秩序の聖域は、静まり返っている。
 音が無いのではない。ただ、優しい水音と風の音色だけが空間を支配している。
晴れのぞく暖かな空。その名に相応しい、清らかな午後。
 しかし、向き合う者達の空気はあまりに重く、その表情は暗い。いや、正確に
はコスモスの眼にかの者の表情など分からないのだが。黒紫の甲冑から覗く眼は
明らかに−−秩序の女神を責めていた。
 
「また、散々な結末に終わった。今回は私もその後片付けに荷担したゆえ、
あなたにいちゃもんをつける権利などないが」
 
 ゴルベーザは淡々と言葉を紡ぐ。
 
「運良く、私は前回の世界の記憶を引き継げた。しかし、もはや思い出せない物
語も多い。ゆえに、知らない。コスモスよ、歴史は何度繰り返されたのだ?」
 
 唇を噛む。どんな糾弾を受けても仕方がない。何が神だ。誰が調和を司る女だ。
自分ほど、この閉じた世界で無力な存在もない。
 全ての真実を知りながら、ただ悲劇が起こるのを見ているしかなかった。調和
の戦士達−−彼らをこの残酷な運命に巻き込んだのは他でもない、自分だという
のに。
 精々、戦士達の苦悩を和らげるべく、その記憶に鍵をかけるのが関の山。その
力もあとどれくらい持つものか。
 彼らは何度死に、何度苦しんだ?もはやコスモスは数える事すら出来ずにいる。
 
「神の片割れたる貴方は全てを知っている筈だ。何故時間は巻き戻るのか。何
故コスモスの者達は皆が皆記憶を失うのか。そこに我々カオス陣営との差がある
のは何故か。コスモスの手の者達が高確率で発狂する訳は?そもそも必ずと言っ
ていいほど変死する者が出る理由は?」
 
 ゆっくりとした口調だが、要は質問責めである。秩序の女神なら全ての問いに
答えられると確信しているのか。
 事実−−ゴルベーザの読みは正しい。
 確かにコスモスは−−今彼が挙げた質問、その全ての答えを知っている。それ
ばかりか記憶に関しては自分が元凶だ。記憶を封じなければ彼らの心がどうなっ
てしまうのか−−具体例と言っていい人物が一人、カオス陣営にいる。
 カオス陣営の記憶封じがうまくいってないのは、自分とカオスの力の種類が違
うせいだ。この類の力は、コスモスの方が遥かに高い。カオスでは戦士達全員に
手を回す事が出来なかったと予測される。
 
何故、何も答えん?」
 
 魔人の声に苛立ちが混じる。コスモスはただ俯くばかり。
 
「神といえど貴方が首謀者で無い事くらいは気付いている。貴方も所詮駒の中
のキング、ゲームマスターにはなれん。運命の前には我々同様、無力かもしれな
い。しかし
 
 ざぁっとひんやりとした風が吹いた。コスモスの、ゴルベーザの、足元の水面
を揺らめかせる風。まるで世界が何かを問うているかのように。
 
「それでも、貴方の手駒の戦士達に、事実を教える事くらいは出来た筈。惨劇を
未然に防げる可能性を、貴方なら作り出せた筈。何故、それをしない?」
 
 真実を知らぬまま、絶望だけを思い知らされ。それでも尚、足掻く者達もいる
というのに、と。
 ゴルベーザが言う足掻く者達とは、前回の世界で最期まで生き抜いたフリ
オニール達であり。彼と同じカオス陣営の−−彼らの事でもあるのだろう。
 
伝える事が出来たら、どんなにいいでしょう」
 
 自分だって。何度彼らに真実を話してしまおうと思った事か。輪廻を終わらせ
る方法を模索しようとしたか。
「けれど駄目なのです。真実はあまりに残酷すぎる。彼らをより追い詰めて
しまうばかりで」
「試しもせずに、よくそんな事が言えるな」
「貴方には分かりません。結果は見えているのです」
 キツい口調になるのを止められなかった。
 だって−−どうしようもないではないか。もし彼らがこの世界の法則を知
ったなら?結局−−手の打ちようが無い。そして間違いなく勇者は自ら命を絶つ
だろう。
 そうなればまた惨劇の繰り返し。少年か少女か兵士か−−誰かが狂って、破滅
を招くだけ。
 鎖は解けず、何度でもカルマは廻る。
 
「喩えこの道の先に、絶望しかないとしても私は諦めん」
 
 きびすを返すゴルベーザ。その背を見つめるだけの女神。
 
「いつまで傍観者でいるつもりだコスモスよ」
 
 ぎゅっと、膝の上で手を握った。反論する言葉すら持たない自分が、コスモス
は悔しくて仕方なかった。
 
 
 
 
 
Last angels <猫騙し編>
2-1・プレリュード 
 
 
 
 
 
 分かった事がある。
 一件、無秩序に輪廻を繰り返しているように見えるこの世界には−−その実、
幾つもの法則があるのだと。
 ゴルベーザはメモをとる。この記録が持つのも今回の世界が終わるまで。再び
時間が巻き戻れば白紙に返ってしまうもの。だからこれは、形に残す為の記録で
はない。自分が少しでも長く、記憶に留めておく為のものだ。
 
・ルールX
 
 この世界は何度でも繰り返す。ある条件を満たすと、時間が巻き戻る。
 
 このある条件についてたが。どうやら自分は少し思い違いをしていたらし
い。
 二柱の神のどちらかが倒されるか。コスモスかカオス、そのどちらかの駒が全
滅すると発生する−−と。
 しかしどうやらそれだけでは無いらしい。たとえ神と両軍の駒が健在でも、あ
る一定時間が経過すると、巻き返しが発生する。ただしこの制限時間
必ずしも一定でない可能性がある。コスモスカオス両陣営の生存率。神が無事で
駒の大半が無事である間は、少しばかり時間稼ぎが可能かもしれない。
 というのも、だ。
 実は前回の世界。ゴルベーザは死んでいないのである。
 足止めを買って出たティナとの戦闘は、ゴルベーザの方が終始劣勢だった。ど
うにか相打ちに近い形で戦闘を終了させたものの−−彼女も自分も、致命傷は負
っていなかったのである。
 しかし。気付けば世界は巻き戻しにあっていた。ティナとの戦いが終わった直
後から記憶が飛んでいる。あの後、何らかの事情で死んだとしか思えない。
 
「いや考えてみれば今までの世界もそうだ。何度も死の間際の記憶が飛んで
いる
 
 あるいは、時間が巻き戻しに合う瞬間は、記憶が飛ぶのだとしたら。
 少なくとも自分もティナも生きていたにも関わらず、再生が始まった事に
なる。あの状況で神々に何かがあったとは考えにくい。つまり、神が無事で駒に
生き残りがいても、巻き戻しは起こるということである。
 もう一つ。輪廻において鍵を握るのが−−記憶。
 カオスの者達の中にも数名、輪廻の認識自体が怪しいものがいる。また事実は
覚えていても、前の世界の記憶を殆ど引き継げていない者もいるようだ。
 が、それでもコスモス陣営の者達よりはマシである。彼らは全員、記憶ど
ころか輪廻について気付く気配すらない。戦いを止める為に戦い続ける、その事
に疑問すら抱かない。自分達が召喚前の出自すら忘れている事にも。
 ゆえに、発生する事態もある。彼らは同じ過ちを繰り返しがちなのである。
 
・ルールY
 コスモス陣営の一部が、必ずといっていいほど発狂、暴走行動を起こす。
 
 もし記憶が残っていたらいたで、次の世界にも恨み辛みを残してしまいそうだ
が−−それはひとまず置いておいて。
 正直、何故こんな事が何度も起こるかまったく分からない。
 親しい者の死に狂いたくなるのは理解できる。輪廻の法則を知るゴルベーザの
ような者が、その世界を強制終了させる為に敵味方問わず片付けを始め
るというのもあるにはある。しかし後者は、記憶の欠落した彼らには有り得ない。
そして前者も−−仲間殺しにまで走る理由としては、些か疑問が残る。
 コスモス軍の中で、最も暴走率が高いのはティナ、オニオン、クラウドの三名。
時にはそれがスコールだったりジタンだったりする。
 逆に、ゴルベーザの記憶にある限り一度も発狂していないのが、ウォーリ
ア・オブ・ライトとフリオニール。ただし、ライトが暴走しないのは、以下の法
則がある為だ。残念ながら喜ばしい事ではない。
 
・ルールZ
 どんな世界でも特定の人物−−ウォーリア・オブ・ライトが死ぬ。例外はない。
 
 つまり、彼は早い段階で死んでしまう為、発狂暴走を起こさないの
である。ただし彼の死が引き金となり、仲間の暴走を招く事は想像に堅くな
い。
 だがこのルールが最も謎なのだ。
 何故彼が死ぬのか?実は殆どの場合、自殺しているらしいというのは聞き及ん
でいる。では何故自ら命を断ってしまうのか?それも−−あんな悲惨な死に方で。
 そう、前回の世界でも。彼が自殺だったとすれば、コスモスサイドのベース近
くで死んでいたのにも説明がつく。
 しかしアレを自殺と認識出来なくても無理はない。むしろゴルベーザ自身本当
にただの自殺なのか疑っている。
 だってそうだろう。
 腹と胸を切り裂き、鮮血を撒き散らし−−にも関わらず、内臓がごっそりと喪
失している遺体、なんて。
 
「ライトは自殺したがその死体を損壊して、わざわざ身内による他殺に見せか
けた者がいるとしたらどうだ?」
 
 他殺に見せる事で何が起きるか。コスモス陣営の疑心暗鬼を招き、ルールYの
誘発に繋がる。彼らを疎んじるカオス陣営の者なら、動機は充分。
 しかし、それだと何故コスモスの陣地まで忍び込めたかが分からなくなる。も
しや本当に、コスモス側に鼠がいるとでも?だとしたらコスモスが気付かない筈
がないが−−。
 いや、そもそも。この推測は本当に正しいのか?
 
しかし、やる事は決まったな」
 
 ルールYを防止する為の最善策。それは何よりルールZ−−勇者の死を未然に
防ぐ事。この法則を破る事が出来れば、活路は開ける筈だ。
 そしてコスモス陣営の暴走と自滅さえなければ、ルールXの発生をも遅らせる
事がてきる筈。時間稼ぎにしかならないとしても、やってみる価値はある。
 ゴルベーザはコスモス陣営のベース方面に向かう。途中からはわざと歩いて行
った。コソコソ動いたと思われれば、あらぬ疑いをかけられかねないからである。
 今なら、前線は暇だ。彼らもベースを離れて、思い思いに行動している事だろ
う。できれば勇者一人と話をつけたいゴルベーザにとっては、いろいろと都合が
良かった。
 彼を探そうと、アルティミシア城付近を探索していた時。
 角を曲がったところでバッタリ出くわせた。幼いマジックフェンサーに。
 
「あ、あんたセシルの
 
 オニオンは眼を見開き、戸惑いを隠そうともしない。それが今の自分の立ち位
置と分かっている。ゴルベーザは微笑んだ。甲冑で見えないとは知りつつ。
「少年よ。お前には、守りたいものがあるのだろう?」
「え?」
 
 
 
『護れ、なかった。護るって決めたのにあの日、護れなかった分まで』
 
 
 
「護ってみせろ。その人達の身体だけでなく願いまで。お前自身の心まで」
 
 意味が分からないのだろう。首を捻る少年の頭をなでて、魔人はきびすを返す。
 今は分からなくてもいい。ただ、その時が来た時に、思い出して欲しいのだ。
 心を、狂気に食われてしまう前に。
 
 
 
 
NEXT
 

 

女神は俯き、未だ耳を塞いでいたけれど。