健治は動揺を必死で押し殺していた。何故こんな資料が、小学校の教員の机の中にあるのか。何故こんな恐ろしいモノが存在するのか。
これが夢ならどれだけ良かっただろう。既に何十回と繰り返した考えがまた頭の中を巡る。
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〜T〈タイラント〉―ウイルスに関する注意事項〜
皆様のご協力により、研究は順調に進んでおります。当初T−ウイルスは早老病や筋肉が衰える症状の治療薬として開発されたものでした。
残念ながらその道が絶たれて早十年になります。しかしながら生物兵器としての可能性が見いだされ、諸国からのオファーもあり、期待に応えるべく日々邁進して参りました。
T−ウイルスの管理は我々も充分すぎるほど慎重に行っておりますが、万が一に備えて今一度詳細をご報告致します。
T−ウイルスは最初期の段階では空気感染しますが、その感染力は強くありません。
これは事故によるアウトブレイクを防ぐ為に調整した結果であります。以降は感染者により血液及び経皮感染となります。
通常の接触では感染しませんが、感染者の体液が体内に入るとほぼ確実に感染いたします。
又、ウイルスは歯や爪の裏に多く付着することが検査結果により判明しました。
爪により傷をつけられた場合も感染する可能性が極めて高いのでご注意下さい。
(尚当社では抗ウイルス剤お呼びワクチンは常備しておりますのでご安心下さい。)
ウイルスに感染してから発症するまでの潜伏期間はおよそ三十分から六時間ほどになります。
潜伏期間を過ぎるとまず目眩や強い吐き気、発熱などの症状が現れます。
T−ウイルスは特徴として、体内のバクテリアを大量増殖させる事により内臓を急激に腐敗させ、その際に発生するエネルギーが筋肉組織を大きく変異させることにあります。
当然感染者は多臓器不全により死亡しますが、反面強化された筋肉組織を持つ兵士へと生まれ変わる事が出来るのです。
ただし、ウイルスは機能不全になった脳を最後まで利用しますので、脳か脊髄にダメージを受けると行動不能になる事が確認されています。
万一抗ウイルス剤が手に入らない状況で感染者が出た場合はご留意下さいませ。
尚、T−ウイルスと共にいくつかの投薬実験を行う事により、何体か強力なB.O.Wを製作する事が出来ました。
こちらも既に某国との契約が完了しており、翌月までには皆様へ還元できると思われます。引き続きご協力をよろしくお願いいたします。
〈追記〉
尚、地下飼育所から、少々餌が足りないという報告を受けております。
処理シェルターへ落とす肉類の量を増やして頂けると助かります。
アンブレラ・コーポレーション
代表取締役
オズウェル・E・スペンサー
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「…つまり」
激情を無理矢理、吐く息に流した。そうでなければ怒鳴ってしまいそうだったから。
「この学校の職員の一部…もしくは全員が、アンブレラ社のウイルス研究に協力してたってわけだ」
アンブレラ・コーポレーションなら健治も知っている。米国の超大手製薬会社だ。
近年はソフトウェア開発にも余念がない。海外進出も積極的に行っており、都心に日本支部もあった筈である。
「…職員=研究者や社員って訳じゃなさそうだが。少なくとも何らかの形で協力してたってことだ。少なくともこんな紙が渡されるくらいには」
「処理シェルターってのが気になるな。つまりは学校の真下か極めて近くに…」
「ちょ、ちょっと待ってよ綱海さん健治さん」
自分達の話を、のび太が慌てたように遮った。
「分かるように説明してよ。僕らの通ってるここ…普通の小学校だよ?
確かにおかしな点は色々あるけど、何で学校の先生がウイルスの研究なんかに手を貸してるのさ!?」
混乱するのも仕方ないだろう。騒動前の、平穏な学校風景を知っているなら尚更だ。
確かにこの学校は東京とはいえ田舎と言っていい場所に位置しているし、さほど広いわけでもない。
アンブレラなんて名前が出るだけで驚くのも分かる。
「…俺の憶測混じりで言うけどな。アンブレラって会社は秘密裏にウイルスの研究をやってたんだ。
研究するからには場所が要る。でも、規制の厳しい日本で堂々と生物兵器の研究なんて出来るわけないだろ」
紙をひらひらさせながら、健治は説明する。
「…この学校は…その研究所を隠す為の隠れ蓑になってたんだ。
学び屋って場所は厄介でな、教育委員会も煩いし、警察も簡単に立ち入り調査できるような場所じゃない。
田舎の小学校なんかうってつけだったんだろうよ」
そうだとすれば、幾つも不可解な点が説明可能になってくる。隠された監視カメラ。この書類。何故か保健室にある通信機。
機密施設があるのなら、それらの機材も頷けるというもの。
万が一機密が外部に漏れる事になっては一大事だし、ウイルスなんて危険度の高いモノを扱ってるなら尚更慎重になるだろう。
その関係者が、ちょっと鍵がかかるだけの教員机にこんな資料を保管するのは、些か不用心な気もするが。
「処理シェルターってあるだろ。餌をそこから地下飼育施設に流せって。
つまり、研究所ないし生物兵器を飼っていた施設は、この学校からさほど離れていない地下にあるんだ。下手したら真下かもな」
「ま、真下!?」
ぎょっとしたように足元を見るのび太。
「ああ。…んでもってその施設の入口が、この学校のどこかにある可能性は高いと思う。
だからその入口を監視したり、地上から餌を流す人間が必要だったんだ。
だから学校の職員を金で買収したんだろうな。職員=アンブレラ社員ってわけでもないだろ」
ぞっとしない話だ。平和に見えた学校の地下にそんなモノがあったなんて。
普通に見えた先生達が、直接ではないにしろ恐ろしい兵器の研究を知りながら金の為に黙っていたなんて。
のび太も段々理解が追いついてきたのだろう。みるみるその顔色が青くなる。
そしてもっと突き詰めてみれば。バイオハザードの発生源も、その地下施設だとしか考えられないわけで。
施設で発生したウイルスが入口から学校に広がり、最終的には町中を汚染してしまった。
そんな施設を黙認し、隠蔽していた人達がいた為にこの大惨事は起きたのだ。とても許せる事ではあるまい。
「……よく、分からないんだけど」
太郎が泣き出しそうな顔で、そう言った。
「先生達が…僕達を騙してたってことなの?」
誰も、何も言うことが出来なかった。健治もただ黙って、太郎の頭を撫でるに留めた。
教師の全てが協力者だったわけではないだろう。そうだと信じたい。
協力していた教師がこの場にいたらきっと言い訳するだろう−−こんな事になるとは思わなかったんだ、と。
だが言い訳は言い訳。結果としてバイオハザードは起きている。騙された結果だと、子供達に思われても仕方あるまい。
「…やるべき事がハッキリしたな」
資料を再び読み返し、綱海が言った。
「ウイルスを扱ってた連中は、当然こんな事態もある程度予測してた筈だ。
だったらその地下施設とやらに、緊急の脱出ルートか、もしくは避難シェルターみてぇのがあるんじゃないか?」
「た、確かに…!」
「んでもってウイルス兵器なんて危ないもんを作るなら、安全のため必ず抗ウイルス剤とワクチンを用意する筈だぜ。
この街から脱出できても、T−ウイルスを街の外に広げちゃ意味ねぇんだ。
俺達も今後感染する可能性があるし、手に入れておくべきだと思うな」
実に正論だった。地下研究所ならば、ワクチンや抗ウイルス剤がまだ残っている可能性が高い。
むしろこれらを入手せず脱出するのは危険だ。
万が一自分達の誰か一人でも感染に気付かないまま脱出してしまったら、この町で起きたことと同じことが外でも起きてしまう。
「研究所への入口を…探さなきゃいけないって事だね」
銃を握り直し、のび太が言う。
「ならやっぱり虱潰しに、学校の内部を調べていくしかないかな。地下っていうからには一階に入り口がありそうな気がするけど」
「そんな単純だといいがな」
最重要機密を扱う研究所なのだ。相当念入りに入り口が隠されていると考えて然るべきだろう。自分ならば安易に一階に入口は作らない。
二階や三階にだって出入口を製作する事は可能な筈だ。
もしかしたら秘密のエレベーターみたいなものがあるのかもしれない。
「それに、気になることがある。強力なB.O.Wを生産できたってあるだろ。
多分動物兵器のことだ。ただのゾンビより厄介な化け物が、施設にいる可能性は高い」
もしくは既に、地上に出てきてしまっているかもしれない。健治は町中で見た緑色の大トカゲみたいな化け物を思い出していた。
あの時は自分もパニックになっていて、深く観察する余裕もなく逃げてしまったが−−もしかしたらアレもまた研究所から逃げた動物兵器だったかもしれない。
そうでなくとも。もしT−ウイルスに感染するのが人間だけではなく、獣や鳥もであるとしたら。
あれが普通の蜥蜴が変異した成れの果てだとしたら。それもそれで大問題だ。簡単にあんな化け物がほいほい生まれるようではたまったもんじゃない。
「もう気をつけて進む、しかないだろうな。
ゾンビにしろ化け物にしろ、奴らに傷をつけられたらあっと言う間に俺達も化け物の仲間入りだ。
生きたままハラワタが腐ってくだなんて冗談じゃねぇ」
研究員達が、学校の職員にどこまで真実を伝えていたかは分からない。しかし、初期段階以外で空気感染しないというのは信じてもいいだろう。
何故ならこれはウイルス兵器。考えるだけで虫酸が走るが、いずれ戦場でバラ撒く為に開発されたものだ。
ならば、無作為に感染が広がるようでは意味がない。
敵陣にのみ、極めて狭い範囲で蔓延してくれてこそ意味があるのだ。ならば空気感染しにくいよう改良されるのは自然な流れである。
「絶対、傷をつけられないようにしねぇと。少なくともワクチンが見つかるまでは…」
その時だった。ガシャン!と音を立てて職員室の窓硝子が砕け散る。
「!」
四人に、一気に緊張が走った。健治は太郎を背中に庇い、ナイフを取り出して身構える。
自分には飛び道具がない。不安だが、なんとか工夫で切り抜けるしかない。
ぐるる、と低い唸り声。机の上に、体のあちこちが腐敗した黒い犬が立っていた。
涎を垂らし、白く濁った目でこちらを睨んでいる。しかも一匹ではない。隣の机と後ろに一匹ずつ。計三匹のゾンビ犬だ。
「元はドーベルマンかね?」
「残念。俺はゴールデンレトリーバー派」
「いい趣味だな。俺は柴犬派。ドーベルマンはあんま好きじゃねぇかな」
綱海とそんな会話をして、身構えた。のび太が引き金に指をかけるのが見えた。
さっきまであんなにビビッていたくせに、今は立派な男の顔をしている。大したものだ。
「さっさと片付けるぞ、と!」
健治のその言葉を合図にしたかのように。ドーベルマン達は一気に飛びかかってきた。
第十話
生物兵器
〜隠された罪〜
誰も救えやしない。