−−西暦1995年8月、某・無人島。

 

 

 暑いのは好きではない。どちらかというと苦手と言うべきか。

しかし不思議な事に、暑い夏に青い海、青い空、白い砂浜と揃うと、途端に暑さも許せてしまうから不思議なものである。

 浜辺のパラソルの日陰の下。野比のび太は束の間、セレブ気分を味わっていた。

正攻法で両親にお願いしたところでまず海になど連れてきてくれないし、こんなまったり寛げるとも思えない。

連れてきてくれた我が優秀な猫型ロボットには心から感謝すべきだろう。

 聴覚が優しい波音を攫う。日向は暑いが日陰は涼しくて気持ちがいい。飲んでいたドリンクを置いてシートの上に寝転ぶ。

いつもならそろそろ昼寝の時間だが。なんだか眠くなってきてしまった。

 

「おーいのび太君」

 

 目を閉じた世界に、耳慣れた声がした。

 

「のび太君ってば。起きてよ。眠ってたら勿体無いよ?」

 

 微睡む意識。せっかくだから寝かせてくれればいいのに。そう思いつつも、“勿体無い”という感覚も理解できるので−−ゆるゆると瞼を開く。

「今という一瞬は刻一刻と過ぎている。後で後悔したって戻らないんだからね?ほら起きて、楽しまなきゃ損だよ!」

「…もう、ドラえもんてば…」

 いつになく格好つけた事を言う親友に、ついつい吹き出してしまう。

視界に入る、青くて大きな頭。白目がちな大きな目。赤い花に猫のような髭。

本人は“猫”型ロボットと言い張っているが、その容姿はどう見ても太ったタヌキにしか見えないだろう(なんて言ったらブチ切れること間違いなしだが)。

 最初は違和感があったその姿も、今は見慣れた、愛嬌あるものとして定着している。

のび太のみならず友人達や町の人さえ、もはやドラえもんの姿に驚いたり、彼が22世紀の未来から来た事実を疑ったりしない。

 元はダメダメなのび太を矯正する為、未来から派遣されてきた存在なのだが−−最近はだいぶその使命を忘れかけてるんじゃないかと思う。

保護者のような態度を取るのは相変わらずだが、それでも自分の遊びやおねだりになんだかんだと甘い。

そしてのび太もすっかり甘えてしまっている自覚が−−ちょっとだけ、あったりする。

 今回の旅行だって、スネ夫の“またグアム行って来ちゃったぜ僕ってばお金持ちだからねイェイ!”自慢に対抗して、自分がおねだりした結果である。

いつもなら多少なりに渋るドラえもんも、今回はやけにしおらしく願いを聞いてくれた。

 無人島での、二泊三日旅行。もしかしたらドラえもんも旅行に行きたかったのかもしれない。ちゃっかり彼女猫のみぃーちゃんを連れてきているのを知っている。

 

「はいはい。良い子ののび太君は起きますよーっと」

 

 なんだか、昼寝をする気が失せてしまった。

まあ確かに、寝るだけなら六畳一間の自室でだって充分なのだ。こんな場所でも律儀に実行する意味はないだろう。

 

「まったくもう。僕の知るのび太君が良い子だったことなんてないじゃないの」

 

 ドラえもんはあっさり言ってくれる。

「偶には僕の道具に頼らないで、願いを叶えてみようと努力してみないの?

秘密道具だって万能じゃないし、僕だっていつも一緒にいるわけじゃないんだからね」

「もーせっかくのバカンスでお説教はやめてよー」

「ママや先生のお説教より百倍は優しいと思うけど?言って貰えるだけ有り難いと思いなさい」

 別に怒っているわけじゃない。表情を見れば分かる。ニヤニヤするドラえもんに、のび太はわざとらしくむくれてみせる。

 

「のび太さーん、ビーチバレーしましょうよ!」

 

 海の方から可愛らしい声が飛んできた。我らがマドンナ、源静香が西瓜色のビーチボールを小脇に抱えて手を振っている。

 思わず頬が緩むのび太。

「ふふふ…静香ちゃんの水着姿もナイス」

「のび太。発言が完璧オッサン入ってるよ」

「うっさい!好きな子の水着姿に気合いが入らない男がいるのか!?いや、いない!」

「拳握って力説すなそんなこと!」

 ぺしり、とドラえもんに頭を叩かれる。のび太がねっころがってなければのび太の頭に手が届くことも無かっただろう。

 まあ何はともあれ。のび太のテンションアゲアゲスイッチが入ったことも間違いないので。

さっきまでの眠気もなんのその、飛び起きて静香の方へ駆け出した。

 

「転ばないでねーのび太君」

 

 そしてドラえもんの声を背中で聞いた直後にずっこけた。顔から砂に落ちる。

口の中がじゃりじゃりになってしまった。我ながら何故何もないところでコケるのか。

せめて静香の前だけではマシな姿を見せたいのに。

「ぎゃははっ!ドジだよなぁのび太は!見たかよスネ夫、今の間抜けな姿!!

「ほんとにねー!」

 ジャイアンこと剛田武。スネ夫こと骨川スネ夫が、水際でげらげらと笑い声を上げる。

反論したいが、残念ながら顔中砂だらけでそれどころじゃない。

 懸命に砂を払っていると、頭からパシャリと水をぶっかけられた。砂が一気に洗い流される。

「ありがと…」

「どーいたしまして。相変わらずだなぁのび太君は」

 呆れた顔のドラえもん。その手には緑色のバケツが。

 

「くっそー…ジャイアンとスネ夫の奴!いちいち人をバカにしやがって!」

 

 地団太を踏んで悔しがる。ドラえもんの視線を感じる。

てっきりまた“喧嘩は良くないよ”と宥められるか“悔しかったら見返してやればいいじゃない”と教育的な発言が飛んでくると思った。

 しかし。言われたのはまったく別のこと。

 

「今のうちにいっぱい怒って、笑っておきな」

 

 海猫の声と潮騒に、やけに響いた感情のない声。

 

「忘れるんじゃないよ。幸せは有限だってこと」

 

 その時ドラえもんがどんな顔をしていたかは分からない。

せめて見ておけば良かったと、そう思ったところで後の祭りだ。

 のび太が気にも止めなかった言葉。その重さは、今となっては知る由もない。

 すべては結局、失って初めて気付く事なのだから。

 

 

 

 ***

 

 

 

−−西暦2011年5月、某異世界の中学校。

 

 

 今度はどんな面倒を持ち込んでくれたのか。

 雷門中サッカー部キャプテン、円堂守は頭を抱えた。現在サッカー部部室内。

目の前にいるのは、一応サッカー部の“先輩”であった人物だ。

ただし普通の“先輩”ではないのだが。

 

「資料は読んでくれたかな?」

 

 その先輩−−桜美聖也はにっこり笑って、青みがかった黒い髪を掻き上げた。

なんとまぁ気障ったらしい所作であること。

実際聖也は顔だけは相当な美形に分類される(中身はただのバイセクシャルでショタコンでロリコンな変態だが)。

何も知らない女子が見れば、思わずくらくらっときてしまうかもしれない。

 男子であり、かつその意味を知っている円堂からすればムカつく事この上ないが。

ああ、その顔に思いっきり右ストレートをブチかませたらどんにスカッとすることか!

「円堂〜そんな嫌そうな顔すんなよ。可愛い顔が台無しだぜ?」

「誰のせいだ、誰の!」

「ふげぶっ!」

 ついに耐えきれず、その臑に蹴りを一発見舞ってしまった。

中学日本一サッカー部、ついでに去年世界大会を制したU15日本代表キャプテンの脚力は伊達ではない。

もっと言えば色々あったせいで純粋な戦闘能力も磨きがかっている。普通の人間の足なら粉々になっているだろう。

 残念ながら、この男は普通の人間ではないわけで。

 

「いったいじゃないのよ円堂クン〜。これでも一応君の元先輩で現上司なのにさぁ!」

 

 足をさすりながら涙目の聖也。痛い、で済んでるあたりがまず普通じゃないのである。

円堂も分かっていて蹴ったのだが、やっぱりそれも腹立たしい。

「あのなぁ聖也。俺達はあくまでただの中学生のサッカー部員なわけで。

お前の厄介事を片付ける便利屋じゃないんだけど?」

「ただの中学生は、サッカーボール一つで千人切りしたり、

サブマシンガン持ったテロリストを制圧したり、天使と悪魔から世界を救ったりしないけどね」

「…やかましい」

 確かに。自分達は既にアレやらコレやらと武勇伝を作ってしまってはいるし。

いつかの“吉良事変”を始めとした事件では、聖也に少なからぬ恩がある事も間違いない。

その借りを返す為に、渋々ながら彼の任務を手伝う羽目になっている事も。

 だがそれはそれ、これはこれ。

 自分達が“まとも”に中学生をやれるのもあと一年しかない。

今年のフットボールフロンティアも控えており、部員達も連覇を狙って日々練習に励んでいる

正直、余計な仕事をやっている暇なんかないのだ。

 

「今度の仕事場所は異世界の日本で東京ススキヶ原…しかも1995年の8月だって?

パラレルワールドにしたって微妙に昔じゃないか。

携帯電話もろくに使えないなんて不便すぎるよ」

 

 早い話、この異世界にも『円堂守』が存在するとしても−−まだ生まれる前ではないか。

こんな中途半端に昔の世界に、一体何の用があるというのだろう。

 

「資料最後まで読んでくれや、円堂」

 

 聖也は急に真面目な顔になって言った。

「その世界にな。…アルルネシアが干渉した形跡があるんだわ」

「……!」

「間違いない。奴は今度はその世界をターゲットにしてる。とんでもないお祭りを仕掛けてくれる気満々だぜ」

 アルルネシア。それは円堂達雷門イレブンが今まで何度も戦った、恐るべき災禍の魔女の名前だ。

同じく魔女と呼ばれる存在である聖也が(つまり元は聖也も女らしい。

普段は本人の趣味趣向により当たり前のごとく中学生男子の姿をしているが)千年以上昔から追い続けている存在でもある。

 彼女は、円堂が聖也に力を貸すもう一つの理由であった。

絶対悪−−残念ながら他に彼女を形容する言葉が見つからない。

とにかくアルルネシアには、今まで散々悲惨な目に遭わされてきた自分達。

相応の恨みもあるし、一秒でも早く捕獲か捕殺しなければあまりに危険な世界犯罪者だ。

自分達の手で、災禍の魔女を倒す。もはやそれは円堂一人の悲願ではない。

 

「顔色が、変わったな」

 

ニヤリ、と笑う聖也。

「今回かなり危険度の高い任務になる。表立って動くのはヒロトと綱海にやってもらうが…

他のメンバーもかなり動員するつもりだ。円堂、お前自身も裏方で頑張って貰うぜ」

「…もう断ろうなんて思わないけどさ。何でヒロトと綱海なんだ?

ルチアーノやプラシドを動かした方が確実だろ。…ウイルステロ相手なら、あいつらなら絶対感染しないんだから」

 雷門メンバーとは別の、聖也の部下二人の名前を挙げる。その二人はアンドロイドだった。

ウイルスを扱う敵なら、彼ら以上の適任はいない筈である。

 しかし、聖也は苦笑いして首を振った。

 

「あいつらに愛嬌や友好心は求めらんないだろ。なんせやって欲しいのはちょいと特殊な護衛任務だ。

ターゲットに警戒されて近付けなかったら話になんねぇからな」

 

 ぱしっ、と机に放られる、一枚の写真。そこには眼鏡をかけた冴えない顔の少年が映っていた。

 

「野比のび太…小学五年生。こいつが今回のキーパーソンだ」

 

 

 

 

 

喜劇

〜それを人はハジマリとぶ〜

 

 

 

 

 

ハローハロー、こちら戦場(線上)。