バッツの手にはクリスタルが握られている。その声は背中ごしでも分かるほ ど明るい。向かい合うエクスデスは元より口数の多い方ではないし、鎧でその 表情は窺い知れないが、多分笑っているのだろうと分かる。 そして、普段ポーカーフェイスなスコールやアルティミシアの表情は穏やか で、ジタンと三人、バッツ達を取り囲むように話している。 察するまでもない。バッツとエクスデスもまたやり遂げたということだ。
「どうやら、要らぬ心配をしたようだな」
壁を背に立つゴルベーザはほっと息をつく。
「バッツ…奴への心配事は、純粋無垢すぎることと、外にばかり輝きを求めす ぎること。そしてイレギュラーに弱いことだったのだが…」
実際、アナザーに遭遇した時のバッツの動揺ぶりは凄かった。自分に闇など ない、と信じて生きてきたわけではないのだろう。だが、思いも寄らぬところ で深淵を覗き込まされた。あれはパニックにならない方がおかしい。 乗り越えられたのは彼の心の強さ。そして、彼の仲間達の心があってこそ。 どうしても彼が道に迷ったまま立ち上がれそうになかったら、アドバイスく らいはするつもりでいたが−−杞憂に終わって本当に良かった。 元々今回のシャントットの茶々さえなければ、バッツのことはそれほど心配 していなかったのである。何故なら彼はこの世界に来る前に既に、仲間達より ずっと高い場所に辿り着いてそこに立っていたのだから。
「…ゴルベーザ」
しかし。隣に立つコスモスはどこか浮かない表情で魔人を見上げた。 「…どうしても…気になるのです。何故今回シャントットは、あんな回りくど い妨害をしてきたのでしょう。…戦士達がクリスタルを手に入れるのを阻止し たいだけなら、彼女が直々に出向いた方がずっと手っ取り早いでしょうに」 「…確かに」 おそらくシャントットがした事はこうだ。記憶の保管庫からバッツとエクス デスの記憶のクリスタルを盗み出し、新型のイミテーションに埋め込んだ。記 憶とは力。力を得、限りなくオリジナルに近い姿を得たイミテーションは自我 を持った。 しかし埋め込まれたのは主にバッツの“負の感情”の記憶。イミテーション はオリジナルに嫉妬し、アナザーバッツと名乗り本物に成り代わろうとした。 おそらく、それもまたシャントットの思惑通りだったのだろう。 それがオリジナルのバッツを動揺させる為か、あわよくばそのままバッツを 消そうとした結果かは分からないが。 いずれにせよ−−手間がかかっているわりに効果が期待できない作戦だ。単 にクリスタルを阻止したいならシャントット自らが出陣するなり、盗んだクリ スタルを破壊するなり手はあった筈。 結局アナザーは破壊され記憶のクリスタルも解放され、通常通りバッツとエ クスデスの手元に戻ってしまった。まったく意味がないではないか。
「そういえば…シャントットは意味深な事を言っていたな」
そうだ。確か、引っかかった言葉があったような。
『最善が必ずしも意味ある事とは限らない…少なくとも神竜様にとっては。全 ては実験なのだから』
「実験…?…まさか」
コスモスを見る。女神は堅い表情のまま俯くまさか もしや。今回のバッツ絡みのドタバタは、最終的な目標を果たす為に必要な 実験なのか?シャントットは神竜に命じられて、その役目を果たした? だったら、これは何を目的とした実験だったのだろう。より強固なイミテー ションを作るため?戦士達の反応を見るため? いや。もっと大きな裏がありそうな−−。 そもそも、“神竜にとって最善が意味ある事とは限らない”とはどういう意 味なのか。なんだろう。何か大事な事を見落としている気がする。
「…コスモス。貴女は神竜を見ているんだろう?一体何処まで知っているん だ?」
コスモスは、それでも沈黙したままだった。
Last angels <想試し編> 〜4-56・盗賊と死神の奇跡T〜
頭がパニックを通り越しているのかもしれない。ティーダ風に言うなら、頭 ん中ぐるぐるする、だ。 バッツがクリスタルを手に入れた。エクスデスとも和解できた。それはとて も喜ばしい事だ。彼としていた勝負には負けた事になるが、それを踏まえても 友人として嬉しく思う。 それなのに−−ジタンが純粋に喜びきれないのは、新たな悩みの種を抱え込 んでしまったからに他ならない。
−−何でこんな簡単な事に気付かなかったんだ俺?…自分の元いた世界の事、 何一つ思い出せない、なんて。
それはどうやら自分だけでは無かったらしい。バッツもそう。スコールもそ う。エクスデスもそう。アルティミシアは今イチよく分からないが。 何故自分は記憶を失っているのか。いつからこの世界で戦い続けてきたの か。実は途方もないほど長い年月を得てきた気がして、ぞっとする。 鳥籠の世界。エクスデスはそう言った。それが何を意味するのかすら知らな い。 それでも四つばかりハッキリしていることがある。 クリスタルを取り戻すには宿敵と和解する必要があるということ。 クリスタルを取り戻すと、失われた記憶が蘇るらしいということ。 そのいずれか、あるいは全てがコスモスの望みであること。 そして−−。
「…俺…情けないな」
それは自分には、とても難しいだろうということ。何故なら。
「今更だけど。クリスタルを目指すのが…怖くなってきちまった。大好きなお 宝探しだと思ってたんだけどなぁ…」
ジタンの呟きに、四人が振り返る。スコール、アルティミシア、バッツ、エ クスデス。 悲しみを、憎しみを、恐れを乗り越えて其処に立つ者達。 「どうしたんだよジタン。随分らしくない事言うな」 「はは…自分でも思う」 力なく笑ってはみたが、虚しいだけだった。情けない。怯えてるのだ、自分 は。真実を手にしてしまう事−−その重さに。
「…俺もバッツと同じでさ。何にも覚えてないんだ。元いた世界で自分が何を したか、そもそも元いた世界ってのがどんな場所だったのかすら」
思い出せない。 大切な人の、顔さえ。
「…ただ。自分の名前と、クジャの名前だけ。クジャが兄だって事だけ、覚え てた。本当に、たったそれだけしか分からないんだ」 「それは…」 やや苦い表情で、アルティミシアが言う。
「あなたのせいでは、ありませんよ。…記憶が無いのが、この世界では普通な のですから」
本当は。とてもとても、優しい女性なのだろう。他人の痛みを自分の痛みの ように受け止めることができる、誰かを惜しみなく愛することのできる、そん なひと。 クリスタルの存在に触れて初めて知れた事の一つだ。女性としての彼女を尊 重しながらも、自分もまた心の何処かで彼女を悪しき魔女として見ていた。そ れが今はとても重い罪悪感として胸にのしかかっている。 誰かを嫌うのは、恐ろしいほど簡単なのだと−−思い知らされる。
「…ありがとな。レディに慰められてるようじゃ駄目だな俺」
俺が落ち込んでるのは忘れてる事そのものじゃないんだ、と。ジタンは重た い気持ちを吐き出す。
「…知ってると思うけど。俺さ、クジャにめちゃくちゃ怨まれてるんだよな。 実の兄弟なのにだぜ?それって多分…俺が怨まれるほどの事を、クジャにした からだと思うんだ」
鋭く、射殺すような眼。あんな眼で自分を見たのは、後にも先にも彼一人だ けだ。 クジャと戦ってジタンは初めて知ったのである。 人に憎まれるとはどういう事かを。 正真正銘、本物の殺意というものを。
「なのに…覚えてないなんて。心当たりすら無いなんて…そんなのあんまりじ ゃないか。しかも、その理由をさ…クリスタルを手に入れて知るのが怖くなっ てきちゃったんだ。…最低だ。こんなの…逃げてるだけじゃ、ないか」
自分が犯したであろう、罪を知るのが怖い。 汚れていたかもしれない手に、気付くのが怖い。 最低だ。
「…逃げる事は、罪じゃない」
やや黙り込んだ面々。沈黙を破ったのは、いつも無口な筈のスコールだった。
「まったく逃げずに生きていける人間なんていないんだ。誰だって時には眼を 背けたり耳を塞いで自分を守る。…生きていく為に」
生きる為に必要な事だと思う、と。 言葉を探しているのだろう−−ああ、不器用な彼はいつもそうして悩んでい た−−スコールは告げる。
「無駄な時間など無い。今はそれしか出来ないなら、そうやって力を蓄えたっ ていい。それがいつか立ち上がる力になるのだから」
彼も、本当に強くなった。僅かな時間の中で、彼もまた自分にとって一番大 切な事に気付けたのだろう。 逃げ続けた果てに、立ち上がる事ができたのだろう。 スコールが厚い殻に押し隠していた弱さや優しさを表に出せるようになっ たのは、そういう事だと思う。
「立ち上がれる、のかな。俺」
我ながらみっともないくらい弱気になっている。いつもならこんな弱音は絶 対吐かない。皆を不安がらせるような事は絶対言わない−−そう決めているの に。
「俺の知るジタン=トライバルは、そういう男だ」
スコールは断言した。それがさも当たり前と言うように。
「お前なら必ず、自然に理解できる時が来る。…自分の幸せが、何処に在るの かを。その為なら俺達は喜んで背中を押してやる」
それは多くの言葉を持たない彼なりの、精一杯の励ましだろう。それが分か って、少しだけ嬉しくて−−少し身体が軽くなった自分がいる。 自分はスコールにとってそれだけの存在になれた、と。それくらいは自惚れ てもいいのだろうか。
「…さんきゅ」
自分は幸せ者だ。 仲間がいる。彼らとなら何だってできるような気がする。 それはこの世界で何より貴い事。
「…そういえば…。今此処にいないメンバーはどうなってるんだ?行方不明継 続中だぞ」
場の空気を変えようと、あえて明るい口調になるバッツ。今はその気遣いが 非常に有り難い。ジタンも便乗する。 「あっちからすりゃ俺達の方が行方不明なんだろーけどな。嫌だなー迷子扱い されてたら。スコールじゃあるまいし」 「……どういう意味だそれは」 「迷子常習犯だろスコールは。いい加減認めなって」 憮然とした顔で黙り込むスコール。さっきまでの大人びた様子からは考えら れないほど子供っぽい表情だ。まあ、一応自分の方が年下ではあるけども。誕 生日次第では一歳離れているかも怪しいのである。
「あまり苛めないであげて下さいね。スコールが方向音痴なのは昔からだか ら。ほんと…何回ガーデンに連れ戻しに行った事か」
フォローになってないアルティミシアのフォローに、エクスデスにまで笑わ れて、ますますスコールが落ちたのが分かった。言葉には出さないが、心の中 では普段より盛大に独り言を言っているに違いない。 束の間かもしれない。けれど戦場の中で確かにある、平和な時間。 居場所があるって素晴らしい。 ジタンは心からそう思った。
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情熱の彼方から、蜃気楼。