「来たか、セシル」
月の渓谷。否応なしに過去を思い出させる、美しくも悲しい夜の国。ゴルベー ザはセシルに背を向ける形で立っていた。
「…何故此処に?」
端から見れば不自然な流れだったかもしれない。紛れもなく呼び出したのは兄 の方なのだから、本来何故も何もない。
「兄さんは、僕を見極めに来たんだよね。僕にクリスタルを手にする資格がある かどうか…いや。僕が前に進む覚悟を決めたかどうか」
忘れていれば楽になれる。確かに、そうかもしれない。でも。 兄が忘れた記憶の中には、忘れたくない思い出もまたあったかもしれない。そ してそれを、弟といえど他人のセシルに決める権利はない。 ゴルベーザの未来は、ゴルベーザにしか選べないのだから。
「何事も、ひとりで成し遂げられる力。強い意志を持つ者にこそ、クリスタルは 輝く。ただの記憶や力では、ない。クリスタルとは覚悟の顕れでもある」
それこそがクリスタルの秘密なのだ、と兄は言う。多分彼はクリスタルの存在 を利用して、確かめようとしたのだろう。セシルがどんな明日を選ぼうとしてい るのかを。
「僕にクリスタルを手にする資格があるかは分からない。でも…誰かに答えを求 めて、自分の本当の願いから目を逸らして…逃げ続けるのはもう、やめる」
みんなの為にと言いながら、自分の為に生きるのは簡単だ。人は簡単に偽善者 になれる。身勝手に思い上がる事もできる。でも。 それでは何も守れないと、やがて誰もが気付くのだ。変わりたいなら、強くな りたいなら−−自分の弱さから瞳を逸らしてはならない。誰かの声に耳を塞いで はいけない。 世界を変えるのは、神様などではないのだと。
「仲間がいるから、強くなれる。愛する人がいるから、変わっていける。だから こそ今度は僕が兄さんやみんなの力になりたいんだ!」
兄が罪を背負うというなら、自分も共に背負おう。兄が声を上げて泣きたい時 は、自分も泣こう。ありきたりかもしれないが、誰かの痛みを自分の痛みとして 理解できる人になりたい。理解できずとも、理解しようと頑張り続ける人になり たいと今強く願う。 セシルは決めた。自分の為にと言って、皆と自分の為に生きる事を。 誰も一人では生きていけない。それが分かりながらも、気がつけば一人よがり な生き方をしてしまっている時もある。それが今までの、自分だ。 「真実は己の手でつかむものだ。今までのお前はその真実に手を伸ばす事すら躊 躇っていたようだが…今回は少しばかり違うらしいな?」 「突きつけてくれた人がいたんだよ」 自分とティーダの前に現れたセフィロスを、その言葉を思い出す。
「本当の僕の望み。その人のおかげで、分かれたんだ」
罪を忘れたままの兄とずっと一緒にいる事が望みか? いいや、違う。このままでいたらきっと、どんなに近い距離にいたとしても、 心から笑いあう事はできなかった。きっと心のどこかにわだかまりを残したまま 、偽物の兄弟のままでいるしかなかっただろう。 全てを知った上で。全てを受け入れた上で、兄と一緒にいたい。ただ当たり前 のように、兄弟として共に歩みたい。些細な事で笑って、些細な事で喧嘩して、 たまに馬鹿な真似もして、叱って、叱られて。
「兄さんと一緒に生きて、本気で笑いあえる世界が欲しい。それが僕の、願いだ 」
それが、守りたい物であり。自分が戦う理由なのだと。
「……面白い事を言うな、セシル」
初めて、ゴルベーザの声色に笑みが混じった。どうやら此処に来た時点でテス ト終了、というわけでは無かったらしい。今の会話だけでもずっと試されていた ということか。 否−−本当の試験は、此処からだ。
「おまえは騎士だ。その想い貫きたくば……剣で証明してみせよ、我が弟よ!」
その言葉と共に、兄の手に魔力が集まる。ゴルベーザが右手を振り下ろすと、 吹き上がる闇の火柱。ライズウェイブだ。セシルはそれを真横に飛んで回避する 。
「兄さんの想いは全部、僕が受け止めてみせる。だから…僕も精一杯、この決意 をぶつける!」
大切な人がいる。誇れる想いがある。闇も光も自分を導く力。恐れはしない。 その全ての力で証明してみせる。 セシルは着地と同時に、暗黒騎士へとジョブチェンジする。
「暗黒の力を…」
大地を蹴り、空中で再び聖騎士へ。
「聖なる祈りに!ここに示す!」
パラディンとしてのスピードと勢いを利用して、ゴルベーザとの距離を詰める 。暗黒騎士になり、剣を突き出す。放たれる闇魔法。ダークカノンの四連弾が魔 人に襲いかかる。 防ぐのは困難。そう判断してかゴルベーザは身を翻して避け、大きく地上へと 飛び上がる。月の民、ゴルベーザのサイキック能力。
「甘いな、セシル。その程度で本気とは、笑止。私はまだまだ全力ではないぞ? 」
それはまるで、悪戯をした幼子を諭すような口調。
「だったら、さっさと全力よろしく。言葉は曲げないよ。言っただろ、受け止め るって」
光の力が弾ける。パラディンの姿になり、セシルは真っ直ぐな目で兄を見つめ る。その兜に隠れた心を射抜く為に。
「揺るぎない想い、この剣に誓う」
Last angels <想試し編> 〜4-20・騎士と魔人の世界X〜
年齢、満二十歳。赤ん坊の時、バロン城近くの森に捨てられていたのを、バロ ン国王に拾われる。 同時、バロン王は名君と名高い王だった。王は見ず知らずの孤児を我が子のよ うに可愛がり、立派な兵士へと育て上げる。自らの実の両親の顔すら知らず成人 したセシルであったが、育ててくれたバロン王を実父のように慕っていた。 軍人になったのはセシル自身の意志である。むしろ最初、王はセシルが軍属と なる事をよしとしなかった。子を思わぬ父はいない。誰が望んで愛しい我が子を 危険な戦場に送りたがるものだろうか。 しかしセシルの意志は揺らがなかった。王という尊い身分にありながら、素性 も分からぬ自分に精一杯の愛をくれた父。その恩は海よりも深く山よりも高い。 心優しい性分であるセシルが望んで茨の道を選んだのは、ただ王の役に立ちたい という一心であった。
−−陛下は、僕に全てをくれた。愛情も、幸せも、帰る家も。だから僕は陛下の 為に、出来る事を精一杯やりたい…!
やがてセシルは、バロン国王直属・赤い翼の隊長にまでのし上がる。軍の中で もエリート中のエリート集団、暗黒騎士の一人として。しかし彼が栄光を手にし た、だいたいその頃から、彼の不幸は始まったといっても過言ではない。 王は、乱心した。 いや、乱心という言葉にも語弊がある。諸国に和平条約を結び、平和を何より 願っていた筈の名君が突然−−世界に覇を唱えるべく、世界に恵みをもたらすク リスタルの力に手を出したのだ。 まるで別人が乗り移ったかのような、暴挙。セシルもセシルの親友や幼なじみ も−−国の者達は皆王の権力に振り回されていく。 やがて時は来る。任務で、セシルはミストという小さな村を焼き払った。彼ら は召還士−−幻獣を使役する、危険な存在であるから、と。 しかし、戦力にまかせて横暴を振るうセシル達に対し、ミストの村人達はただ 逃げ惑うばかり。抵抗する気配すら無かった。親を殺されて路頭に迷う幼子。我 が子の遺体の前で泣き叫ぶ母−−。 その光景を目の前にして、知らぬ存ぜぬを通せるほど、セシルは仕事の鬼には なれなかった。情の無い人間でも無かった。 ついにセシルはバロン王に抗議する。あなたのやり方は間違っている−−と。 ただ従順になる事だけが恩返しではない。敬愛する人が誤った道に進もうとした 時、それを諭す事もまた愛である、と。
−−もう取り戻せないものもあるかもしれない。還らない光もあるかもしれない 。それでも、僕は。
結果。セシルは赤い翼隊長の任を解かれる。それが彼にとって一つの始まりで もあった。試練を乗り越え、セシルは暗黒騎士の力と決別。聖騎士・パラディン の力を手に入れる。 世界を救う旅の最中、セシルは仲間達と共に真実に直面する事になる。自分が かつて、この星を乗っ取ろうとした月の民の血を引いていること。乱心したとさ れていたバロン王は、悪しき月の民が操る魔物にすり替わっていたこと。その実 、本物の王は既に亡くなっていたこと。 そして。 クリスタルを奪い、魔物を操り、世界を乱していたゴルベーザが−−自分の実 の兄であるということ。 顔も知らない、それでも唯一無二の血の繋がった兄を、セシルは憎悪した。 兄が自分をバロンの森に捨てた事は恨んでいない。だがゴルベーザのした事の せいで、自分は義父を失い、仲間であるリディアの故郷−−ミストの村を焼き払 い。親友と争い、様々な犠牲を払う事になってしまった。憎むのも致し方ないこ とであろう。
−−アンタさえいなければ。僕はその時確かに…兄さんを憎んでしまった。兄さ んもまた、被害者だったのに。
兄は悪しき月の民−−ゼムスに操られただけ。本当なら光の道を歩めた筈の、 心優しい男であった。それを知った時、セシルの憎悪の矛先が向いたのはゼムス ではない。一時でも兄を恨んでしまった自分自身だった。 自分には確かに幸せな時期があった。愛する人に囲まれ、当たり前に愛される 毎日が。しかし自分が笑っていた時、兄は一人で泣いていたかもしれない。のう のうと何も知らずに生きてきた、自分自身が憎かった。 だから。兄を置いて幸せになってはいけない−−悔恨の念に囚われたセシル。 戦いが終わり、罪の意識から自分の元を去ろうとする兄を追って、恋人・ローザ との結婚すら先送った。 セシルが神々の召喚を受けたのは、まさしくそんな時である。 この閉じた世界に召喚され、セシルはゴルベーザと再会。そして兄が、殆どの 記憶を失っている事、それでも自分という弟の存在は覚えていた事を知る。
−−嬉しかった。罪の記憶が無ければ、兄さんはきっと一緒にいてくれる。たと えそれが敵同士だとしても。
拭いきれない罪悪感は、記憶の有無を問わず兄弟を縛る。それでもセシルは、 仮初めの幸福に浸る事を望んだ。真実から目を背けるようにして。 セシルには輪廻の認識がない。それは即ち、彼にもコスモスの力が及んでいる 事を意味する。では何故、騎士だけが自らの出自を忘れなかったのか? 簡単な話だ。それもまた我々の実験だから。神竜の力で、セシルへの力の影響 を半減させたのである。 この世界において、セシルが我々に提供したデータは実に興味深い。いつかの 世界でティーダが言ったように、この兄弟はまさしく天秤。殊に兄が死んだ場合 は高確率でセシルは我を失い暴走行動に出た。 自ら張り巡らせてしまった罪の意識。それを取り払った時、彼はやっと気付く のかもしれない。 何故一度は失われた筈の暗黒騎士の力が、この世界で蘇ったのか。聖と魔を併 せ持つ己の力が、一体何の為にあるのかを。
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天秤の記憶、月の兄弟。