平和とは、呼べないかもしれない。まだ戦争は終わっていない。悲劇の輪は断
ち切られていない。運命は覆されたわけじゃない。
 それでも。ようやく本当の意味で自分達に訪れた、心の平穏。
 少し前まで胸の奥に渦巻いていた、強くも重く、黒い感情が今は無い。ただ静
かな水面のように澄んでいる。自分という存在をもっと高く遥かな場所から見下
ろせる。
 そうだ。やっと辿り着けたのだ−−本当のスタート地点に。
 
「何か用か?」
 
 相変わらず暴君は愛想が無い。いや、これはちょっと照れ隠しも入ってるな−
−フリオニールは苦笑しながら、その背に歩み寄る。
 どうやらアルティミシアは不在らしい。スコールを探しに行ったのか、はたま
た別の用事か。いや、女性のプライバシーを邪推するのはやめよう。
 
「話。やっと時間ができたからさ。してみようと思って」
 
 パンデモニウムの段差に腰掛ける。
 時間。そう−−自分達には今それが与えられている。歩んできた過酷な道から
すればあまりに奇跡のような、今という時間が。
「覚えてるか。いつの世界だったか曖昧だけどさ結構前。並行世界の俺達
がこの世界に来たこと(頂き物小説「SAKURA」「地獄の楽園」参照)」
「あああったな、そんな事も」
 クリスタルによって思い出した、この鳥籠の世界の記憶。二度ほど、パラレル
ワールドの自分達に遭遇するという、不思議な出来事があった。
 世界は一つではない。人の数だけ物語は存在し、未来は幾多にも分岐する。実
際、自分達は皆別々の世界から導かれて召喚されたのだから−−違う未来を辿っ
た別の自分がいても、おかしくはない。
 彼らに出逢った時、フリオニールは心底驚いた。それはドッペルゲンガーのよ
うにそっくりな別の自分が存在する事、それだけではない。出逢った別世界
の『フリオニール』と『マティウス』は−−自分達のように憎み合ってはいなか
った。当たり前のように仲間としてそこに存在していた。
 どうして彼らは、憎しみを乗り越える事ができたのだろう。フリオニールは不
思議で仕方なかった。その時自分はまだ記憶を取り戻していなくて−−憎しみ理
由も分かってはいなかったけれど。
 皇帝を許すなんて。仲間として共に生きるなんて−−考える事も出来なかった
。それほどまでに、心に根付いた暗い感情は深かったのだ。
 
「あいつらが何故互いを赦し合えたのか。ずっと疑問だったけど今ならちょっ
とだけ、分かる気がしてるんだ」
 
 憎むのも恨むのも自由だ。その心を縛り付ける権利など誰も持ちはしない。だ
から、憎みきる事で本当に幸せになれるというなら、それでもいい。
 だけど。人間はそこまで残酷になりきれる生き物じゃないから。優しさや愛を
棄てきって生きてなどいけないから。
 人はいつか、憎しみを忘れていく。自然に、別の感情で消していこうとする。
幸せになる為に。
 
「あの時、俺もみんなも頑張りすぎて気付けなかったんだ。自分が幸せな事に
も、自分がシアワセじゃない事にも」
 
 全部、全部、全部。抱え込もうとして、本当に大切なものはすり抜けてしまっ
てたのかもしれない。無理をしすぎて、無理をしてる自分自身にも気付けなくて
 
「全部赦す事なんてさ。親子でも恋人でも出来ない事なんだ。だから赦せない
事があったっていいんだ。それを全部ひっくるめて、受け止めて歩いていけば
いい」
 
 いつか。憎しみを自然に忘れていけるほど、輝く何かで心を満たせばいい。
 きっとあの『フリオニール』と『マティウス』にとってはそれこそが
 自分と皇帝にとってはその心こそ、限り無い世界いっぱいに広がる、
のだろう。
 
茨の道だな。言葉にするほど簡単ではあるまい。問題は山積みだぞ」
 
 フン、と鼻を鳴らす皇帝。俯いたその顔は、小さく笑んでいる。
 
「でも、あんたが先陣切って導いてくれるんだろう?野薔薇咲く世界、そこで本
当の王になる為に」
 
 フリオニールは直接見てはいないけれど。かつての世界で皇帝が言った言葉。
その心をクリスタルは教えてくれた。
 
 
 
『いずれ、世界の全ては我が手中に収める。私こそが絶対の君主となるのだ。王
が自ら動かずして、兵がついてくる筈もあるまい。兵の影に隠れて逃げ惑うのは
臆病者のする事だ』
 
 
 
 そう言って彼が、ティーダ達を−−未来の世界にて自らの国のになるで
あろう彼らを−−命懸けで守った事を。
 
「俺達はその世界で、その新しい国の民になる。皆でその景色を見るんだ。今の
アンタなら、悲劇の歴史は繰り返さない。俺達はついていくよ、皇帝陛下
 
 共に終わらせよう。今度こそ−−全ての罪を、業を。
当たり前だ。虫けらども、遅れをとったら許さんぞ」
「ああ」
 目を閉じ、フリオニールはかつてたった一人で全てを背負おうとしていた親友
を想う。
 
−−誰一人、欠けさせはしないなぁティーダ。
 
 だから、諦めずに戦い抜いてみよう。今度は皆で、一緒に背負って。
 
 
 
 
 
 
 
Last angels <想試し編>
4-41・秩序と混沌の幕間V〜
 
 
 
 
 
クリスタルワールドの主は今不在らしい。否、それが分かった上でこの場に降
り立ったわけだが。
 
何故、抗う?」
 
 ポツリ、と。ガブラスは一人呟く。誰に聞かせる為でもなく。
 
「何故、足掻く?」
 
 ふと見下ろした足下。そこに咲く小さな花が目に入る。
 二つの、黄色い花。寄り添う姿はまるで家族か夫婦のようで−−そう感じた自
分に嫌気がさす。
 兄弟の絆なんて。家族の絆なんてくだらない。まやかしに過ぎない。何故そう
考えるようになったかきっかけは自分でも思い出せないのだけど。
 もはや顔も朧気にしか思い出せないのに−−兄が、憎い。その感情だけが胸の
奥をドス黒く焼き続ける。消したくても消せない。
 憎め。恨め。世界の全てを憎悪し、その全てに裁きを下せと頭の中で声がする
。迷うたび、頭痛をともなうほど強く響く。その度に、あらゆる感情はその奥に
かき消されていく。
 
「違うそんな事を、考えたかった、わけでは……俺、は」
 
 頭が痛い。息が出来なくなりそうなくらい、幾多の激情が渦巻き、ガブラスは
膝をついた。時折揺らぐ何かの正体すら見えない。自分はいつから此処にい
て、いつから神竜に仕えていたのだったか。
 迷う。迷うな。迷え。迷ってはいけない。何故?
 
−−だって他に選択肢など無いじゃないか。
 
 頭の中で。いつもとは違う声がした。普段響くそれよりも朧気で、ノイズのか
かったようなそんな声が。
 
 
 
『−−ア。お前は、本当に−−いいのか』
 
 
 
「黙れっ!」
 
 頼む。迷わせないでくれ。もう駄目なのだ。抗う力など残ってないのに。
 抗いたくなってしまう−−敵が誰かももはや思い出せないのに。そんな声など
、聞きたくない。
 苛立ち紛れに剣を振り上げて、大地に突き刺した。だが−−心の隅で何かがガ
ブラスを引き止める。か弱い花−−その真横に突き立った剣が震える。
 
「その花」
 
 ハッとして振り向く。次に、盛大に舌打ちをした。無様な姿を見られた−−そ
う思って。
 
「いつも、どんな世界でも咲いてますのね。咲く数はその時によりけりですけ
同じ場所に、必ず。コスモスのお馬鹿さん達でもたまに気付くほど」
 
 歩み寄ってきたシャントットは、ガブラスの足下に身を屈める。
 
「この花もそう。あのお馬鹿さん達もそう。一体何に抗おうと言うのかしら。
こんな世界で、こんな場所で生きてたって誰にも認められはしないというのに
 
 ガブラスは思い出す。以前−−神竜がたった一度だけ、自分達に尋ねて来た事
がある。
 生物の、存在理由と存在証明について。
 人は、どうすればその存在を赦されるのか。その存在理由とは、証明てはどう
やって得るものなのかと。
 対し、自分とシャントットは迷わずに答えた。あなた様にお仕えする事こそ、
我らの存在理由ななりうるのだと。
 その言葉に神竜は笑った。初めて見る笑い方だった。
 そして言った。
 
 
 
『そうだ。生物は誰かに存在を認められて初めて、生きる価値を得るのだ』
 
 
 
 あれは−−どういう意味だったのだろう?
 
 
 
「生きる価値とは認められる事
「何かしら?」
「いや
 花を見る。こんな土の少ない場所でも咲く花を。確かに此処に在る命を。誰に
認められずとも精一杯空へと手を伸ばす存在を。
 では−−自分達は?
 
「俺達の存在は神竜様が認めて下さるだとしても。俺達は今、本当に生きて
いると言えるのか
 
 シャントットは答えない。ガブラスはまた頭痛が酷くなりうずくまる。
 世界は沈黙したまま、それでも何かを待っている。
 
 
 
 
 
 
 
「夢を見るの」
 
 魔女は言う。
 
「幸せで、とても悲しい夢。目覚めた時には忘れてしまっているけれど」
 
 エクスデスは黙ってその言葉を聞く。何の意図があってアルティミシアが自分
の元を訪れたかは分からない。ただなんとなく、誰かに話を聞いて貰いたい気分
だったのかもしれない。
 そんななんとなくで、同陣営の仲間達が自分の元を訪れる事はままある。
相談に乗ってくれと言う奴すらいる。何で自分なんだと聞いたら−−ああ、あれ
はジェクトだったか−−言われた。
 エクスデスは客観的な意見をくれるし、無下に訪れた者を追い返したりしない
から、だと。
 確かに自分は、邪魔にならない限り特に干渉しない質だが−−案外、それが彼
らにとってはいいのだろうか。
「エクスデスあなたも記憶が無いのでしょう?元の世界で自分が何をしていた
か、誰といたか」
「そうだが」
「私は私と皇帝はずっと、本当の自分を取り戻したくて戦ってきたのだけ
ど。そのチャンスが巡ってきた今になって思うのですよ」
 次元城の城壁にもたれて。魔女は歪んだ青空を見上げる。
 
「全てを思い出すのは本当に幸せな事なのかしら。思い出さない方が幸せな事
も、あるんじゃないのかとね」
 
 珍しいどころではない。皇帝相手ならともかく自分にまで、魔女がこんな風に
弱音を吐くなんて。
 皇帝がクリスタルを得て、記憶を取り戻した事に関係があるのだろうか。自分
は詳しくは知らないけれど−−ある程度の情報は得ている。
 クリスタルを手にする事で何が起きるかも。既に皇帝、妖魔、魔人、道化、英
雄、幻想の六名がその道に至った事も。
 
思い出せば不幸になる記憶もあるかもしれんが」
 
 暗闇の雲を思い出す。自分と同じアヤカシでありながら、心という名の光を手
にした彼女を。
 
「思い出す事でしか手に入らぬ幸せも、あるのではないか?」
 
 過去も今も未来も、無ではない。時間はけして無にならない。だからこそ自分
はその全てを消し去りたかったのだけど。
 今になって、思う。それは本当に自分の意志だったのか−−と。
 
分からない、ですね。今は、まだ」
 
 何も見えずとも、世界は廻る。
 今この時も、確かに時を刻んでいる。
 
 
 
 
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