もしかしたら。

 もしかしたら自分が戦っているのは、ドラえもんと――ではないのかもしれない、とのび太は思う。

 かつての弱かった自分と。優しい思い出の全てと、戦っているのかもしれない。

ドラえもんの繰り出してくる、管理権限という名の秘密道具。どれも見覚えがあり、思い出に溢れた懐かしいものばかりだった。

涙が出そうだ。一つ、また一つと見るたびに決壊する。記憶とともに感情が溢れ出す。

 幸せだった。こんなにも幸せだった自分。どうしてあの時それが分からなかったのだろう。

安心の中に包まれ、守られている時には見えない。見えていたら、もっと日々を――一瞬一瞬を大切に、慈しむように生きることも、出来たかもしれないのに。

 

「驚いた。案外体力あったんだね、君」

 

 ドラえもんが大仰に肩をすくめてみせる。

 

「もっと早く決着を着けるつもりだったのに。計算が狂ったな」

「は、君が僕を誉めるなんて珍しいじゃない。いつもさらっと馬鹿にしてくれるくせに」

「だって取り柄ないんだもの、君って。……ああ、射撃とあやとりと昼寝だけは天才的だけどさ。それだけじゃないか」

 

 まるでいつもと同じやり取り。だがここで浸りすぎてはいけないと分かっていた。覚えていてもいい。でも思い出しすぎるのは駄目なのだ。

 思い出は優しくて。すぐ足をとられてしまうから。

 

「でも逃げてるばっかじゃ駄目だよ?それともまだ僕と仲直りするとか、寝ぼけたこと言ってるわけ?」

「残念ながらね」

 

 心底呆れ果てた様子のドラえもんに、笑ってみせるのび太。さすがに疲れてきた。しかし、自分もただ闇雲に逃げ回ってたわけじゃない。

 ドラえもんの戦いは多彩で、有り体な言い方をしてしまえば“反則級”だ。

改造され、威力を増した秘密道具の数々は脅威の一言に尽きる。だが、それでも彼が攻めあぐねているのは、いくつかの理由があると見た。

 一つは此処が屋内であること。いくら広めの食堂とはいえ限度はある。地下なら尚更。下手な暴れ方をすれば倒壊し、全員が揃って生き埋めになりかねない。

 また、仲間達の存在も大きい。ドラえもんの狙いはあくまでのび太一人。のび太の仲間達を救い出したいのはドラえもんのみならずセワシの意向でもある。つまりドラえもんは、仲間達にはまず危害を加えない。そして彼らを巻き込みかねないような大技は使えない。以上二つの要因から、ドラえもんの攻撃にはかなりの制約がかかっている。

 また。感情面もやはりあるのだ。ドラえもんにはまだ迷いがある。その一瞬の躊躇いがのび太を生かしている。本人はきっと否定したくてたまらないことなのだろうけど。

 

――あと、秘密道具を呼び出す際にも隙がある。

 

 この戦い限定の話かもしれないが。ドラえもんは秘密道具を使う際、必ず事前にその道具の名前と決まった台詞を口にしている(一番最初のしずめだまの際も、多分小さな声で言っていたのだろう)。

それが使用条件にかかってくる可能性が高い。

 つまり。のび太は事前に、“ドラえもんがこれからどんな道具を使うか”を知ることができ、例え声量などの問題で聞こえなくても、そのタイムラグは大きな隙となる。

 自分にチャンスがあるとしたら、そこしかない。

 

「あまり僕をナメないでね、のび太君。いいよ。ちょっと本気を出してあげる」

 

 ドラえもんが表情を消した。何かやらかす気だ。その前に動きを止めた方がいい。のび太はとっさにパイプ椅子で殴りかかった。だが。

 

「甘い」

 

 傍にあったテーブルをひっくり返してガードされる。渾身の力で殴ったのに、びくともしない。

そういえばドラえもんは、見た目によらずかなり体重がある。

うろ覚えだが100キロオーバーだった筈だ。重心が座り、簡単には動かせないだろう。

 

「管理者権限発動……“いしころぼうし”」

 

 しまった、と思った時にはもう遅い。ドラえもんの姿が揺らめき、あっという間に消えてしまった。

 

「気をつけて、のび太さん!何処にいるか分からないわ!!

 

 静香の声が飛ぶ。背中を冷たい汗が伝った。この展開は予想できたのだ。だからドラえもんが“いしころぼうし”を使う前にケリをつけるつもりだったのに。

 

――いしころぼうしは、実際は姿を消す道具じゃない。

 

 以前ドラえもんに聴いた話を思い出す。いしころぼうしにはステルス効果などない。ただその存在を、生物の意識から外し、感知しにくくする道具なのだと。

 つまり、物質は変わらずそこに存在するし、立てる音を消すことも出来ない。

 

――音だ。耳をすまして攻撃をかわす。それしかない。

 

 幸いこの場には障害物が多い。いくらドラえもんでも音を立てずに素早く移動するのは困難な筈だ。

 

 かたっ。

 

「そこかっ!」

 

 小さな物音。のび太がそちらに銃を向けた途端、じゅっという音がした。

イチかバチか身体を転がす。すぐ傍をショックガンの一撃が通過していった。

 だが。

 

 ひゅんっ!

 

!?

 

 馬鹿な。レーザーは前方から放たれた。なのに何故後ろからも攻撃が来るのか。

 幸い不意を打たれた一撃はのび太には当たらなかったが、冷や汗をかかせるには充分だった。

 

「ど、どういうことだよ!?相手はドラえもん一人だろうが!

 

 たまらず叫ぶ武。のび太にはその余裕もない。何故なら間を置かずして二撃目、三撃目とレーザーが飛んできたのだから。

 

「くっ……!」

 

 そして再び、全く違った方角からの攻撃。立ち止まる暇さえない。ランダム間隔で次々とショックガンの光が飛ぶ。のび太は混乱した。分からない。何が起きているかさっぱりだ!相手は一人の筈なのに何故!

 

「うわぁっ!」

 

 じゅっ、とレーザーの一撃が左腕を掠めた。焼け付くような痛み。掠っただけでこれとは。傷口は派手に焼け焦げている。

 どうやらドラえもんは、ショックガンを“威力拡散型”から“一点集中型”へと改造したようだ。

自分達がいつも見慣れていたショックガンは、撃ち込んだ相手の身体に電流と振動を流して麻痺させるというもの。

対し今ドラえもんが使っているそれは、麻痺効果がなくなった分貫通力が上がっている。相手の身体全体に拡散するパワーを全て一点に集中したということらしい。

 攻撃範囲が狭くなったが、それに見合いかつお釣りがくるだけの威力を手に入れたという訳だ。

 

「……そういうことかよ。おいのび太!」

 

 何かに気付いたらしいスネ夫が声を上げた。

 

「絡繰りが分かったぞ!“やまびこやま”だ!!ドラえもんの奴いつの間にか部屋中に“やまびこやま”を配置してやがった!!

!!

 

 はっとして振り返るのび太。机の陰、見えづらい場所にひっそりとそれは存在していた。

三つのコブを持った山を模した緑色の機械。

秘密道具の一つ、改良型“やまびこやま”だ。いつぞやの鉄人兵団との決戦では大変お世話になった記憶がある。

 自身に対し向かってきた音と光を来た方向へそのまま返す。ようはそれだけのシンプルな道具なのだが、ハッタリや攪乱には充分効果がある。

 

「なんだ、意外に早くバレちゃった。君達も成長したんだねぇ」

 

 ドラえもんの声。やけに反響して聞こえるせいで、どこで喋っているか分からない。

どうやらここでも“やまびこやま”を使っているらしい。

 

「説明するまでもないとは思うけど。“やまびこやま”は確かに、音と光しか反射出来ない。でも音と光はそのままだ。本物の攻撃かそうじゃないかなんて、攻撃を受けてみないと分からない。そうだろ?」

 

 全くもってその通りだった。しかも厄介なことに、やまびこやまを通せば音と光は何重にも反射を繰り返す。

やまびこやまの位置を全部把握したところで、その反射角度から全て計算して攻撃を割り出すなんて高度な真似、のび太に出来る筈もない。

 それにいくら物理的ダメージを食らわないとはいえ、反射された光を真正面から直視すれば目を焼かれる危険がある。こけおどしだと馬鹿にすることも出来ない。

 

――だけど今ので幾つか分かったぞ。

 

 今。ドラえもんは“いしころぼうし”を使う際には“管理者権限発動”と口にしたが。

“やまびこやま”の時は口にしていない。

思えばショックガンもそう。台詞なしでいきなり攻撃が可能だった。

 ドラえもんいわく。秘密道具の半分は幻、半分は管理者権限だという。正確には前者もただの幻と、姿だけの幻があるだろう。

現に自分達はつい数時間前にタケコプターを使っている。

恐らく形状は違えど、タケコプターは実在するのだ。姿のみ、幻でコーティングされている可能性が高い。

 “ショックガン”と“やまびこやま”は実在する武器。

ゆえに台詞を言う必要なく使うことが出来る。

“いしころぼうし”や“天地逆転オイル”は管理者権限。

よって台詞なしに使うのは困難。多分この解釈で間違っていまい。

 

――この状況。僕がドラえもんなら……余計なリスクは避ける。

 

 再びレーザーが飛んできた。幸いショックガンは、発射音と起動音がしてからコンマ数秒間がある。威力を絞った結果、連射速度も落ちたと見た。

馬鹿正直に狙ってくる攻撃なら、最低限の回避が可能だ。

それでもまた肩を掠めて、痛みに歯を食いしばる羽目にはなったが。

 

――管理者権限の必要な秘密道具は……事前に名前を呟かなきゃいけない点ネタバレしやすい。タイムラグも大きいから対策をとられる可能性がある。でも。

 

 タイムラグの必要ないショックガンの攻撃は、先述した理由で簡単にはのび太を仕留められない。

無論この状況、いずれ疲弊して決着がつくかもしれないが、少々時間がかかりすぎる。

 ならば、ドラえもんが取る可能性が高い行動は二つ。

 一つは、“分かっていても避けられない”管理者権限を使うこと。

 もう一つは、ショックガンによる波状攻撃、だ。

 

――分かっていても避けられない秘密道具。……実はこっちは意外と選択肢がない。

 

 今までたくさんドラえもんと冒険してきたから分かる。秘密道具は便利だが、争いには向かないものが殆どだ。

だからメイン武器であるショックガンも、改造しなければ殺生能力はほぼ皆無なのである。

 それでものび太の不意を打てるものといえば――今思いつくものだと“地球破壊爆弾”だとか“独裁者スイッチ”といったところか。

前者を使うなど論外だ。この世界にいるセワシものび太の仲間も巻き込む。

後者は一瞬でのび太を消せるが、本来あれは武器ではなく“身勝手な人間を厚生する”為の道具。

一定時間たてば消された人間は帰ってくるわけで、のび太を完全抹消したいなら寧ろ都合が悪い。

 だったら、やはりドラえもんがやってくるのは。

 

「拷問は趣味じゃないんだ。終わらせてあげるよ」

 

 しゅんっ、とレーザーの発射音。しかし光はのび太に直接向かってはこなかった。どうやら予測は正しかったらしい。

 

「さよなら、のび太君」

 

 光が跳ね回り、乱舞する。静香と聖奈が悲鳴を上げる中、のび太は笑っていた。

 さよならじゃない。

 始まるのだ、これからもう一度。

 

百四

 彼岸花

い出は悲しく、甘く〜

 

 

 

 

 

歌声が止む時は、運命の終わり。