この世に偶然は無い。 全ての出来事には必ず理由があり、原因がある。運すらも理を外れたものでは ないのだと−−とある世界の魔女は言った。 またこんな言葉を残した魔女もいる。 あらゆる行動の果てに等しく待つ、“結果”という未来。望もうが望むまいが、 世界は汝にそれを押し付け、次の選択を強制する。 例外は、ない。 どれほど理不尽であろうとも、誰もがその繰り返しからは逃れられない。だと したら誰かが負うべき罪は、罰は、一体何処にあるというのだろうか−−と。 そう、世界は人の意志で廻るものでありながら、時として誰も望まぬ結果を彼 らに突きつけるのである。
「はっ…相殺、ね…」
荒い息で笑みを浮かべるオニオンナイト。その先には同じく満身創痍の暗闇の 雲。うまく瓦礫の陰に隠れたティナは無事。 けれど先ほどまで少女が戦っていたイミテーション達の殆どは、周囲の建物す ら巻き込んだオニオンと暗闇の雲の魔法で消し飛んでしまっていた。
「ふふ…子供と侮ったわ」
悔しげながらも、暗闇の雲はどこか楽しげである。自分の存在価値を探し続け るオニオンナイト同様、彼女もまた何かを捜そうとずっと足掻いてきたのだ。た だ本人に自覚が無かっただけで。 彼女はまだ知らないのだろう。その感情が示す意味を。 彼女はまだ分からないのだろう。何故オニオンが彼女を“人間”と呼んだのか を。 彼らは今何かを見つけ、その先に手を伸ばそうとしている。 永く永く続く輪廻。永久の修羅地獄が、地獄とすら気付けなかった戦士達。 しかしその終わりは確かに近付いている。絶対と思われた運命の法則。世界と いう鳥籠。けれど戦う者達の意志でそれが破られつつある。抗い続ける意志、諦 めない意志。それは時として絶望的なさだめすらも覆す。 ある世界の神は言った。負けない強さより、負けてなお立ち上がる強さの方が 尊い事もあるのだと。 彼らは立ち上がり続けた。記憶という教訓を失い、記憶という枷をはめられ。 何度惨劇に倒れてもまた、再び立ち上がり続けたのである。 ただし。 その強さが、及ばぬ域もまた存在する。 とある世界の魔女の言うように。行動の果てに待つ結果という事実が、必ずし も望む未来だけを手繰り寄せるとは限らない。運命を打ち破らんとする意志が、 時に悲劇をも招く事も、彼ら彼女らは幾度となく痛感してきた。 そして今回も、また同様に。
「そこにいるのは誰っ!?」
突然、ティナが叫ぶ。感覚の鋭い彼女は気付いていたのだろう。 強大な魔法で崩れた壁。瓦礫と砂塵の向こうに、ゆらり、と立つ人影があった。 砂埃が晴れていく。そこから現れた顔は。
「セシル…!?」
ティナ、オニオンと同じコスモス陣営の仲間。パラディンの姿をとった青年、 セシル=ハーヴィであった。 しかし少女の声は堅いまま。彼女は気付いていた、普段は穏やかで優しい騎士 の−−尋常でない様子に。
「ねぇ、教えてくれないかな」
白い甲冑が、真っ赤に染まっている。青年のものか、他人のものかも分からな い血で。 もしかしたら少女は感じていたかもしれない−−その光景に、デジャヴュを。
「誰?兄さんを、殺したのは」
虚ろな瞳は、もはや何も映しては、いない。
Last angels <猫騙し編> 〜2-15・スケルツォ C〜
時間は少し巻き戻る。 クラウドを見送った、手負いの青年。全身の傷もさることながら、右足の怪我 がセシルの動きを鈍らせていた。 脚が、動かない。 太股に突き刺さった破片。動脈を切り裂き、骨を砕いたそれが、セシルに凄ま じい苦痛を与えている。しかし抜けば酷い出血を起こして、命取りになる事が目 に見えていた。 セシルが元々鈍足であり、脚でかき回して戦うタイプでは無かった事。そして 剣と魔法両方の使い手であったのが幸いした。その場を動かずとも、ある程度戦 い続ける事が可能だったのである。
「届け…!」
暗黒騎士にジョブチェンジし、黒い爆炎を走らせる。ダークフレイム。技の進 路上にいた“模倣の義士”と“まやかしの妖魔”が焼き尽くされる。 しかしまるで示し合わせたかのように、背後に迫る“模倣の暴君”。振り下ろ される杖を、セシルはどうにか剣で受け止める。
「ぐぅっ…」
ズキン。
脚の傷に響く。脳天まで突き抜けるような痛みに、歯を食いしばって耐える。 まだだ。まだ、諦めるわけにはいかない。 満身創痍の自分を置いていかなければならなかったクラウドは、もっと痛かっ たはずだ。体ではなく、心が。自分がそうさせた−−彼が苦しむ事を、分かって いながら。
「僕は、生きるんだ…っ!」
剣を振り、イミテーションを切り裂く。
「みんなで…生き残るって、約束した!」
あれがいつの事だったか、もはや記憶も曖昧だけど。 みんなでこの戦いを生き抜く。この修羅の世界に平和を取り戻す。そしてフリ オニールの夢のような−−野薔薇の咲く優しい景色を、みんなで見るのだと。 仲間達の決意。自分がその足を引っ張ってはいけない。 仲間と共に戦う事と、仲間の力に頼る事は違う。兄にもそう教えられた。この 世界に召喚する前も−−親友や愛すべき人が、優しく背中を押してくれたから。 だから今自分は此処にいる。たとえ兄が−−あの月の民の物語を、覚えてない のだとしても。 負けない。諦めない。 死んだ時に諦めろ。投げ捨てる事などいつでも出来るのだから。
「立派になったな…セシルよ」
はっとして顔を上げた。大好きな、低くて温かい声。目の前でひれがえったの は漆黒のマント。
「兄さん…!」
良かった。無事だったんだ。 そう思った途端体から力が抜け、思わずへたりこんでしまう。
「おいおい…戦闘中だぞ」
情けないな。兄は苦笑いをしながら、セシルと自分に向かってくるイミテーシ ョン達を撃退していく。 「あはは…兄さんの顔見たら、ほっとしちゃって…」 「相変わらずだな。だが…」 鎧に包まれて、その顔は見えないが。
「無事…とはいかなかったようだな。酷い怪我だ…」
声色から、ややショックを受けたらしいと分かる。セシルは、大丈夫だよ、と 努力して笑みを浮かべた。 「ギリギリ致命傷は避けてるから。まあ、出来れば血止めくらいしたいけど…」 「したいけど、じゃない。失血死寸前だろうが」 あ、呆れられてる。 なんだかんだで心配性な兄に、セシルの方も苦笑したくなる。
「とりあえず、ここを突破してお前の仲間と合流しよう。オニオンナイトとティ ナの二人はすぐ側にいた筈…いや、それよりどうにか安全な場所を見つけて救護 を…」
ブツブツ言いながらも敵を倒していくあたり、兄は器用である。安全な場所− −果たしてあるのだろうか。どこもかしこも敵だらけだが。 「とりあえず、おぶってやる。その脚じゃろくに歩けんだろう」 「い、いいってば兄さん…恥ずかしいよ」 「恥ずかしがってる場合か?」 「う…」 ああイミテーションさん達、頼むから空気読んで。 二人で会話している間にも、容赦なく襲ってくる。ムードもへったくれもない。 “うつろいの騎士”をセシルのソウルイーターの刃が貫き、“うつろいの魔人 ”をゴルベーザのコズミックレイの電撃が吹き飛ばす。 思えばずっと夢見てたのだ、また兄と共に戦える日を。 そう、共に−−ゼロムスの野望を打ち砕いた、あの時のように。 「ねぇ、兄さん…」 「ん?」 兄は覚えていない。彼自身が巻き込まれた運命も、カオスに召喚されるきっか けとなった過去も。ただ微かに、セシルに対する負い目だけを記憶しているよう だが。 それを知った時、セシルは衝撃を受けると同時に−−内心で安堵していた。思 い出せばきっと兄は自分から離れていってしまう。自分の幸せを捨ててしまう。 本当はずっと、それが怖くて。
「戦いが終わったら、また一緒に暮らそうね。カオス軍もコスモス軍も関係なく なったらきっと…暮らせるよね」
戦いが終わったら、なんて。口にしながらも、本当は望んでしまっている。それ は赦されない事だと分かりながら。 このままずっと−−この戦いが終わらなければいい。兄が何も思い出さなければ いい−−なんて。
「……そうだな。戦いが終わったら、な」
兄は少し口ごもり−−しかし、答えてくれた。思い出してしまったらきっと、 今の返事は聞けなくなる。だから。 「約束だよ。絶対」 「ああ」 「嘘、ついたら酷いからね」 自分は、狡い。 こんな言葉でゴルベーザの未来を、選択を、縛ろうとしている。“心優しい弟” を演じながら。 ああ本当は−−自分こそが、闇に墜ちるべき存在だったのに。 「セシルっ!」 「え?」 一瞬遠くにやりかけた意識を、いつになく焦った様子のゴルベーザの声が引き 戻した。 セシルが状況を理解するより早く、兄の広いマントと逞しい腕に包まれる。覆 い被さったその表情は暗さと鎧のせいで分からない。
「兄さ…っ」
一体どうしたの、と。 尋ねる事はかなわなかった。
ドォン!!
突然、城を揺るがした爆発音。ゴルベーザの体で、セシルには何が起こったの かが全く見えない。ただ大地を震わす轟音と、ぶつかり合った強大な魔力の気配 だけは感じていた。
「に、兄さん…!」
ガラガラと壁が、柱が崩れ落ちてくる。漸くセシルにも、状況が把握できた。 自分は兄に、庇われたのだ。今も落ちてくる瓦礫やガラスの破片から、身を挺し てセシルを守ろうとしている!
「兄さんっ…ダメだ…兄さんっ!」
叫び、兄の腕から逃れようともがく。しかしゴルベーザはびくともしない。ま すます強い力で弟を抱きしめる。 ダメだ兄さん。嫌だ、嫌だ! 声はやがて泣き叫ぶそれに変わる。悲鳴のような声を上げながら、セシルは必 死で暴れる。
「セシル」
漸く地鳴りが収まりだした。頭上から静かに振った優しい声。セシルは目を見 開く。落ちてきた破片の一部が、兄の兜を砕いていた。バラバラと崩れ落ちた右 半分、その向こう。セシルと同じ青紫の瞳が見つめていた。
「何度も何度も…私はお前を守れなかった。護られて…お前を死なせてしまった。 ずっと怖かった。今回も、そうなるのではないかと」
やっと、救えた。 掠れた声は慈愛に満ちていて−−セシルの頬をまた、雫が伝った。
「お前のいない世界など、意味がないというのに」
何言ってるの、兄さん。僕だってそうだよ。 兄さんのいない、世界なんて。 想いは掠れて、音にもなってくれないまま。
「罪深い兄を、許しておくれ。愛しているよ…世界でたった一人の、弟よ」
がしゃん。 崩れ落ちたゴルベーザの体。セシルは震える手で、兄の体を抱き返し。その広 い背中に突き刺さる無数の破片と、凄惨な火傷に気付いた。
「あ…あ、あぁぁぁ−−っ!!」
心を引き裂く絶叫が、木霊する。
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騎士と魔人の世界は、バランスを崩して墜落する。