赦して、なんて言える筈がない。 犯してしまった罪はあまりにも重い。クリスタルの光を浴びたから、記憶 を取り戻したから−−そんなのじゃ、ない。 本当は忘れてなんか無かった筈のことを、全部思い出した。 本当は誰より自分が知らなければならない事を、やっと全て理解した。 嘘だと言えなかったのは魂が告げたから。今こそが現実だと。目の前に在 るもの こそ真実であると。
「スコール!スコール!!」
泣く声が聞こえる。倒れる際、螺旋階段にぶつけた背中が鈍い痛みを訴え る。刺された胸は痛みを通り越して焼けるように熱い。溢れた紅が滴り、互 いの衣服を染めて。 どうにか首だけを動かし、スコールは彼女を見る。アルティミシアが泣い ていた。この長い長い戦いの輪廻の中、こんな形で彼女の涙を見る事になる なんて−−全く予想していなかった自分がいる。 彼女を、血も涙もない魔女だと思い込もうとしていた自分が確かに、いる のだ。 彼女がカオスに属する者だから。 彼女が−−魔女だから。 酷い裏切りだ。何も変わらない−−自分を撃ち殺した彼らと。魔女狩りを 叫んだ者達と。
「…すまなかった…リノア」
わざと、その名で呼んだ。目の前の彼女はもはやリノアではないのかもし れない。だけど、アルティミシアの中には間違いなく彼女がいるから。 だから彼女は自分を愛したのだと知っているから。スコールは掠れる声 で、足りない言葉で、呼びかけた。
「俺のせいで…俺がいたせいで、あんたを不幸にした」
自分と出逢わなければ。恋になど落ちなければ。 彼女は魔女になんかならずに済んだ。こんな辛い想いをさせる事もなけれ ば、世界に追われる事にもならなかった。闇に墜ちる事も、きっと無かった 筈なのに。
「それだけじゃ飽きたらず…出逢ったあんたの心に、気付く事すら出来なか った。あんたがあんただと分からなかった。…ずっと、側にいてくれたのに」
きっと苦しかっただろう。胸が張り裂けそうなほど悲しかった事だろう。 愛してる。かつてそう口にした筈なのに、忘れる事で気付かない事で−− 無意識に彼女を裏切り続けてきた自分。 どれだけ傷つけた事か。想像するだけで死にたくなる。
「あの時…あんたの手を引いて逃げたこと。後悔した日は一度も、ない」
頑なに閉じていた心。その扉をこじ開けて、手を差し伸べてくれたたった 一人の大切なひと。魔女の騎士−−なんて気取ったつもりはないけれど。 リノアさえ護れるなら、世界を敵に回しても生きていけた。 リノアさえ救えるなら、この身を投げ出して死ぬ事ができた。 その結果彼女がどうなるかなんて、考えもしないで。身勝手な善意と愛情 を押し付けて満足していたなんて。
「だけど…俺の自己満足があんたを傷つけて…本物の魔女にしてしまった。 世界に災厄を招いたのは…俺だ」
それで何が護れたというのか。何が救えたというのか。 愛する人が目の前で、かつての同僚達に殺される。その光景を見てしまっ たリノアが負った心の傷を、誰が窺い知れるというのか。そんな光景を見せ てしまったのは他でもない、スコール自身で。 結果彼女は闇に墜ちるほどの苦痛を負ったのに、それでもなおスコールを 取り戻そうとしてくれたのに−−。 自分がやったのは。そんな彼女に刃を向けた、それだけ。
「恨むなら、俺を恨んでくれ。だから、どうか…」
涙を流すアルティミシアの頬に、血まみれの手を伸ばす。
「あんた自身を責めるのはもう…やめて欲しい。あんたは何も、悪くない」
強かに血を吐いた。咳き込むたび、肺と喉が激痛に悲鳴を上げる。紅い色 が魔女の肌にも散った。まるで紅い薔薇のように。 意識が霞んでいく。自分は最後の最期まで罪人として死んでいく。全てを 取り戻した筈の手で、あっさりと全てを失った。彼女を裏切るのが分かって いながらまた、彼女の目の前で死んでいこうとしている。
−−現実は優しくない。あんたはかつてそう、言ったな。
確かに。この世界は悲劇と惨劇だらけだ。理不尽な事だらけ。矛盾に満ち たルールだらけ。誰にも説明出来ない理屈で成り立ち、多くの者達が歪んだ 正義を振り翳すせいで争いは絶えない。 こんな世界でなければ、きっと彼女は一人の女性として幸せになれた。き っと自分も凶弾に倒れる事は無かった。 だけど。
−−綺麗な物もたくさんある。…それを一番最初に教えてくれたのは、あん たなんだよ。
こんな世界じゃなければ、出逢えなかった。 リノアにも−−かけがえのない仲間達にも。
「ありがとう。…愛してる」
やっと分かった。 大切なのは愛することではない。 愛するのだと、決めることだ。 人はいつかそれに気づく。
Last angels <想試し編> 〜4-49・獅子と魔女の慟哭Z〜
頬に触れた手が、落ちる。スコールがまだ十七歳の子供にすぎなかった事 を思い出す。アルティミシアが握りしめたその手はまだ細くて、大きな何か を護るにはあまりに弱々しかった。 彼がたった今、死んだ。またしても自分の目の前で。自分を、庇って。シ ュチュエーションはあの時とは違う。紛い物達に魔女狩りなどという概念は なく。この世界での死は絶対でないと、知っている。
何度も乗り越えてきた筈の別れなのに。涙が止まってくれない。
幸せだったあの日々。もう戻れない、日々。 彼はどこまで覚えているだろう。どこか遠い場所で想う自分がいる。
まだ幼き子どもだったころは 未来を無邪気に信じていられた。 世界はもう 我々のものではない。
「嫌…だ」
平和な世界では無かったかもしれない。しかし、自分達は間違いなく幸せ だった。目の前には無限の可能性が広がり、当たり前のごとく光が降り注ぎ。 伸ばした手は、愛する人と繋がっていた。心にはいつもスコールがいた。
「嫌だよ…スコール…。死んじゃ、嫌…」
心はとうに凍てついた筈だったのに。いつの間にか歯車はまた回り始めて いた。口調があの頃に戻っている。あの日と同じように、冷たくなっていく 亡骸にすがりついて泣く自分。 運命を変えようと、この世界だけで百年。かつての世界を含めればその何 倍もの年月を足掻いてきた筈なのに。 一番肝心の未来だけが、覆せないまま。
カキィン!
甲高い金属音。アルティミシアはのろのろと顔を上げる。その姿を認めて、 何故彼が此処にいるんだろうか、とぼんやり思った。 ジタンがいる。さっきの音は、彼のその盗賊刃でイミテーションを切り裂 いた音だった。断末魔を上げながら砕けていくのは、スコールを刺したたわ むれの盗賊。オリジナルを、恨めしく見つめて消えていく。 彼は休まない。続いて飛びかかってきたたわむれの盗賊にダイダルフレイ ムを見舞う。何かを叫んでいるようだが、よく聞こえない。 ただ、どうして闘うのだろう、と思った。この世界には絶望しか見えない のに。生きていても、どんなに足掻いても運命は覆せないのに。 スコールは、死んでしまったのに。 魔女は俯く。獅子の骸を抱きしめながら。
「俯くな!」
闘いの音色を切り裂いたのは、ジタンの声だった。
「今こそが現実なんだよ!スコールを愛してるなら…顔上げろよ!諦めん なよ!!」
再び彼の手元で刃が鳴る。ジタンはたった一人で、イミテーション数体を 相手にしていた。時折追い詰められながら、傷を負いながらも必死で。 どうして。再びそう思って−−やっと気付く。 助けようとしているからだ。自分を護る為に−−彼はその小さな身体を張 って戦っているのだ。
「なん、で…です?」
声が震えた。何かを理解しそうになっている自分がいる。
「私はあなたの敵…でしょう?」
怖い。だけど。目をそらせない。 これが現実だから。
「誰かを助けるのに、理由がいるかい?」
紛い物達から眼を離さず、アルティミシアに背中を向けたまま幼い盗賊は 言う。 ああ。同じ背中だ。 あの日、エスタから自分を連れ出してくれたスコールと同じ−−護る者の 背中。
『魔女でも構わない。あんたを…助けたいんだ。それでは理由にならない か?』
ジタンも泣いている。本当は彼も立ち止まりたかったのだろう−−仲間が 目の前で死んだ、その現実を前に。 だけど。護る為に立ち上がってみせた。絶望に壊れかけても、心を折る事 は無かった。 自分は、知っていたのだ、ずっと前から。そうやって運命に立ち向かって いった人達の事を。 記憶を無くしても生き抜いてこれたのは。それでもなお自分の中にスコー ルの存在がいたからだと。同じように立ち向かう人が、皇帝が隣にいたから だと。
「サイテーだぜスコールの奴!最期の最期までカッコつけて…レディを悲 しませるなんて!」
たわむれの死神の火球がジタンの脇腹を掠める。焼かれる痛みに盗賊は呻 いたが、倒れない。ランブルラッシュで何度もイミテーションを斬りつけ、 ダメージを与える。
「だけどな…!どんなに身勝手だと分かってても、自己満足だって知って も、命を投げ出してでも…大事な人を護りたいって気持ちなら、俺にも分か るんだよっ」
大事な人。本当に? スコールを抱く腕に力を込める。時の魔女。闇に墜ちた災厄の翼。自分は もう、スコールと共に生きていたあの頃の“リノア”ではないのに。スコー ルの討つべき宿敵としてこの世界に喚ばれたのに。 まだ、彼にとって大事な人でいられるのだろうか。記憶を取り戻しただけ で−−否取り戻した今だからこそ、自分がどれだけ重い罪を犯したかが分か る。どれほど彼を傷つけたかが理解できる。 スコールが、それを分からない筈は無いのに。
「端から見てただけの俺でも分かったんだ。あんたが分からないなんてこと 無いよな!?だったら…あんたはスコールの想いを汲み取って、生きてかなき ゃいけないんじゃないのかよ!どんなに身勝手だったとしても…あんたに 生きて欲しかったそいつの気持ち、それまで否定しちまったら…。文字通り、 スコールは無駄死にじゃないか!!」
無駄死。嫌だ、と叫んでいた。それだけは。それだけは絶対に嫌だ。こん な生きているか死んでいるかも分からない場所で、それでも自分だけは彼の 存在を証明しなくては。 そうでなければ、全ての痛みは何の為か。
『ありがとう。…愛してる』
クリスタルが、輝いた。その光に呼応するように、アルティミシアは漆黒 の翼を広げる。 スコールの声を思い出す。ありきたりな愛の言葉を。 そうだ。自分は彼を−−もう少しで嘘つきにしてしまうところだった。
「私も…愛しています…スコール」
闇に染まった筈の翼から、暗い色が抜けていく。クリスタルだけではない。 アルティミシアの翼もまた輝き出す。純白の色に。 護りたい。 助けたい。 その想いに応えるように−−秩序の光が、世界を包んだ。
NEXT
|
諦めるな、最期まで。
BGM 『Real face』
by Hajime Sumeragi