記憶のクリスタルを、そのまま持ち歩くのは難しい。それがコスモスの考え
だった。
 そもそも戦士達の“記憶”がクリスタルの形となって見えるのは、コスモス
が皆がイメージしやすいようにと具現化しているからだ。神の手を離れた瞬
間、記憶は形を失い、知覚できなくなってしまう。
 
「おそらく盗んだ犯人は、何らかの器に入れて“光のクリスタル”を持ち出し
たのだと思います」
 
 記憶の保管庫を出て、コスモスはゴルベーザに語る。保管庫の出口はその
時々で変わるが、今は夢の終わりエリアに繋いであった。
「器といっても、ただの箱や皿のような物では無いのと同じ。多分…バッツを
模したイミテーションの中に埋め込んだのでしょう」
「見せかけの旅人、か」
「ええ。それも…新型のいずれかだと」
 その厄介さが分かったのだろう。ゴルベーザが溜め息をつく。多分甲冑の下
では露骨に顔をしかめている事だろう。
 支配者サイドが新たに送り込んできたと思われる新種のイミテーションは
総じて気配が希薄なのだ。探索には骨が折れるだろう。
 コスモスは申し訳なく思いつつも、どうしようもない。
 
「わたくし達の余興、楽しんでいただけまして?」
 
 二人は瞬時に戦闘態勢に入った。その声、その言葉使い。長い輪廻の中幾度
となく耳にした−−墜ちた伝説の淑女のそれ。
 聞くたびに、コスモスはいつも胸の奥が締め付けられるように痛くなる。自
分には彼女達の為に泣く資格すらないと知りながら、それでも泣きたくなるの
だ。
 彼女は確かに自分を救ってくれたのに。
 自分は彼女を、救う事ができなかった。
「そう身構えないで下さいな。別に“後片付け”に来たわけじゃありませんの」
「ほう、意外だな。貴様が出て来る時は問答無用で頭をブチ抜かれた記憶しか
ない」
「それこそ心外ですわ。わたくしだって散歩くらいしますのよ?」
 言葉ほど怒ってない様子で、シャントットは肩を竦める。
 壊れた座席にちょこんと腰掛けるその姿は、一見すると幼女のようにも見え
るのに。
 誰が想像するだろう。そんな彼女が、恐るべき魔力で破壊の限りを尽くす、
神竜の僕であるなどと。
 
「…あなたですか。保管庫からクリスタルを盗み出したのは」
 
 一応疑問符の形をとっていたが、それはほぼ断定だった。保管庫にはそこま
で強力でないとはいえ結界を張ってある。それを、コスモスに悟らせる事すら
せず敗れる術者は、そう多くはない。
 
「なかなか面白いものを覗かせていただきましたわ」
 
 それは肯定を示す言葉。
 
「予想はしてましたけど、どの方もまさしく波瀾万丈な人生を送ってますの
ね。下手な映画より余程興味深い素材だこと」
 
 ちっ、とゴルベーザが舌打ちする。
 
「悪趣味な」
 
 彼らしからぬ、乱暴な所作。その一言には嫌悪感がありありと浮かんでいた。
誰にでも知られたくない過去はある。それを面白半分で覗かれるなんて冗談じ
ゃない−−そんな様子だ。
 コスモスにも理解できる。だからこそ、悲しいのだ。
 ゴルベーザも誰も−−本当のシャントットを知らないという事が。
「クリスタルの行方をお探しかもしれませんけど、きっと徒労に終わりますわ
ね。既に、彼は彼の元に辿り着いている筈ですから」
「彼?」
「そこまで教えて差し上げる義理はありませんことよ。結論だけ言えば…多
分、直にクリスタルは保管庫にお返しする事になりますわ。わたくし達、何も
クリスタルに用があったわけじゃありませんもの」
 何の話だ、と柄にもなく激昂するゴルベーザ。しかし淑女はただ愉しげに笑
うばかり。
 
「最善が必ずしも意味ある事とは限らない…少なくとも神竜様にとっては。全
ては実験なのだから」
 
 くるり、と彼女はコスモスに背を向ける。鮮烈にして歪んだ笑みを残して。
 
「あなたも傍観者に戻ったらどう、コスモス?楽しくってよ…。自分の汚い部
分を見せつけられた人間が、いかに脆く壊れていくかを観察するのはね」
 
 制止の言葉を放つより先に、彼女は柵を乗り越え、姿を消していた。テレポ
を使われては追いつきようがない。コスモスは唇を噛む。 
 
「…無力な傍観者に、戻るわけにはいかないのですよ」
 
 誰に言うでもなく、ポツリと呟いた。
 
「私は…運命に立ち向かうと決めたのです。シャントットとガブラス…あなた
達を救う為にも」
 
 欲しい未来があるなら、力づくで奪い取れと。自分にそう教えてくれたのは、
彼女だったのだから。
 
 
 
 
 
Last angels <想試し編>
4-53・旅人と大樹の道W〜
 
 
 
 
 
 ジタンの奴め。スコールは内心で呻いていた。迷惑をかけた自覚はあるので
何も文句は言えない−−実際、自分は一度死んだし、彼が来てくれなければア
ルティミシアも死んでいただろうから。
 ブン殴る、と言った彼。しかし実際は、泣きながらアルティミシアと二人が
かりでペチペチと平手をくらったスコール。下手に殴られるよりよほど辛かっ
た。もう二度とこんなヘマはするもんかと心に誓う。
 ひとしきり泣いたり喚いたりした後、三人は傷を回復させて出発した。自分
もジタンも回復魔法は得意ではない。アルティミシアがいて本当に助かったと
思う。
 まだ彼女との間に溝はあるが。一緒にバッツを助けに行くと言ってくれた−
−今はそれで十分だろう。全員が本調子では無かったが、何処かに飛ばされた
と思われるバッツを探しに一同は出発した。
 そして−−思いのほか早く見つかったのである。バッツはふらふらと次元城
を歩いていた。普段の彼らしくない、茫然とした面持ちで。
 
「バッツ!」
 
 真っ先にジタンが駆け寄っていく。バッツは緩慢な動作で顔を上げ、ぎこち
なく笑った。
「ジタン…スコールも来てくれたのか。何でアルティミシアまで一緒なん
だ?」
「色々あったんだ。後で説明する。それより…」
 どうやらバッツは怪我をしているらしい。左肘と肩に火傷の跡がある。魔法
によるものだとすぐに分かった。
 
「どうした?何かあったのか?」
 
 スコールの目線に気付き、バッツは怪我を回復し忘れていた事に気付いたの
だろう。隠すように腕を押さえてケアルを唱える。
 
「別に…大した事じゃない。ちょっと手ごわいイミテーションと戦った…だけ
だから」
 
 明らかに嘘だと分かる。大した事じゃない?彼の顔に浮かぶ明らかな疲労の
色と矛盾するではないか。三対の疑いの眼に、ごまかしきれないと悟ったのだ
ろう。溜め息をつく旅人。
 
「…ただ。わからなくなったんだ。此処に居るのが本当の自分なのかって。だ
って、証明できる物なんか何も無いって気付いちゃったから。俺、何も覚えて
ないんだ。自分の名前以外、何一つ。…おかしいだろ?」
 
 三人はハッとして顔を見合わせる。その意味は三者三様だろう。クリスタル
を手に入れるまで記憶が無かった事を思い出したスコールに、たった今己の記
憶喪失を自覚しただろうジタン。そして全てを知るアルティミシア−−。
 
「バッツ。それは…」
 
 理由を説明しようとしたらしいアルティミシアを、バッツが手を振って遮
る。
 いいんだ、もう。そう言うように。
 
「…何か訳があるのかもしれないけどさ。もう…いいよ。だって、真実を知る
のも怖いんだ。本物の俺が…誰かを憎んだり恨んだりするばっかりな人間だっ
たら、どうしようって」
 
 どういった経緯で、彼がそんな考えに至ったかは分からない。その顔は疲れ
きっていて−−痛々しい。普段太陽のように明るい彼だから、余計に。
 その明るさに、無意識の好意にいつも自分は助けられてきたのだと気付く。
ポケットに入れた手が何かに触れた。その存在を、スコールは思い出す。
 そうだ。今度は。
 
「今、これが必要なのはおまえの方だな」
 
 今度は自分が、彼にできる事をする番だ。
 
「これ…」
 
 スコールが差し出した黄色の羽根に、バッツが顔をあげて目を見開く。
 
「次に逢った時に返せと言ったのはお前だろう。俺と危険を乗り越えてきた相
棒…幸運のお守りだ」
 
 バッツがまるで壊れ物を扱うように、羽根を受け取った。震えている手。自
分なんかがいいのか、と−−心を閉ざして怯えている者の手だと分かった。
 自分も、かつてはそうだったから。
 いつか失うのが嫌で、手を伸ばす事を諦めてきた人間だったから。
 
「離れていても、共に戦う事はできる。…俺は一人でいても、その羽根に触れ
れば思い出せた。一人と独りは違うのだと。人は…独りでは生きていけないの
だから」
 
 もし世界に人間が独りきりだったら、どうなるのだろうと思う。そいつは本
当に存在していると言えるのだろうか。その存在を証明する事ができるだろう
か。
 
「仲間の存在が、俺の存在を証明する。逆も然りだと思う。…心とは、他者と
触れ合って初めて生まれるものなんだ。…だから」
 
 うまく言えない。自分は本当にボキャブラリが少なくて困る。
 だけど伝えたいから−−必死で言葉を紡ぐのだ。
 誰もがそうやって、今を生きている。
「…此処にいるありのままのお前こそが、本物だ。俺達が生き証人だ。それで
は、不満か?」
「…スコール…」
「言ってみろ。これから何がしたい?お前は何をするんだ?…それが真実じゃ
ないのか?」
 沈黙が落ちる。バッツは大きな眼で、手に持った羽根を見つめていた。
 それが何なのか、何故大切に思うのかも今は思い出せないのだろう。でも、
大切だと想う心こそ真実である筈だ。
 たとえもし自分達が硝子人形のような脆い存在でも。戦う為だけに呼び出さ
れた悲しい駒であるとしても。
 譲れない想いが一つある限り−−人はきっと本物になれる。自分はそう、信
じている。
 
「俺、は…」
 
 その時。
 
「ファファファ」
 
 高らかに笑う男の声が、次元城に響き渡った。
 
「何をしようと無意味よ!」
 
 誰か、など問うまでもない。
 
「どう足掻こうと、この鳥籠の世界にいる以上、真実すらも無意味なのだから
な」
 
 ワープで現れたその男−−エクスデスを前に、スコールはガンブレードを構
える。
 彼の目的が一番分からない。クリスタルに依れば彼は輪廻を断ち切る為に行
動してきた筈だが−−状況次第では敵になってもおかしくない相手だ。
 実際、エクスデスは既に臨戦態勢に入っている。何が理由であれ戦いに来た
のは間違いない。
「待ってくれスコール。ここは俺がやる」
「バッツ…」
 バッツが一歩前に踏み出す。心配そうな顔のジタンに力強く頷く姿は、いつ
もの彼であった。
 
「ありがとなスコール。…そうだな。一番大事な事、見失うところだった。真
実に怯える必要は無いんだ。たとえ現実がどうであれ、俺は俺なんだから!」
 
 みんなを信じてるからな!と。旅人は屈託なく笑う。
「エクスデス。アンタと戦えば答えが見つかる気がするんだ!だから…ケリは
自分でつける。おれの力で、乗り切ってみせる!」
「もう逃げ場はない。いいんだな?」
 
 エクスデスの言葉に、バッツは武器を構えて言った。
 
「逃げるのも、飽きてたとこさ!」
 
 
 
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交わす焔に描かれた、誰かの永遠。