、ガーランドは言っていた。
 しかし、仲間内で殺し合う悲劇をえてなお、クラウド達は自分を保ち、生き抜
こうとした。引き金を引いたオニオンですら、死の瞬間には正気を取り戻したの
である。
 暗闇の雲は夜空を見上げる。丸い丸い月に、全てを見透かされている気がした。
 
「何故抗うのか。この鳥籠にいれば、知らずに済む。目覚めの後に待つのはい
つでも、絶望だけというのに
 
 
 
『本当に、それでいいの?』
 
 
 
 かつての世界。オニオンの真っ直ぐな瞳と声が−−浮かんでは消えていく。迷
ってなどいない。暗闇の雲は自分に言い聞かせる。
 気付いてしまうのが怖かったのだ。己の中に潜む、人間としての心に。自
分はどう足掻いても、アヤカシにしかなれないのだから。
 
 
 
 
 
Last angels <答捜し編>
1-9・迷えない 魔〜
 
 
 
 
 
 逃げる場所などありはしない。
 安全地帯?そんなもの、何処にある。ベース近くでウォーリア・オブ・ライト
が殺されていた事を考えれば、ホームエリアも危ない。フリオニールは今に至っ
ても、リーダーを殺したのが仲間の誰かだとは疑っていなかった。
 疑うものか。付き合いは短いかもしれないが−−背中を預け、共に夢を語り合
った戦友達を。あの日の笑顔もあの時の涙も、確かに本物だったから。誰が疑お
うと自分は信じ抜いてみせる。義士はそう心に決めていた。
 だが。だったら何故自分は走っている?仲間が大切なら何故一人で逃げるよう
な真似を?彼らを愛するなら何故助けに戻らない?
 
「くそっくそぉぉ−−っ!」
 
 走りながら叫んだ。涙を流して絶叫した。そうしなければ壊れてしまいそうだ
った。自分の選択を後悔してしまいそうだった。
 
「ライトさんセシルスコールジタンオニオンバッツティーダティ
クラウド……みんなっ…!!
 
 涙が溢れて止まらない。少し前まで笑っていた。少し前までいつものように騒
いで、叱られて、ふざけて、また笑って。
 
 もう、戻らない。
 
 本当に自分はこれで良かったのか、なんて−−思ってはいけない。それがクラ
ウド達の望みだと知っている。自分は生かされた。護られた。ここで引き返した
ら彼らの想いを踏みにじる事になる。
 闇の世界にさしかかった時、不意に何かに躓き、転倒する。
 
「ぐぅっ!」
 
 オニオンから受けた脚の傷に響いた。脂汗を流して呻く。一体何に躓いたのだ
ろう。そう思い、顔を上げ−−
 
「ううわぁぁっ!!
 
 悲鳴を上げた。尻餅をついたまま後ずさる。
 自分が躓いたもの。それは−−体中に穴を開けた、アルティミシアの遺体だっ
た。
 
「な何故!?何でっ
 
 どうして彼女がこんな場所で死んでいるのだ。
 だっておかしい。彼女と敵対する自分達の陣営は−−先程まで内乱の真っ只中
だった。ゴルベーザとは戦ったものの、他のカオスの者達といつ接触できただろ
う。
 さらに付け加えれば今生き残っているのは自分と−−もしかしたらティナとク
ラウドの二人のみ。向こうが攻め入ってくる最大のチャンスではあれ、カオス陣
営が打撃を受ける要素は皆無の筈。
 もしや−−内乱が起きていたのは、秩序軍だけではなかった?それとも別の要
因が−−。
 
「ゴルベーザだろうよ」
 
 ビクリ。突然背後からかけられた声に、慌てて振り向くフリオニール。
 そこに立っていたのは−−大剣を携えた、筋骨隆々の男性。ティーダの父にし
てカオスの手駒たる一人−−ジェクト。
 しかし今はそんなプロフィールより、彼の言葉が気になった。ゴルベーザ?同
じ混沌陣営の彼が、魔女を殺害したというのか?
 
「この傷口こんな風に綺麗に丸い穴が空くのは、あいつの兵器でしかありえね
ぇ。普通の魔法ならもっと火傷が酷くなる筈だしな」
 
 淡々と言うジェクト。何やらいつもと様子が違う。かつて手合わせした時はテ
ィーダによく似て−−明るく、豪放磊落な言動が目立っていた。カオス陣営だと
いう事を忘れるほどに。
 なのに、今の彼はなんだ。声色が暗すぎる。それに、魔女の血の匂いですぐに
は気付かなかったが、男の体中にこびりついている黒いシミは−−。
「血あんた、怪我してるのか?」
「ははっ!まさか」
 ジェクトは乾いた笑い声を上げた。どこか空虚に、悲しげに。
「返り血になんのかね、コレも。クジャの血だよ。あいつの死体を、たまたま
俺が一番最初に見つけたってだけの話だ」
「な…!?
「殺されたんだろうさ。どっかの腐ったヤローにな」
 クジャも−−死んでいた?しかも、殺された?
 フリオニールはパニック寸前だ。一体この世界で何が起きている。不可解な暴
走に、不可解な死。まるで意味が分からない。
 
「誰が殺したかは分からねぇ。安易な発想だけどな、犯人探しをしようとしたん
だよ、俺も。誰がコイツを殺したんだってな。が、情報が少なかった。クジャが
死んでたのは俺らのベースに近い場所だったが……だからっつってもカオス軍に
犯人がいると決めつけんのは、安直すぎる」
 
 デジャヴュ。クジャを殺されたジェクトの状況は、酷く似ている−−ライトを
殺された、オニオンナイトに。結果が違うのは、ジェクトが少年のように、仲間
を疑わなかった為。そして怒りに我を忘れて暴走しなかった為。その精神力は流
石と言うべきか。
 しかし−−これは偶然なのか?まるで内紛の種になるように、二人の人間が死
ぬ。それも恨みを買うように惨殺されて。
クジャも、殺された。もしかしてライトさんが死んだ事と関係があるんじ
「あぁ?」
……悪い。少し話を聞いてくれないか」
 こんな場合じゃないのかもしれない。何より相手は敵軍の戦士−−こんな話を
している間に、襲いかかってくる可能性もある。
 それに、この男はティーダの父親だ。現時点で彼が生き残っている確率は絶望
的。彼の死を知れば逆上するかもしれない。それは−−人間として当たり前の怒
りだ。
 それでもフリオニールは知りたかった。一連の惨劇は何故起きたのか。何が仲
間達の死を招いたのか−−全ての、真実を。
 
世界を白紙に戻すだぁ?何じゃそりゃ。何の話だ」
 
 意外だったのは、ジェクトが世界の真実はおろか、終わらない戦いにすら
何も気づいてなかったという事である。
 ゴルベーザが話した内容を伝えると、幻想は訝しげに眉をひそめた。
「だが確かに言われてみれば俺様の記憶も、あっちこっちおかしいからな
カオスに呼ばれる前自分が何してたのか、サッパリ思い出せねぇ。なんでティー
ダにあんな憎まれてんのかもな」
「あれはただ反抗期な気もするが
 少なくともフリオニールから見れば、あれは恨んではいても憎んで
る態度ではないと思う。ただ親も子も究極的に不器用なだけで。
 
フリオニール、つったな、お前。正直な話俺にはもう、守るもんが何もね
ぇ。クジャもティーダも死んじまった今となっては」
 
 ジェクトが息子をどれだけ愛しているか−−自分はコスモス陣営だが、それで
も分かる事はある。その息子と、クジャの名前を同列に挙げた。彼にとってクジ
ャはどんな存在だったのだろう。
 少なくとも−−守りたい存在だった。そういう事なのか。
 
「だがだったらせめて、自分達が何に巻き込まれているかぐらいは知りてぇな
 
 そうじゃなけりゃ、報われねぇだろ。ぽつり、と幻想は呟く。
「教えてやる。妙な事になってるのはお前の周りだけじゃねぇ。クジャの仇を探
す途中見つけたんだよ」
「何をだ?」
「死体」
 まさか。フリオニールの予感は、当たった。
 
「エクスデスと皇帝がな、道中で死んでた。やったのはガーランドだろうよ」
 
 
 
 
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妖魔は瞳を逸らす、絶望に満ちた世界から。