結局−−自分が今一番落ち着く場所は、此処なのだ。
 自らの不甲斐なさに笑い出したくなる。なんだかんだでアテにしている。逃げ
道にしている。あの男は−−皇帝はけして自分を裏切らない。それを分かってい
るから。
 『コスモス』は、パンデモニウムの壁に寄りかかって溜め息をつく。
 
「何をやって…いるのやら」
 
 女神の容姿が陽炎のように揺らぎ、赤き衣の魔女に変わる。スコールに助言し
たのはアルティミシアの変装したコスモスだった。
 彼を惑わせようとしたわけではない。ただ−−その心が、知りたかった。彼は
どんな景色を見てそこに立っているのか。何を想って道を選ぼうとしているのか
を。
 単純に−−彼と話がしたかっただけかもしれない。光と闇でも、獅子と魔女で
もなく−−理由も分からない敵意に晒されて言葉が死ぬ事もなく。
 隣に在れる存在として、その本音が聞きたかった。彼が一目置く女神の姿にな
れば、その答えが聞ける気がして。
 
「コスモス…あなたが、羨ましい」
 
 彼女になりたかった。どうして自分は魔女なのだろう。同じ力を持つ存在なら
何故世界は自分を女神にしてくれなかったのか。
 スコールが向けてきたのは、確かに敵意ではなかった。憎悪でもなければ、憤
怒でもなかった。
 素直になれず、疑心を捨てきれず。仲間達の優しさに戸惑いながらも、彼が“
コスモス”に見せたのは−−信頼。女神にだからこそ、心を開ける。想いをさら
け出せる。伝わってきたのはそんな想いだ。
 
−−馬鹿ね、私。…こんな事しなければ、知らずに済んだのに。
 
 後悔した。なんて虚しいのだろう。途中で逃げ出したいとすら思ったのだ−−
彼が、倒すべき真の敵としてアルティミシアの名を挙げた時は。
 気付かれなかっただろうか−−怯えた声に、悲しみに震えた声に。おかしいと
思われては何もかも水の泡なのに。
 そうだ。彼にこんな形で近付かなければ、今までのように微妙な距離さえ保っ
ていたなら。
 理解せずに済んだだろう。彼がどれだけ女神や仲間達を大切にしているが。同
じくらい−−自分と仲間達を害する立場にいる自分を敵視しているか。
 私怨で憎まれているわけではないと思う。かつてフリオニールが皇帝に、ある
いはティーダが父親に向けていたような痛みはない。でも。
 思い知らされる。あらゆる記憶はなくても、スコールは自分を倒すべき敵だと
認識し、その感情を記憶している事を。輪廻を断ち切り、元の世界に戻れたとし
ても−−自分達は宿敵以外の何者にもなりえないのだと。
 だったら−−いっそスコールを憎んで生きられたら良かったのに。そうしたら
迷わず彼と殺し合えたのに。
 
−−記憶なんて、ない。元の世界で自分が何をしていたかなんて分からない。召
喚される前のスコールの事も覚えてない。…なのに。
 
 気付かなければ良かった。
 この先も分からなければ良かったのに。
 
−−私は…スコールが好きなんだ。
 
 なんて残酷なんだろう。
 自分は今、最初から終わっていた恋をしている。
 
 
 
 
 
Last angels <想試し編>
4-45・獅子と魔女の慟V〜
 
 
 
 
 
 誰か戻ってきていないかと淡く期待はしていたものの、コスモスの屋敷は蛻の
空だった。あれから誰も帰ってきていないのは本当らしい。
 
「此処がお主らの本陣か…」
 
 興味津々といった様子で屋敷内を見回す暗闇の雲。ホールの天井を見上げ、呟く。
「…わしらの屋敷より少し手狭のようだな」
「…マジか」
 思わずクラウドは声に出してしまう。この屋敷とてけして狭くはない。むしろ
一般的には相当豪華な部類(…十中八九コスモスの趣味だ)に入る。
 元いた世界でも、この屋敷に比類する建物といえば成金ヤクザのエロオヤジ−
−それ以外にどう表現すればいいか全く分からない−−のドン・コルネオの娼館
くらいだ。
 これより広いって?カオスはどんだけ太っ腹なのか。
 
「とりあえず荷物簡単にまとめて。一時的にだが…カオス陣営の部屋も決めてお
こう。昨晩ろくに眠れてない者もいるだろうしな」
 
 クラウドが提案すると何人かが安堵の息をついた。やはり野宿に加え連戦続
きで、皆疲れが溜まっていたのだろう。
 特にほっとした顔を見せたのがティナだ。多分自分自身が理由ではない。クリ
スタルを手にする中で、生き返ったとはいえ一度は死んだほどのダメージを負っ
たオニオンを休ませてあげたかったのだろう。
 野宿では、ろくな結界も貼れないし緊張するなという方が無理。何よりオニオ
ンの性格上、どんなに自分の体が辛くても見張りをやるといって聞かなかっただ
ろう。保護者も大変だとつくづく思う。
 
「…ね、オニオン」
 
 それを分かってか、声をかけるティナ。
 
「片付けしたら一緒にお昼寝してくれないかな。私、ちょっと疲れちゃったから」
 
 自分が疲れたから付き合って欲しい、と言えば少年も断らない。案の定オニオ
ンは“いいよー”と二つ返事でOKした。だいぶティナも彼の扱いに慣れてきた
と見える。
 
「ええーっ!」
 
 不満の声を上げたのはケフカ。
 
「何でそいつばっかり!ズルい!ぼくちんもティナちんと遊びたいのに!遊び
たいよう!」
 
 すっかり駄々をこねる子供だ。一緒に遊ぼうようと服を引っ張り、ティナを困
らせている。
 幼児退行を起こしている彼は小学生程度の精神年齢らしいとは聞いていたが
−−これで三十五歳の大人だなんて誰が信じるだろう。
 戦闘時の残虐性以外の私生活でもこんな感じなのか。彼と親しいらしい暗闇の
雲を見ると、彼女は苦笑いして肩をすくめた。
「おいケフカ。娘を困らせるでない。お前も少しは休んでおかないと今後に響くぞ」
「でもー…」
 妖魔の言葉に、反論しかける道化だが。
 
「くどい」
 
 暗闇の雲は一刀両断。
 
「聞き分けの無い子供は嫌いだな。他人に迷惑をかけるなといつも言っておるだ
ろう。さっさと休め。でないと遊ばせてやらんぞ」
 
 ポカン、としたのはクラウドだけではないらしい。
 暗闇の雲がすっかりお母さんに見える。我が子を叱る母親。ケフカもそれに渋
々とはいえ従うのだから尚更だ。
 ずっと。彼らのことを血も涙もない闇の軍勢だと思い込もうとしていた。クリ
スタルを手にする、この旅が始まるまでは。
 しかしこうして近くで見てみれば−−彼らも一人の、心ある人間しか見えなか
った。そのほんの表層の一面だけを見て、全てを決めつけ、戦う理由から目を背
けてきた自分がいる。
 不思議な話だ。彼らとこんな風に、同じ場所に立つ日が来るなんて。自分の中
にずっと渦巻いていた暗い感情から、解放される日が来るなんて。
 けして−−悪い感覚じゃない。むしろ。
 こんな時間を、自分はずっと待っていたのかもしれなかった。
 
「…?」
 
 ふと振り向くと、ゴルベーザがやや不自然に立ち止まっていた。
「どうかしたかゴルベーザ?」
「兄さん?」
 セシルも首を傾げて兄を見上げている。
 
「…いや。何でもない。ただ…コスモスの声が聞こえた気がしてな」
 
 コスモス?自分には何も聞こえ無かったが。クラウドはセシルと顔を見合わせる。
「お前達、しばらくこの屋敷を動かんつもりだろう?…私は少し用があるのでな、
出てくる」
「え、何?一人じゃ危ないよ。僕も一緒に行くよ」
「心配するなセシル」
 鎧で覆われた表情見えなかったが。多分苦笑しているのだろうということが、
声で分かる。
 
「コスモスに頼まれた野暮用を、片付けにいくだけだ」
 
 
 
 
 
 
 
 いつまでこうしていただろう。どうやら泣きつかれて眠ってしまったらしかっ
た。なんてザマだ、と嘲る声も弱々しい。アルティミシアは子供のようにうずく
まる。
 
「どうして…愛してしまったのかしら」
 
 まるで分からない。自分とスコールはずっと敵同士で戦ってきた筈だった。優
しくされたことなど一度もない。手を差し伸べられたこともない。なのに。
 どうして好きになったのだろう。確かにスコールは心も体も強いし、その美貌
に惹かれる女性は後を絶たないだろう。不器用で、素直じゃなくて、強がりで、
だけど仲間想いで。そのあたりもポイントが高いかもしれないけど。
 自分の感情なのに、自分が一番分からない。彼の美点ならいくらでも挙げられ
るのに、実際どこに惚れたかと言われれば−−どれも違う気がしている。
 
「理由も分からないのに…こんなに辛いなんて」
 
 カツン、と堅い床を叩く靴音。魔女はハッとして顔を上げる。目に入った皇帝
の姿に驚き。
 
「…いつからそこにいたんですか、皇帝。悪趣味な」
 
 泣き腫らした自分の顔が恥ずかしくなり、慌ててゴシゴシと袖で拭う。やや乱
暴だった為、目元がヒリヒリと痛んだ。
 
「お前の方が勝手に私の城に入って来たんだろうが。立ち聞きも何も」
 
 言葉ほど口調は咎めていない。それがかえって情けなくなり、アルティミシア
は俯く。そういえば床に座り込んだままだ。プライドにかけて立ち上がるべきか
否か−−考えかけて断念する。
 思っていた以上に疲れている自分に気づく。肉体的にではなく、精神的に。
 
「…人の心とは、不器用なものだな」
 
 ポツリ、と。呟くように男は言う。
 
「人間どもはいつだって理由を欲しがるくせに…肝心なところは直感で動くのだ
から」
 
 その言葉が、さきほどのアルティミシアの疑問の答えだと気付く。どうして理
由も分からないのに愛したのか。終わっている恋などしたのか。
 自分で自分の感情の出どころが分からない、なんて。不可解で、苦痛で、どう
しようもなくて。
「理由なんて、後付けにすぎん気もするがな。…一番大切なことは、心に従って
決める事だ」
「心…」
「私はずっと、フリオニールに憎まれていた」
 静かな声だった。それは何かを見極め、乗り越えた者の言葉。
 
「フリオニールは、何故私が憎いか分かっていなかった。記憶を消されているの
だから当然だな。…それでも私を憎む気持ちを疑わなかったのは…」
 
 一度言葉を切り。何かを吐き出すように、皇帝は言う。
 
「私を憎む気持ち。それが奴の…フリオニールの真実だったからだ」
 
 記憶を取り戻したからこそ、本当は辛いのだろう。どんな苦痛を抱いて皇帝が
その想いを口にしたのかは、彼にしか分からない事だ。だけど。
 彼が何を言いたいのかは、理解できる気がした。
「私が彼を愛する気持ちもまた…真実だっていうこと?」
「言っただろう。心で決めろ、と」
 ただ個人的な結論としては、と皇帝は続ける。
 
「記憶を亡くし。輪廻の苦痛と孤独に押しつぶされて尚消えなかった感情は…限
りなく本物なのではないか?思い出せ。お前がここまで戦って来れた理由。それ
は…お前の獅子を想う心あってではないか?」
 
 つい、笑いたくなる。
「まさかあなたの口からそんな言葉が…ね」
「悪いか」
「いいえ。…ありがとうございます」
 心に従えばいい。それなら、自分の本当の望みは何だろう。
 魔女は目を閉じ、胸に手を当てて考える。自らの、進むべき道を。
 
 
 
 
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赦されない、恋だとしても。