−−被験体No.14、ゴルベーザ。 満三十歳。ゴルベーザというのは本名ではない。彼の真名は、セオドールという。 かつての世界で、彼は長くセシルの宿敵であった。あの頃の彼が今の自分とセシルの関係を見たらさぞ驚くに違いない。実はセシル同様、ゴルベーザもまた弟を憎んでいたのである。 セシルがバロン軍精鋭部隊・赤い翼隊長の任を解かれた後、彼は後任として隊長職に就いた。王自らがゴルベーザを推薦したのである。 それもその筈、バロン王に化けていた魔物−−カイナッツォは、ゴルベーザの従える四天王が一人。つまり偽バロン王ことカイナッツォに全ての侵略行為を命じていたのが、ゴルベーザその人だったのだ。 土のスカルミリョーネ、水のカイナッツォ、風のバルバリシア、火のルビカンテ。四天王の名に相応しい四体の魔物を従え、魔人はその強大な魔力を振るう。そこに加えて「赤い翼」という軍事力である。 ゴルベーザはクリスタルの力を手に入れるべく、様々な卑劣極まりない手段を用いた。軍事力で各地を攻撃し、セシルの親友を操り恋人を人質にとり−−セシルが男を憎むようになるのは必然と言えよう。−−どんな理由があったとしても、私の犯した罪は消えない。過去は取り消せない。あの頃の私は…セシルと世界への憎しみにとり憑かれていた。 真実を知らない全ての者にとって、ゴルベーザという存在は悪魔以外の何者でもなかっただろう。だが、彼が犯した暴挙の全ては−−けして彼自身が望んで行った事ではないのである。 魔人は操られていた。その悪しき意志ゆえ、月の八つのクリスタルによって封じられた月の民−−ゼムスの意志によって。 何故そんな悲劇が起きたか。それを理解する為には、彼の生い立ちを知らなくてはならない。 ゴルベーザ−−いや、セオドールとセシルの両親は、月の民の技術者クルーヤと、青き星の娘セシリア。クルーヤは青き星の者達との共存を強く望む民であった。否、それはゼムスを除く多くの月の民に言える事である。だが、彼が青き星の一般人の結ばれた事に強く反発する純血派もいなかったわけではない。 クルーヤは、まだ幼いセオドールの前で無残な死を遂げた。クルーヤの教えに背いた者達に殺されたのである。当時彼は十歳にもならない子供だった。父の死がどれほどの衝撃を彼に与えたか−−そのあまりに深い傷はけして他人には計り知れまい。 悲劇は続いた。父が死んだ時、母が身ごもっていた弟。病弱だった母はセシルを出産してすぐ亡くなった。運命と呼ぶにはあまりに残酷すぎる。幼い少年は父と母を立て続けに亡くしてしまったのだ。−−弟が生まれて。本当は凄く嬉しかったんだ。家族が増えた事。守るべきものができた事。でも…弟以外の全てを失って。何かを守るにはあまりに……この両 手は小さすぎた。 あまりに深い悲しみ。赤ん坊のセシルを抱きしめて泣き叫んだ時−−その深い絶望につけ込んだ存在があった。 それが、ゼムス。 月に封印されたその身は、自ら動く事も叶わない。ゆえに自由になる手足が欲しかった。セオドールはその野望の犠牲になったと言っても過言ではない。 ゼムスは少年に囁いた。母が死んだのは弟を生んだせい。父が死んだのもお前が全てを失ったのも、全てはその赤子−−セシルのせいなのだと。 憎め。弟を、己を、世界を憎むがいい。そうすれば楽になれると甘言を囁き、ゼムスはセオドールを洗脳した。 愛すべき存在。父母がいなくなった今自分が守らなくてはならない弱い弟。少年は必死で抵抗したが−−弱った幼い心は、強大なゼムスの力の前にあまりに無力だった。 やがてセオドールは、セシルをバロンの森に置き去りにする。いずれにせよ、たった十歳の少年が、生まれたばかりの赤ん坊を育てるのはまず不可能だっただろう。 しかし、邪念は少年に吹き込む。お前は幼い弟を恨み、森に棄てた悪魔。お前は朽ちた竜のむくろより生まれし毒虫。弟を憎む毒虫なのだ、と。母がつけたセオドールという名は、“神様の贈り物”を意味する。しかしゼム スの洗脳により、心の死んでしまった少年は−−その名すらも捨てさせられた。代わりに名乗った名が、ゴルベーザ。“毒虫”の意を持つ名前であった。 やがて−−セシル達が世界を救おうと奔走する中。幾度となく弟と憎しみの刃を向けあい、伯父フースーヤの力で正気を取り戻すも−−失ってしまった時間はあまりに長い。犯してしまった罪はあまりにも、重い。 その罪悪感が、ゴルベーザに別離を選ばせた。自分は弟の側で幸せになってはならない。追いすがるセシルを振り切り、ゴルベーザは一人贖罪の旅に出たのだ。 その時である。彼がカオスの召喚を受けたのは。−−私はその時、何も覚えていなかった。ゴルベーザという名が真名だと思い込み、弟を愛する気持ちだけが真実だった。 カオスの召喚を受けたのは、きっと心に弱さがあったせいだ−−ゴルベーザはそう認識した。 記憶はなくとも。心に刻まれた深い深い傷は消えない。弟への無意識の負い目と罪悪感が、ゴルベーザの心を縛っていた。弟を守らなくては。弟だけは幸せにしなくては。その切迫観念のせいで、兄弟は互いに愛し合っていたにも関わらず、何度も悲劇に引き裂かれる事となる。 二十年もの間、ゼムスの操り人形だった魔人。その境遇はあのティナと酷似しているだろう。ゴルベーザとティナの差は、それでも愛されていたかどうか。 何もかもを奪われた二十年がどんなに悲惨なものだったか−−我々の想像を絶するだろう。 それでも、正気に戻り、記憶を失ったゴルベーザはあまりにも慈愛に満ちた男であった。長年意志を奪われていた者とはとても考えられない。まさしく奇跡であろう。 光を求めた悲しき魔人。ただ弟を愛するだけでは足りない。彼が試練を乗り越える為に、決定的に欠けていた何か。 長く繰り返される輪廻の中。多くの出会いによって、ゴルベーザは今気付こうとしている。ずっと探し求めていた、最後の答えに。Last angels <想試し編> 〜4-21・騎士と魔人の世界Y〜 セシルは泣き崩れた。まだ戦いは終わっていないと分かっている。それでも悲しくて悲しくて、涙が止まらなかった。 クリスタルが見せた、自らとゴルベーザの記憶。その全ては、既にセシルが知っていたものである。知らなかったのは、兄はとうに記憶を取り戻していたこと。 そして−−知識としての事実ではなく。兄自身の受けた、あまりに深い痛みの記憶。−−兄さんが…とっくに思い出してたなんて!こんな…こんな悲しい記憶を…! あまりにも深い深い傷。思い出した時の絶望はどれほどのものだっただろう。それなのに−−兄はまるで何も無かったように、自分を導こうとした。前の世界でもそう。最期まで自分を守ろうとしてくれた。 なんて−−深く貴い愛なのか。「…私などの為に、泣いてはいけない…セシル」 うずくまった頭上から、兄の声が優しく降る。「お前はお前の為に泣くべきなのだ」 温もりに、顔を上げるセシル。その頭を撫でる掌。小手が生身の温かさを遠ざけても、そこに伝わる心までは遮れない。「辛かったのは、お前だろう」 優しくて。優しすぎて、泣きたくなる。「私が憎かった筈だ。操られていたとはいえ…赦されない事をした。お前の大切 なものを山ほど奪った。…それなのに。この世界に召喚され、記憶のない私を… 兄として慕ってくれた」 嬉しかったよ、と。頭を撫でる手は、兄というより父のよう。 自分ももう大人だ。小さな子供なんかじゃない。そう言おうとして−−言えなくなった。 気付いてしまったから。自分はずっと、この優しい手が欲しかったのだと。ずっと兄に頭を撫でて、そんな当たり前の幸せを知りたかったのだと。 それがきっと、家族だから。「…僕が泣いちゃいけないなら…誓ってよ」 自分が泣くのは、自分の為。自分の為に、泣けない兄の代わりに涙を流していた事に、気付く。 それでは根本的な解決にならないと知りながら。「兄さんはちゃんと…兄さん自身の為に、泣いて。それを誓ってくれないなら、 僕も約束できないよ」 ずっと泣きたくても、泣けなかっただろう。兄にそうさせてきたのは世界であり、ゼムスであり、セシルでもある。 償いが本当に必要だとしたら、自分の方だ。それは今でも思う。だけど。『まるで天秤みたいだ』 兄の記憶の中にあった、いつかの世界のティーダの言葉。それがセシルの眼を醒まさせた。『片方だけじゃ成り立たない。錘は両方均等に乗せなきゃダメなんスよ。アンタもセシルも本当は気付いてるくせに…知らないフリで、自分の側ばっかり重くし たがる。だから、釣り合いがとれなくてひっくり返るんだ』自分の“償い”が、兄にまた重荷を背負わせるようなら意味がない。だったら 、兄の重荷が少しでも軽くなるような“償い”をしたい。 それは。精一杯、幸せに生きる事。その幸せに兄を無理やりにでも引っ張りこんでやる事だ。「僕は兄さんが大好きだよ。…ううん。僕が、兄さんが大好きなんだ」 今ならきっと言える。 恐れて閉じ込めていた言葉を。逃げ続けていた、目を逸らしていた自分の本当の望みを。「一緒に、いて下さい。兄さんが幸せを捜すなら一緒に捜させて。罪を背負うなら一緒に背負わせて」 自分と、自分の大切な人達と。一緒に、未来を生きて下さい。 いつか必ず来る時には、精一杯笑って、逝けるように。「…僕の願いは言ったよ。今度は兄さんが願いを言う番だよね?」 セシルは立ち上がり、真っ直ぐに兄を見つめる。鎧から覗く瞳の奥を覗き込むように。「私は…」 「諦めないで」 逃げるな、とは言わない。ただ諦めるなと言った。 逃げて逃げて、逃げ続けた自分だから分かる。どうしようもなくて、逃げるしかできない時が、どんな人間にも必ずある。前だけ向いて生きていける者など何処にもいない。 そして。闇に墜ちた心を救えるのは、逃げた己を自覚し、立ち上がった事のある人間だけなのだ。綺麗なだけの手で、一体何が護れるだろう。「諦めなくたって、いいんだ。兄さんの世界は、兄さんの為にあるんだもの」逃避するしかない心に、“逃げるな”の言葉は御法度だ。セシルは知っていた 。諦めなくていいよ、と。逃げるしか無かった自分が一番欲しかった言葉が、それだったから。「一緒に歩いてみようよ。一緒なら、きっと変わる。僕を信じて」 はじめよう。もういっかい。「私にも…光は微笑む、か…?」 答える代わりに、セシルは兄を抱きしめた。 捜しものは、今此処にある。 ずっとそこにあったのに、近すぎて見えていなかったのだ。 本当の答えは、ずっと側にある。セシルはようやく今悟っていた。全ての道は、此処に辿り着く為の課程であったのだ−−と。 NEXT |
この瞬間の為に、きっと出逢った。
BGM 『My god, Your god』
by Hajime Sumeragi