誰かに呼ばれた気がして、バッツは振り返った。
「…なんだ?」
しかし、そこには誰もいない。カオス神殿の陰鬱した闇が広がるばかりだ。 人間の気配も、イミテーションの気配も無い。空がごうごうと暗いうねりを上 げ、時折瓦礫がみしみしと音を立てる−−それだけだ。 気のせいだろうか。それにしてはやけにハッキリと声が聞こえたような。バ ッツは首を捻る。
−−願望、かな。ひょっとして。
離れ離れになったジタン。彼に無事でいて欲しいと願う気持ちが、幻聴を起 こさせたのかもしれない。 自分が罠にハマったのはほぼ間違いないのだ。自分達を分断しようと設置さ れたトラップである可能性はけして低くない。 早く合流しなければ、ジタンが危ないかもしれない。そんなわけで、元いた 場所に戻ろうと必死に歩いているわけだが。 遠い。 遠いったら遠い。
−−もしやこーやって動き回らせて、体力消耗させるのが狙いか?そーなの か?
単調な景色の連続。イミテーションにすら愛想をつかれたのか、人っ子一人 見当たらないまま歩き続けて早二時間。そろそろウンザリしてきたところだ。 もうカオスでも何でもいいから出てきてくれないだろうか。 「退屈そうだなバッツ」 「退屈に決まってるだろ。遊び相手もいないし…って、うお!?」 ふと背後から聞こえた声に自然に答えてしまい、バッツは慌てて振り向い た。笑い声が反響する。なんだろう、非常に聞き覚えのある声のような−−。
「此処だよ、此処」
ハッとして見上げた先。崩れた柱の上に、そいつは座りこんでいた。
「な…に…?」
唖然とする。 最初は普通のイミテーションだと思った。しかしすぐにあまりに明確な違い に気付き、驚愕した。 ガラス細工の堅い質感。どこか透明感のある身体に服。それだけ見れば確か にイミテーションに違いないのだが−−。 そいつはバッツそっくりな顔をしていた。違うのは血のように紅い眼と、白 銀の髪、青白い肌。配色の異なるファッション。
「お前、は…!?」
声が上擦った。先ほどまでの退屈など吹っ飛んでしまうほど驚いた。 こいつは一体、誰だ。 確かにイミテーションの中には、自分や仲間達の姿を模したものも存在す る。最近はある程度オリジナルに近い外見のものも出現するようになってい た。そして姿形が精巧であればあるほど、強い。それもまた一種の法則である。 それでも−−ここまで似た奴を、自分は見た事が無い。 ここまで彩色されたイミテーションに、人間に近い姿の紛い物に、出会うな んて想像もしなかった事だ。 混乱するバッツが面白いのか、そいつは声を上げて笑った。バッツそっくり の声で。そっくりの笑い方で。
「“見せかけの旅人”。…あんた達はそう呼ぶんだろ?おれの事をさ」
自分はイミテーションだ、と。暗に告げる“旅人”に、しかし腑に落ちない ものを感じるバッツ。 全身が警鐘を鳴らす。こいつがただの模造品などではない、と。
「やっぱ納得できない?そりゃそうだよな。おれ、お前に似すぎてるし」
その答え、教えてあげよっか。 そう言って彼はひらりと柱の上から飛び降りた。
「おれは、お前だ。支配者に作られたもう一人のお前…アナザー・バッツ=ク ラウザーなのさ」
バッツが目を見開いた時にはもう、彼はその両手に剣を構えていた。親友で あるジタンの力を借りた盗賊刀を。
Last angels <想試し編> 〜4-52・旅人と大樹の道標V〜
パニクってる場合では、ない。やや頭の回転が鈍いと言われる自分でもそれ は分かる。 もう一人のバッツ−−アナザーだと名乗った“見せかけの旅人”が、盗賊刀 を振りかざして襲って来たからだ。とっさにバッツはセシルのランスを現し、 その一撃を受け止める。 重い。なんて馬鹿力だ。
−−って、俺のコピーなら当たり前か…。
しかし防ぐので精一杯。 クラウドに次いで怪力を誇る自分と、互角に渡り合うだなんて。いや、下手 をすればそれ以上かもしれない。
「流石」
アナザーはニヤリと笑って言う。
「よく凌いだな。ま、そう簡単に終わって貰っちゃ困るんだけどな。…お前に はたっぷり礼がしたいんだ」
礼。さすがにその意味が分からないほど鈍くはない。 彼は自分を恨んでいるのか?初対面なのに何故?いや、そもそも。 「訳がわかんねーって!支配者に作られたもう一人の俺だって?分かるよう に説明してくれよ!」 「本当に何も知らないし、覚えないんだな」 吐き捨てるように言うアナザー。その声にハッキリと滲んだ憎悪に、思わず 怯むバッツ。 「お前は支配者に逢った筈だ。逢って、真実を絶対忘れないと叫びながら逝っ た。なのに…自分自身への誓いすら護れないとは!とんだお笑い草だぜ!!」 「な…!?」 何の話だ。そう言葉にした筈だったのに、喉から零れたのは掠れた一音のみ。 サッパリ意味の分からない話である筈なのに、自分はどうしてこんなにも動 揺しているのだろう?
「いつもそうだ。お前、自分が誰だかハッキリ言えるか?どうやって今日まで 生きてきたのか、元の世界ではどんな人生を送ってきたか覚えてるのか?いつ からこの世界にいる?コスモスの連中に初めて逢った日のことは?」
矢継ぎ早に責め立てられ、凍りつく。今の今になってやっと気付いた。彼の 言う通り、自分が何一つ覚えていない事を。 気付いて、真っ青になる。
「辛い記憶は全部おれに押し付けて、のうのうと生きやがって。ムカつくんだ よ!」
動揺したせいで反応が遅れた。殺意と共に放たれる五連発のホーリー。最初 の三発は避けたものの、二発がそれぞれバッツの左方と左肘を掠める。
「ぐあっ!」
聖魔法の名に似つかわしくない強烈な痛みが襲った。光に焼かれた腕を抑え て膝をつくバッツ。しかし休んでいる暇はない。いつの間にか“見せかけの旅 人”の手にはティーダの剣・フラタニティが握られている。 非常にまずい展開だ。 あくまで相手は自分の技を模倣している。だからバッツにはその体勢だけ で、次に来る技が読めた。それが不幸中の幸いだったろう。 スライドハザード。 飛び上がり、アナザーが繰り出してきた蹴りをすんでのところでガードし た。体重のかかった腕が軋み、左肘と肩の火傷に響く。 このままでは防戦一方だ。再び同じ攻撃を繰り出そうとしてくる彼に対し、 バッツも迎撃体勢をとる。
「力を借りるぞ、オニオン!」
少年の剣を現し、高速スピン。一定距離の相手に対し防御と攻撃を一度にで きる優れた必殺技−−旋風斬だ。 だが向こうもそれを読んでいたらしい。直前でスライドハザードの体勢を変 更し、武器を持ち替えていたようだ。彼が放ってきたのも旋風斬だった。同じ 技同士が甲高い金属音でぶつかり合い、双方が弾き飛ばされる。
「くっ…くく。はははっ…そうじゃなきゃ面白くねぇ…!」
よろめきながら立ち上がる“旅人”。言葉は無邪気だが、浮かべる笑みにこ められたのは暗く墜ちた感情。自分と同じ顔での嘲笑に背筋が寒くなる。
「辛い記憶を全部押し付けられた…そう言ったよな」
畏れるな。怯えるな。気圧されるな。 自分自身に言い聞かせながら、バッツは問う。 「お前の言うように、俺は自分の事を何も覚えてない。覚えてない事にすら気 付いてなかった。だけど…俺が持っていない記憶を、お前が代わりに持ってい る。そういう事なのか?」 「言っただろバッツ。おれはお前だと」 くるくるとオニオンソードを回しながら、アナザーは告げる。
「そうさ。おれはお前の記憶を全部持ってる。お前が棄てた闇も、全部な!お 前は自分が光でいたいが為に、傷つきたくないが為に…汚いものを全部おれに 押し付けた。さぞかし爽快だっただろうよ。楽だもんな?綺麗なもんだけ眺め て生きて来れたらさあ!!」
そんな。 愕然とする。自分が記憶をなくしたのは、棄てたからだと?彼というもう一 人の存在に、自分の暗闇を全て明け渡したせいだとでも言うのか? そんな馬鹿な。こんなの、敵が張った罠に決まって−−ああ、でも、だけど。 敵って、誰のことだろう。
「おれはお前の中の闇。お前の本性。…目を逸らさずに見ろよ、お前が棄てた キタナイ心をっ!」
嘘だ。そんなの、嘘だ。 自分は都合の悪いものを誰かに押しつけて、逃げようと思ったことなんて− −でも、それすら忘れてしまってるとしたら? 紅い、歪んだ眼が近付いて来る。バッツは思わず後退っていた。怖い。何が 怖いのか分からないのに、怖くて仕方ない。
「臆病な偽善者め」
嘲り笑う声が響く。
「そんなお前に、バッツ=クラウザーとして生きる資格なんか無いよ。…お前 の光、返して貰おうか。そうすれば…おれは見せかけじゃない、本物の旅人に なる事ができる」
本物?本物って−−何なのだろう。 段々分からなくなってくる。此処にいる自分は本当に“本物”なのだろうか。 バッツ=クラウザーとしてのオリジナルなのか。記憶も持っていて、自分の本 性の具現だと言うのなら−−彼こそが本物なのではないか? ぐるぐるぐるぐる。頭の中を様々な感情が巡り巡っている。アナザーの声を 聞けば聞くほど混乱してくる。まるで呪詛のように、彼の言葉が暗い影を落と してくる。
「戦いすらも楽しんで生きるなんて。この地獄すら天国に変えるなんて…お前 にはできっこないよ」
やめろ。 やめてくれ。 聞きたく、ない。
「憎め。怨め。ずっとそうして来ただろう?前の世界でその感情をお前も思い 出しただろう?お前はエクスデスを恨み、自らの不運を嘆き、運命を呪って生 きてきた。おれはよーく知ってる」
誰もお前を責めやしないさ。おれが赦してあげるよ。 先程までと打って変わって優しい声で囁く“旅人”。それはとても甘い毒。 恐怖が頂点に達する。綺麗に微笑むその顔が悪魔の仮面にも思えてくる。パ ニック。恐慌。錯乱。焦り。 頼む。もう、これ以上。
「思い出せよ。楽にしてやる。だから全部…おれに明け渡せ」
伸びてくる手。 嫌だ。うるさい。怖い。やめて。
「やめろぉぉっ!」
防衛本能だった。バッツは手に現したセシルの力を借りた槍を−−アナザー の胸の中心に向けて突き出していた。ソウルイーター。噴き出す闇のランスに 貫かれ、相手の身体がのけぞる。
「がはっ…!」
バッツと同じ顔が、苦痛に歪んだ。 だが血は出ない。刺した場所からその身体は蜘蛛の巣のように罅が入ってい く。硝子細工のように。
「愚か、だな…。弱いくせに…真実を受け止める覚悟もないくせに…」
ビシリビシリとその身が、顔が、ひび割れていく。
「お前もおれと同じ…惨めに死んでいくのさ。…はははっ…ははっ…!」
パキン。
アナザーは跡形もなく砕け散る。後に残されたのは震えるバッツと、呪いの 言葉。 世界は沈黙する。闇を、人の業を呑み込んで。
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陽気な夢に灯されたのは、紅いマボロシ。