『今日の任務。 月の渓谷方面イミテーション討伐に決定。相方はフリオニールのみ。 決行十時。読後破棄』
ティーダはそれだけ文字を打ち込むと、送信してすぐ消去した。万に一つでも、 仲間にこのメールの事を知られるわけにはいかない。だからこそ読後破棄。 アドレス帳にもパスワードでロックをかけ、具体的な名前登録は控えた。 勿論こんなパスワードなど、ある程度の技術があれば簡単に突破できてしまう。 同様に消去したメールも、復活させる方法がないわけではない。しかし−−仲間達 にそこまでの能力はない、とティーダは踏んでいた。 PHS。いわゆる携帯電話というヤツだが。当然この世界のものではない。 面子の中で最も文明の進んだ未来から来たアルティミシアが提供してくれたもの である。 機械の街だった、故郷のザナルカンドには携帯電話も普及していた。その後の 世界である筈のスピラは、宗教上の理由から機械の使用が全面的に禁止されて おり、携帯のケの字の気配すらなかったけれど。 実際、この機械に驚くか否かは、自分達がいつの時代から来たかで大きく違う。 ザナルカンド出身のティーダやジェクトは機械絡みに慣れっこだったが、クジャ や皇帝は扱いを覚えるのに苦労していたようだ。 しかし、メールの送受信と管理くらいは出来ないと困るので、アルティミシアが 必死で二人に叩き込んでいた。
−−もうすぐだ…。始めてしまったらもう、後には引けない。
いや。どちらにせよ、引き返しを願うような甘い覚悟では駄目だ。退路は自ら 塞ぐ。自分で自分を追い詰める。それくらいの心構えでなくてはここから先−− 耐えきれまい。 月の渓谷エリア。予め皇帝達に付近のイミテーションは下げてもらっておく。 そこでまず、セフィロスを誘い出して説得。正確には説得するフリをして、彼に 隙を作るわけだが。ティーダは個人的に、彼とも一度話しておきたかったのである。 ライフストリームから知識を吸収したティーダは、彼の事情もまた知っていた。 前の世界で何故あんな暴挙に出たのかも。彼がクラウドに対し、どんな負い目が あるのかも。 だからこそ。もしセフィロスの根底にあるものを突き崩せたなら−−それこそ 説得が可能かもしれないのだ。どちらにせよ彼には死んで貰わなければならない のだとしても。
−−それと…エクスデスだな。とりあえず協力は取り付けたけど。
スコールの言うように。自分は昨晩部屋を抜け出していた。そして一人、皇帝の 手引きでカオス軍のベースに乗り込んでいったのである。 そう、エクスデスに会い、説得する為に。
『あんたの言う事、結構的を射てると俺は思うッスよ』
輪廻を解き放つ方法を説明した上で。エクスデスの思想に賛同してみせたので ある。
『全ては無から生まれて無に帰る。例外なんかない。全ての可能に限りも絶対も “無”い筈なんだ…。なのに、この閉じた世界は永遠に終わらない。誰もがある べき場所に帰れない』
帰れるのは、時の鎖を絶ち、出口なき世界の扉を開けた時。
『その先には誰もが等しく無から始まる世界が待ってる。…そこにはあらゆる 可能性が眠ってる。なぁあんた、無限の可能性ってヤツは、嫌いかな?』
誰もが無限の可能性を持っている。それに賭ける事ができる。全てはそう−− かつてアーロンが教えてくれた言葉の受け売りであり、教訓であり。 奇麗事なのかもしれない、そう思う。けれで精一杯生きる事で、繋がる可能性も ある−−自分はそう信じて今此処に立っている。 エクスデスは笑った。そして、言ったのだった。
『面白い…。いいだろう、その無限の可能性とやら、私に示してみせるがいい』
どうにか協力して貰える事にはなったが。エクスデスの力が必要になるのは、 もう少しばかり先である。
−−問題はゴルベーザだ。あの人を殺すのはいろいろマズいからな…助力願えな かったその時は…。
それに、父の事も。 あまり顔を合わせないように気をつけなくては−−自分の嘘が父に見抜かれた ら、その時点でアウトなのだから。
Last angels <詞遺し編> 〜3-9・祈〜
いえゆい のぼめら れんみり よじゅよご…
ティーダが歌っている。聞いた事の無いメロディー、そして言語だった。尋ね れば、スピラという世界の宗教歌だという。おそらく古典語か何かなのだろう。 神を敬い、死者に祈り、生者の心を支える為の歌だそうだ。 開けた月の渓谷。皇帝の隠れている場所は、ティーダの座っている石柱からだ いぶ離れていたが−−その声は、静まり返った空気を震わすようにして響き渡る。 綺麗な声だな、と純粋に思った。自分は原曲を知らないが、音感は悪くないと 思っている。元々の才能か、はたまた鍛えたか、多分ティーダは相当歌が上手い 部類になるのだろう。
アサテカナエ クタマエ…
神を敬う、なんて。自分達には程遠い感情だ。 確かに神と呼ばれる存在は確かにいる。でも。彼らもまた一個の生命体に過ぎ ず、けして万能の存在ではない。死者を生き返らせる事も、老人を若返らせる事も、 太陽と月を昇らせる事もできないのだ。 ましてや−−祈り、信じれば必ず助けてくれるような。そんな都合のいい神様 など何処にもいない。いていい筈がない。そうでなければこんな不平等すら、神の 戯れという事になってしまう。 それはティーダも知っている筈だ。それなのに歌い続けるのは、そんな偶像に 敬意を表しての事ではあるまい。 今を生きている自分を、自分達の心を支える為だ。絶望に折れそうな魂を、保ち 続ける為なのだ。 多分彼には気付かれているのだろうな、と思う。自分とアルティミシアに限界が 近い事に。 この世界では、何度体が死んでも、全てが白紙に返るたび生き返る事になる。 しかし。 心は死ぬのだ。終わらない修羅地獄のごとき悪夢に、精神は否応なく擦り切れて いく。惨たらしい記憶を受け継ぐたび磨耗し、その残量を減らしていってしまう。 どうしてだろう。どうして自分と彼女だったのだろう。何故自分達だけが、何 一つ忘れる事が出来なかったのか。百年。百年だ。それだけの長い時間、全ての 世界の記憶を引き継ぐなんて−−本当に気が狂う思いだった。 いや、それだけなら意地でも耐えたかもしれない。けれど。 死の前の記憶を一つ引き継ぐ度に、皇帝は少しずつ−−本来の“自分”を忘れ ていった。気がついた時は、本気で頭がおかしくなりそうだった。積み重なる悪 夢が、個としての己を消していってしまう。
耐えられない。
今はもう、自分に関する事は殆ど思い出せなくなった。名前も、家族や配下の顔 すらも。 ティーダ達に壷毒の話をしたように、自分が直接関わらない知識や生活に必要 不可欠なものはある程度残っているが。自分が元いた世界の事−−どんな生活を して、どんな風に生きてきたかがもう分からない。 フリオニールの事だってそう。記憶にあるのは、彼に殺された時の僅かな時間 のみ。殺された、という事は多分敵対していたのだろう。認識などその程度だ。 ただ疑問なのは、義士に殺された筈の自分が何故生きていて、この世界に召喚 されたのかという事。もしかしたら、あの“最後の記憶”には続きがあったのだ ろうか。殺された、そう思っていたが、もしかして。
−−…ふん。まさかな。
自分はフリオニールに憎まれていた。それは確かな話だ。心の記憶は忘れても、 魂な刻まれたものは消えていない。理由が分からないながらも、本能が憎しみを 覚えているのだろう。だからいつも彼は、あんな暗い瞳で自分を見るのだ。 せめて。自分も彼を憎しんでいたなら良かったのに。それならばこんなにあの 義士と関わるたび、不愉快な気分になる事も無かったのに。 全ての記憶を失ってなお感情は残るなら、何故自分はフリオニールに憎悪を抱 いていないのだろう。自分は彼に殺された筈なのに、何故。
『俺、多分アンタ達が知りたいこと、全部知ってるッスよ。星の命は嘘なんて つかないから』
作戦会議の最後に、ティーダは皇帝とアルティミシアにそう言った。
『でも、言えないんだ。アンタ達にそれを教えるのは俺の役目じゃない…教える べき人が他にいる。皇帝の本当の名前も、アルティミシアが取り戻したい名前も』
大丈夫だよ。元の世界に行ったらきっと見つかるから。夢想と呼ばれる青年は 笑う。
『だから、お願いだ。どうか今度こそ…後悔しない道を選んで、幸せになって くれよな。これから犠牲にならなくちゃいけない人達や…俺や親父の分までさ』
後悔したまま消えるのは、俺達だけで充分だから。
「馬鹿が…」
歌い続けるその姿に向けて、小さく毒づいた。 あの時、皇帝は初めて知ったのだ。ティーダという青年がこの先どんな運命を 辿るかを。時の鎖を断ち切れば彼らがどうなるのかを。 自分は何も知らず、この役目にティーダを選んだ。今更それを後悔するつもり もないし、そんな権利もないが。 全て分かっていてなお、選ぼうとするその姿を−−皇帝は憎いと感じていた。 何故そう思うのか、自分でも分からないけれど。 身勝手だ。一人で全部背負った顔をして。それで振り回される者の気も知らな いで。そもそもこの世界の命運を、たった一人で背負えると思う事が傲慢だ。 人間はどう足掻こうとも人間でしかない。神はおろか、天使にもなれはないのだか ら。 忌々しい。本当に。
−−来たか。
歌が止まる。そして遠目からティーダが立ち上がったのが見えた。セフィロスが 来たのか。皇帝は慎重に様子を窺う。 ギリギリ視認可能な距離だが−−見える。銀の長い髪を靡かせながら近付いて 来る人物が。 まったく、どうやって誘い出したのだろう、あの警戒心の強い英雄を。疑問を 感じながらも、集音機(これもアルティミシアのご提供だ)を耳につける。 すぐ様皇帝の聴覚に、ティーダとセフィロスの会話が飛び込んできた−−。
此処は何処だろう。自分は何故こんな所にいるのか。確か、セシルと共に、 ベースで待機していた筈だ。今までの報告書や資料をまとめていて、それから? まさかうたた寝でもしてしまったのか。一面真っ白な空間に、クラウドは溜め 息をつく。これは夢なのだ、とどこか確信している自分がいる。
『ううん。ちょっと違うかな。ただの夢じゃ、ないよ』
柔らかい女性の声が響く。
『そうそう。だって俺達確かに、此処に居るもんな』
もう一人いるようだ。明るい青年の声。誰だろう。彼女の声も彼の声も、 ひどく懐かしい気がするのに−−誰のものだったかが、思い出せない。 『やっぱり、思い出せないか。でも、心は忘れてない筈だよ。わたし達のこと…』 『ああ。なぁ、クラウド』 名前。そうだ、いつもそうやって、呼んでくれていたんだ。兄のように、彼は。 それは――ああ、誰の事だったか。 ねぇ、貴方は誰?貴方達は誰?自分は誰? どうしてこんなに胸が痛いの。
『真実を、確かめに行けよ。俺と同じ後悔をしない為にさ』
優しく、厳しい声。同じ後悔?何の話だろう。 クラウドの頬をスッと滴が濡らした。
悲しい。苦しい。懐かしい。でも分からない。 優しい声なのに――思い出すのが怖いのは、どうしてなのだろう。
いまだ記憶と心は、霧の中に埋もれたまま。
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泣いて、また泣いて、泣いて、それでも泣いて。