異変が起きたのは、オニオンとティナがカオスの神殿エリアに踏み入って暫く してからの事だった。 もう随分歩いてきた気がする。気配に近付くにつれ、現れるイミテーションも 強くなっていく。やはり罠だったのかもしれない。そう思いつつも、オニオンは 歩みを止めない。 この先にきっといる。自分と彼女が、決着を着けなければならない相手が。向 き合うべき現実が。それは殆ど直感に近いものだったが−−逃げてはいけないと 、そう感じていた。 試練が待つなら、それは乗り越える為にこそ存在する。避けては通れない壁は 必ずある。その時の為に、身につけるべきは立ち向かう勇気だ。 それでも−−さしもの知略に長けた少年も、この事態は予想していなかったの である。
「…ん?」
突然立ち止まったティナを訝しく思い、オニオンは振り返る。少女は何かに気 付いたように眼を見開いて、凍りついていた。歩み寄り、その顔を覗き込む少年 。そして、気付く。 その瞳がどこか−−此処ではない、別の次元の景色を見ている事に。彼女の眼 にはオニオンの姿も、荒れた神殿の見えていない事に。 「う…ぁ…!?」 「ティナ!?」 びくん、とその肩が震え、頭が持ち上がる。彼女はまるで自らの頭蓋骨を握り つぶす勢いで頭を抱え、ガタガタと震えだした。
「いやっ…声が頭に…!?力がっ…」
バチバチと白い光が、まるで漏電するように彼女に纏わりついている。驚愕。 オニオンは以前にもこんな光景を見かけた事があった。ティナの力が、何らかの 要因で暴走している?何故? やがて少女の震えが収まり、射るような視線が少年を貫いた。普段自分に向け てくるそれとは大きく違う。まるで親の敵でも見つけたような−−。
「どうしたのティナ!!」
殺気。素早い飛び退いたオニオンのすぐ側に、幾つもの白い光の球が着弾して いた。ホーリー。ティナが攻撃してきた事に、オニオンは驚きを隠せない。
「ティナ!やめるんだ!僕がわからないの!?」
ティナは答えない。ただ、少年は見た。ゆっくりと面を上げた少女の顔−−そ の唇の端が、つり上がるのを。狂人の笑みだった。誰かに似ている−−そう感じ たものの、深く考える余裕は無い。第二撃。再び白魔法の究極技が襲ってくる。
「やめてっ…目を覚ましてよ!!」
人の印象は、表情一つで180°変わると知った。今のこの、目の前にいる娘は誰 だ。慈愛に満ちた眼差しで自分を支えてくれる、“姉”ではない。楽しげに破壊 の力を振るうこんな姿が−−断じてティナである筈がない。 何かある筈だ。何の前触れもなく力を暴走させ、人格まで豹変するなんて絶対 におかしい。原因は何だ。自分が彼女を連れてきた−−この場所に何かがある? いや、前に何度もこのエリアには踏み入っているのだ、諸悪の根源は別にある。
−−…イミテーションに何かされた、か?
先程まで、自分達はイミテーション相手に戦っていた。彼女とずっと一緒にい たものの、戦いの最中で目を離した事が無いわけではない。とすれば、その時魔 法の一つや二つかけられていても分からないのではないか。 攻撃を避けながら、注意深く観察する。ふと彼女が身をよじった時に、何かが キラリと首筋で光った。魔力を探る。
「あれかっ!」
あの輪っかのようなモノが、彼女を操っているのか。少年は走る。だが。 「離れてっ!」 「うわっ!!」 ティナの氷魔法に、行く手を阻まれた。近寄れない。鋭い氷の破片が肩口に突 き刺さり、よろめく。激痛。歯を食いしばり、オニオンは破片を抜いた。血が吹 き出す。
−−考えたもんだよ、本当に。厄介極まりない。
操られたのが別の仲間なら−−そう、例えばスコールのような近距離タイプの 戦士なら、ここまでの苦労は無かった。だがティナの魔法は、“相手に近寄らせ ず仕留める”事に特化している。近付いて輪を外すのは至難の技だ。 もう一つのテとして、魔法で遠くからあの輪を破壊する方法も、あるにはある 。が、自分の得意とする魔法は大味なものが多く、細かな制御にはとことん向い ていない。 となれば−−。
「…ったく。ティナに自慢したばっかじゃん自分。僕の最大の武器って何だっけ ?」
考えろ。考えるんだ。自分の最大の武器は魔法でも剣でも無い。知恵と知略だ 。
「負けないからね」
剣を構える少年。自分は負けない。運命にも試練にも−−自分自身の、心にも 。
Last angels <想試し編> 〜4-5・少年と妖魔の明日V〜
頭の中で、幾つものパターンをシュミレートする。 ティナを助ける方法は大きく分けて二つ。彼女を操る輪を破壊するか、どこか で操っている本人を叩くか。 操っている誰かさんは、どちらにせよ一発ブン殴らないと気が済まない。よっ てコレが出来るなら手間が省ける−−のだが。
−−ティナの相手しながら、サイトロ使うって?無理無理絶対ムリ。集中できる わけないっての。
さっきから彼女が猛攻を仕掛けてくれるおかげて、集中力は途切れっぱなしだ 。第三者を捜す魔法を使う余裕なんてまったくない。あれは戦闘中に使うような 魔法ではないのだ。 だとすれば、彼女の輪を破壊するかひっぺがすか。 遠距離から破壊する、は上述した理由により相当難しい。ティナに大きな怪我 を負わせるのだけは(かすり傷程度は仕方無いとしても)避けなければならない 。 とすれば多少危険を冒してでも近づいていって、輪を奪うか壊すかするしかな い。が、今のフルスロットル状態のティナに近寄るのは無謀極まりない。彼女の 為に命を懸ける覚悟はあるが、輪を外す前に自分が死んだのでは踏んだり蹴った りだ。
「荒ぶる風達よ…!」
スペルを唱える声に、オニオンはゲッとなる。トルネド。彼女を取り囲むよう に竜巻が起こり、嵐のように吹き荒れる。あれはただの風ではない。吹き飛ばさ れるならまだマシで、触れればカマイタチのように切り刻まれてしまう。最悪素 敵なバラバラ死体になれるだろう。 魔力でも腕力でも彼女に勝てないが、脚力と戦略でなら負けない。よって脚に ダメージを負う事だけは避けなくてはならない。 オニオンは飛び退き、体を丸めるように両手で体をガードした。ギリギリ射程 範囲外だった筈だが、直前で彼女が僅かに軌道をズラしてきた。二の腕から血が ほどばしり、痛みに耐える。
「いってて…はは、流石ティナだ」
気弱な性格のせいで目立たないが、ティナの実力はけして他の戦士達にひけを とらない。潜在能力で言えば、コスモス陣営でも一、二を争うのではないか。 真っ正面から戦えば−−オニオンの方に殺意が無い事を差し引いたとしても− −殺されるのは自分の方だろう。とすれば。 脚でかき回して攪乱し、ひたすらティナに魔法を打たせ、魔力を消耗させる。 ある程度彼女の力が弱ったところで隙をついて距離を詰め、操りの輪を破壊する −−それしかない。 唯一の救いは、彼女がコスモス陣営の中で一番の鈍足である事か。機動力を殺 ぐ必要は無い。剣を扱いにくくするには多少両腕にダメージを与える必要はある にせよ、脚は封じずとも問題はない。魔法が使えなくなれば勝機は、ある。 ティナが再びホーリーのスペルを唱え始めたので、オニオンもまた技の構えを とった。足元から来るフラッドはともかくそれ以外の技なら−−弾き飛ばす方法 もある。
「いっけぇぇぇッ!」
旋風斬発動。飛んで来た光球を回転する剣で弾き返す。予想外の反撃に、少女 は驚きながらもバックステップでカウンターをかわす。
「どうしたの?まだまだ僕はやれるよ?」
本当は肩と二の腕が痛くて仕方ないけれど。痛みをこらえて、オニオンは挑発 的な笑みを浮かべる。 さあ、攻撃して来い。自分は、自分達はどんな理不尽な試練だろうと乗り越え る。どんな現実にだって耐えきってやる。 譲れない、願いがある限り。
「…悲しみの水泡よ……!」
ムッとした顔で、彼女は水魔法を放つ。フラッド。さすが学習能力は高い。旋 風斬ではフラッドは弾けない。そして食らえば水圧で全身の骨が砕かれてしまう −−そんなレベルの魔法だ。 走り出すオニオン。その背をフラッドが追尾する。吹き上がる二連続の水柱を 共にかわす。が、ティナも怯む事なく再度フラッドを唱える。それもオニオンが 立ち止まったタイミングでだ。 これは避けにくい。
「氷の息吹!」
ブリザドで水柱を素早く凍らせた。避ける為だけではない。水が氷柱になった 事で、その重みに耐えきれずに石畳の床に亀裂が走る。ビシリ、と不吉な音。
「これならどうだっ!」
二人の足元がガラガラと階下に崩れ落ちる。受け身をとる事でオニオンはダメ ージを軽減したが、ティナは完全に受けきれず叩きつけられる。 大した高さでは無いから、死ぬ事はあるまい。それでも不意打ちには効果があ るし、全身打撲の痛みですぐには起き上がれない筈だ。ついでに衝撃で首輪が壊 れてくれれば儲けものだが−−さすがにそれ以上の贅沢は言わない。 呻くティナの側までエアダッシュで近付く。素早く操りの輪に手を伸ばした。 これさえ壊せば彼女は自由の身になれる筈−−! しかし。
ドンッ!
「かっ…」
胸の中心に、重い衝撃。オニオンの胸元に、ティナが掌底を叩き込んだのだ。 いや、ただの物理攻撃ではない。これは。
「−−ッ!」
全身を襲う痺れ。心臓に走る激痛。勢いよく倒れた筈なのに、その痛みすら掻 き消すほどの衝撃。息が出来ない。あまりの苦痛に意識が飛びそうになる。 拳と一緒に、ゼロ距離からサンダーを叩き込まれたと気付いた。それも正確に 急所を狙って。 一刻の猶予も無い。服の胸元を掴み、魔力を絞り出す。サンダー。自らの体に 電流を流し、強制的にショック状態からの脱出を図る。電気ショックの要領だ。
「はっ……ぁ…」
どうにか息が出来るようになったが、ダメージが大きすぎる。まだ胸が痛い。 体中が痺れて動かない。サンダラだったら心停止は確実だったろう。ゼイゼイと 息をしながら、無理矢理頭だけ動かしてティナを見上げる。 彼女は既に立ち上がっていた。冷たい瞳でオニオンを見下ろし、剣を振り上げ る。まずい。体が動かない。このままでは殺られる−−!
−−当た、れ…!
渾身の力で、前方にサンダーを飛ばす。直前で気付いたティナが素早く後ろに 下がった。どうにかトドメを刺されるのは免れたが−−。 自分の体だ、自分が一番よく分かっている。先程の攻撃で受けたダメージが深 刻だ。一刻も早く適切な治療を施さなければ命に関わるだろう。 けれど。
−−そんな場合じゃ、ないってば…。
ケアルガを唱えるだけの余力が無い。ケアル。気休め程度だが、体の痺れが取 れた。震える手足に力をこめて、立ち上がろうとする。
「…何故?」
頭上から、ティナの声が降ったのはその時だった。
「何故立ち上がるの?人間ごときが、運命に抗える筈がないのに」
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少年よ、汝の武器を我に示せ。