傷を抉り合うような戦いだ。耳を塞ぎたい。目をそらしてしまいたい。一瞬で もそう思ってしまった自分の弱さを−−ティナは恥じた。 返して。兄さんを返して、と。 脚から血を噴き出させながら、譫言のように呟き、襲ってくるセシル。その声 と姿が、心を抉る。 自分は彼にはなれないから。その痛みが分かる、なんて言えない。彼の絶望も 悲嘆も、彼にしか分からないもの。彼だけの痛み。他人にはけして触れる事が出 来ない。 けれど、想像する事ならできる。もし自分が大切な人を失ったら、どうなるだ ろう。どうなってしまうだろう。
「闇よ!魂の叫びよ!」
暗黒騎士にジョブチェンジしたセシルが、闇の力を宿した剣を突き出す。ソウ ルイーター。その名のごとく、魂を食らう槍。 一瞬思考を外にやっていた為、反応が遅れた。素早くオニオンが手を引いてく れた為無傷で済んだが−−鋭い槍が少年の肩を貫いていた。 「あぁっ!」 「オニオン…っ!」 それでも、少年はティナの手を離さない。そして庇うように、少女の前に立ち 剣を構える。 涙が溢れた。ああ、そうだ。もし今自分が、この少年を失ったら。一番大切な 彼が死んでしまったら。 きっと、狂ってしまう。
「踊り狂えっ!」
セシルの背後から、暗闇の雲が攻撃を仕掛けていた。完全な不意打ちだった筈 だ。しかし騎士は流れるような剣さばきで、攻撃を受け流してしまう。 下手にガードされるよりキツい。彼女はがくんと体制を崩していた。
「光の元に…」
再びパラディンになるセシル。
「裁きをっ!!」
空中から突進するセイントダイブが、暗闇の雲に襲いかかっていた。バランス を崩していた彼女は回避も防御もとれない。騎士の剣が彼女の腹を貫く。悲鳴が 上がる。 そのまま乱暴に剣を抜き、その体を地面に叩きつけた。受け身もとれずに転が った暗闇の雲は、ダメージからすぐには動けず、苦悶の声を漏らすのみ。 噴き出した鮮血を頭からかぶっても、もはやセシルは顔色一つ変えなかった。 ただ冷たい眼差しを向けただけ。 瞳に宿る光は凍りついているのに−−その頬には後から後から涙が伝っていく。 それが彼に残された、最期の真実だと示すように。
「波動よ…!」
再び青年はティナとオニオンを標的に戻す。暗闇の力を借り、再びダークフレ イムを放つ青年。とっさに、オニオンが相殺の為の魔法の構えをとる。
「荒れ、狂え…っ!弾けろっ!!」
渾身のフレアが、闇の波動とぶつかり合った。しかし威力はわずかにダークフ レイムの方が上だったと見える。弾け飛んだ黒い焔が、オニオンの脇腹を掠めて いた。 苦悶の声を上げながらも、少年は倒れない。もはや腕も脚も満足に動かず、失 血で意識も朦朧とし始めているのに−−何度でも剣を構える。 その理由が、ティナには分かっていた。だから叫んだ。
「やめて…っ!もうやめて!!」
それはセシルに言った言葉であり−−同時にオニオンに向けた言葉であった。 少年は命を捨てて、自分を守ろうとしている。このままでは彼が死んでしまう。 最も起きて欲しくない未来が、目の前で起きてしまう。
「私達…あなたとは戦えない!あなたを殺したくない!!気付いてるんでしょう!?」
オニオンも自分も、まるで実力を発揮できてない。実質三対一にも関わらず。 豹変した仲間への戸惑いもある。攻撃する事への躊躇いもある。 何より−−彼の兄という唯一無二の存在である大切な人を、事故とはいえ殺し てしまったという負い目がある。 迷いは剣を鈍らせ、殺意を失わせる。それが命取りと知りながら。
「お願い、眼を醒まして!あなたの世界はまだ、終わってなんかない!お兄さんは きっとそんな事望んでない!!」
しかし。 少女の必死の叫びは、壊れた騎士に届かない。
「迷いは、しない…」
光と闇。その輝きが青年の体を取り巻く。セシルのEXモードが、発動してい た。
「ここに示す!」
Last angels <猫騙し編> 〜2-18・フーガ T〜
自分には何も無い。そう思っていた。 愛する人も、愛される人もいない自分。この力に振り回されて、誰かを傷つけ るだけの化け物。ティナはずっと自分を責め続けていた。そしてどこかで嘆いて、 恨んでいた。 どうして自分は、普通の人間じゃなかったのだろう、と。
「月の導きに…」
ダブルフェイズ。セシルのEXバーストが襲いかかる。オニオンが小さな身体を 目一杯張って、ティナに覆い被さった。
「光と闇をもたらさん!」
やめて。お願い、やめて。叫ぶ声は光と闇の奔流に押し流される。血飛沫が顔 に、胸にかかった。光と闇の剣に刺し貫かれた少年の身体が、どさりと崩れ落ち る。血の海を広げて、痙攣させながら。
「い…」
イヤだ。イヤだ。
「嫌ぁぁぁっ!!」
悪夢だ、こんな事。
「いや…いや!しっかりして、オニオン!!オニオン!!」
何も無い、なんて。どうしてそんなにも傲慢だったのだろう。 自分はたくさん持っていたではないか。たくさん貰っていたではないか。笑顔 も、友情も、愛情も、優しさも。こんなに身近にあったのに。こんなに側にあっ たのに。 どうして大切なものほど、見えなくなってしまうのだろう。
「オニオン、か」
よろよろと、暗闇の雲が近付いてきた。腹に空いた穴。加えて先程のセシルの ダブルフェイズの余波を受けたのだろう、満身創痍である。
「それは称号の名前、そうだったな。真名はわからない、と」
死にかけているとは思えぬほど静かな声。そして彼女が意志を持たない妖魔で あるとは信じられないほど、優しい声。
「わしは…世界の真実を殆ど知らない。しかし、かつていた世界の事は覚えてお った。わしを倒した四人の勇者、その一人であるおぬしの事も…」
妖魔の手が、死を迎えようとしている少年の頬に伸びた。
「お前の本当の名は…“ルーネス”だ」
世界は光と闇でできている。 どちらか片方だけでは成り立たない。光の射す場所に必ず闇ができ、闇のある ところに必ず光が灯る。例外はない。どちらかが先でどちらが後でもない。 “暗闇の雲”とは、そのどちらかの力が氾濫を起こした時に現れる存在だった。 世界に寄り集まった、人々の“歪み”の集合体。人々の負の感情を抱いて目覚め しもの。 ただ氾濫に乗じて、世界を無に返す事だけが本能。心など、無い筈だった。 なのに。
『僕が見つけたのは、みんなを守る力だ!』
興味を持った。ちっぽけで無力な筈の人間。たかが十数年しか生きていない筈 の、脆い生き物に。 そして知りたいと願った。その決意が何処から生まれ、何処に行くのかを。そ して己の感情が−−最後にはどこへ帰結するのかを。 少年は自分を“人間”だと言った。ただの妖魔が“興味”など抱く筈が無いと。 今でもそれは違うと言える。この異形の破壊神をどう捉えれば人間に映るのか。 だが−−ただの妖魔だとも割り切れない。 自分は一体誰なのだろう。 何がしたくて、此処にいるのだろう。
「守る事が、お前の存在理由であり証明だと…そう言ったな」
今、自分の宿敵たる少年は、血の海の中で死を迎えようとしている。彼の望んだ 通り、愛しい少女を守って。それが少女の望みでなくとも。
「もっと楽な道はあっただろう。何故、別の証明を選ばなかった。自らの為に 自ら死を受け入れる結末など…馬鹿げていると思わなかったのか」
オニオンナイト−−いや、ルーネスは、浅い呼吸を繰り返しながら目を開く。 もはや暗闇の雲の顔すら、ぼやけて見えていないのかもしれない。
「思い出した、んだ…」
透明な滴が、少年の頬を伝う。 「守れなかった、事。守られちゃった事。みんなは消えたのに、僕だけ生き残って …あの時だってそうだ、僕のせいでウォルは…」 「え?」 「だから僕は…今度こそ守るって。ティナとウォルの事だけでも守るんだって、 決めた、んだ。あの、はじまりの世界で…」 まさか。 死に瀕した事で、過去の世界の記憶が戻ったのか。それも−−“はじまりの世 界”?彼らがコスモスに初めて召還された世界の事か? 少年の“守る事”への拘り。存在証明を理由にしても、まだ何か引っかかりを 感じていたが。 何があった?はじまりの世界。彼と、あの光の戦士の間に。
「何が、あったのだ。はじまりの世界で、何が」
ルーネスが何かを呟いた。しかし掠れたその声はよく聞き取れない。暗闇の雲 は耳を近付ける。 そして、ポツリポツリと語られた事実は−−。
「な…に……!?」
驚愕で言葉が出なかった。
「ガーランドが…なんと…」
理解する。 これだったのだ−−ガーランドが奪いたかった少年の記憶は。暗闇の雲にはけ して言えない筈だ。彼らしからぬ、騎士道に反する真似。しかも相手は幼いルー ネスと光の戦士。もし知っていたのなら自分は−−あの男に手など貸さなかった だろう。 ああ、そうだ。今理解した。自分は、この少年を。
「お前のせいでは、ない…」
こんな感情があるのか。自分にもあったのか。 誰かを慈しむ、なんてそんな感情。最初から存在していないと思っていたのに。
「お前は何も持ってないわけではない。守れなかったわけでも、ない」
ティナを見る。涙を流し、少年を見つめる彼女の姿を。 お前は必要とされているではないか。 お前の為に涙を流す人がいるではないか。 お前を愛する人がそこにいるではないか。 お前が確かに守ったものが、確かにそこに在るではないか。
「ありがと…」
オニオンナイトの称号を持つ幼い少年は。小さく笑って、瞳を閉じた。
「なまえ、教えてくれて…」
多分今、自分はとんでもなく情けない顔をしているのだろう。 女々しいにもほどがある。これではまるで、人間の女ではないか。彼の言葉を 否定できないではないか。
「生まれ変わったら、今度は…」
何故そんな事を口にしたか、自分でも分からない。ただ、悲しいと思った。 こんな世界でなければ、こんな関係でなければ、こんな運命でなければ。自分 も彼も、幸せな未来を見つけられたのだろうか。 時の鎖を解いた先が絶望なのではない。今この時こそが、絶望だった。 誰一人、幸せじゃない世界なんて。
「かはっ…」
言葉が最後まで紡がれる事は無かった。
「許さないよ。君達だけ、幸せに終わるなんて」
セシルの剣が、暗闇の雲の背を刺し貫いていた。
「哀れな、事よ…」
そのまま崩れ落ちる。少年の遺体に折り重なるように、抱きしめるように。
「曇った眼に、真実は映らぬ…」
それは自分自身への言葉であり。戒めでもあった。暗闇の雲が最期に見たのは、 セシルに魔法を向けるティナ。風の魔法で切り裂かれる騎士。 誰に罪があったのだろう。 何が咎だったのだろう。 誰もが幸せになりたかった。 愛されたかった。愛したかった。 大事な人を護りたかった。 ただ、誰もが当たり前のように、生きていたかった、それだけなのに。
骸と化した妖魔と少年。それはまるで、寄り添う母親と息子のようであった。
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誰もが被害者で、誰もが加害者だった。