こんな風に、空を見上げた事があっただろうか。横たわり、聖域の水に体を浸 しながらクラウドは思う。 いつも何かに追われていた気がする。焦って、躓くばかりの人生だった。ここ での物語だけではない。かつていた世界でもそう。閉鎖的な村を飛び出して、何 かから逃げるようにガムシャラに働いて、あの天使達の背中を追いかけていた。 そうだ、それで追っているつもりになっていたのだ。自分自身に追いつめられ ている心にも気付かずに。
「これが、走馬灯ってヤツなのかな…?」
問いかけるが、返事は無い。座り込んだままのスコールが、ただ光を無くした 眼で見下ろしてくるだけだった。 今までどんなに頑張っても蘇らなかった記憶達が、今は随分鮮明に思い出せる 。この世界に来る前に存在したクラウドという一人の人間。歩いてきた道筋。そ して。 セフィロスが死んだと聞かされた時、自分が何故あんなにも動揺したのか。
「過去を捨てる必要は無い。アンタ達はそう、言ってくれたのにな…」
自分は捨てようとしていた。無理矢理にでも忘れようとした。そうしなければ 、壊れてしまう気がしたから。 ひょっとして、記憶が消えた本当の理由は。コスモスが力を行使したせいだけ ではなく−−。
「まあ…今更そんな事思っても、どうしようも無いんだけどさ」
もはや体が熱いのか冷たいのかも分からない。切り裂かれた体からは血と共に 、命そのものが流れ出て行く気がした。聖水に熱が奪われていく。感覚が意識て 共に揺らいでいく。 一瞬の出来事だった。突如現れた見慣れぬ二人組。多分、この世界の真の支配 者の僕か何かなのだろう。小さな少女と黒い鎧の武人。認識出来たのはそこまで だった。次の瞬間武人が真空刃を放ち−−反射的にクラウドは側にいたスコール を庇っていて。 あまりの衝撃に気を失い、目を覚ました時には−−この状態だった。バッツと フリオニールの姿が無い。襲撃者に連れ去られたか、追われてこの場を離れたか 。 無事を願いつつ−−難しいだろう、とどこか冷静に思っていた。あの二人組は 強すぎる。フリオニールとバッツの実力を−−けして見下すつもりはないが、そ れでも客観的に見て奴らに勝てるかどうか一体何者なのだろう。自分が気配すら 察知できなかったなんて。
「…スコール……なぁ、聞こえるか?」
何だろう。このシュチュエーションは、やけに見覚えがある気がする。デジャ ビュ?いや−−。 ああ、そうだ、同じだ。彼が−−親友のザックスが死んだ時と、同じ。 自分はあの時、生体実験の影響で重度の魔洸中毒に陥り、精神崩壊を起こして いた。あの地下研究所からどうやって逃げたのか、どうやってザックスに助けら れたのか−−朧気にしか記憶が無い。 高い視力を誇った眼には、何も見えず。高い聴力を誇った耳には、何も聞こえ ず。全ての情報を享受する脳が、心が壊れていた。そう、今のスコールと同じよ うに。
「聴こえてる、かな…。聴こえてると前提して、言うけど」
要因は違う。彼がこうなった原因はティーダの死にあるのだろうと分かるが、 その詳細は分からない。真実はスコールの中にしか無いのだから。 ただ、偶然にも自分は彼を助けて致命傷を追い、黄泉へと旅立とうとしている 。そして心が壊れ、何を見る事も聞く事も喋る事もなく、人形のように身動き一 つしなくなってしまった彼は−−トドメを刺される事もなく、見逃された。 あまりにも似すぎているではないか。あの時の自分はザックスに守られて、心 が壊れていたせいで荒野に打ち捨てられた。自分の命と引き換えに、親友は蜂の 巣にされて死んだ。
「俺は…もうすぐ死ぬ。この記憶、覚えてたいけど、無理かもしんない…」
偶然。いや−−偶然ではないのかも、しれない。神様なんて、とうの昔に信じ る事をやめたのだけど。
「だから、さ。スコール、頑張って覚えててくれないか、な…。俺達が見た事知 った事。俺達みんな…無駄に生きて死ぬわけじゃないって。今日まで頑張って、 足掻いてきたんだって…戦って、守ってきたって」
口調が、あの頃に戻っていた。理想を純粋に追いかけていたあの日。理想を演 じる仮面を外したあの日。未来を、自らの現実を生きると決めた、あの日。 祈れば叶うと誰が決めた。そんな都合のいい神様なんていやしない。いるなら 誰も苦労せず幸せになれた筈だ。仲間達も、ザックスやエアリスも、セフィロス でさえも。世界は残酷だ。平等なんかじゃ、ない。 でも。もし、それでもなお神に連なる者がいるというのなら。
「俺の夢も、希望も、未来も…全部、やる。だから」
どうか、死にゆく者の願いを。たった一つでいい、叶えて下さい。 どうか奇跡を。ほんの僅かな光でいい、照らして下さい。 彼にこの声を響かせて。その閉ざした心に届かせて。 そして次の世界こそ自らの力で奇跡を掴めるよう。祈らせて、下さい。
「お前は、生きろ」
おかしな言葉かもしれない。フリオニールの言が正しいなら、自分達はまた蘇 る。否応なしに、必ず。 それでも。この想いを、真実を、皆の覚悟を忘れて生きていくなんてあまりに 悲しいから。 どうか、生きて下さい。 たとえ肉体は死んでも。何度心を壊されても。どうか魂だけは殺されないで。 その誇りを汚されないで。 何度でも立ち上がって、立ち向かってきた者達がいる。スコールにならきっと 出来ると信じている。彼は自分が認めた、最高の仲間の一人なのだから。
「頼む、よ…」
どうか、わすれないで。
再び聖域に静寂が戻る。兵士はもう何も喋らなかった。その瞼は下ろされて開 く事はなく、獅子はただその躯を黙って見下ろすばかりだった。 クラウドの願いが叶ったかは分からない。彼と彼の親友が辿った物語と同じ結 末にはならなかったが。 獅子の頬を、滴が伝った。たった一筋の涙。それでも確かにそこに、真実があ った。
Last angels <詞遺し編> 〜3-31・涙〜
“おやすみ どうか優しい夢を 現をまた歩き出せるように おはよう 目を覚ました時には きっと夜明けが来る事を祈って…”
ティナが歌っている。相変わらず綺麗な声だ。オニオンは聞きほれながらも、 何の歌?と尋ねる。
「最初の方、暗いかんじだよね。幸せになる方法が分からない〜とか、死にたく ないけど生きるのが辛い、とか」
たまに彼女は歌っているが、詳しく聞いた事は無かった。いい機会なので尋ね てみる。
「私にもよく、分からないの」
苦笑しながらティナが言う。 「前の世界で何をしてた、とか、覚えてないから。ただね、誰かが教えてくれた んだ。辛い時や悲しい時に歌うといいよって」 「辛いの、今」 「辛いから歌うんじゃないの」 うまく言えないけどね、と。ソファーに腰かけながら、少女は天井に隠れた空 を仰ぎ見る。
「希望がある事。前を向いて生きる事。それを忘れない為に歌うんだよって…教 えて貰ったんだ。絶望に負けないで…逃げたって泣いたっていいから。いつか笑 って“おはよう”って言うこと、忘れちゃ駄目だよって」
明日に出会う為に、今日の“おやすみ”がある。今日の“おやすみ”があるか ら、明日の“おはよう”がある。 なんとなく、分かる気がした。
「今何が起きてるとしても。これから何が起きるとしても。私達はきっと…立ち 向かって行かなきゃいけないんだと思う」
だから、歌うんだよ、と。微笑む彼女はまるで。
「ティナってたまに、お母さんみたい」
オニオンが口にする前に、セシルが言った。そうかな、と赤面する彼女は本当 に可愛らしい。不思議な魅力だと思う。幼い子供のような顔と、時々はっとする ような大人の顔。どちらも同じ、ティナ=ブランフォートという少女。 自分でも分かっていた。自分が彼女に向ける感情が、片思いの異性に向けるそ れとはだいぶ異なる事に。今ハッキリと理解した。 自分は彼女に、理想の姉や母といった−−家族を見ている。 「ね、続き。歌ってよ。ティナの声好きだし…そしたら僕も覚えるから」 「ふふ、いいよ。音外すかもしれないけど」 少女の歌に耳を傾けながら、思う。思い出せない記憶と、自分が今この場所に いる意味を。 まだまだ子供で、未熟な自分。どこか短慮な点がある事は自覚しているし、迷 惑かけてばかりだとも分かっている。それでも。 此処にいたい。この場所が、好きだ。ティナやセシルやライトや、たくさんの 温かい人達に囲まれて。喧嘩する事もあるけど笑顔の耐えない自分の世界が、大 好きなんだ。 記憶はないが、多分。召喚前の世界で、自分に両親と呼べる存在はいなかった 気がする。その世界でも自分は幸せだったかもしれない。思い出せば、帰りたい 気持ちも芽生えるかもしれない。 それでも、今以上の幸せが想像できないのだ。血は繋がらないけど−−優しい “母”がいて“父”がいて“兄”がいて。家族に等しい存在がある。 幸せだからこそ。失いたくないというのに。行方知らずの仲間達も、迎えにい った仲間達も−−戻って来ない。
−−お願い。帰ってきて。
祈るように、両手の指を絡ませ、強く強く握りしめた。我ながら情けないくら い小さな手。子供でしか無い手。でも、魂まで小さいつもりはないから。
−−護らせて。貴方達が、守ってくれていたように。
声にならない呟きが、リビングに溶けた。その瞬間だった。
バリンッ!!
稲妻と、その音はよく似ている。誰かがそう言っていたのを思い出した。 事実、そっくりだった。まるで落雷のような音を響かせて−−窓硝子が一斉に 砕け散る。
「セシルっ!」
窓のすぐ側にいた騎士、その身に破片が降り注ぐ。
「なんとか、大丈夫…」
やや声に苦痛を滲ませながらも、青年は言った。重い鎧の暗黒騎士モードだっ たのが幸いしたようだ。それでも破片の幾つかがつなぎ目に刺さったようで、右 腕の指先から血が滴っている。 襲撃だ。それもここまで気配を消せるなんて−−ただ者ではあるまい。
「タイミング最悪」
ため息をつくセシルは、怪我のせいだけではなく不機嫌そうだった。 「最悪だから狙って来たんでしょ。…ティナ、ゴルベーザは?」 「あっちの部屋で寝てる。…どうする?」 「側に着いててあげて…って言いたいんだけどさ」 乱暴な音と共に、開け放たれる扉。
「三人がかりじゃないと…ちょっとキツいっぽい」
人影は二つ。だが威圧感と魔力が半端じゃない。三人の力を合わせても−−足 りるかどうか。
「勝てない相手なんか、いない…!」
心で負けるな。そう言い聞かせ、オニオンは剣を構えた。 守ると決めたのだ。此処が終の地になるというなら、それでもいい。今こそ、 立ち向かう勇気を。 屈しない自分達に、影の一つが笑った。
「おいでませ、生意気なぼうや達。補習に付き合って差し上げますわ」
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まだこの世界に、サヨナラは言わない。
BGM 『End of world』
by Hajime Sumeragi