方向感覚が無い。一体今自分は北に向かっているのか西に向かっているのか、
そもそも何処を目的地としていたのかも思い出せない。
 殴られた頭がガンガンと痛む。貫かれた左肩は骨も砕けて、ただダラリと垂れ
下がるのみ。折れた肋骨が肺を傷つけているかもしれない、自分でも呼吸音がお
かしいのが分かる。
 辛うじて足が無事だったのが幸いか。そして自分が割合足が早く身軽であった
事も。ガムシャラに逃げたせいで現在地すら分からなくなったが−−どうにか追
手は撒けたらしいと悟る。
 
「ホント俺情けない姿だこと」
 
 もはや血の味しかしない口の中で、バッツは呟く。
 あの判断は、正しかったのか。突然の襲撃−−一瞬でクラウドが倒されて。自
分とフリオニールは、バラバラに逃走を図った。せめてどちらかは生き残れるよ
うにと。
 物は言いようだ。結局のところ、自分は逃げたのだ。クラウドとスコールを見
捨てて、置き去りにしたと言われても仕方ない。最初は勿論迷った。しかし、フ
リオニールが言ったのだ。
 
『じきにこの世界が終わるなら繰り返すなら。俺達が最優先にやるべき事があ
る筈だ。クラウドの言葉、思い出せ!』
 
 ギリギリまで、自分達だけでも生き残り、記憶を引き継ぐ方法を探すんだ、と
 
『ティーダはその方法を皇帝に聞いたって言ってた。不本意だが奴を探して会
えれば活路は開けるかもしれない!』
 
 それでも、バッツは迷った。彼の言うとおりまた世界は繰り返すのだとしても
−−今此処で、仲間達が死ぬ事実は変わりない。彼らを見捨てる事は同じだ。
 だが義士は叫んだ。その言葉がバッツを動かした。
 
『俺達のやり方は間違ってたかもしれない。でもっ頼む!ティーダの覚悟を
無駄にしないでくれ…!!
 
 生きる。生き残る。いずれ必ず散らされる命だとしても、また蘇る魂だとして
も。この世界での出来事を無かった事にしてはならない。次の世界の始まりが白
紙であってはならない。
 だから−−走れ。あてなどなくとも、未来すらなくとも、この道の先に絶望し
かないとしても。
 バッツは駆けた。仲間を見捨て武人の刃を受け淑女の魔法に曝されながらも、
走った。それが最後の希望と信じて。
 
「ちくしょっ
 
 体力が限界に近い。酷い目眩と吐き気と戦いながら、パンデモニウムの階段を
登る。
 此処に来るまでの間に、探し人の一人は見つけていた。ジタン=トライバル。
自分の親友である、彼。
 しかし見つけた時には既に息が無かった。すぐ側にはクジャの遺体。血の海の
中、二人はまるで互いを庇い合うように、折り重なって倒れていた。二人とも体
中を切り刻まれて無残な有様だったが、何故か死顔は穏やかで。
 ずっと敵同士であった筈の兄弟。それでも最期に何か、分かり合う事が出来た
のかもしれない。せめてそう、信じたい。
 息も絶え絶えになりながら、上まで登りきる。あと一階登れば皇帝の玉座があ
るフロアに出る筈だ。以前この城に忍び込んだ事のあるバッツは、複雑な構造も
熟知していた。
 だが。ほっと息をつく事も叶わない。這うようにして登り、荒い息を整えて顔
を上げ−−バッツの視界に入ったもの。それは。
 
「ははっマジかよ
 
 フリオニールが倒れている。パッと身外傷は少ないように見えたが−−死んで
いるのは一目瞭然。肌のあちこちに焼けた後。しかし普通の火傷ではない。そし
て驚いたように見開いたままの瞳は−−瞳孔が開いていた。
 自分はそこまで魔法に詳しくないが。おそらく死因は、雷系魔法によるショッ
ク死だろう。あれは当たりどころが悪いと、一撃で心停止に陥る事もある。あの
淑女の仕業である事は明白だ。
 
ごめんな」
 
 もはや、弔ってやる力すら残っていない。バッツは手を伸ばし、見開いたまま
の義士の瞼を下ろさせた。それ以外に、何もできはしなかった。
 フリオニールも同じ事を考えて此処に来たのだろう。皇帝は自分の城であるパ
ンデモニウムに、戻ってきているのではないかと。しかし此処まで登って来なが
ら−−逃げ切れなかった。あるいは力尽きてしまった。
 どれほど無念だっただろう。
 
「くそくそぉっ!」
 
 胸が痛いのは傷のせいだけではない。バッツは歯を食いしばって、再び体を動
かし感傷を追い払った。自分は、無力だ。いつだって大切なモノを護れない。
 あの時もそう。あの時もそう。あの時だって−−。
 
「そうだ、俺は
 
 また血を吐いた。ひゅーひゅーと肺が嫌な音を立てる。喉が焼けそうだ。どん
どん重くなる体を引きずって、最上階を目指す。
 あと三段。
 あと二段。
 あと。
 
「はっ
 
 玉座が見えた。バッツは笑う。笑うしかない。ようやく辿り着いた主の間は、
空だった。代わりに、すぐ側の壁に寄りかかるように座っていたのは。
 
「何の偶然だよ?最期に会うのがアンタだなんて」
 
 エクスデスはバッツを見て、少しだけ驚いた顔をした。いや、兜でその表情は
見えなかったが。何故かバッツには、気配で分かったのだった。
 
 
 
 
 
Last angels <詞遺し編>
3-32・予定調和〜
 
 
 
 
 
 エクスデスは思い出していた。追っ手達の技と魔法を浴びて、片腕を失い、今
にも死にいこうとしている我が身。パンデモニウムの壁にもたれ、何故か宿敵で
あるはずの自分に構わず腰を下ろしたバッツの隣で。
 
『心とは、何だと思う?』
 
 今回の世界が始まってすぐだったか。暗闇の雲がそんな事を尋ねてきた。
 
『わしには、分からないのだ。人間にしか見えないと、言われた。その言葉が何
故か不快ではなくてずっとその意味を考えていた。あの小僧が気になって仕方
ない自分に、気付いた』
 
 何故それを自分に訊くのか。他に人間くさい者達がいくらでもいるだろうに。
そう疑問をぶつけると、彼女は苦笑いを浮かべた。
 
『わしらは、似たもの同士ではないか?悪しき心が宿った大樹。世界を無に帰す
為に生まれた妖魔。互いに本来心など持たない存在である筈だろう?本能に従
うのなら、ただ破滅だけを願えば良かったというのに』
 
 彼女は、戸惑っているのだろうか。それとも何かに気付きそうで、怖かったの
か。
 
『私には、真の破滅以外に望みが無い。時の鎖を解き放ち、全てを無に帰すこと
にしか興味が無いのでな』
 
 だから貴様の問いには答えられない。そう続けた上で、エクスデスは言った。
 
『だがもし貴様に、破滅以外の望みがあるのなら。きっとそれを世界は……
志や心と呼ぶのだろうな』
 
 そこまで告げて、大樹は妖魔に背を向けた。恐れていたのは自分の方だったの
かもしれない。何かを思い出しそうになって、耳を塞いだ。その感情が意味する
ことに気付きそうで、分からないフリをしてごまかした。
 
『無以外に望みは無いか。エクスデス、本当にそうか?』
 
 彼女の声に背を向けて。エクスデスはその場を立ち去った。そしてそれがエク
スデスの見た、この世界における彼女の最期の姿になってしまった。
 暗闇の雲がどんな末路を辿ったのか、詳しくは知らない。それでも多分彼女は
、彼女の心が選んだ道を進み、その命を散らせたのだろう。
 では、自分は?自分が此処にいる訳は、道を選び続けてきた理由は。
 本当の願いとは、一体。
 
……なぁ」
 
 唐突に、横から聞こえた声。エクスデスは現実へと思考を戻す。バッツは意識
を朦朧とさせながらも、口を開いた。
 
「アンタってさこの世界に来る前の事とか、覚えてたりすんの?」
 
 カオスに召喚される前、という事だろうか。
 
「それを聞いてどうする。答えは……NO、だ。私は、以前の世界の事は僅かし
か覚えていない」
 
 ただ、無を求める大樹としての本能。自らの名前と正体、どこか歪んだ深い深
い森の景色だけを覚えていた。あの場所が何処だったすらも分からないというの
に。
「そっか。じゃあ、恨み言言っても、どうしようもない、よな
「ファファファ。やはり私も貴様に怨まれるような事をしたわけか」
「まぁね。死にかけてる、せいかな。ちょっとだけ思い出してきた、気がする
 瀕死になる。精神に多大なストレスがかかる。おおざっぱな言い方をすれば追
い詰められた時−−封印されていた記憶が戻る事が多い。今までの統計で分かっ
ている事だ。
 だから前の世界で、ガーランド達はバッツとオニオンの口封じを優先した。彼
らはかつて真実に大きく近付いているからだ。
なぁ、エクスデス。あんたさ、まだ世界を無に返したいって思ってる?」
「何を藪から棒に」
「だってさ。俺達の周りにいる奴らも、アンタの周りにいる奴らもみんな頑
張ってるよ。無様でも、這いずってでも足掻いて足掻いて、生きてる」
 旅人の青年は、どこか遠い目をした。今は見えない、空の彼方を思い描いてい
るのか。それとも霞んだ記憶の中にある、遠い故郷に思いを馳せているのか。
 
「アンタの言う通り、人はいつかになる。何もかも亡くす日が必ず来るっ
て、みんな分かってるんだ。分かっていながら限られた時間だからこそ、幸せ
になれるんじゃないかな
 
 星の歴史からすれば、人一人の一生など塵にも満たない時間だろう。ずっと無
意味だと思っていた。そんな儚すぎる時の為に何故、人は足掻いて生きようとす
るのか。
 バッツの理屈が、自分にはまだ分からない。分からないけれど。
 
「有があるから、無に意味があって無があるから有に意味があるんじゃ、ね?
あーも段々自分でも何言ってるか分からなくなって、きたし」
 
 旅人の声はどんどん弱々しくなっていく。少しでも長く、その拙い講釈が聞き
たい。謎の答えが知りたい−−一瞬でもそう思った、自分自身にエクスデスは驚
いた。
 
「全部無くなっちまう事、アンタが望むならそれも理由が、あんのかもしんな
いけど。きっと思い出してみたら、さ楽しい事じゃないと思うんだよな」
 
 俺、馬鹿だからうまく言えないけど。単純な事しか考えらんないけど。
 そう前置きして、バッツはエクスデスを見た。
「人の命は有限だ。でも可能性は、無限に広がってて無くした端から生まれ
てくもんだと思うから。そんないろんなもの、眺めてた方がさきっと面白いと
思うんだけど、どうかな
「何故」
 不思議に思い、思うまま口にする。
 
「何故私を光に引き込むような事を言う。お前は私を恨んでいるのだろう?」
 
 青年は小さく笑う。そして、儚く弱々しい声で、言った。
 
「俺達の正しい道ってさ。みんなで幸せに、なる事だって思うから」
 
 真剣に耳を傾けている自分がいる。薄れゆく意識の中、ただ。
 
 
 
「力合わせて立ち向かえばいいんだ。光も、闇もそしたら、きっと
 
 
 
 そこから先の言葉は無かった。エクスデスは事切れた旅人の横顔を見、笑う。
笑ったつもりだった。
 
「馬鹿馬鹿しい
 
 情けないくらい震えた声が、全てを語っていた。暗闇の雲に問いかけられた、
一つの謎の答えも。
 
 
 
 
NEXT
 

 

願い、叶え、給え、友よ。旅人が、大樹が、掴みかけた答えは虚空に消えた。

BGM
Tomorrow never knows
 by Hajime Sumeragi

 

 これにて第三章『詞遺し編』も終了になります。

 ここまで読んで下さった皆様、本−当−にお疲れさまでし…た…。ぐだぐだ凄すぎる(涙)

 今回の話はティーダ無双でした。元はと言えば、彼の正体を知っていたゆえの疑問がきっかけなのですが。

 しかし、一人二人で全てを背負いきれる筈もなく。自己犠牲は時に守るべき人を傷付ける。

 仲間に相談しても何が変わるわけではないかもしれない。でもそれは、相談してから考えても遅くない。

 まさしくひぐらしの『祟殺し』『罪滅ぼし』にあたるのが今回の話でした。

 共に生きるべき未来に、しかし彼らは皆最期に言葉を遺す事しかできなくなってしまった。ゆえに『詞遺し』編なのです。

 そして…危惧していた通りの事態発生。次の第四章『想試し編』は全六十八話完結が決定してます。

 さらにその前に閑話としましてX章『夢渡し編』をアップ予定です。

 音声つけてちょっと凝ったものを作ってみたので、よろしければPCからも聞いてやって下さい…!